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私の小説に使わせていただきました。

私の小説「還暦おやじのスタディアブロードWith ウクレレ」に4つの場面を使わせていただきました。
感謝!
自由に使う事の出来るジブリの画像は下記から確認してください。
https://www.ghibli.jp/info/013409/

もう一つの場面は、となりのトトロのメイちゃん。

母に会いたくて七国山病院に一人で、トウモロコシを持って向かうメイちゃん

 どのように感謝の気持ちを伝えようかと考えて、「三鷹の森ジブリ美術館を応援してください。」というクラウドファンディングに寄付しようとして、チェックしたら今日は募集期間終了の5日前ですが、驚くことに既に目標額の4倍を達成しています。それでも金額は大いに越したことはありません。
私もチャリンしてみます。

そして、株式会社スタジオジブリ代表取締役の鈴木敏夫氏の本とCDを購入しました。

ジブリ汗まみれ

鈴木敏夫さんが「ジブリは日本絵画史上最大の絵師集団『狩野派』を目指している」という趣旨の話をNHKの番組でされていたのをお聴きしてからファンになりました。
私が大好きな葛飾北斎も狩野派を目指していたと私は考えています。
北斎は勝川春章の下で浮世絵の修業をしていましたが、狩野派にも弟子入りして肉質画も学んでいます。
その時に「粉本」の必要性を知ったのだと思います。
粉本とは絵師が制作の参考にするための古画の模写や写生帖の総称で、今風にいうところのお手本です。

絵師にとって、粉本を多く持つことは制作の源になり、注文がると粉本を参考にモチーフを組み合わせたり抜き出したりして絵を完成させることが出来たからです。
これによって、多くの弟子を教育することが出来、多くの需要にこたえて全国に絵を提供することが出来たのです。
北斎漫画もその一つだと考えられます。
一説には北斎の弟子は200人ほどいたそうですから、北斎がモチーフを簡単に書くだけで弟子が清書するといった分業制が成立したのであれほど沢山の絵を世に出せたのだと考えられています。

北斎漫画


ジブリもまさしく分業制を採用していますね。その他にも狩野派の2代目である狩野元信はさまざな手法で新しい顧客を開拓しました。
そのすべてを鈴木敏夫氏は研究しているのでしょう。
狩野永徳は元信の孫にあたります。永徳の才能を開花させたのも元信の力だと考えられています。

私は永徳が登場する小説としては安部龍太郎先生の「等伯」が気に入っています。
隙間時間に読んでみてはいかがですか?

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