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ダンスの中の日本らしさについて(2010年6月22日の講義録)

写真はヤザキタケシSpace4.5

2010年6月に、神戸大学大学院「舞踊表現特論:の授業でお話しさせていただいた時の原稿です。
担当教員は、関典子先生。どうもありがとうございました。
テーマは、「ダンスの中の日本らしさについて」

 コンテンポラリーダンスについてのお話ですが、その前に、コンテンポラリーアート、現代芸術というものに、「日本らしさ」なるもの、つまりある地域や民族に限定的な特徴というものがあるのか、ありうるのか、ということを考えてみましょう。
 大まかな結論から言うと、それは「ない」と思ったほうがわかりやすい。基本的には、コンテンポラリーアートは、伝統や土着性を切り離して、グローバルとかボーダーレスとかインターカルチュラルとかトランスカルチュラルとか、そういうものであろうとしてきたから、日本らしさとかいったローカリティは、必要なかったし、追求もしてこなかった、そういう印象があります。
 そして、コンテンポラリーアートは、他の様々な産業や文化と同様、アメリカやヨーロッパで発生したものだったために、あらかじめ周縁的な非欧米を顧慮していなかった。もちろん、アメリカにおいては、移民という形でロシアや東欧の画家が多かったということはありましたが、それはアメリカの特質であって、要するにアメリカ的だといえるのではないでしょうか。
 ですから、現代芸術の後発である非欧米諸文化の芸術家たちは、まずは欧米的であろうとしました。日本の現代芸術家、岡本太郎などを思い浮かべても、スタートに関してはそういうことがいえると思います。それ以外の文化については、欧米からは、エキゾチシズムの対象でしかなかったといえるでしょう。
 ところが、そのようなグローバリズム、いわば世界均一主義というものは、どうもある時点からいろいろな意味で危なっかしいものになっているらしい。2001年9.11の同時多発テロ事件以後のブッシュ元大統領らのアフガニスタン紛争、イラク戦争へという振舞い、イギリスや日本の同調、そして実際に大量破壊兵器があったのかどうか……どうもそのあたりから明確になってきたのが、グローバリズムへの反動としてのクリティカル・リージョナリズムであり、ポスト・グローバリズムだといっていいでしょう。

 ここでそれらの「イズム」について、ちょっと確認をしておきましょう。■ クリティカル・リージョナリズム 批判的地域主義。アメリカを代表する建築批評家K・フランプトンが提唱した概念。(中略) 歴史主義にも前衛的な実験にも回収されない、地域固有の伝統と近代建築を融合しようとする立場としての「批判的地域主義」を確立した。その概要は主著『近代建築』(未邦訳、1984)の中で、「場所に根ざした建築であること」「風土性を最大限に生かした建築であること」など7箇条にまとめられており、(後略) [執筆者:暮沢剛巳]
■ ポスト・グローバリズム 1990年代のアメリカの世界支配の時代から、ユーロの成立や9.11テロやイラク戦争を経て、新しい共生の世界秩序の時代。一律的なものの見方ではなく、多様な価値観を受け入れあうことが重要。(向壽一)
 20世紀の経済学者や政治家たちは、グローバルな経済と政治をモデル提示した。しかし、文化の持つ重要性と影響力を軽視した社会を、成功した、成熟した社会と言い切れるだろうか。現代社会はグローバル化によるメリットとデメリットを抱えながら、グローバルの対極にあるローカルに関心を向けるようになった。(デザイナー アレクサンダー・ゲルマン)

 とはいうものの、今日、コンテンポラリーダンスにおける日本らしさについて考えてみたいと思ったのには、個人的にいくつかの理由、はっきり言うと危機意識があります。
 直接のきっかけは、今年の2月に、横浜ダンスコレクションRというコンペティションを観たことです。関西にいると、なかなか芸術活動のマーケティング的側面について、敏感になりにくいのですが、ぼくもまたそうでした。
 そこでは、海外の審査員も複数いて、特に海外のマーケットに売ることのできるカンパニー、ということが、選考基準になっているように思われました。
 これは、先週の学部の授業「臨床舞踊論」でもふれたのですが、90年代半ば頃から、日本のポップカルチャーのキーワードの一つに「かわいい」というのがあって、それを近年、麻生元首相の嗜好もあってでしょう、外務省や経済産業省が、日本の文化の海外への発信の切り札として、また日本の産業振興の一つ、文化産業の切り札としてアピールしています。

