見出し画像

ドキュメンタリーのなかのシズる

上の画像はコロナ禍の外出自粛中に暇を持て余しに余したウチの娘(当時高校生)が戯れに作ったジブリ飯の再現弁当(らしい)。

その筋の専門家の鑑定に耐えられるレベルではないのでしょうが、本人はSNSに投稿するわけでもなく、ただ「食べてみたかった」という動機だったらしく、とりあえずは満たされたそうです。

再現弁当は本人用オンリーとのことで、余った食材はパントリーに転がってた密閉式容器にホイホイっと入れられて、家族の晩ご飯として供されました。

ま、これはこれで

そもそも元ネタを知らないし、晩メシとしてはなかなかに質素な印象でした。
でも何か心がざわついたのは、いわゆる「タッパーウェア」から直喰いする感じが、かつて見た「オウム食」を彷彿させたからです。

別にくだんの教団とは何の関係もないただの通りすがりの者なのですが、道場の内部を紹介した雑誌記事の写真でオウム食をみたときに、あまりの素っ気ない体裁に「何を食べているんだろう」とすごく気になったのでした。
なんか「この親にしてこの子あり」を地で行ってて恥ずかしい感じがしてきましたよ。

ジブリ飯からオウム食へ。ということで森達也監督の「A」(1998)。

地下鉄サリン事件等の容疑で幹部が逮捕された後の教団の内外を捉えたドキュメンタリーです。
当時はもちろん作品への関心から鑑賞したのですが、施設内でカメラを回しているだけに例の密閉容器食もでてくるのではないか、との期待も薄っすらあったことは否めません。

果たして、「A」本編では早々にオウム食の場面がやってきます。

私は彼らの教義をよく知らないのですが、食用でも生き物の殺生を禁じているらしく、肉を使用していないという「ハンバーグ」を信者がキッチンで焼いています。
教祖がある信者に肉を食べさせたと聞いた、と取材者(森監督)が話しかけると、「そうしないと、その信者は別の場所で肉を食べて破戒したかもしれない。それを防ぐための愛だったのでは」と答えます。

米とハンバーグが入った容器とゆでたまごの入った容器を手にした信者が部屋で食べ始めます。彼の説明によると、こういう食事を続けて徐々に食欲が薄れていくと、いずれは食べなくても生きていけるのだそうです。
「美味しい、気持ちいい、というのは人間が生きていくなかでいちばん充実感を持つ瞬間だけれども、それを否定しているのですか」と問われて、「仏教の教えとは、もともとそういうものですよね」とこともなげに答えます。
どちらの信者も穏やかに語り、信仰に真剣な姿勢を感じます。
「食は幻影にすぎないと悟りなさい」という貼り紙も写し出されます。

また別の拠点には「ドライカレーの作り方 これはかんたん」なる手描きの貼り紙が。
いわく、「カレールーの上にご飯を乗せ、よくかき混ぜます。ドライカレーが出来上がります」。
わざわざ貼り紙してなぜ 難波 自由軒 みたいな食べ方を伝授したかったのか、その理由はわかりません。ただ、出家までした人たちの信仰への渇望を、なぜここで満たすことができたのか、という疑問が膨らみ続けます。

平たく言うと「なぜ、この人に?」。当時の最大のモヤモヤはこれだったのではないでしょうか。
事件以降、この「理解不能」が社会の大きなストレスになっていた気がします。

この作品には相互無理解による断絶の様子が散見されます。
教団内部の取材を申し入れる記者と広報副部長との間の平行線。道場が立ち退く日の周辺住民とのやりとり。後継者のマスコミに対する会見の場、などなど。
マジョリティの側は世間一般的な通念に露ほども疑いを抱いていません。それを真剣にわからせようと話しかけますが、相手の言い分は1ミリも理解しようとはしません。
カメラはそんな時代の空気を写し取っています。

だから、この作品に対しては公開時に「教団に好意的過ぎる」とか「公安を悪く描いている(実際カッコ悪いところを偶然撮られている)」という批判の声もありました。まだ事件への憎悪が満ちていた頃の話です。

いまならもっとフラットに観られるかもしれないなー。
と思って最近観直してみました。
すると自分でも驚いたことに、いちばんの感想はそんなものではなかったのです。
得られたのは、理解不能な対象がマイノリティだった時代は世間的には平穏だったんだな、という嫌な気づき。「平穏」には語弊があるかもしれない。もちろん今も昔も犯罪行為は許容できません。
でも無理解の断層面はいまよりずっと小さかった。多くの人が共通の「こちら側」に安穏とできていた気がします。

世界中の誰もが自分の言い分を投げつけあうことができる時代。そんなのは人類がモノリスをあと2回ほど触ってから来たほうが幸せだったかもしれないな、などと考えてしまいました。

by ドミンゲス

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?