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何かと長くなって、なかなか前に進まない自己紹介文

私は… 僕は… 自分は… 俺は…

今、自分自身の事を何と呼ぶべきかで悩んでいる。

女性であれば  ”私” で良いが、男で私は何だか違和感を感じる。
私は…
なんて普段言わないのに、文章の時だけ私を使うのは違う気がする。

読み方を変えて ”わたくし” にしたらどうだろう。
わたくしは…
何だか違う。絶対に違う。

では ”僕” にするべきか?
僕は…
何だか子供っぽい。
もうすぐ40歳になる男が僕だなんて、恥ずかしい。
会話で、自分より目上の人の前やフレンドリーに話す際は僕と言うが、これは文章だ。会話ではない。

それでは ”自分” にするか?
自分は…
何だか堅い。
ただでさえ、お堅い印象を与えがちなのに、文章まで堅苦しくなってどうする。

ではでは ”俺” にするか?
俺は…
絶対にダメだ。何だか偉そうだ。
もし、俺は昔…なんて書き出したら、
高校卒業後に地元を飛び出し上京したものの、とくに目的もないまま渋谷のとあるバーでバイトをはじめ、「絶対ビックになってやる!」と、根拠のない自信だけを頼りに10年の月日が流れ、いつのまにかバイトから雇われマスターとなり、ある日バーを訪れた妙に肌艶のいい男に誘われて、よくわからないビジネスをはじめたら成功し、あれよあれよと港区の芝公園近くにそびえ立つ、大都会東京を一望できる高層マンションの、やたらと大きな開かない窓のある部屋に住む、成り上がりの成功者みたいではないか。
それに何より、窓が開かない部屋なんて嫌だ。毎日、空気の入れ替えはしたい。


では一体、何をどうすれば…


といった具合に、普通の人はスルーするであろうことを、スルーすることが出来ない性格だ。
なので、少しでも引っかかってしまうと、なかなか前に進めない。
気にし過ぎるめんどくさい男。
それが彼だ。

……!そうか!”彼” にしよう!!
自分自身の事ではなく、他人事のように書けば良いのだ。


という訳で、ようやく何と呼ぶか決まりました。
これから彼『清水良憲』の紹介をしたいと思います。

1981年6月22日
歴史的に特にこれといって何も起きていない、じめじめとした梅雨の最中。
彼は、清水家の次男として誕生した。

母方の祖母、”よし” によって、良憲(よしのり)と名付けられる。

次男ということで、彼には きょうだい がいた。4つ上の兄と2つ下の妹だ。

彼の兄は、とてもひょうきんで頼りがいがあり、友だちが多かった。
妹の方は、とても愛嬌があり誰とでも仲良くなれ、もちろん友だちも沢山いた。
彼はというと、とても引っ込み思案で大人しかったが、それなりに友だちはいた。

そんな3きょうだいの真ん中として、彼はすくすくと育っていったのだった。


保育園の年中さんのとき、お友だちと劇を観に行くことになった。
演目は『トムソーヤの冒険』
親子で楽しめるファミリーミュージカルだ。これが、彼にとって初めて観るお芝居となった。
目の前で繰り広げられるワクワクドキドキな冒険物語。
歌ありダンスありで展開していくお話に夢中となる。
観に行った翌日から、子ども用の小さなシャベルを持ち、保育園の裏にある畑にて宝物を探すシーンを再現。しばらくの間、ひとりこっそり真似をして楽しんでいた。


年長さんのお遊戯会では、どこぞの王国のお祭りで、王族達を楽しませるためにやってきた3人組の音楽隊『少年バカ隊』のひとりとして、手作りギターをかき鳴らし、はしゃいでいた。


小学校にあがり、色んなことを学ぶ中、彼は絵を描くことに夢中になっていった。
1年生のとき、全国で募集された歯磨き週間ポスター小学生の部で入選。
景品として目覚まし時計が贈られた。箱ティッシュを縦に置いた位のサイズのその時計には、白くて四角いボタンと赤くて丸いボタンがあった。
赤いボタンを押すと10秒ほど音声が録音され、白いボタンを押すと録音した音声が再生される。そんな、ボイスレコーダー機能が搭載されていた。
彼は赤いボタンを押し、彼自身の歌声を録音した。
それが、彼がはじめて自分の歌を客観的に聴く機会となる。
何度も何度も、歌っては聴いて歌っては聴いてを繰り返し、ひとり楽しい時間を過ごしていた。


小学校3年生の夏休み、彼は…


おや?…マズイ。
このペースで紹介していては、いつ終わりが来るか皆目見当がつかないぞ…。


てなわけで、この先はサクサクと紹介することにする。


中学時代、陸上部だった兄の影響で彼も陸上部に入部。
中二の春。幅跳びの練習中に腰に違和感。
しかし真面目だった彼は、痛みをこらえ練習を続ける。
結果、椎間板ヘルニア、の一歩手前となる。
辛いリハビリ生活の中、彼の心に一筋の光を灯したのが歌だった。
腰が痛くても、歌は唄えた。
陸上部と掛け持ちしていた合唱部に力を注ぎ、NHK合唱コンクール全国大会出場、の一歩手前となる。


高校時代、彼は映像関係の仕事をしていた兄の影響で、映画を観まくる日々を送った。
そして、観るだけでなく自分も画面の中の人物を演じてみたい気持ちが芽生える。
高三の秋、文化祭で行われるクラス対抗演劇大会に主役として出演。見事優勝を勝ち取り、仲間と共に一つの作品を作り上げていく楽しさを知る。


