第4回:「喜び」が自分軸を作り出す
前回は、私たちが「生きづらさ」を感じる理由が、「精神的な個」より「社会的な個」を優先させて生きているからであり、この優先順位を反転させることが、これからの私たちに必要なのではないか、ということを書きました。そこで今回は、この本来あるべき「個」としての姿を「喜び」の視点で見ていきたいと思います。そして、この転倒してしまっている現在の人の生き方を「喜び」を使って修正する方法について、書いていきたいと思います。
「喜び」を見つけられないと苦しくなる
私は、自分自身にとってかけがえのない「喜び」を見つけることができたとき、意識を自分の側に置くことができるようになると考えています。
前回も触れましたが、私たちは生まれた瞬間は「受け取る立場」として存在します。目の前には生きていくために必要なものが全て揃っていて、それらを享受することで人生を始めていきます。
しかし、人は成長するにしたがって自分の意思で行動したいと思うようになっていきます。与えられるだけでは物足りず、自分の力で欲しいと思ったものを得たいという思いが生まれてきます。
この自分の意思で行動したいという思いをしっかりと育んでいけるようになると、人は自分の人生を自分らしく歩んでいけるようになっていくため、幼年期から成長期にかけての生き方が、その後の人生に大きな影響を与えるようになります。そして、この能動的な意識は、自分から積極的に関れるような「喜び」があると獲得しやすくなるものです。
とはいえ、自分がやりたいと思うこと、楽しいと思えることに何らかの理由で歯止めがかかってしまうと、自分からアクションを起こして行動しようとは思えなくなってしまい、受け取ることのみの人生を選択をしてしまうことになってしまいます。そうなってしまうと、人間が本来持っているはずの自分自身を成長させようとする精神を獲得することができなくなってしまいます。
子どもの頃は誰もが、「自分は何でもできる」という万能感を持って生きています。こういった万能感を育んでいくことが、子どもが持っている能力を養っていく力となっていきます。しかし、幼い頃から興味を持ったことや楽しいと感じていることを親の都合などで阻害させてしまうと、「自分は出来るんだ」という万能感を持てなくなってしまいます。
また、子どもの頃に、自分がやりたいと思っていることを周囲が反対したり協力してもらえなかったりすると、自分の可能性を自ら閉ざしてしまったりします。こういった不一致が生じると、子は親の顔色を伺いながら生きるという受動的な生き方を選択するようになってしまいます。
私たちは、誰もがそれぞれにオリジナルな可能性を持って生まれてきます。一人ひとりが持った独自の可能性を実現するために、私たちはこの世に生を受けたといっても過言ではありません。しかし、こういった内に秘めた可能性を、比較的早い段階で諦めてしまったり、挑戦したいという気持ちを抑えてしまうと、その後の人生を受動的に生きてしまうようになってしまいます。
私もこれまでは、そういった側の一人でだったりしますが、自分自身の可能性を早い段階で閉じてしまうと、人が生まれ持った可能性を抑圧してしまうことになるため、それ以降の人生が苦しいものになってしまいます。人は、本当にやりたいことを見つけられずにいると人生が空虚なものに感じてしまうものなのです。
「喜び」を追求していくことがその人の使命
人生を豊かにする方法はたくさんの「喜び」を感じられるようにすることです。例えば、子どもの頃から好きなこと、楽しいと思えることを追求することで大成している人がいますが、彼らは幼い頃に自分にとっての「喜び」を見つけることができたことで、早い段階から「喜び」を感じながら生きることができるようになっています。こういったことから、彼らは自然な形で自身の精神性を育むことができ、自分の思いを具体化することで生きていくようになっています。
また、彼らは幼いころから自身の精神性を成長させていくことができたために、周囲から評価を得られるようになっていて、その評価によって社会性も養うことができるようになっていたりします。
彼らのように、精神性と社会性をバランスよく獲得できるようにするためには、周囲の理解が必要です。親は「子に何を興味を持たせるか」ではなく、「子が何に興味を持つか」といことに関心を持たなければなりません。親が子を親の思うように育てるのではなく、子が興味を持ったことを歓迎していくことで、子が自分自身を肯定できるようにすることが大切だったりするのです。
人が興味を持つ対象は多岐にわたります。場合によっては、親が理解できないようなことに子が興味を示すこともあるでしょう。しかし、そういった場合でも、子の思いを肯定し積極的にその対象に関わらせてあげることも重要です。
というのも、そこで得られた自己肯定感が、その後の生き方に大きな影響を与えることになるからであり、何かしらの困難にぶつかったときに、自己肯定感があるのとないのとでは、その結果が異なるからです。つまり、成長期に得るべきことは、何をするかということではなく、自分自身を肯定できるようになるかどうかなのです。