マーケティング戦略としての日本らしさ
●BUTOH 初の海外公演は、1978年、パリ。
●かわいい

外務省「ポップカルチャー発信使」(カワイイ大使)(2009年2月)

 「「かわいがる」側と「かわいがられる」側の圧倒的な支配関係…対象を「かわいい」と思う自分をもまた「かわいい」と感じる、という構図…社会的には上にいる存在を自分の側に引き寄せることで、実際的かつ意識的な価値を転倒させようという目論み→だからこそ、女性が、それも男性社会の中で最も弱者であるとみなされている若い女性が「かわいい」と発するのである。…それによって、最終的には社会は完全に転倒してしまうだろう」(小林昌廣「「かわいい」は革命的なコトバである」、「美術手帖」1996年2月号 特集「かわいい」)

 そして、日本のコンテンポラリーダンスの世界でも、1990年に結成された珍しいキノコ舞踊団以後、「ガールズ」ダンスカンパニーは、少なくとも表面的にはキュート&ポップ、かわいいということをベースに、そこからの変容を展開しているように見えます。
 そのコンテクストに、横浜ダンコレを合わせて見てみると、確かにそういう傾向があるようで、正直に言うと、それはちょっといろいろな意味で不満なわけです。
 一つは、日本の日本らしさというものが、キュート&ポップ、かわいい、というようなものなのかどうか、そのことにすぐになるほどとうなずくことができなかったこと。そして、それが現代美術でもいわれているような幼形成熟、ネオテニーということではあるのでしょうが、もっと何か、ダンスの内在的な要因による、新しい評価の尺度はないものか、少なくとも偶々かも知れませんし、向こうが後から乗って来たにせよ、国策に入り込み、あるいは即したような形での方向付けには、どうにも反撥を感じてしまう。
 また、それ以前から、ずっと考えていたのは、幾人かのアジアやアフリカのコンテンポラリーダンサーの作品にふれていたことです。インドネシアのサルドノ・クスモ、タイのピチェ・クランチェン、そして韓国の何人かのダンサー。
 ピチェ・クランチェンというタイのダンサーについて、まず荒い映像で恐縮ですが、短いものを見てもらいましょう。
 このように、伝統ということを正面から、つまりパロディとかではなくて向き合って、そこから自分自身の現代性を導き出していこうとしていることに、驚き、半ばうらやましく思っていた。そしてそのことが、彼らの作品の強さ、強度になっているように思え、翻って日本の多くのコンテンポラリーダンスには、何ものかにきちんと基づいたような強さがないように思えたのです。
 そもそも、ぼくたちは、日本の伝統、伝統芸能について、知らなさ過ぎました。ぼくも年をとって、同い年の友人からのサジェスチョンもあって、特に文楽とお能には最近はまりつつあるようなのですが、ここで一つのエピソードとして、歌舞伎が海外に与えた影響を紹介しておきましょう。

・歌舞伎の初の海外公演は、1928年、市川左團次一座によるソビエト連邦公演。モスクワ、レニングラード。エイゼンシュテインが観劇し、『イワン雷帝』で主人公に見得を切らせる。

「忠臣蔵」の口上人形を前にして・大星由良助に扮した左団次と談笑するエイゼンシュタイン

・UNESCO Culture Sectorユネスコ無形遺産リストhttp://www.youtube.com/watch?v=67-bgSFJiKc

 まるで、印象派に浮世絵が影響を与えたような話です。日本の伝統芸能には、これほどのインパクト、強度があるのです。
 なお、歌舞伎を英語で紹介したい場合には、UNESCOのサイトの映像、Youtubeからも見ることができます。

 さてひるがえって、日本のコンテンポラリーダンサーで、日本の伝統舞踊を学んできた人、精通している人、がどれだけいるでしょうか。
 これは本当に笑い話なのですが、自分でそう考えたとき、そして何人かに尋ねてみたとき、ハイディ・S.ダーニングという、スイス人の父親と日本人の母親のダブルである女性ダンサーのことしか、皆思い浮かばなかったのです。
 ハイディは、日本舞踊の名取でもあり、モダンダンスも習っており、いろいろな意味でダブルな文化背景を持っています。こういう作品で、阪神大震災で亡くなった、日本人の母親のことを踏まえています。

