感情のゴミ箱になること

秋はみんな憂鬱なんだな。と毎年実感する。今年は特に。桁違いに。仕方がないよね。

最近、職場(とても忙しい。それはもう忙しい。ガタガタである)ではもちろん、友達からも家族からも愚痴や悩みを聞くことが多い。

信頼に値するのはとても光栄で、純粋に幸せだ。自分で言うのもなんだが聞き上手なほうだとも思う。自分の穏やかさや人当たりの良さ、理解力、共感力を長所と見なして仕事を選んだくらいなので。
なので聞きながら、「アドバイス要るやつだな」「共感するだけのやつだな」ってわかるほうだと思うし、今のところ適切に処理して、彼らの気持ちは少しマシにできている、と思う。

しかしそうしているうちに、

私、今、感情のゴミ箱だな。

と感じるようになった。

有益な考え、アドバイスや労りの言葉は人に伝えてしまって、その聞いた愚痴や悩みの残り滓、不快な感触だけが私に残って蓄積しているから。私にだっていろいろ吐き出したいことはあるが、悩みを言われた直後にじゃあ私のも、とできる性格ではないから。排水口のネットやコーヒーフィルターを何週もゴミ出しできていない。雑然としてもはや不衛生、不健全なまでのゴミ箱だ。

そんな感情のゴミ箱の中で、私は自分の感情を見つけにくくなっている。自分のものか他人のものかわからなくなっているし、それがゴミかどうか、人に見せたり伝えたりしていいものか、判別がしにくくなっている。
私の感情や言葉は上手く出力されてない、誰も求めてないし誰にも伝わらないし誰にも聞こえてもいない……ラインもリプライもなんだか空回っている……おざなりに返事されている……あるいは見られてもいない……またゴミを渡してしまったらしい……みたいな気持ちになることが多くて、人に伝える言葉を書くのに最近、躊躇う。

私は同人の創作全般が好きで、特にイラスト・絵画と音声作品を好んで楽しむんだけど、最近展示の感想とか作品のレビューとか言いづらくなっているな……と思う……(何せ自分の感情に自信がないので断言できない)。
感想や雑記は、卑下ではなく他人には必要のないものという意味でゴミでいいと思っているし、SNSは私のゴミ捨て場なので、独り言を言うことに躊躇いはない。が、多くのアマ作家さんはエゴサなさるので、SNS上の作品感想は大抵独り言ではなくなってしまう。
私もたまに短い小説を書くので、好き!よかった!で終わらせても十分に嬉しいとはわかっているけど、それに付随したもっと、自分の中に想起されたものや価値観の問題提起になったものまで言うのが自分の思う「感想」だし、その自分語りまでいくとゴミかどうかわからなくなる。わかりやすくない感想、100%ハッピーフワフワじゃない感情を人に見せていいかよくわからない。

さっきSNSはゴミ捨て場と言ったとおり、このnoteも私の感情のゴミ箱だ。人にぶつけて失礼なゴミ(個人の出てくるものや公衆道徳的に問題のあるもの)をぶつけていたら注意してほしい。いいなと思うものがあったらしげしげ見てほしい。持って帰ってくれてもいい。このゴミきれいですねって言ってくれたら、私は驚きながらありがとうと言うと思う。「この感情は大事で人に伝えていいものなんだな」と、またわかるようになっていくと思うから。

多分自己紹介記事とか書かない、この記事の抽象性や不親切さが……デフォルトです。目に焼き付けて帰りな。