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『Nさん』

@siteyuu 著

私は、23歳。地元の国立大学を卒業し、22歳で東京のWeb製作会社に就職した。
地元は嫌いではなかったが、生まれてからずっとお年寄りになるまで地元に居続けるのは違う気がした。
大学を卒業するとき、ほとんどの友人は地元や近くの都市に職を求めた。成績が良かった人は行政や銀行に行き、体を動かすのが好きな友人は消防署に入った。町おこしをするNPOを立ち上げた人もいた。
いずれにしても、みんな卒業した後も、近い範囲で生活するよね、という雰囲気の中、私は1人、東京での就活を行った。
ネットで情報を集め、就活コミュニティに入り、インターンにも数件参加した。東京に行くときは夜行バスを使った。新宿に早朝に到着すると近くのネットカフェでシャワーを浴びて、リクルートスーツに着替えて企業に向かった。

その甲斐もあり、Web製作会社に就職できた。

新卒で私を含め、三名採用された。私は情報学科では無かったし、プログラムやデザインのことも分からないので、「ディレクター」という役割を与えられた。残りの2人は専門学校や自分でプログラムのことを学んでいて、製作チームに配属された。とはいっても、15人ほどの会社なのでみんな同じ部屋で仕事をしている。
私はディレクター見習いとして、先輩ディレクターが担当しているプロジェクトに参加した。ときどき失敗しながらも、なんとか日々の仕事をこなしていった。ディレクターは製作チームとクライアントの間に入る仕事なので、コードを書いたりデザインしたりはしないが、それでも技術的な言葉が分からないと仕事にならない。仕事が終わった後も、エンジニアコミュニティのミーティングに顔を出したり、Twitterで積極的に発信したりして技術的な情報に対する視座を高く保った。

1年もすると、同期の二人と
「そろそろうちの会社もNext.jsに移行すべきだよね」とか
「バックエンドはLaravel一択だよね」なんて話が出来るようになって、成長を感じた。
会社全体も、多忙だけど新しい技術を積極的に取り入れる小さいけどキラキラしたテック系ベンチャー、という雰囲気だった。

そんな充実した日々をいい仲間達と過ごしていたが、私にはちょっとした引っかかりがあった。

Nさんという、40代の先輩のことだ。彼は製作チームに所属しているが、ほとんどプロジェクトの会議で発言しない。社内で、私と同期で始めた、新しい技術について語る「技術発表会」でも出席はするが、やはり発言しない。他の先輩社員や社長は技術について質問してくれたり、時には褒めてくれたりする。
仕事中も、Nさんはほとんどディスプレイに向かっている。あまりコードを書いている様子はなく、文字だらけの画面をずっとにらんで考え込んだり、ときどき本を読んでいる。他の製作チームの社員は、私たちディレクターと活発に意見交換をするのだが、Nさんはほとんど会話をせず1日が終わる日もあるんじゃないかと気づいた。それなのに、夜遅くまで会社に残っていることもある。

だんだん、私はNさんについて、イライラするようになってきた。入社から1年たち、責任感も身についてきたところだ。

ある日、相変わらずディスプレイを見てうなっている。
私は、みんな遠慮してるんだ、と気づいた。Nさんは、この製作会社の立ち上げ時から居る。だから、Nさんがコミュ力を身につけず、無駄に残業してても言えないんだ、と思った。

「Nさん」
私は、声をかけた。
「すこし、コミュニケーション気にした方が良いと思います。みんな、Nさんには言いづらいと思うけど、私たちディスプレイと仕事してるわけじゃないんですから」
Nさんは、少し驚いた様子だったが、微笑を浮かべて私に言った。
「ああ、ごめん。気をつけるよ」

私は、技術発表会の時のように、周りの人たちに感謝されると思った。が、社内は静まりかえり、みんな目を伏せている。
(ん?)
私は違和感を持ったが、みんな反応がすぐに出来なかっただけだろうと考え、自分の仕事に戻った。社長がその時不在だった。

