悪夢の料理

日本に差別はあるか?


突然だがこんな質問をしてみる。

おそらく多くの日本人が「ない」と答えるだろう。日本には、ナチスやアパルトヘイトのような人種差別政策も、江戸時代の「えた・ひにん」のような部落差別政策もない。日本国憲法第14条においても「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」と明記されている。法的に言えば、日本に差別などないも同然であろう。

そんな中、2022年の新語・流行語大賞に「ルッキズム」がノミネートされた。ルッキズムは外見至上主義ともいわれ、容姿の良い人物を優遇し、悪い人物を冷遇することを意味する。つまり、美人やイケメンが得をし、ブサイクは損しかしない、容姿による差別と解釈できる。ルッキズムが社会問題となる中、本当に日本に差別がないと言い切れるだろうか。ルッキズムの例として考えられるものを上げながら検討する。

飲食店のメニューから差別用語へ

「チー牛」という言葉をご存じだろうか。
これはチー丼の略語であるが、特に牛丼チェーン店「すき家」のメニューである「とろ~り3種のチーズ牛丼」を意味することが多い。もともとはただの牛丼チェーン店のメニューでしかないこの単語だったが、2020年頃にTwitterに拡散されると急速に浸透。ついには以下のような意味を持ち、「陰キャ」や「根暗」「オタク」のステレオタイプとして定着してしまった。

チー牛とは、メガネをかけて黒髪で精神年齢が低く覇気がない表情をしすき家で3色チーズ牛丼・特盛温玉付きを注文していそうな陰キャのオタクのことを意味する表現。

https://www.weblio.jp/content/%E3%83%81%E3%83%BC%E7%89%9B 2022/12/2閲覧

ネット上などでは他人を「地味でイケてない人間だ」としてレッテルを貼る際にも用いられる。

https://www.j-cast.com/2020/06/18388228.html 2022/12/2閲覧

チー牛の発端は2008年に個人ブログに掲載された自画像とされている。これが2018年、5ちゃんねるのなんでも実況J板に立てられたスレッド内にて「就労移行支援で面白かったのは利用者の若い男が皆同じ顔をしてた事」という本文とともにこの画像が添付された。これを書き込んだ人物は、同スレッド内において自身も就労移行支援を利用していたことを明かした上で、「就労移行支援は発達障害者しか使えない場所だけど、利用者は本当に皆こんな顔してた」「若い男の8割はこれ」などという書き込みも行った。その結果、スレッド内外で「こういう顔のやつおるよな」などと反響を呼び、当初は発達障害者のステレオタイプとして広まった。なお、就労移行支援は、発達障害ではない障害者でも利用できる。

この翌年、まとめサイトに「とろ~り3種のチーズ牛丼とかいう陰キャ専用牛丼」というスレッドがまとめサイトに転載されると、「チー牛=陰キャ」という方程式が確立し、次第にSNSにも波及していった。2020年に入るとTwitter上でも話題となり、5月には5ちゃんねるの転載で「これで合計点が100点超えるとチー牛確定らしい」という診断テストつきの画像が投稿されると急速に拡散され、より一層陰キャのイメージとして定着することになると同時に、陰キャやオタクに対する侮辱用語として使用されるようになったのだ。

タイトルの意味をお分かりいただけただろうか。牛丼チェーン店の料理が、発達障害者や陰キャへの差別用語として成り上がり、まさに「悪夢の料理」と化してしまったのである。チー牛もまた、ルッキズム社会を象徴する一つのスラングと言えるだろう。

いつも誰かが差別されている

日本に差別がないなど夢物語に過ぎない。むしろ、日本は世界有数の差別大国であるのかもしれない。日本社会ではいつも誰かが差別されている。例えば………

容姿(先述のルッキズムや、低身長、デブ体型など)
社会的身分(賞や勲章の保持、在籍会社名や学校名、前歴など)
特定の人種
(中国人や韓国人、ベトナム人、在日○○人など)
学歴
(いわゆるFラン大学・高卒・中卒など)
能力(生活保護受給者、就労移行支援利用者など)
女性問題・性的マイノリティ
(同性愛・LGBTQなど)
コミュニケーション能力(いわゆる陽キャと陰キャ)
信仰(カルト宗教信者・元信者など)
趣味
(アニメオタク、鉄道オタクなど)
障害者
(精神・身体障害者、発達障害者、性同一性障害者など)
活動家
(革命家や環境活動家、フェミニスト、ヴィーガンなど)
恋愛経験(恋人のいない歴や性交経験の有無…童貞処女など)

私の考えるだけでここまで思い浮かぶ。「陽キャ>陰キャ」など、特性間で優劣をつけ、優位な者が劣位なものを差別するという典型例はもちろん、性的マイノリティなど、社会での多数派が少数派を差別する例も見られる。嗚呼、日本社会にはここまで差別のタネが蒔かれてしまったのか。

まず変わるべきは社会ではない

ここまで差別が浸透してしまった社会に、我々はどう向き合えばいいだろう。差別を解消するために、まず何を変えなければいけないだろう。法改正?罰則?いいえ、まず変わるべきは社会ではない。我々の価値観である。
人間とは、誰もが同じ神様を信じ、同じ釜の飯を食い、同じものを好んでいるわけではない。文字の読み書きだって、出来る人もいれば出来ない人もいる。野球が好きな人もいれば、サッカーが好きな人もいる。異性のタイプも人によって異なる。人間とは多様化した生き物であり、我々は人間の多様性を価値観として理解する必要がある。そして我々の価値観も変えていけば、おのずと社会も良い方向へと変わっていくだろう。

差別に立ち向かう学生団体

1ヶ月ほど前に、このようなニュースを目にした。有料記事ではあるが、会員登録している方にはぜひ読んでいただきたい。なお、毎日新聞の2022年11月8日夕刊にも同様の記事が掲載されている。

終わりに

人間は複雑な生き物である。多様な特性を持っている以上、あるものは多数派となり、あるものは少数派となる。そして特性間で優劣が付いてしまうことも致し方無い。しかし、少数派だから、劣位な立場だからという理由で差別が正当化されるとは言えない。言うまでもないが、どのような理由があれど差別は絶対に許されないのである。

余談だが、差別が常態化した例としてakkiの鉄道旅行記がある。彼はブログ内にて韓国人や鉄道オタクなどを日常的に差別しており、倫理観の欠片もない発言を繰り返している。有名人の死や韓国での重大事件に対して「心からお祝いしたい」などとタイトルをつける様は常軌を逸している。あなたは彼のようになりたいだろうか?差別を容認して生きる以上、彼のようになる可能性は十分にはらんでいる。彼の投稿を反面教師とし、もう一度差別について考えてみて欲しい。

最後にもう一度質問しよう。おそらく答えは変わっているはずだ。

日本に差別はあるか?

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