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大坂選手の会見拒否問題

数日前の日経新聞一面のコラム「春秋」は、例の大坂なおみ選手の会見拒否問題を俎上に載せた。
細かい内容は忘れてしまったが、コラムは、大坂選手のかたくなな姿勢に対して、苦言とまでは言わないしても、残念な気持ちを伝えていて、その論調が大坂選手を突き放すような、ややキツい調子であったことを覚えている。

この会見拒否問題が内外に大きな波紋を広げてしまった結果として、大坂選手は、開催中の全仏オープンを棄権する旨の声明をSNSで発信し、その声明の中で、自身が数年前からうつ症状に陥っていたことを公表した。

本日(6月8日)付の日経一面の「春秋」は、再びこの問題を取り上げ、その後の経緯を踏まえ、トップアスリートが日常的にさらされる重圧の過酷さを論じている。
その結びは、「勝負の世界は孤独で苛烈」であり、「その中に生きる人の苦しみに理解を示す社会にしたい」というもので、この結論自体にわざわざ異を唱える者はあまりいないだろう。

だが、私は、今回の「春秋」についても、前回と同様に、読みながら引っかかるものを感じてしまった。

まず、冒頭で、論者は「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」という格言を持ち出し、自分は、このような格言を非科学的で、差別的であり、間違っていると考えてきたつもりだったが、意識の底にはこのような考え方が残っており、「四大大会を4度も制した強者からこんな声を聞くとは、と驚く自分に驚いた」と書いている。

これでは、「健全だと思っていた大阪選手の精神が実は健全ではなかった」と言っているようなものだ。
しかし、うつ症状に悩む人間の精神は果たして「不健全」なのだろうか?

また、論者は、「トップアスリートはメンタルも強いはずだ」という自分の「思い込み」を反省しつつ、「鋼のごとく鍛えた四肢に、ガラス細工のような繊細な心が宿っていても不思議はない」とも記す。
それでは、大坂選手は「ガラス細工」のような壊れやすい心を持ちながら、四大大会を4度も制したと言うのだろうか?
メンタルが強い人間に、うつ症状は無縁だと言えるだろうか?

恐らく、論者には、大坂選手を貶めるような意図はみじんもないのであって、多くの読者がなんら抵抗感を覚えずに、同意しつつ、「春秋」を読んだかもしれない。
あるいは、私がひねくれていて、ただ言葉尻をあげつらって、いちゃもんをつけているだけなのかもしれない。

しかし、私は「春秋」の文春を、何の先入観を持たず、虚心坦懐に読んだつもりである。
そのうえで、「どうでもいいことかもしれない」と思いつつ、なにか書かずにいられない気持ちになって、このような投稿を書いている。

自分の心が感じ取った引っかかり、違和感を大事にしたいと思ったからだ。

「春秋」の文章は、小さなものとはいえ、そのような引っかかり、違和感に気づかせてくれたという意味で、良い文章だと思う。
誰もが何の疑問も持たないような、分かり切った、当たり障りのない文章は、書く意味もないし、誰も読みたいとも思わないだろう。

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