第97回:「期待感」という「喜び」を丁寧に
人は「期待感」があるからこそ行動できるのだと思う。
では、なぜ人は期待感を持つのかというと「楽しく生きたいと思うから」、ということになる。
もちろん、「楽しむ」ということにも色々な意味がある。
今この瞬間を楽しみたいという思いもあれば、何かを習得できた先に今とは違った自分を楽しみたいという思いもあるだろう。
いずれにしても、こういった楽しみたいという思いが期待感となって現れるし、期待感のある行為は大概が楽しめるものである。
期待感が人を行動させる力になるし、反対に期待感がないと人を動かすことは難しいといってもいいかもしれない。
ワクワクという言葉は、期待感を言い換えた言葉だから、ワクワクさで行動することは、人の純粋な思いで行動できている状態といってもいい。
だから、ワクワクで生きることができるとエネルギッシュになることができるものだし、人の瞳を輝かせることになる。
期待感と悲観は対極にあるといってよく、期待感を持って生きれば生きるほど「幸せ」になれるものでもあるし、悲観でいると何もできなくなってしまう。
そういった意味では、自分の思いを期待感で充満させるだけでも、幸せになれたりするものでもある。
期待感があれば行動力に繋がるわけだから、期待感がたくさんあればあるほど、楽しんで行動できるようになっていく。
しかも、期待感を持つことは無限に出来ることでもあり、期待感を失わない限り幸せな気持ちで過ごすことができるといっていい。
最近、人はどんなことでも丁寧に行っていけば「幸せ」になるではないかと思うようになってきた。
丁寧さは、幸せになるための重要な要素なのではないかと思う。
なぜかというと、丁寧に行動すれば必ず結果に丁寧さが加わるからだ。
丁寧にひとつ一つのことをやっていると時間が掛かるものだし、場合によっては効率が悪かったりする。
しかし、丁寧にやればやるほどちょっとしたことに「氣づき」が生れたりするものだし、「感謝の気持ち」が自然と湧いてくることもある。
そこで、普段抱いている期待感も丁寧に扱うと、そこから「氣づき」や「感謝」の気持ちが浮かんできるようになってくる。
期待感の背後には自分の望みが必ずあるから、丁寧に期待感を扱っていると、期待感の背後にある自分の望みを正確に知ることができるようになっていく。
自分の望みを知ることができると、ひとつ一つの行為を丁重に扱いたいと思うもの。
丁寧さで行動すると、何かにチャレンジして「やってみたら面白くなかったから終わり」というのではなく、次はこうしてみようという新たな期待感も持てるようになったりもする。
人の望みの中には、持続的に出来ることを楽しみたいという願望が誰の中にもあると思う。
望みには瞬間的なものや単発的なものもあるけど、長期的に飽きずにできることを見つけたいと誰もが願っているのだと思う。
なぜ、こういうことを理解できるようになったかというと、毎日、筆で字を書くようになったから。
字を書き始めて今日で29日目で、ほぼ一カ月経つものの、毎日、明日は何の字を書こうと考え、その字を決めると、その書き順を頭の中でイメージする。
実際に字を書く時間は1日30分くらいだけど、その30分がとても楽しく思えたりする。
なぜかというと、頭の中で字を書いている期待感が、実際に書くときに湧き上がってくるからだ。
もちろん、上手く書けるときもあるし、そうでない場合もある。
それはそれれで仕方ないことだけれど、ただ丁寧にすることだけで手応えを感じることができたりする。
つまり、期待感という思いを丁寧に扱っていると、実際に行動に移すときも丁寧になっていくものなのだ。
一つひとつの動作を丁寧にすることができれば、結果はともかく丁寧にできたことに満足できるようになるでもある。
丁寧さとは集中するということであり、実は集中できた時間が満足感を感じさせてくれるのである。
そこで集中を得る準備として、期待感を丁寧に味わうことから始めると、実際に、それをするときに丁寧に集中して出来るようになっていく。
集中することと丁寧さは同じ意味といってもいいかもしれない。
もし何か実現したいことがあるならば、その対象を丁寧に扱っていけば、それは必ず現実化していく。
未来とは、今の連続の先にあるわけだから、今を丁寧に生きることができれば、来たるべき未来を丁寧に綺麗に組み立てていけるようになっていく。
そこで、まずは頭で思い描くイメージのところから丁寧に扱っていく。
思考の先に行動があるし、丁寧な思考の先に丁寧な行動がある。
自分の未来という期待感を丁寧に扱うところから始めれば、その先にある未来は思い描いたものに近づけていくことが可能になる。
「期待感」を持って生活できるということは「喜び」でもある。
この「期待感という喜び」を丁寧に扱っていけば、思考も行動も結果も丁寧さが反映されていく。
丁寧に出来上がったものは、たとえ形がよくなくても満足を得られるようになるものだし、この満足感が新たな原動力になり、次はもっと上手にという思いに繋げていくことができる。
生活の中のすべてのことを丁寧にしていくことは難しいけれど、せめて「期待感」のあるものからでも丁寧に扱っていくことができたなら、その対象はから、何かしらの収穫を得ることができるようになるだろう。
人は、持続的な「喜び」を求めている。
行為も人間関係もその他のたくさんの物事も、持続的な「喜び」があれば安心して生きていけるようになるものなのだ。
そして、どんなことでも丁寧に扱っていくことができたなら、それは「喜び」へと変化していく。
そこで、まずはその出発点である「期待感」から丁寧に扱っていくと、今と未来を等しくしていくことが可能になるだろう。
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