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獅子。

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当たり前にそこにあったものがどこを探しても居ない。
寝転んだ背中に乗って来ない。
私を呼ばないし、手触りもない。
分かっているのに、ふとした時に「あれ?獅子は?」と思う事がある。

鰻は獅子が居なくてもわんこそば式のご飯を食べてしっかり眠り、よくやっている。
でも少し変わった事をする。
ボールを咥えて走ってきて、「投げて」と言うようになった。

これは獅子が好きな遊びだった。
何回投げても咥えて戻ってくるので、「犬みたい」と言ってよく笑っていた。
鰻にも何度も同じ事をしたが、鰻はこれが嫌いだった。
どこに投げても嫌そうな顔をしていて、決して追いかけなかったのに、今、獅子の真似をしているように見える。

たったの5日間、友達や同僚に「大変だったね」とか「よく頑張った」とか「獅子は看病して貰えて幸せだったね」とか言われているうちに、「自分は頑張ったのかも」とか「獅子はそんなに悪い生涯じゃなかったのかも」なんていう風に思い始めている。

記憶を都合よく書き換える癖があるようだ。
あんなに辛そうに生きていた獅子を、そのうちに私は忘れてしまう。
私が毎日答えを間違え続けたせいで、獅子が苦しいまま死んでしまった事を絶対に忘れてはいけない。

私のした1番の失敗は、子猫の時に避妊手術をしなかった事だ。

鰻は生後半年で去勢手術を済ませている。
大人の雄には縄張り意識があるので、年頃になるとマーキングをし始める。
去勢をしたのは家の中でオシッコをされたら嫌だから、という手前勝手な理由だった。

獅子は雌なので、家の中でオシッコをしない。
別に悪くもない子宮を取らなくてもいいし、
可愛い顔をしているから子供を産ませたくなるかもしれないと思った。
春と秋になると発情して大きな声で鳴いたが、その必死な声を聞いても、「人間の声みたい」と言って私は笑っていた。

結局子供も産ませないくせに、獅子からしたら大きなストレスだったと思う。


2番目の失敗は、獅子がもう8歳になろうかという頃に急に避妊手術を思い立った事だった。
子宮があれば子宮ガンになる可能性がある。
子宮が無ければ子宮ガンにだけはならない。

今まで散々放置したあげく、一緒に暮らすうちに執着が芽生えて、もっと一緒にいたいから、病気の確率を少しでも減らして長生きして欲しいという、これもまた手前勝手な理由だった。

母は激怒した。
悪くもない身体を切るな、動物をおもちゃにするな、と言って私を叱った。
父も、今更手術なんて、獅子がかわいそうや、と言った。

病院で事情を話すと、8歳でも避妊手術は出来るという。
今後のストレスを減らす為にしておく方が良いと言われ、やっぱり自分が正しかったと安堵していた。

麻酔を使うので健康診断をした。
ウイルスチェックは過去の診断を信じていたので全てマイナスです、と答えた。
血液検査の結果は非常に良かった。
この時点での獅子は確実に発症していなかった。

手術で8針も縫ったので、とても痛かったと思う。
術後3ヶ月を過ぎて、お腹の毛も生え揃った頃、獅子の顔が丸いな、と思った。
鰻も去勢の後太ったので、「獅子、少し太ったね」と言い、この時も笑っていた。

元気に遊んでいたし、ご飯もよく食べていたけど、今思えばこれが発症の合図だった。

猫エイズウイルスは感染後、身体の中で眠っている。
何年も眠りながら活動するタイミングを伺っている。
ストレスや怪我などで免疫が落ちた時にウイルスが目覚めて発症する。
少しでも体力が落ちた時を、ウイルスは決して見逃さないという。

発症すると最初は全身のリンパ節が腫れると書いてあった。


母の言う通り、私は獅子が小さくて弱い者だと言う事を忘れ、おもちゃのように扱っていたのだと思う。

10年前の病識は5年後には変わっている事は当たり前だし、今日の病識は明日には間違いだったと発見される事もある。
長く一緒に居たいと望むなら、常に新しい情報を取り入れておく必要があったのに、私はそれをしなかった。


この日記を残しておこうと思う。
生まれて初めて書いた、最悪の日記だ。
獅子の好きな食べ物を知りたかったのに、自分の心理描写と言い訳と、後悔ばかりに満ちている。
自分がこんなに未練な奴だとは思わなかった。



虹の橋も生まれ変わりもお着替えなんてものも無い。


後になって知ったが、茶白の雌は生まれてくる確率が低い。
もう2度と獅子は産まれてこない。


私の獅子頭は、やんちゃで元気で甘えたで、猫なのに垂れ目で、緑色の瞳が美しくて、尻尾の先が曲がっていて、ガラガラヘビみたいに動く、可愛い可愛い猫だった。

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