究極のダイエット その4

①今までの経緯

②高度肥満症って、ナニ

③腹腔鏡下胃スリーブ切除術って、どんな手術?

④なぜ、ボクは太っているのか❶

以上、前投稿参照

④なぜ、ボクは太っているのか❷

  2度目のチャンス

高校受験は滑り止めに落ちるところから始まります。私立高校3校を立て続けに滑り、最後に第2志望の都立高に掬い上げられます。
ココでようやく運動を再開。弓道部に入ります。
高校も中学の近くにあり、眇眇たる校庭ではまともにサッカーができるとは思えず、4年間のブランクがあるサッカーより、中学生ではあまりやることのない弓道部なら良い成積を残せると思ったこと、母方の祖父が弓道をやっていて興味があったことが入部の動機でした。
他の運動部に比べ、走ったりすることはありませんでしたが、毎日の練習の準備は結構体力を使うもので、夏の合宿を終えた頃には体重は90キロまで落ちていました。また、練習量が限られた都立高としてはなかなかの成績で、2年生、3年生で関東大会にも出場できました。

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このままの体型をキープ、さらに減量できれば良かったのですが、引退後に運動量が減り、筋力が衰えたことで体重増加に加えて椎間板ヘルニアを発症してしまいます。
2度目のチャンスを逃すとともに、以降の減量に大きな足枷ができてしまうのです。

  社会人になって

高校を出ると、職場の研修で1年間の寮生活を迎えます。研修後の夕食は18時頃。消灯時間までの間にカップ麺やパンを食べ体重は100キロに戻ります。多少できていた運動も、時に悪化する腰痛のせいで思った様にはできず。
さらに1年間の研修を終えると現場での仕事が始まるとともに夜は大学へ。
職場と学校での生活はさらに体重を増加させ、20歳を迎える頃には110キロになっていました。
その頃の食生活といえば、昼食は丼や麺類の大盛り、夜は学食で麺と定食。時に飲みに行けば唐揚げをつまみながら日本酒と、太るに決まっている食生活でした。
しかし、当時の体脂肪率は30%に届かず、しばらくは115キロあたりで留まっていました。
しかし、20代後半になると急に体重が増加。おそらく加齢により代謝が落ち、っという間に135キロに。28歳の時には椎間板ヘルニアが悪化し遂に動けなくなります。

  必要なダイエットは最後のチャンス

ヘルニアの悪化に一つの決断を迫られます。

体重を落とさないと手術しない

という医師からの宣告。ヘルニアが神経を障りまともに歩けなくなっていたボクは手術をするのが最良と判断されましたが、椎間板を取り除き骨を移植するその手術は骨が固まるまでの間、補強するプレートを埋め込む必要がありましたが、当時の体重では折れてしまう可能性があるため、手術ができないと言われたのです。
仕事にも行けないボクは毎日プールで歩き、サイコロステーキ2個とキノコや野菜という生活で8ヶ月で35キロのダイエットに成功します。嫌いだった野菜がなんとか食べられる様になったのはこの時でした。
ヘルニアの手術が成功した時には95キロになっていたボクは、禁酒•禁大盛で100キロを超えることなく30代を迎えました。

  ストレスで太る!

しばらくして、飲酒を再開すると緩やかに体重が増え始めました。そして35歳の頃、最悪の転期を迎えます。
徐々に増えた体重は遂に135キロに戻っていました。ヘルニアの前は、それでもこのラインを超えることはなかったのですが、残業とその後の飲酒が続き、仕事上のストレスも加わると前代未聞の160キロ目前まで2ヶ月かからず増量したのです。

痩せないと、死ぬよ

高血圧症の治療で通っていた病院の医師はそう告げました。自分でもそう思いました。
ココで初めて、減量のための入院をしました。

(つづく)

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