お金のあれこれ?〜というより心の話

(2021.8.6)

 おはようございます。sizukukoboです。 
 
 また台風が近づいています。やっぱり気がかりです。日本列島を逸れてくれることを願うばかりです。

 先週の金曜は月末だったので、これまでをザックリと振り返る回でした。振り返ることは必要ですが、後ろばかり見ていても前に進むことはできません。振り返りを踏まえて、「 この先どうするか」をもっと真剣に考えていかないとと思っています。思っているだけでなかなか行動に移せていないのですが、なんとなく週末の金曜日はいろいろと考える曜日となりそうです。

  以前、職場の先輩がとても豊かに自分の手作りのものを周りの人に振る舞っている姿をお伝えしました。商品ではないけれど、それをもらった人は大半が他の手作りの作品を「お代を払うから欲しい」と言っていました。時が経って今どうなっているかと言うと、その先輩は職場に来るたびに誰かにお願いされた品物を届け、代金を頂いています。その姿を見るたびにとても羨ましくて、 少し苦しくなります。羨ましい気持ちが自分のコンプレックスを刺激します。自分の好きなことで収入を上げるということは、たやすいことではないことは知っています。ですが、全く収入を考えていなかった人が、あっという間に豊かになっていく姿を目の当たりにすると、正直苦しいです。本来はその目の前の現実を「よし。私もあぁなる。」と目に焼き付けて、自分のやるべきことに集中すればいいのですが、実際は心の中の自己否定している自分との戦いになってしまいます。

 自信がない自分を否定しなくていいし、他の人と比べる必要もありません。先輩と私は全くの別人で、やっていることを比べること自体が無意味です。私はささやかながら私の作ってくれるカードを「欲しい」と言って買ってくれる人がちゃんといます。応援してくれる人もいます。目の前の「ある」にフォーカスできている時は、ここにちゃんと感謝することができます。ですが気を抜くと、先ほど述べたような職場に行くたびになんだか惨めな気持ちになって切なくなる自分がいます。感情なので湧いてくるものを抑えることはできません。この感情ごとしっかりと向き合って「今、ちょっと切ないんだな」と自分を俯瞰して見ることができたらとても楽なのですが、それができる日は稀です。まだメンタルが弱いです。他人が気になって、他人と比べて、他人軸が強い。そんな自分をまるっと認められない自分は相当頑固な性格なんだろうな、と思います。
 
 誰も責めてないんですよね、こういう時って。敵は自分の中にいて、大抵自分が自分を責めています。自分が根底で願っていることが切実であればあるほど、そこに近づけない自分が自分で許せなくて、自分を責め続けて、勝手に自分で落ち込んでしまう。この負のループを断ち切るためには、自己否定するたびに自己対話をするしかありません。自分を認めることがだいぶ出来るようになったと思っていましたが、先輩を見て苦しくなったことを思うと、まだまだのようです。

 心って本当に厄介です。大切だけれど、自分の扱いにとまどいます。

 お金のあれこれ、収入のことを考えるたびに、いつもセットで自分の心を考えざるを得ません。成功者の人が「お金はエネルギーである」とよく言っているのは、おそらく、この目に見えない心の部分がとても大事だからだと解釈しています。エネルギーは目に見えません。目に見えるお金は、その価値に対する対価です。自分が提供するものが相手が満足する価値に見合うものであれば、多分お金は勝手に、豊かにやってくるのでしょう。お金だけではありません。何かささやかでもいいことがある時は、大抵自分も穏やかでいることが多いです。

 小さなラッキーの積み重ねは、どこまで行っても自分の心が整っている、その先にあるのだと思います。