志和-siwa-のこと③

ごきげんようです。
私ですよ。

本日のBGMは始発待ちアンダーグラウンドさんの「スターライトシンドローム」です。
始発待ちさんはオシャレなサウンドと艶のある歌声が絶妙で好きです。

さて前回は吹奏楽しかやってこなかった少年がうっかり東京の大学に合格したところまで話しました。
そんな彼は東京都調布市にある学生寮に引っ越します。
各駅停車しか停まらない駅を利用し、様々な経験を積みながらバンドマンとして生きる準備を進めて行きます。

帝京大学八王子キャンパスの文学部心理学科に入学。
「バンドサークルに入りたい!」と前のめりでサークル一覧を見てビックリ!
軽音楽サークルってこんなにあるんか!
でも私がやりたいジャンルの音楽ができそうなサークルは?
…とりあえず【ノンジャンル】を明記してるサークルに説明を聞きに行こう。

大学のサークル勧誘期間を経験したことある方なら理解してもらえると思いますが、新入生が目的の場所に向かうのは無理ゲーです。
地図見たってわかんないんだから!

そんなこんなで何とか辿り着くと、そこには後にめちゃくちゃ仲良くなるベーシストの先輩が居て丁寧に説明してもらいました。

トオルさん「どんな音楽好きなの?」

私「あ、あの、ビジュアル系が…」

トオルさん「そうなんだ!ウチだとV系好きも多いからオススメだよ!他のサークルだとジャンル限定してるとこもあるし!」

私「はぁ。」

トオルさん「もう決めちゃいなよ!」

私「入ります!」

トオルさん「せっかくだから勧誘も手伝って!」

私「…え?」

これが勧誘期間初日の出来事。
こうして私は帝京大学C'est la vieに入りました⭐︎
初日から勧誘してたことで同級生からは先輩だと思われてたらしいです。

バンドサークルでは春に新入生顔見せライヴを行います。
経験者も初心者も全員がライヴに出演するのがしきたりなのです。
私はドラムで1組、ボーカルで1組の計2組出演しました。
表では初めて語りますが私がバンドでやりたかったのはボーカルです。
ただ、ドラマー人口は極端に少なく、経験者ともなると激レアな存在になります。
私は吹奏楽部の打楽器しか経験がありませんでしたが高校時代に学校のドラムで弦バスの先輩と黒夢セッションしてたのが活きてしまいました。

そうそう、今となってはもう何とも思わなくなったことのひとつがアンプを通した竿隊の音量のデカさです。
吹奏楽において打楽器は音量を落とすことを何度も要求されます。
ですが電子楽器と演奏する際には普通に叩いても怒られない!

てかデカすぎる!

最初の内はいかにデカい音で叩くかを研究してたぐらいに衝撃でした(笑)

ちなみに人生初のステージ、サークルライヴでのステージはドラムでボンジョヴィさんと黒夢さん、ボーカルでDir en greyさんの楽曲をコピーしました。

それからサークルでの定期的なライヴをしながらオリジナルバンドのメンバー募集チラシを漁る日々が続きます。
ある日、聖蹟桜ヶ丘にあるリハスタのスタッフさんからドラマー募集をしているバンドがあると持ち掛けられます。
どうやら同じリハスタを使う同年代の人が新規バンドを立ち上げるにあたりメン募のチラシを作ってきたとのこと。
ジャンルは…V系!

