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「ゼラチンシルバーLOVE」はシズる感とフェチを混ぜたブラック・プディングみたいな映画

 この映画はVOGUEなどのカバーストーリーによくあるような不自然で、何のシチュエーションだかさっぱりわからないけれどやたらと妖しくて全体がシズってる。そんな映画です。広義のシズル感を全カットに対して目論んだ膨大な数の組写真を連続再生したような混乱と陶酔があります。しかも作家による偏愛性が全体を統合しているのです。つまりシズル感をフェチが繋いでいる映画です。抽象的で何を言っているかわからないと思いますがシズル感ってかなり普遍性がある感覚で、フェチは個別の感覚です。ここで取り込まれたフェチがシンプルだとマーケティング主導の映画かポルノになりますが複雑な文脈を持っていて、うまくハマると想定外の怪しい安心感を生み出してくれます。デヴィッド・リンチとか村上春樹の作品もそういった生成のされ方かも知れません。

 商業写真から芸術写真まで撮るフォトグラファー繰上和美が初めて監督した映画なのでスタイリッシュも極まればむしろ和む、そん領域に行き着いています。1カット1カットが完璧に計算された構図かつ完璧に近い技術で撮られていて、被写体である役者たちも偏執的なほど”彼らが世間からどう見られている役者なのか”を極端にデフォルメしています、撮りたい画にプロットや脚本が含まれているように思います。大まかな物語はあるのですけれどね。

 訳ありの写真家が依頼人からある女性を24時間監視するように依頼を受ける。女性はゆで卵を食べて、ピラティスとコンテンポラリーを合体させたような妙なストレッチをし、上質な服を完璧なスタイリングで身につけている。尾行していく中で彼女は殺し屋だということがわかる。そして写真家は殺されてしまう。

 物語はこれだけで、主な登場人物は3人と途中立ち寄るバーのバーテンダーとそこで演奏するヴァイオリニストが少しだけ。写真家は永瀬正敏、尾行という状況でもライカを使う。依頼人は役所広司。殺し屋は宮沢りえ、物語とあまり関係ないバーテンダーは天海祐希。彼らのスタイリングは祐真氏、振り付けは首藤康之。
 謂わゆる映画作りのメソッドをあえて”ほぼ”無視しています。必然性、リアリティ、葛藤や成長など人物の心理などを完全に排除しておりストーリーも大枠があるだけでセリフも殆どありません。何より映画としての世界観が皆無です。世界観はなくともスタイルは過剰にあります。臆面なくこれができるのはなにか1つを突き詰めたアーティストか学生のどちらかだけです。

 全編がスタイリッシュで表層的、あっという間に睡魔に落ちるという感想を持つ人も多くそれはそれで正しいのですが、何も考えずにシーンだけを写真集のように目で追っていく楽しみ方か、見る側が少し偏執的になって。現代アート的に隠された意味を見つけていくか、そのどちらかの心構えで観ると少し大事な作品になると思います。

 たとえばこんなふうに

殺し屋は全編通してゆで卵を偏愛している。12分30秒500mlのミネラルウォーターで茹でた卵を何度も食べるシーンがある。クローズアップされることも多い。ゆで卵には決してリップカラーは移ったりはしない。エンゼルハートのロバート・デ・ニーロも同じ理由でゆで卵を食べていました。

登場人物のフォトグラファーは「自分は美しいと思うものを撮るだけ」だと2回言います。そしてフォトグラファーは2度食事します。パスタとトースト。パスタは1口しか食べられず、トーストは格子状に丁寧にバターを塗っているシーンだけで食べないままカットは終わります。またフォトグラファーは2度シェービングします。1度目は普通に、2度目は流血に気づきます。ベトナム戦争を暗喩したスコセッシの「ザ・ビッグ・シェイヴ」では流血に最後まで気が付きません。米国はギリギリ生きていますがフォトグラファーは死にました。

映画が始まって大体25分後くらいに最初のセリフがあります。「2001年宇宙の旅」も最初のセリフはだいたい25分後くらいです。
そしてどちらのセリフも皮肉なほどに。。。

物語にはあんまり関係ないバーテンダーが言うこんな感じのセリフ「いいカメラですね。古いのが好きなんです、私。色んな場所で、色んな物を見て来たんだろうなあと思うと、何だか心が動かされるんです」
「2001年宇宙の旅」では概ねこんなやり取り、
「旅はどうでした」「快適だったよ」「じゃあ、また」

じゃあまた
セラーノ

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