アルティブヨウフェスティバル'08 【ハイディ・S.ダーニング「Yurari(ゆらり)」http://jonen.txt-nifty.com/dnp/2008/02/yurari_6e98.html

 笛を使っていること、着物を着ていること、で日本的であることは明らかなのですが、動きそのものにも、重心の位置という点で、非常に日本的です。日本の伝統的な動き、舞のほとんどが腰を落として、重心を低く保ち、上半身の上下動をなくして、足を地面から離すことなく移動します。すべてが欧米の舞踊、端的に言ってバレエとは逆の動きです。丹田に力を入れ、いわゆるインナーマッスルを鍛える動きなのでしょう。
 実はもう一人、比較的最近の若い人、まだ20代なのですが、ボヴェ太郎さんという人がいます。昨年12月に神戸大学でもパフォーマンスをされたので、ご覧になった方もいるのではないでしょうか。彼は今度、7月2,3日にお能の「杜若」を、本当にお能の囃し方の人の音楽を使って、上演するのですが、今日は先日伊丹の旧家で行われた公演について解説させていただきます。以下は、ぼくが「イマージュ」という雑誌に書いたダンス時評の一節です。

 『陰翳-おもかげのうつろい-』(4月10日、旧岡田家住宅、伊丹)から、興味深いと思われたことを、何点か挙げます。
 基本的には、歩を進めるということを動きの中心に置き、飛んだり跳ねたりといういわゆるダンスをするわけではない。普通なら、背景となる劇場空間や舞台装置を「地」であるとすれば、ダンサーや役者は、その前で光り輝く「図」となって注目を浴びるわけだが、ここではボヴェは背景に溶解している。
 ボヴェの姿が見えるか見えないかは、実にどうでもいいことだったということだ。そこにボヴェがいることが感じられれば、そこにいるはずのボヴェが中心点となって、空間とぼくたちの意識が凝集することができたのだ。
  上半身をほとんど動かさず、すべるように、空間に浸透するかのように現れ出てくるのが、印象に残っている。空間に身体が入り込むことで、空間を溢れさせたり新たに圧を加えたりするのではなく、空間に身体が同化するような現れ方。そこでぼくたちは、身体に同化された空間というものを全身で味わうことになる。
 『能-神と乞食の芸術』(親本は1964年。『戸井田道三の本3 みぶり』所収、1993年、筑摩書房、p174)で戸井田道三が能について語った言葉。「もしわれわれが歌舞伎を見ているようなのんきなゆとりのある気持ちで見ているとしたら、能のシテはなんにもせずに舞台のまんなかにぼんやりしているにすぎなくなる。だから、それが抑制の極限における不動であるのを感じるのは、観客のがわに不動であることの内容を証明しようとする迎える見方があるのだ。これが能の観客の態度なのであって、そのような特別の態度をつくり出すのが、能舞台なのである」(同書、p189、傍点上念)
  「作品を積極的に享受しよう」という態度で作品に向かうことはできる。そうすると、舞台の向こう側から、思いもよらぬものが舞い込んでくることがある。ポール・クローデルは、「劇(ドラマ)、それは何事かの到来であり、能、それは何者かの到来である」と書いたそうだが(内藤高訳『朝日の中の黒い鳥』1988、講談社学術文庫、p117)、現代のダンスでも、突然何ものかが襲いかかってくるような舞台に出会うことがある。

 これらの動きは、じつは、腰を沈める低い姿勢、そして後ろ姿を見せることが多いことが大きな特徴です。これについて、ちょっと市川浩さんの所説を引いてみましょう。

身体の空間意識について~下降する身体と後ろ姿
 <後ろ>は、過去。上-下は、非常に強い特権性をもっている。シンメトリックでない。下は地球上では重力の方向ですから、これをひっくり返すことは難かしい。重力に抗することを価値としているのが、ヨーロッパではないか。
 多くの生物は身体軸の方向が行動の方向だが、直立した人間は、そうではない。上-下は、行動的価値から分離したことで、精神的な価値の方向という性格を帯びるようになったのではないか。
 「下」は、マイナスといっても、一種の聖なる性質~反聖性という意味での聖なる性質を持つ。
 大地は両義性をもっていて、「母なる」もの、生むものであり、飲み込むもの。(市川浩『<身>の構造』、1984、青土社、p103-112から、大意)

