大宮将棋センター

毎週末、午前10時から始まるトーナメントに向けて家から30分自転車を走らせて向かった。
早く着いてしまったときはまだ起きていない南銀のファミリーマートでパンと飲み物を買って下の階で食べていた。
平日は11時から始まり、いきなりベスト8から始まるトーナメント表も今日は埋まっている。

最初に道場に行ったのはたしか小4のときだった。はじめましてはまさかのお断り、理由は棋力不足だった。せめて初段はないと困ると言われていた当時の自分はたった4級、お話にならないということで帰路についたのは鮮明に覚えている。
気づいたら1年ほどで初段、二段となり大会も毎回のように行っていたし自分で言うのはあれだがそれなりに結果は残していた。大会の手合い係が道場の席主のkjm先生であったことも重なり、5年生のころには無事大宮将棋センターデビューを果たした。

東京の道場とは違って9割はおじさん、たばこは吸う人、髪が薄い人、歯が少なくて何を言っているかわからない人、間違いなく風呂に入ってないであろう臭い人、すべてが小学生の自分には新鮮だったに違いない。
さすがにそこらへんのおじさんの二段とは手合い違いだったからほとんどの対局は勝っていた気がする。しかしここは道場である。四段、五段のおじさんはすさまじく強かった。最初の方は手も足もでなかった。これを見てる人が分かるはずないだろうけど、nrさんとかookbさんとかsmyさんとか。でもそれが楽しかった。


そんなこんなでおれの道場での週末が始まった。
それからはほぼ土日は毎週のように行っていた。
今彼らがおれのことを覚えているはずはないが、tb,kdm,swn,rnt(下の名前),と仲良くなった(たまに指していただけ)のもこのときだった。
彼らを含め小学生がおじさんたちで埋め尽くされた道場の中でも際立つ駒音と対局時計の叩く音を響かせ、その小さい体で魂を燃やしていた(こういう表現を使ってみたかった)(間違いなくそうであったが当時の自分たちはそんな気持ちで指してはいなかっただろう)
よく対局態度が悪くてkjm先生から怒られているのも今思い出した。

書きたいことが多すぎて何を書けばいいかわからない。
大宮将棋センターは当時ではかなりめずらしい(はず)キッチン併設の道場だった。3連勝すると50円分の券をもらえて(1連勝増えるごとにプラス50円だった気がする)(ここはかなりあいまいである)4枚にぎりしめてコーラやウーロン茶を頼んでいた。おじさんたちはみんな5か6枚分のホットコーヒーを頼んでいたような気がする。10枚持っているときはカウンター席に座って、カレーや焼うどんを食べていた。足は地面にはおろか足置きにも全く届いてなくてぶらぶらしていた。
実はこの券はトーナメントを優勝するか準優勝するかでも貰えた。優勝で10枚、準優勝で5枚。結局おれは10回近く準優勝できたけれど優勝は1、2回くらいだった気がする。優勝したときには唯一持ってきてたガラケーで親にメールを送ってたほどだった。自分が頑張って準優勝2回して食べてたカレーを優勝乗連のsmyさんは毎回のように食ってたのがやけにうらやましかった。まあこの制度は小、中学生くらいだけらしくて大人は優勝したら3000円くらいは貰っていた気がする。なんで子どもは券かというと子どもは強すぎるからっていう理由だった。当時のおれは良く文句を言わなかったなあと書きながら思っている。準優勝が関の山だったトーナメント、懐かしすぎる。なんで優勝できなかったんだろうと今思い返すと確かトーナメントは駒落ち戦(いわゆるハンデ)がなくてどんな棋力の差があっても平手だったからだと。懐かしすぎる。ウケる。8年前なのに鮮明に覚えてる。すごいなおれ。

きりがいいので今日はそろそろ終わります。
そういえば道場に本棚があって手合いが決まるまで良くソファに座って漫画を読んでいた。おじさんはもちろん新聞。氷砂糖が置いてあったのも頭を使う将棋ならではの要素だ。
毎回楽しみにしていたのがドラゴンボール、3月のライオン、あとはハチワンダイバー、特にハチワンダイバーは小学生の自分には結構エロくてそれを読むのが楽しくて行ってた時期もあるんじゃないかってくらいだった。小学生のときは中二病だったし対局中ハチワンダイバーのキメ台詞を思い浮かべながら指していたなあと思いながら今日はこの辺で終わろうと思う。
このあとハチワンダイバーがエロいか巡回しにいこうと思う。

ムロ

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