0827 映画を観たいだけなのに

久しぶりの日記になってしまったのは、単純に書く気力がなかっただけだ。そういう日も続くし、こうしてまた日記を書き始められているので大丈夫。(何が大丈夫なのか)

上田映劇にて「シュシュシュの娘」を観てきた。

書きたいことがたくさんあるのだけど、まずは「シュシュシュの娘」から。以前どこかの映画館(みなみ会館あたりかしら)でこの作品のポスターを見てからずっと気になっていた作品。なんといってもシュシュシュの響きが良すぎる。さらにポスターで印象的な「目」。「時計仕掛けのオレンジ」のアレックスのあの目をなんとなく思い出したのは私だけかしら。

ネタバレ厳禁らしいので詳しくは言えないけれど、個人的に全体的に漂うシュールさが結構気に入った。くすくす笑える感じがいい。そういうのが自分は好きなんだなあとちゃんと自覚できてきている。上映後に監督の舞台挨拶があって、そこで「自主制作なのでやりたいことを詰め込みました」とおしゃっていたけれど、確かに各所にそういうところが散りばめられていて、映画的にも実験的な部分があったり。映画を観る側は作品の要所要所に意味があるんじゃないかと思いながら観ると思うので、それぞれの解釈をするけれど、意外と作る側はそんなこと思っていなかったりするというのは舞台挨拶とかトークイベントを聞くと多い。(「シュシュシュの娘」のちくわ然り、「佐々木、イン、マイマイン」のゆうじの名前然り…)あまり制作秘話とか物語に関する作り手側の発言を聞くとそっちにひっぱられてしまうし、自分はこう見たかったというのが揺らぐけど、実はあまり深く考えすぎなくてもいいのかもしれないとも思ったりする。

次に上田映劇について。
長野県にこういう場所があるというのが本当にうれしかった。本当に本当にうれしかったし、めちゃめちゃ羨ましくなった。私の地元から上田はかなり行きにくい。こういう場所が私の地元にも欲しいと心底思った。
上田映劇は映画館というか劇場なので、映画館で感じる圧迫感みたいなのを感じず、ゆったりと映画を観れた。入り口を入ってすぐ右手には小さな喫茶店もあって、小説みたいなところだと思った。常連さんももちろんいて、お客さん同士、スタッフさんも交えながら上演前に談笑している姿が眩しい。こうした人と人の関わりができる場は守らなきゃいけないと思う。こうした日常とは違う空間、入江監督の言葉を借りれば「アジール」としての機能がちゃんと設定されていたのがかなり良かった。
私がここら辺の大学に行っていたら迷わず上田映劇に通い続けただろうけど、今日のシュシュシュは学生らしき人は私だけで少し悲しかった。もしかしたら普段は普通にいるのかもしれないけど、でもやっぱりこんなに素敵な映画館があるならどこにいてもそうなんだけど、ミニシアターこそなんか学生が行くべきところなんじゃないかと思う。1000円で観られるのは今のうちだ。


さて、今日の日記で副題なんかつけちゃったのはこうして映画を観に行ったまでの過程にすごくモヤモヤしたからである。もうコロナの事なんか書きたくないんだけど、やっぱりモヤモヤはちゃんと言葉にしておくべきだろう。

私は今帰省して長野にいる。
陽性者は日に日に増して最高記録を更新していく中、私はこうして県をまたいだ移動をして実家に帰ってきている。

両親は私の帰省を許してくれているものの、やっぱりコロナにはすごく敏感で、比較的感染者数の多い上田に行くことに初めは猛反対された。自分がそこで感染してしまったら親は確実に濃厚接触者になるし、たくさん迷惑をかけてしまう。自分を心配してくれていることはよくわかっていたし、最終的にはこうして行くことを許してくれて感謝している。

でもやっぱり、モヤモヤしている。今もなお。
まずなんで自分が責められなきゃいけないんだと思った。これは自分と両親との間の問題というか、自分の親に対する関係性の問題でもあるのだけど、こうなんというか頭ごなしに責められている感じがいつもする。あとなんで大学生にもなっていちいち親の許可を取らなきゃいけないんだ???とも思っている。その点一人暮らしは楽でいいなと思う。この辺は個人的な問題、ちゃんと折り合いをつけていきたい。


私は映画館で映画がみたい。それだけなのに、と思った。
私は学生のうちに映画館で映画を観るという行為が大切だと思っている。直感的にこれはやっておかないといけないと思っている。だから私は映画館に行く。

感染者数の多い地域に行けばそれだけ感染リスクが高まるのもわかっている。自分が陽性者になったときにいろんな人に迷惑をかけるのもわかっている。実際、自分が濃厚接触者になったときバイト先に迷惑をかけた。医療崩壊が起こり始めている中、自分たちができるのは感染リスクを下げること、人との接触を減らすこと、外に出ないこと、県をまたぐ移動を避けること、全部わかっている。もう嫌というほど耳に刷り込まれた文句だ。みんなそんなことわかっている。わかりきっている。

でももう正直うんざりしている。本当に申し訳ないけど、今この瞬間をコロナに奪われたくないという想いの方が強い。やりたいこともまともにできないまま、コロナがやっと収束し始めて羽を伸ばせると思ったら今度は社会に時間を取られているみたいなのはマジで嫌すぎる。この気持ちは暴走状態にあって自分では止められそうもない。緊急事態宣言は毒にもならない。


私はこれからも映画館に足を運び続ける。モヤモヤを抱えながら。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?