夜中2時。 思い立って座卓を出して、下敷きと文鎮、筆と墨を出す。古新聞を座卓の脇に広げる。 硯はめんどうなので、墨池と呼ばれる容れ物に墨をとぽとぽと注ぐ。 先生に朱で書いて頂いた「わ」という平仮名の美しいお手本を出す。 中心線がわかるように軽く縦に折った半紙を広げる。 筆を墨池に入れて、十分に墨を浸す。筆の先半分だけ、少し墨を落とす。 息を吐いて、最初の一画を書く。 あ、左に行き過ぎた。 しかし、リカバリは効かない。この一文字はこの一文字としてなんとか完結するのだ。 二画目。
私は、完全に行き詰まっていた。 前の年に大学院での学びを終え、私は「専門」を手に入れたはずだった。 なのになぜ、また「この感覚」にとらわれるのか。私は頭を抱えてうなだれた。 「この感覚」に出会ったのは、初めて転職したときだった。 私は30代のはじめに、実態のない自信と理想をもって企業のコンサルティングや研修をする会社に転職をした。異業種転職である。 最年少でコンサルタントという名刺をもらい、私は意気込んでいた。 しかし一方で、毎日のように受けるある問いに悩んでいた。 「あ
「じゃあ、とりあえずダメなヤツでもほめればいいんですかね?」 「それしかないんじゃないですか?いまの時代は……」 「でも、ほめる、ねぇ……」 どこか投げやりな感じのやりとりが聞こえてくる。 私の目の前には、苦々しい表情のマネジャーさんが4人膝を付き合わせて座っている。 先週に担当した、企業内でのマネジメント研修の一場面だ。 このようなやりとりを聞くのは、めずらしいことではない。むしろ日常だ。 企業で働く多くのマネジャーさんが、部下とのかかわりに悩んでいる。 どうやったら部下