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おはようございます。 ワークライフバランスの達人南畝

ワークライフバランスの達人大田南畝(おおたなんぽ)は、仕事も趣味も充実させた幕臣で、狂歌ブームの火付け役と言われていますね。
江戸時代の役人ですから頑張っても給料は上がらないなか、学問で身を立てることを考えて師を選んで勉強に励みます。
南畝と同僚の御家人は片手わざと称する内職をして生計を立てるわけですが、南畝は18歳の時に一銭にもならない本を出版します。

それから20代から30代に掛けて、南畝は狂歌や洒落本なお、戯作の世界で存在感を増していきます。
当時は老中・田沼意次が幕府を主導していた時代で、学問や文化が花開いた時代でした。
私が好きな剣客商売もこのころの時代劇ですね。
しかし、老中が松平定信になると緊縮財政、風紀取り締まりで狂歌の会も開くことが出来ない時代に一遍しました。
それでも南畝は好きなことはやめられないと本つくりと学問は続けてい行きます。

南畝の人生がドラスティックに変わったのは、松平定信が行った学問吟味試験です。今でいうなれば人材登用試験です。これは画期的でした、なぜかというと家柄にかかわらず能力のあるものは高級官僚に登用するというものです。
この試験に、南畝はトップ合格します。
そして、高級官僚になり出世してゆきます。驚いたことに70歳で昇給したそうです。

お金にならなくても生涯好きな事をやり通し、それが実ったという素晴らしい人生でした。
晩年は蜀山人(しょくさんじん)と名乗ったりしています。立川志の輔の師匠である立川談志が蜀山人という落語も演じていますね。

辞世の句は「生き過ぎて7十5年食いつぶし 限しられぬ天地の恩」
当時を代表する文人でありながら、幕臣としてもきちんと勤めを果たした南畝。仕事も趣味も充実させたそのワークライフバランスは、我々も見習いたいですね。

今日も素敵な一日にしちゃいましょう!

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