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「差別は無くならない」と道徳の感想文で書いたら怒られた話〜差別とスクールカーストについて〜


中学校時代の私は今思うとだいぶ達観していたと思います。

小学生まで普通の家庭に生まれて
中学に上がると同時に
入院 両親離婚 転校
と災いが続き
今までの人生の中ですら
中学時代以上に波瀾万丈な時は
ありませんでした。

メンタルは
少し病んでいたのかもしれませんが
心は折れても
柳のようなしなるように
芯は折れないメンタルが出来ていました。

不本意な形で転校したにも
関わらず
転校先の田舎では
私は歓迎されておらず
むしろ「変な奴がきた」と
思われ
ずっと浮いていました。

それはいじめというほど
大袈裟なものではないですが
当時の私とその場にいた人しか
わからないような肌感で
ずっとハブられている感じでした。

私は
「閉鎖的ですごく嫌なところに
 来てしまったな」
と思いました。

本当のところ
私が陰で何を言われていたのかは
わかりませんが
田舎というのは
その空気感ごとすぐ伝わり

一度そのコミュニティで
浮いてしまった人は
なんとなく
「嫌われている人」
と言うレッテルを貼られ
例えクラスがかわっても
なかなかリセットされません。

このような見えないスクールカーストは
特に学生時代に味わったと
いう人が実はほとんどなんじゃないかと思います。

とくにスクールカーストにおいては
文化部は割と不利です。

そこに原因が一因あるかは不明ですが
ちょうど病気で
運動部に入れなかった私も
文化部でした。

町内の夏祭りで
一緒に行く友達がいないことを
家族にバカにされたのも
辛い思い出の一つでした。

悔しい思いをすることもありましたが
ここで登校拒否になってしまえば
自分は負けだと思っていました。

「今は環境が選べる立場にない。
だから逃げ出すことも出来ない。

だけど大人になって
自分で稼ぐことが出来る様になれば
嫌な環境は自分で抜け出すことが出来る。

そうなったら
私の人生は今より絶対面白い。
今ここで登校拒否したり
自殺してしまったりで
人生を台無しにしたら勿体ない。」


そしてこの時から私は
人生右肩上がりビジョン
を描くようになり
辛い時ほど前向きになれるようになりました。

当時私が考えていたことは
誰にも理解されないと思って
話していませんでしたが
後にどんどん
それが正しかったことが
証明されていきました。

ここでタイトルにある話をします。

前述のように考えていた私は
人間関係が閉鎖的であるこども時代が
一番辛いと知っていました。

性悪論的な話になりますが
こども時代というのは
まだ精神的に成熟しておらず

大人だとやらないような
身体的特徴をきっかけにいじめを始める
などという倫理的にどうかと思うことすら
まかり通ってしまう点に
人間関係の難しさがあると思います。

それはある意味
人間が狩猟民族だった時の
優秀な遺伝子を残す本能が
忠実に働く年齢だからかと
思います。

差別やいじめは
一種の本能なのです。

自分が人より心身が弱く
成長が遅いというのも
なんとなくわかっていたため
時代が時代なら
淘汰されていたかもしれません。

だからこそ
道徳の同和教育の作文の際に
私は敢えて書いてみたのです。
「差別は無くならないと思う」と。

私は担任の先生の反応を
楽しみにしていました。
差別に関して最も肌感で
感じている私に対して
「深いことを考える子やな〜」
と言われることを。

ただ現実は全く逆でした。
こんなことを書いた子がいます。
 私は悲しいです。
」と。

いやいやいやいや
悲しいのはこっちだよ。
なんて浅はかな捉え方をされたんだ。

いじめてる側が書いたならともかく
どっちかというと
私はいじめられてる側だぞ。

あなたの半分しか生きていないのに
私はあなたの何倍それについて
考えたんだよ
と言いたくなりました。笑

今この文面を見てどう思いますか?

私はやはり大人になるにつれ
この話にも同意を得られる
ことが増えていったのを

やはり自分が人間関係を
選べるようになったから
自分と感覚の違い人に
巡り会えることが増えたからか

もしくはやっと時代が
追いついてきたのかな?
と思っています。

中学の頃の文面はこう続きます。
「差別は無くならないと思う。
 人間の本能だから。
 でもだからこそ
 なくしていくための努力を
 続けていかなければならない。」と。

あなたはどう思いましたか?
これを読んで頂いた方が
私と同じ感覚なら嬉しいです。

次回→過去は変えられるんじゃないか?

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