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【シズる映画にハズレなし】「フリック」が私のお昼どきの価値観をひっくり返した

7~8年くらい前までは富士そばとか日高屋で昼食をとったときは、自分が人生に敗けを刻んだ気がしていました。

いや別にお店についてどうこう言いたいわけではないんです。

こういう店とか吉牛とかで食事するときって、「時間があまりないけど食べとかないと」っていう場面が多いじゃないですか。つまり1日のスケジュールを自分がハンドリングできていない結果だととらえていたのです。

若いうちは他の人の都合で予定が決まることも多いので仕方ないですが、自分の行動を自分で決められる立場になってからは、どのタイミングでどこで昼食とるかくらい事前に想定しとけよ、と。
なので、次の訪問先への通り道にたまたまあった日高屋で、アポまでの10分間に中華そばをかっこむたびに、自分の一日を制御できなかった基準から一敗を計上していた、ということです。

そんな価値観を小林政広監督の『フリック』(2004)が一瞬にして、180度ひっくり返してくれました。

『KOROSHI/殺し』(2000)の小林監督がシズる映画界の巨匠である本性を発揮し始めたのは『バッシング』(2006)だと思っていたのですが、セラーノ(相方)が前作のフリックを観ろと薦めてきまして。で、すぐに観てみました。

そしたら!

苫小牧のとある町中華。お座敷席。
出張中の2人の刑事、村田(香川照之)と滑川(田辺誠一)は晩飯をほぼ食べ終わって所在なさげ。テーブルにはすでに空の(多分ギョーザの)皿やほとんど空いたビール瓶。
二人は時折、気乗りのしない会話をぽつぽつとしていたが、滑川がドンブリに残っていたラーメンをやおら平らげにかかる。

このラーメンが極めてオーソドックスな醤油ラーメンの風情。しかもすでに冷めているご様子。田辺誠一もことさら無造作に麺をすする。ウマそうな表情も素振りもなし。「ただ残っていたので片づける」って感じで。

さて、フィクションのなかの「2人の刑事」というと、フリービーとビーンとか、スタスキー&ハッチとか、霧山と三日月くん等々、息の合った“バディ”を想像しがちですが、彼らは全然違います。
特に村田のほうは最近いろいろあって仕事自体に乗り気でないし、なんだったら同僚の滑川に対して密かにある疑念すら抱いている。捜査中の事件に対するお互いの意見もさっぱり噛み合いません。

モチベが完全に底を打った出張先での晩メシ。おっさん二人連れだけに、そりゃあ脊髄反射でうっかりビールも頼んだんでしょうよ。でも腹を割った話もバカ話もしたいわけでなし、旅先の食を楽しむなんて意図もハナからなし。
この空間は町中華のシズル感ではなく、やっつけ出張のシズル感(なんじゃそりゃ)に満ち満ちていたのでした。

このやるせなき空気のリアリティに、観てヨカッタ!と思いましたね。

それ以来ですよ。
のびかけたありきたりのラーメンがやたらめったらウマそうだと思うようになったのは。

食べたい。
ところが都内でラーメンを食べようとすると、目につくのは得てして凝ったラーメン店ばかりで。無造作に食べたりしたらバチが当たりそうです。
シンプルな中華そばを気軽に食べられる店はないのか!ときょろきょろしていたら、今まであまり目を留めていなかった看板が見えてきた。「幸楽苑」さんとか「日高屋」さんとか。さっそく昔ながらの中華そば、いただきましたら、そりゃもう満足したのなんの。

かくして外出してるときの次のアポイントまでの10分間が
「10分しかないから急いで日高屋でラーメンでも食べとくか」から、
「10分もあるから日高屋さんで田辺誠一の食べ方でラーメンを食べられる!」に転換されたというわけです。

例の「コップに水が半分」のドラッカーのたとえ話、もう皆さん100億回使われてるでしょうから、この喩え話に置換えてくれても構わないです。
次のアポまで10分しかない、という私のスケジュール管理の拙さは相変わらず。治す動機もこれで失せてしまったかな。

ところで小林監督の作品では、先にも書いた通り「バッシング」もシズる映画として燦然と輝きますが、その最高峰は間違いなく『愛の予感』(2007)。これら傑作についても機を改めて書きたいところです。

ただ「愛の予感」は「シズる映画」のゴールみたいなものなので、書きたいことがなくなっちゃうかもしれないんですけどね。

by ドミンゲス

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