翌日、社長が私のデスクに来て、ちょっと相談があるからランチ一緒に食べよう、と言った。
私は昨日のことを、よく行ってくれたとねぎらってくれるのかなと思って、笑顔で、はい!と言った。

会社から少しだけ歩く場所のカフェでランチになった。会社の周りには外食できるお店や弁当店が豊富なので、このカフェには同僚が来ることはほとんどない。

社長は先に席についてその日の日替わりセットを食べ始めていた。
私も席につき、注文を終えると、社長が切り出した。
「昨日、Nさんに意見したと聞いたんだけど」
私はこたえた。
「はい、ディレクターとして、Nさんにもっと積極的になってもらう必要があると思ってポジティブな提案をしたつもりです」
社長はそれを聞いて数十秒考え込んだあと話し出した。
「うちの会社はどうやって稼いでると思う?」
私は答えた。
「お客様から依頼されたWebサイトを製作することです」
社長はより真剣な顔になった。
「じつはその部分ではほとんど利益は出ないんだよ。お客様に納品した後、保守をお任せいただいているケースが多いのは知ってると思うけど、利益はほとんど保守から出ている」
私は社長が何を言いたいのか分からなかった。
「保守の業務を全部やってくれてるのがNさんなんだよ」
私の手が汗ばんできた。
「厳しいことを言うけど、もう1年がんばってくれたし、もうすぐ新しい新卒が入ってくるから、知っておいた方が良いと思うから」
社長は私の目を見据えながら続ける。
「Web製作の仕事には華やかな部分もあれば、泥臭い部分もある。正解かどうか分からないけど、私の考えとして、まずはWeb製作を好きになってもらいたいから、新しく入ってくれた人、特に新卒には、Web製作の華やか、、、というかおもしろさがわかりやすい仕事をまず経験してもらうようにしている」
「でも、サイトは完成した後、アクセスが多くなろうがライブラリの保守期限がこようが稼働し続けないといけない。つまり保守業務。地味かもしれないけど、なくてはならない。それをNさんがずっとやってくれている」
少し泣きそうになってきた。
「時には、納品時に見逃された製作チームが作ってしまったバグが原因で不具合がでることもある。そんなときも、Nさんはだまって修正し、サイトが動き続けるようにしてくれている」
私が涙ぐんでいるのを見て、社長はちょっとためらったが続けた。
「まあ、そういうわけだから、私としてはNさんに昨日あなたが言ったことは許容できない」
社長はそういうと、食事を再開した。
私は恥ずかしさとくやしさとよく分からない気持ちで、その後ランチを終えてカフェを出るまでどう過ごしたかよく覚えていない。気がついたらもう会社の前まで戻ってきていた。

とにかく会社に帰ったら、Nさんに謝らないと、と思った。頭の中で、謝る台詞を考えるが、なかなかまとまらない。
そんな状態で、オフィスのドアを開けた。
まっさきにNさんのデスクに視線が向いてしまう。Nさんがディスプレイではなくこちらを見ている。

目が合うと、Nさんは打合せ用のブースを指さした。私がパーティションで区切られた打合せスペースに入るとすぐNさんも入ってきた。

「ごめんね、社長にはそのままでいいって言ったんだけど、、、」
Nさんは頭をかきながら私に言った。製作チームのリーダーも後を追うようにスペースに来た。

リーダーによると、昨日私が退社した後、社長がオフィスに戻り、彼が私の発言について社長に報告したらしい。製作チームもディレクター達も、私の発言に激怒していたということで、Nさんがそんなに怒らないで、、、と取りなしてくれていたということだった。

私がNさんに謝ると、Nさんは笑いながら、気にしなくていいと言ってくれた。その後、すこし、Nさんと雑談をした。考えてみるとNさんと雑談をしたのは初めてかもしれない。
Nさんは私の地元と同じ県の出身だった。
自分も地方から出てきて、一人で東京でがんばって、若い頃はツンツンしていた。なんとなく私の気持ちが分かるから腹が立たない、と言ってくれた。

私はまた泣いてしまった。
あと10年か20年たったら、その時誰かに、Nさんみたいに支えてあげられるようになろう、そう思った。

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