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フィクションがつまらない理由

私はコロナ禍でみんなが
NetflixやAmazonプライムなどで
映画やドラマを観ていた時も
ずっと教養系のYouTubeを観ていました。

もちろん教養系のYouTubeを
見たからといって
劇的に何か人生がよくなったかというと
未だに知識を積み重ねるだけで
実行できていないことも多いですが

FPの資格試験を受けたり
投資を始めたり
少しくらいは前向きに
働いたかと思います。

教養系といっても
エンタメな部分も多いので
ずっと観続けているのですが
全くのフィクションよりも
その方がまだ自分の身になると
感じてしまいます。

私が子供のころから連載して
ずっと見続けていたONE PIECEが
最近最終章に差し掛かっているということで
久しぶりにおすすめに
多く上がってくるようになり
忘れていたことも思い出すような形で
考察系のYouTubeも最近見だしていました。

ただフィクションを見ていると
結局どうやってもハッピーエンドに
 なるんだよなぁ

どうしても冷めた目で見てしまいます。

しばしばこういったストーリーの主人公は
普通では耐え難いような苦難に
見舞われますが
無事それを強い精神力で乗り切り
結果としてその姿が
多くの感動を呼びます。

そして感動を呼ぶ理由のひとつに
成功確率が低いことに対して
全力に打ち込むことが出来るから
「それは誰にでも出来ることではない」と
賞賛を呼ぶのです。

さらに主人公が人の目に触れない場所で
積み重ねていたことなども
後から伏線回収されて
漏れなく成果に繋がるのです。

結果として
「努力は報われる」とか
「強く願えば叶う」という
メッセージになります。

ただ私からしてみたら
彼らの成功確率はフィクションである限り
ほぼ100%が保証されているのです。

本当に確率が低いのに
大きなリスクや苦しみを伴って挑戦するなら
たしかにそれは現実社会でも
挑戦する人が少ないのでしょうが
ほぼ100%が保証されているなら
いくらかの人々はその苦難すら
受け入れるでしょう。

本末転倒かもしれませんが
フィクションに慣れてしまうと
「努力が報われる」のが当たり前な世界だと
勘違いしてしまい
現実とのギャップに苦しんでしまいます。

これは実はノンフィクションでも
気をつけないといけないことであり
シンデレラストーリーを築き上げた
成功者たちが語ることが出来る
生存者バイアスにはまって
努力に見返りを求めるようになると
自分だけがしんどくなります。

陰の努力も善行も
陰に隠れたままだとほとんどの場合
そのままで終わってしまいます。

結果やまわりを気にせず
評価されなくとも構わないと
本気で思えるかどうか
現実と向き合ってみて
今やっていることに立ち返ってみましょう。

フィクションはエンタメなのです。

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