バンドサウンドに目覚めた中学生の頃より私を虜にし続けた魅惑の世界、ビジュアル系。
今ほど人権を確立していなかったので肩身の狭い中、姉とその親友、そして一部の同級生女子と熱い語らいを交わしたものです。
しかしそれは福島県の片田舎での話。
東京という街は全てを許容し全てを阻みます。
つまり文化の発信地ではどんなカテゴリーもそれぞれのシーンが脈々と息づいているのです。

いよいよ初めての顔合わせ。
聖蹟桜ヶ丘駅前のマクドナルドに緊張して向かうと、赤髪のヤツが出迎えてくれました。
不思議にも相性が抜群で初対面とは思えない盛り上がりで顔合わせを終えました。

最初のバンド、Spider lilyへ加入。

ステージネームを考える際、本名のアナグラムにしようと思い立ち、「ひずか」の音だけ先に決定。
バンド名が彼岸花の英名で和風をテーマにしたバンドだったので漢字表記で統一することが決まっていました。
そしてそれが難航。
候補は「緋静」と「斐静」。
当て字なので字面のカッコ良さで「緋静」にするつもりでした。
でも「斐」の綾模様という意味が捨てきれず、どうせなら名前にも意味を持たせる方が良いだろうということで「斐静」に決定。
結果、読めないと言われ続けカタカナ表記の「ヒズカ」も公式で使うようになっていきました。
アルファベット表記の「HIZKA」で「U」が無いのは、その方がカッコいいと思ったから。
単純ですね(笑)

あ、隠してないので解説しますが本名が「シガカズヒロ」でファーストネームを逆さにして「ロ」を抜いて「ヒズカ」です。
ちなみに志和は本名の漢字のアナグラムです。

またステージネームに関するちょっとしたエピソードをひとつ。
バンド活動のいろはを教えてくれたDuelJewelさんに初めてご挨拶したのが目黒鹿鳴館ワンマンでした。
そこでリーダーのShunくんにご挨拶させていただいた際に「名前は?」と聞かれて本名を答えたら爆笑されましたね。
その時、早くステージネーム決めなきゃダメだぞって言ってもらい、その晩に「斐静」になりました。
それからローディーとして一緒に遠征したりレコーディングに同行したり、本当にたくさん可愛がってもらいました。
スタジオリハの休憩中、ばるくんのセットを叩かせてもらったことがあるのですが、他のメンバーさんから「叩き方がばるくんそっくり!」と言われたの、めちゃくちゃ嬉しかったなぁ。

スパリリは和風ホラーを五弦と七弦のドロップAで重厚に奏で、変拍子も多様する音楽性でした。
何枚かオムニバスにも参加しましたが、あんな暗い曲で参加してんの、控えめに言って頭がアレなのかなって今でも思います(笑)

そんなスパリリもメンバーチェンジしつつ徐々に音楽性やビジュアルにも変化が訪れます。
積極的にツアーを行い北海道にも行きました。
メンバーみんなアホなので青函トンネルを車で通れると思い込んでて慌ててフェリーの最終便に乗り込んだり、函館ー札幌の距離を1時間ぐらいと踏んでたり、真夏とはいえ札幌の夜を甘く見てて凍えたりと楽しかった!

音楽的にはよりメロディアスな方向に向かい、メイクは綺麗目になりました。
個人のステージングもよりマイルドになり、客席にガン飛ばす人からニコニコと笑顔振りまく人に。
バンド引退するその瞬間までこのステージングは変わらなかったです。

バンドの知名度が上がってきた手ごたえもあり、新規のお客さんもチラホラと増えてきて、主催、ワンマン、ツアーの年間スケジュールを組み、これから突き進もうという頃、解散が決まりました。

メンバーの裏切りです。

バンド費の使い込み、自分のバンドだけでなく先輩バンドの情報を某掲示板で知り合った女に漏洩する、メンバーの悪口を吹聴する…。

致命的だったのはそれが二回目だったこと。

一回目の時は大事な時期だからと説得してくれたマネージャーの顔を立てて大人しく引き下がりましたが、二回目はダメだ。
話し合いの席の前、メンバーからもマネージャーからも殴りかからないよう釘を刺されてました。
「じゃあ蹴りはいいの?」って聞いたら怒られた(笑)

とりあえず今日はここまで!
最初のバンドが一番長く活動してたからボリューミーね。

それではまたお会いしましょう。

あでゅー!

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