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『伊勢物語』【初冠】についての考察

いちはやきみやび。というのは、まず歴史的背景を理解する必要があると私は思ひます。
以下、見てみましょう。

在原業平 伊勢物語のモデルとされている人物です。彼は元来天皇家の生まれでしたが、祖父がクーデターを起こし政治的に失脚しました。それにより臣籍降下させられ在原という性になりました。
つまり、在原性ははじかしいということです。 彼は [政治的△]⇔[文化的◎(和歌)] な人物でありました。ここでいう政治的△といふのは前述したような事実があるからです。

次に、文化的◎の意味を説明したいと思ひます。彼は紀貫之編の古今和歌集において優れた歌詠の象徴である「六歌仙」に選ばれています。 彼は伊勢物語においてイメージが創造されました。つまり、伊勢物語といふフィクション性の強いものが彼を形成したのです。 恋が多く、破滅型であり、色好み=美の象徴、というイメージが作られた。 破滅的といふのは、芥川の話から二条の后つまり藤原氏と自身の在原氏の身分の違いを超えた恋恋慕からわかります。 源融 彼も在原業平と同様に臣籍降下させられましたが、少し事情が異なります。嵯峨天皇の息子だった彼は大多数の子供の内の一人でした。つまり皇族の人数が増えすぎそれを人員を整理する為に臣籍降下されられたのです。あまりマイナスの意味を持たない臣籍降下でした。それを示すように源融は左大臣を歴任しています。 彼も在原業平と同様に素晴らしい和歌の読み手でもありました。初冠ないのみちのくの~という一首は彼の歌です。
また、彼は光源氏のモデルとなった人物として知られています。
その後作品への影響
中古 源氏物語:光源氏が若紫を片田舎で垣間見るというのはなまめいたる女はらからを彷彿とさせます。
中世 能・井筒: 近世 好色一代男:井原西鶴著は色好みといふ要素から少し笑いの要素に変わった好色としたパロディ作です。
近代 豊饒の海:三島由紀夫著での主人公の行動のきっかけは優雅さというところにあったりもします。 昔男に対するリスペクトやあこがれのようなものを感じ取れます。

ここで、みやびとは
に焦点を当てたいと思います。
みやびに漢字を当てると「都風」です。対義語は「鄙び」つまり田舎風を意味するであります。 昔の都だった京都は現代の都の東京と違う意味を持ちます。例えば、京都が都だった頃は天皇並びに皇族などの貴族が政に対し重要な影響を持っていた時代でした。また文化的に教養の優れた人物が現在よりも尊ばれる傾向にもありました。様々な背景から考えるに昔男にあてがわれたいちはやきみやびというのは 文化的に優れた色好みな男 であると今のところは捉えることができます。 初冠 初冠ないでの昔男のいちはやきみやびな行動を考えてみます。なまめいたる女はらからに元服したばかり(若干13歳)の昔男は自身の信夫ずりの狩衣の袖を切って歌を贈りました。今のガキが出来るかと聞かれたらそれは無理でしょう。つまり、昔男は洗礼された高貴な恋愛観を若いながらも持っていました。 ここも重要なポイントです。 ここで以上のことを少し詳しく掘り下げてみましょう。 昔男は伊勢物語以降重要な影響を後世の作品に与えたことは前述しました。私が考えるに昔男が象徴するのは「あこがれ、理想像」と言ったようなことだと思います。つまり、今俺たちが生きる時代にはこんなやついないよなという感情が入っているということです。一種のあこがれのようなものが昔男のイメージを構築・創造しているということです。 最終的に「昔人は、かくいちはやきみやびをなむしける。」を現代語訳すると以下のようになります。 →「昔の人は、このように後世の人々が憧れるような文化的に優れた色好みな愛の伝えかたをしていた。」 と私は思います。

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