子どもの頃に、自分が興味を持ったことに積極的にかかわってもいいということを理解できるようになると、好きなことをして生きていいんだ、という自己肯定感を持てるようになり、その後の人生も前向きに生きていけるようになっていきます。また、好きなことを夢中になってしていると周りからの協力を得られるという価値観を得られるようになるため、社会性も一緒に育っていきます。
「喜び」は、年齢に関係なく見つけることができる
もちろん「喜び」で生きるということを、幼い頃から始めなければならないというわけではありません。大人になってからでも「喜び」と感じるようなことと出会うことで、生まれ持った自身の可能性を開花させることができます。
人は年齢に関係なく自分が心から楽しめること、追求したいと思えるような対象を見つけることができると、自分を承認できるようになるため前向きに生きていけるようになります。また、人が積極的になれるような対象を見つけることができるようになると、その対象を軸にして行動するようになるため「自分軸」が自然に出来上がっていきます。
この積極的になれる対象を自分の中心に置くという生き方は、喜びを実践する生き方であるため、それまで抑圧していた思いも解放できるようになっていき、それまで感じていた「生きづらさ」も解消できるようになっていきます。
「喜び」を優先すれば社会性も付いてくる
今の社会の流れは、「個人としての精神性」よりも「社会に適応すること」を優先するようになっているように思います。社会性は生きる上で大切なことですが、「個人としての精神性」を軽視して「社会に適応すること」ばかりを優先させてしまうと、人の人格に歪みが生じてしまいます。
人は、興味関心を持ったことを追求したいという思いを生まれながらに持っています。こういった思いは、自分自身を成長させたいという思いから生じるものであるため「個人としての精神性」を育む力となります。しかし、「社会に適応すること」ばかりを発達させてしまうと、私たちが本来持っている個人として進化しようとする意識を失わさせてしまうことになってしまいます。
こういったことから、人はまず「個人としての精神性」を発達させた上で、社会性を養っていくのが適切な流れだと思います。したがって、人の人格形成は年齢に関係なく、まずは「個人としての精神性」を発達させていくことを優先すべきなのであり、「個人としての精神性」を養った上で「社会に適応」できるようにしていくべきだと思います。
「受動」から「能動」に変えていくのがこの世界の仕組み
私が、このサイトでタイトルにしている「喜びを選んで生きる」ということを簡単に説明するならば、「喜び」で生きることで受動的立場である「他人軸の生き方」から、能動的な立場である「自分軸の生き方」へ転換していくことだったりします。そうやって、「喜び」という能動性を自分軸にしていく中で、社会性も一緒に育ていけるようなると思って文章を書いていたりします。
人は生まれながらに「葛藤」を持っています。生まれた環境によっては、自分のやりたいと思うことができないまま育ったという人も少なくないはずです。しかし、そういった葛藤があったとしても、人は自分にとっての「喜び」を見つけることができると、それを自分の軸にし、葛藤を乗り越え、能動的に生きられるようになっていきます。
私たちは生まれる前に、さまざまなことを設定してこの世に生まれてくるといわれています。こういった設定は、当然クリアできるものとして設定しているため、目の前にある葛藤も実は解消できるものだったりします。
私たちの魂の目的は、生まれる前に自分で決めてきた様々な葛藤をクリアしていくことで自身を成長させていくことです。この魂の成長には、当然、能動的な姿勢が必要であり、その能動性を創るのが「喜び」を追求することだったりします。
私がこのサイトで伝えていきたいこと
私は、私たちが本来持っている可能性を活かしていく方法を伝えていきたいと思っています。「喜び」を「自分の軸」にして生ききることで、人生を豊かなものにしていく方法を広めていきたいと思っています。「個人としての精神性」を確立することで社会性も一緒に養っていけるということを訴えていきたいと考えています。
この世界の多くの人が「喜び」で生きていけるようになると、それまで抑圧されていた精神が次々と解放されるようになっていくことでしょう。この抑圧された精神の解放によって、人が生まれ持った可能性を広げていく力となります。そして、私たちの生命が「喜び」で光り輝くとき、その輝きが周りの人に伝播し力を与えていくことになっていきます。そういった光の伝播がこの世界をより明るいものへと変容させていくのだと私は考えています。
といったわけで、今回は、「喜び」を「自分軸」に据えることができると「個としての精神性」を開花できるようになるということを書いてきました。
人が能動的に生きられるようになると、生き方そのものの自由度が上がっていきます。この自由度の高い新たな視点を私たちが獲得することができたとき、これからの社会のあり方を変えていくができるようになっていくことでしょう。
そこで次回は、「喜び」を優先して生きられるようになった私たちが今後どのようにして新しい社会を作って行くかということを書いていきたいと思います。