 そのうえで、バレエと舞踏の経験のある現代の女性ダンサー、黒田育世さんのソロの一部分を、そういうつもりで見て下さい。上に伸び上がる動き、腰を沈める動き、色々な多様性が見えてくると思います。

【映像】黒田育世 MonicaMonicaMonica~「Floor」冒頭(2005、上之町會舘、岡山)

 さて、ちょっと目先を変えまして、実はお能とのつながりがあるのですが、コンテンポラリーバレエと呼ばれる作品を一つ見ていただきます。短い作品です。バレエのコンクールで、クラシックバレエとコンテンポラリーバレエが課題としてあって、それに向けて用意されたものだそうです。振付のサイトウマコトさんは、自らダンサーとして踊りもし、多くの魅力的なコンテンポラリー作品も創っていますが、次にご覧いただく「FLOWER」という小品は、佐藤玲緒奈さんという、現在スロヴァキア国立歌劇場バレエ団で活躍しているバレエダンサーがコンクールに出場するために振付けた作品です。この作品は、謡曲「弱法師」の一部分を音楽として使っています。もちろん日本の伝統音楽には、リズムや均一な拍子というものはありませんので、その意味では現代音楽に似ています。
 まず、お能の「弱法師」を見ていただいてから、サイトウ作品を見てもらいましょう。まず時間的な長さについては、現在のお能の上演の形式、複数の地謡と単独の素謡の違いなど、いろいろあるようですが、詳しくはふれません。とりあえず、お能のほうでは、日本の伝統的な動きについて、その特徴を、先ほどのハイディの動きとの流れやボヴェについての話との関連から、見てもらうことができるのではないかと思います。

佐藤玲緒奈『FLOWER』(サイトウマコト振付)
能『弱法師』(作:観世十郎元雅)(シテ・俊徳丸:友枝喜久夫。ワキ・高安通俊:松本謙三)、1980年

地 花をさへ。受くる施行の色々に。受くる施行の色々に。匂ひ来にけり梅衣の。春なれや。難波の事か法ならぬ。遊び戯れ舞ひ謡ふ。誓ひの網には洩るまじき。難波の海ぞ頼もしき。げにや盲亀の我等まで。見る心地する梅が枝の。花の春ののどけさは。難波の法によも洩れじ。難波の法によも洩れじ。

 さて、ここまで紹介した人たちは、お能や日舞という日本の伝統的な身体表現にインスパイヤされていること、ハイディもボヴェもそれぞれスイス、フランスとのダブルであり、佐藤玲緒奈はスロヴァキアで活動していること、と海外の要素を備えている、という点で共通しています。黒田は、小さい頃からバレエを習い、長じて伊藤キムのところで舞踏を経験しています。

 さて、ここからは、時間の許す限り、日本的と思われるような作品をいくつかみていただいたり、解説しながら紹介したりしていきましょう。だいたいが10年から15年ぐらい前の作品で、今現在においては、若干異なる傾向が出ているかもしれません。
 しかし、伝統芸能を前提にして、舞踏が切り開いてきた日本の身体表現について、何か新しいものを打ち立てていこうとすることは、なかなか難しいことのようです。

