お金の発行のカラクリ 1

ブログ転載 2018.1.22(一部改訂)

お金とはどうやってこの世に生まれるものであるか。

若かりし頃より、こんなことをあまり考えたことはなかった。
仕事をして給料をもらって、お財布あるいは通帳に金額が加算されたときにお金ができたーといった感想をもった程度である。どうやってお金が生まれるかなど、ただ漠然と日銀から生まれ出でるものだと信じていたのが現実である。

疑問に思う、追求する、因果をたどる。こういった思考活動は人間として生きていくうえで非常に重要なものであると考えている。あくまで私見ではあるが、思考停止は人間としての生存活動を大半の部分で放棄したものだと思えるからである。

では、お金はどこから来るのか?問い直してみる。なぜか。この知識は日本経済を考える上で、知っておかなければならない知識(知らないと誤った結論を導きかねない)なのだ。


はるか昔、教科書ではこう教わったはずだ。「日本銀行券は日本銀行が発行する」ふむふむ・・・
この一文にみな納得していわゆる「思考停止(わかったような感じ)」に陥る。
レトリックに騙される。「お金は日銀が発行するんだよね・・・・」
論理のすり替えがそこにあるということに気づかなければならない。
知る前の私も同じくではあった。つまりは日本銀行券とお金はイコールではないということ。「日本銀行券」は紙であるモノ。「お金」は債権債務の記録であるコト。分けて考える必要がある。

因みにだが、発行した日本銀行券(紙幣)がどういう経路をたどって我々の手元に来るのか、これをあまり考えたことがない。
イメージしていただきたい、銀行券をザ――――ッと刷り上げたとしてそれをだれに渡すのか?銀行に無償であげるのか?政府に無償で渡すのか??どうやって我々の手元に届くのであろうか?

実はこのお金の発生と流通のことに関しては、知らない人が多い(自分も知らなかったが・・・)のである。因果という言葉があるが、結果があればそれすなわち原因があるという意味である。これを考えたとき、我々の手元にお金がある以上、原因であるお金の発行プロセスが必ずあるはずなのである。

そしてなぜお金は現金紙幣だけではなく、それ以外にも小切手、銀行預金など形を変えて存在することができるのか。

その本質はお金というものは表象的な「モノ」ではなく債権債務の記録であるという「コト」であるということが解ればこれに説明がつくこととなる。

次回に続く・・・

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