高校卒業後、日本映画学校(現在は、日本映画大学)という3年制の専門学校に入学。
映像科と俳優科があり、映像科はカメラマン、音響、照明、脚本等、映画に携わるその道のプロを目指す人の学科。
俳優科は、その名の通り俳優を目指す人の学科。
映画に出ることを夢見ていた彼は、俳優科を選び、映画俳優への道を歩む事となる。はずだった…。

映像科は様々な分野があるため大人数なのに対し、俳優科はたったの42人。
全国から、俳優を目指す若者たちが集まってきて、それはもう賑やかだった。

ただ、皆が「俺が俺が!」「私を見て!」というタイプではなく、前に出るのが苦手な人もいた。

彼もまた、そのタイプのひとり。
でも、「人前には立つのは好き」という矛盾した心持ちであった。

2年次の夏、漫才実習が行われた。
「え?なぜ漫才を?」と思うことだろう。彼も思った。だが、それにはちゃんとした理由があったのだ。

”演技とは常に即興でなければならない 
これが『漫才』をカリキュラムに採り入れた最大の理由である”

彼は、押し入れから引っ張り出した段ボールで長い間眠っていた学校案内に書かれていたこの理由を、今まさに発見した。
そんなこと完全に忘れていた。意外とちゃんとした理由ではないか。

とにかく。
この漫才実習、はじまる前から彼は憂鬱で仕方がなかった。

普段から笑いをとって場を盛り上げている同期の仲間がたくさんいる中、彼は会話すらロクに出来ないつまらない人間だった。
そんな彼が「笑いをとる」なんて出来るわけがない。

でも……やるからには笑いをとりたい!

彼はまず、相方探しからはじめた。

常日頃から気の合う仲間とコンビを組むが、会話は弾んでもネタ作りは進まず…
お互い遠慮してしまい、なかなか上手くいかずコンビ解消。

彼は、次なる相方探しをはじめた。

それなりに仲は良いが、チャラチャラしていて、真面目な彼とは正反対の相手と組んでみた。
すると、特に遠慮することなく意見が言えたため、うまい具合にコンビ結成。

彼は、次にネタ作りを開始した。

当時、彼はお笑いに全く興味がなかった。
そのため漫才のイロハを学ぶべく、まず図書館に行き、参考になりそうなお笑いに関する本を片っ端から借りてきて、読みまくった。
しかし読むだけでは限界がある。
お次に、昭和の漫才が収められたCDを片っ端から借りて、聞きまくった。
だが少々情報が古いため、あまり参考にならない。

とりあえず、彼は自分で漫才のネタを書いてみることにした。

まず、ボケを書いてみる。
楽しい♪

試しに、相方に突っ込んでもらう。
もっと楽しい♪♪

こうして、ネタ作りの楽しさに夢中になり、とんとん拍子にネタが出来上がっていった。

漫才実習では、ネタみせとダメだしが繰り返される。
2ヵ月間かけて1本のネタを作り上げ、学内の漫才発表会でお披露目するのだ。

そうして迎えた発表会当日。
彼のコンビは、一番の爆笑をとることとなる。それはまさに、5秒に一度の笑いのビッグウェーブ。

自分が作ったもので笑いをとる。
自分が狙ったところで笑いがくる。

その時の快感を、彼は今でもはっきりと覚えている。

選抜チームに選ばれ、学外のお笑いライブにも出演。
しかしそこで、彼のコンビは大きくスベることとなる。

最初はほんの少し「間」をはずし、笑いを逃す。
焦って声が大きくなり、テンポがズレはじめる。
そうなったらもう最後。どんどん歯車が狂い始め、どんどんお客さんが離れていった。

たとえ同じネタをやったとしても、いつもウケるとは限らない。
漫才は、コンビ、そしてお客さんを含めての生のやり取り。
彼はその怖さと難しさを学んだ。

漫才実習の他にも、演劇実習、ボイストレーニング、モダンダンス、演劇ワークショップなどなど、様々なカリキュラムがあった。

在学中、彼はあることに気づきはじめる。
卒業までに、舞台演技に関するカリキュラムは8回。
それに対し、映画製作に関するものはたったの2回。
映画俳優になるためのカリキュラムが少な過ぎるではないか!
しかも取り組む期間も短く、彼にとって内容の濃いものにはならなかった。


「映画学校なのにー!!!」


……そんな訳で。
映画俳優を目指すことよりも、お笑いやネタ作りの楽しさに目覚めてしまった彼。

この後も紆余曲折あったのですが…
とーんでもなく長くなりそうなので、今回はここまで。

現在はシットランテとして、どんなことを繰り広げていくのか
苦しくも楽しい日々が続いているのであります。


ー 完 ー


長々とめんどくさい自己紹介を、最後まで読んでいただき誠にありがとうございます。

このnoteという場所で、自分の考えや作品について伝える機会を作れたこと、学ぶことも多く、始めてみてよかったです。

サポート機能を使い、ご支援くださった皆さま。
この場を借りて、改めてお礼を言わせてください。
本当に、本当にありがとうございます。

お伝えした通り、めんどくさい性格のため、ゆっくりになるかとは思いますが…

シットランテとして、楽しんでいただけるものをお届けしてまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします!


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