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第91回:神は「喜び」しか与えていない

最近、カタカムナに興味を持つようになって、Youtubeでカタカムナに関する動画を見ていたりします。

そういった中で、カタカムナを医療に用いてたくさんの人を健康に導いている医師の丸山修寛さんの動画を見ていたところ、今回の表題である「神は喜びしか与えていない」という言葉に出会いました。

この動画での中で、丸山さんは「十言神呪(とことのかじり)」という本中に「神は喜びしか与えていない」という言葉が書かれていると紹介していて、次のように解説しています。

神は喜びしか与えていない。苦しむのは自分が自分の思いを作って、人間の牢獄の中に閉じ込めている。意識が自分の牢獄に留めている。

https://www.youtube.com/watch?v=AX8P55m48Yc
40分頃

丸山さんは「神は喜びしか与えていない」ということについて、上の二行程度の解説しかしていませんでしたが、今回は、このことを私なりに解説してみたいと思います。

神とは、この世界の仕組みを作った創造主であり、創造主は私たちに「喜びしか与えない」というルールを作りました。

この「神は喜びしか与えない」とはどういうルールかというと、自分の思いがそのまま現実になるということです。

例えば、楽しい思いで生きていると楽しい現実が作られることになり、苦しい思いで生きていると苦しい現実が作られるということです。

こういったことから、丸山さんは「苦しむのは自分が自分の思いを作って、人間の牢獄の中に閉じ込めている。意識が自分の牢獄に留めている」と語っています。

つまり、神は自分が考えたことがそのまま現実になるという世界を造ったため、私たちは、普段、自分が考えていることがそのまま現実になる、という世界に生きていることになります。

しかし、苦しいことは喜びではないし望んでもいない、というのが私たちの心境でもあります。

ところが、神は「普段、あなたがよく考えていることは、あなたにとっての喜びだよね」というスタンスをとるわけです。

こういった人間と神の間にある認識の違いが、これまで私たちを苦しめていたといっていいでしょう。

例えば、幸せになるために「頑張らなければ」と強くと思うと、頑張らなければならない環境がますます作られていくため苦しくなる一方だったりします。

こういったことから、頑張ることよりも楽しむことの方が大切だったりします。

とはいえ、不思議なもので頑張っている人でも上手くいく人とそうでない人が生れたりします。

では頑張って成功する人とそうでない人の違いは何かというと、成功する人は「楽しんで頑張れちゃう人」であり、成功しない人はというと「苦しいという思いの中で頑張っている人」だったりします。

こういった微妙な違いを認識できるかどうかで、生きるスタンスも大きく変わってくるものです。

実際、「頑張れちゃう人」は頑張っているのではなく楽しんでいる人であり、笑顔で物事を遂行している人です。

その一方で、文字通り頑張っている人は眉間に皺を寄せて「必死」で頑張る人です。

人が「必死」になると結末は、よくなるはずがありません。

もちろん「必死さ」を楽しめたなら、結果は異なると思いますが。

丸山さんが「意識が自分の牢獄に留めている」というのは、日常生活を「辛い」とか「苦しい」という思いで生きるとそういう現実が作られてしまうため、いつまで経ってもそういった「辛い」「苦しい」という世界から抜け出せないという意味です。

逆に普段から「嬉しい」「楽しい」という気持ちで生きていけるようになると牢獄の中から抜け出すことができるようになります。

とはいえ「神は喜びしか与えない」というルールは、私たちの意識の深い部分も含めているため、「嬉しい」「楽しい」と思って生きていても、それが表層だけのものであるなら牢獄から抜け出すことができなかったりします。

そういった意味では、実際に「嬉しい」「楽しい」という現象を作り出したいのであれば、日常生活を心から「嬉しい」「楽しい」という思いで過ごせるようにならなければなりません。

神の作ったルールは、誤魔化しが効くものではなくそういった内面の深い部分も含めて作られているものです。

そこで心から「嬉しい」「楽しい」という思いで過ごせるようになるためには、逆説的ですが、まずは表層から「嬉しい」「楽しい」という気持ちを持てるようにして、その思いを徐々に深い部分まで浸透させていけばよかったりします。

そういった意味でも、目の前にある「喜び」を広げていって、やがて生活全般において喜びを感じられるようにしていくことが最良な方法なのかもしれません。

例えば、一日の中でわずかな時間でも自分にとっての「喜び」の時間を確保し、その時間に十分に喜びの時間を味わうことから始めると、「喜び」の意識が深い部分まで浸透していったりするものです。

そして、少しづつ喜びの意識を広げていきながら、ゴールとして毎瞬毎瞬を楽しめるようになると、「神は喜びしか与えていない」という文字通りの状況を作ることが出来るようになると思います。

また、無理して楽しもうとすると、それは修行になってしまうので、やはり心から楽しめることを選んですることが欠かせません。

大切なのは自分を喜ばせることであり、選択は常に「喜びが最優先」です。

自分が「喜び」であるとき、他者に「喜び」を与えることが出来るようになります。

人は目には見えないところでも繋がっているので、たとえば私が喜びを感じていると一緒にいる人も心地よく過ごせるようになるものです。

つまり、私が「喜び」の原因となって「喜び」の環境を作ることができると、今度は私は「喜びの神」になって他者に「喜び」を与えられるようになっていきます。

そうやって、私が「喜びの神」になることができると、私が私の世界の創造主になることができ、「神は喜びしか与えない」という現実を作ることができるようになるものです。

私が私の世界の神であり、私が私の世界の喜びの神になればいいわけですね。

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