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歌丸は元気です。

円楽さんの話をしよう。
僕が知ったのは楽太郎さんの時でもちろん笑点がきっかけ。歌丸さんに悪態をつきながら笑いにする姿は子供でも理解しやすく微笑ましいものであった。何となく当たり前に毎週見ていたわけだけどこの歳になってその凄さに驚く。

あんな大人たちが公共の電波、しかもゴールデンタイムで茶化しあっているんだからみっともないったらありゃしない。普通の人がやったらとてもとても見ちゃいられない芸当。本当に恐れ入ります。

7、8年くらい前、楽太郎さんが円楽さんとなってすぐくらいだったか、当時静岡に住んでいて近くで小朝さんとニ人会が講演されるから行かないかと先輩に誘われ連れて行ってもらった。これが初めて円楽さんを生で見た時である。毒のあるユーモアはテレビの通りで初めて聴いたとは思えない感覚に包まれ終始ふわふわしていたのを覚えている。

男がベラベラ喋るのはみっともねぇと小朝さんに啖呵を切っている姿は円楽さんになっても変わらず。でもお噺は小朝さんの方が上手でどんどん引き込まれていき円楽さんはやはり自分の中ではテレビの人という位置付けのまま変わらなかった。

それから時を経て、今年の初席で円楽さんを観るのはニ度目となった。
初席は豪華なラインナップで、伯山先生、松鯉先生、小遊三師匠、円楽師匠という講談落語オールスターな布陣。小遊三師匠は年始から時そばをぶちかましてくるわでめちゃくちゃだったけど寄席らしく正月らしい笑いっぱなしの一日だった。

今日は私が知っている中で一番くだらねぇ噺をやります。
そう言って円楽さんが枕も短く始めたのが勘定板。地方の厠の呼び方を江戸でそのまま使ったら番頭さんが理解しきれず旅の人も理解できずでいつも通り用を済ませてさぁ大変、、という本当にくだらなくて汚い話なのだが方言と人物の使い分けが巧みでその日一番笑いをとっていた。

声も変わっていて前回とはまるで別人。
そんな印象を抱いてまた観に行こうと決意したのも束の間、ご入院されてしまった。あんな元気だったから大丈夫だろうと思っていたのだが退院された時は後遺症も残っていて持ち前の切れ味は薄くなってしまっていた。それでも高座に上がっていつもの悪態をつく姿には本当に心打たれた。この人は意地でやることを決めたんだという覚悟がヒシヒシと伝わってきたからだ。

でもそれから最期までは驚くほど早かった。
もう一度聴きたいと思っていたから後悔も強い。弔いにというわけではないけれども円楽さんの噺を聞こうとSpotifyで調べて舟徳を聞くことにした。声の感じからして最近の録音のものであろう。第一声に涙が出そうになった。

歌丸は元気です。

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