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「白黒つけない」という流行り

漢方の試験が終わって
「東京卍リベンジャーズ」を
最初から見返してみました。

ラストまでもう一度見直してみて
改めて感じるのは
多くのネット民の指摘するとおり
「伏線回収がされていない部分がある」
ということでした。

私自身2周しようと思った要因のひとつ
だったかもしれません。

中でも知りたかったのは
敵役なのですが私が割と好きなキャラクター
「稀崎鉄太」に対しての描写でした。

ヒロインである橘日向が
「ぶっきらぼうだけど根はいい子」
と言っていたその真意が
掴めぬままでした。

私は日向がそう言っていた感覚が
なんとなく分かるように感じたので
しばらくネットでそのような記事を
探して見て
「ハッ」と気づきました。

伏線回収してない物語は
 なんとなくスッキリしないから
 気がつけばそれについて考える時間を
 設けられている
」と。

これはエヴァンゲリオンなどにも
言われていることなのですが

無限に解釈できるからこそ
想像する余白が出来て
余計に視聴者をハマらせる
という効果です。

これは人間関係に置き換えてもそうで
「出来損ないの部下だから可愛い」
とか
「一筋縄ではいけないワガママな人だから
 ついついカリスマ性を感じてしまう」
などということもそうです。

ずっと波長があった人との思い出より
喧嘩したり紆余曲折あった人との
思い出の方が色濃く絆を感じるのも
そうでしょう。

この作品のすごいところは
そういった象徴として
情緒不安定で唯我独尊なカリスマ
「マイキー」という人物を設計して
視聴者を虜にしたところです。

東京卍リベンジャーズには
他にも様々な局面で
「いい人」とも「悪い人」とも
言えないキャラクターが
たくさん出てきます。

どんなにいいキャラクターだと思っても
人を殺したり
「それはだめだろ」という行動を
取るキャラクターがほとんどです。

ただ最近人気になる作品などは
こういった「善」とも「悪」とも
「味方」とも「敵」とも
はっきりしない
二元ではなく多元的な
悪く言うならば「カオス」な
世界観を持っているような気がしています。

すべて伏線もスッキリと回収され
悪役と主役がハッキリしているような物語は
令和では一度は読まれても
その後読み返されるようなことは
ないのかもしれません。

ただこの現象にも悪い面はあり
多元論は複雑でリアルだが
 二元論で考えるよりも情緒が安定しにくい

という側面があります。

自由はなくとも
「正義」というものがハッキリと
示されていた昭和以前の時代の方が
情緒は安定しやすかったのかもしれません。

今の時代は「正義」が一つではないことを
みんな理解する時代になっているからこそ
ひとつではない正解を
長い時間をつかって探し求め
文字通り「自由の刑に処せられている
のです。

人によっては
「だから今の時代は複雑だ
 昭和がよかった」と言うでしょう。

ですが私は伏線回収されず
人柄もわかりにくく 
正義もたくさんある
たくさん考えないといけない
今の令和の時代の感覚が
「エモい」と感じています。


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