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小話:西岡常一

建築士の端くれとして、西岡棟梁の言葉の端々に胸が痛くなる。

西岡常一棟梁は法隆寺大工として、一生を終えた最後の宮大工と呼ばれる人物である。

学歴はないが、宮大工として人として非常に卓越した識見を持っていた。

その中で己の視野の狭さを恥じた西岡棟梁の言葉を紹介します。

「・・・今の教育はみんな平等やといいますが、人は一人一人違いまっせ。それを一緒くたにして最短距離を走らせようと思っても、そうはいきませんわ。一人ずつ性格も才能も違いますのや。その不揃いな者をうまく使い、それぞれの異なった性格を見出だすのは、そう簡単に無駄なしにはいきませんで。徒弟制度は封建的で古くさく、無駄が多いといわれますが、無駄にもいずれいいものが出てきますのや。あんまり目先のことだけを考えていたんではあきませんわ。結論だけ教えても、手が動き、足が動き、それがどんな仕事の一環なのか知らな、仕事はできませんし、何が起こっても対応ができませんやろ。
無駄と思うて捨てたり、見過ごしてきたことに、ずいぶん大事なものが含まれているんと違いますかな。」

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