 ヤザキタケシ~四畳半
  「Space 4.5」、小空間で壊れていく「私」

 砂連尾理+寺田みさこ
  日常的な時間を、バレエ的身体と生な身体の隙
  間から見せる

 op.eklekt(折衷的作品の意)
  オプス・エクレクト。金谷暢雄・奥睦美。1991金谷のパントマイム教室から結成。

 Monochrome Circus
  初期は、非舞台空間を共同体的空間にする

 北村成美
  観客の自宅で踊る

 ヤザキタケシさんは、海外での評価が非常に高いダンサーですが、いつも海外に行くと、まず、トラディショナルか、BUTOHか、と聞かれて、コンテンポラリーだというと、やや鼻白むような反応があると、嘆いていました。
 op.eklektは、今はもう活動していないと思いますが、ちょっと桃山朝のような、バテレンっぽい雰囲気とでもいうのでしょうか、日本人もビックリするような雰囲気で、しかも日本らしさを逆手に取るようなことをします。
 この問題は、現在においても、考える値打ちがあるように思います。私たちにとって、日本というものは、いまやエキゾチシズムの対象ではないかということです。異文化としての日本、というものが、ほかならぬぼくたち自身に、あるのかもしれません。
 実は、これらの映像を集めてみて、いわゆる日本文化論、日本人論に安易に流れることは戒めようと思いつつ、やはり上に伸びるよりは下に、正面向くよりは後ろ姿、狭い空間で実現する自己、というような、「縮み」の志向であるとか、物事を小さくコンパクトに収めていくことに長けている日本人とか、そういうことが簡単に浮かんできます。
 うっかりすると、やや自虐的な日本人論にもなりかねないのですが、再び舞踏に目を戻しますと、土方巽は、モダンダンスの経験から、それを逆手にとるような形で舞踏を見出していったわけです。
 そしてまた、唐突ですが、これらをコンセプトとして意識化するとき、背景に千利休的な存在を思ったりもします。政治や経済をきちんと意識しながら、規制の価値観を否定して井戸茶碗や楽茶碗という当時は無価値だったものに新たに価値を創出したのは、現代の様々な芸術におけるヘタウマ的なものへの系統の萌芽があるように思います。
 完璧なものより少し破れたものを尊ぶ、本格より破格という美意識の始まりが、利休にあるのではないか。
 また、四畳半だった茶室を二畳にまで小さくするというある種ストイックなミニマリズムを徹底し、様々なコンセプトメーカーであったわけで、現代芸術のコンセプチュアルな側面と共通しているように思います。
 利休の現代性については、赤瀬川原平という現代芸術家が、『千利休 無言の前衛』(岩波新書)という本で詳しくふれています。

『千利休 無言の前衛』(岩波新書)

 さて、冒頭で引用した、クリティカル・リージョナリズムとか、ポスト・グローバリズムに戻って、考えてみましょう。
 コンテンポラリーアートが、意識するしないに関わらず、モダンダンスや抽象表現主義におけるアメリカの栄光を引きずる形で、ある種のアメリカ中心主義的なグローバリズムを理想とするような意識があったのは、確かだったかと思います。みんながニューヨークを志向するような感覚です。
 ところが、どうしてもそのグローバリズムになじまない身体というものが出てきた。やや時代は前後しますが、1960年に現れた舞踏こそ、その先触れであったと思います。
 ところが、時代を先取りしすぎたために、当の舞踏が、1980年ごろからグローバリズムに陥ってしまうようなところがあったのではないでしょうか。
 実は、ヨーロッパからも、アメリカ的なものへの反発というものは当然あったわけで、フランスやドイツ、そして東欧のダンスには、明らかだと言えるのでしょう。
 そんなときに、アジア諸国から、コンテンポラリーダンスといいながら、とてもリージョナルでトラディショナルな、ほとんどエキゾティックものが出てきて、ぼくたちはショックを受けたわけです。
 欧米のグローバリズム・コンテンポラリーアートにとっては、2度目の衝撃だったはずですが、どうだったのでしょう。
 それにしても、ぼくたちは、あまりに日本の伝統から遠ざかりすぎているのではないでしょうか。ぼくは今、クリティカル・トラディショナリズムとでもいいましょうか、批判的に芸術や文化の伝統の中から現在に生かすことができるものを探していくことが、非常に重要なのではないかと考えています。
 たとえば、多くの伝統芸能が家元制によって、非常に閉鎖的なものになっている、と言われています。では、そもそも家元制とは何だったのか。ただ家元制を否定するだけではなく、それにクリティカルに向き合うことで、では、モダンダンスや舞踏も、なんだかそんな制度のようなものになってしまったようなところはないか、と批判的に検証することができる。そして、そもそもの伝統の継承ということはどういうことなのか、ということを考えることができる。
 さらに、そのことを身体的に検証していくことが、最も重要だと思われます。たとえば、ナンバという足の進め方がありますが、それは実際にはどのようなもので、どこから出てきたもので、今後どうすればよいのか。それとお能の動きとの共通性はあるのか。武道とはどうか。それは今のぼくたちの身体にとっては、どういう感覚で受け止められるのか。
 そのようなことを考察する、実践することで、自分の身体の内奥に秘められているものに向き合うことができ、新しい発見、そして表現が生まれてくるのではないかと思います。

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