餅を焼くところから料理を始めた

 同棲を初めてから、1ヶ月近くが経とうとしている。同棲をする時にまず問題になるのが、日々のご飯はどうしようか、という問題だ。

 今まで一人暮らしをしてきた中でほとんど自炊をしたことがなかったし、それでも無事に生きてきているので、誰かと一緒に住んだからといってこれまでのスタンスは変えなくてもよいと基本的には思っていた。同居人のちえちゃんは、「料理を作るのが義務になるのは嫌だけど、料理をするのは好きだから1週間に1回くらいは料理を作りたい」と言っていた。「僕はこれまでもほとんどセブンイレブンとCoCo壱で生活してきたし、これからもそれでよいと思ってるから、無理しない範囲で、自分がしたい時だけ料理をしてくれればいいよ」と返した。別に家庭の料理と外食の料理に優劣をつけないし、同棲相手に料理をつくることの義務を押し付けることもない。作りたいと思った時に、作ってもらえるのはこちらも嬉しい。料理を義務にすることもなく、それでいて料理をしたいという自己実現の欲求も大切にする。リベラルな価値観を前提とした上での、最適で、合理的な選択だと思う。

 では実際に、一緒に生活をしていて料理のことはどうなったのかというと、ちえちゃんが1週間に3~4回くらい料理を作ってくれる日々が続いた。僕があまりにも野菜を食べない生活をしているから、麻婆茄子にたくさんピーマンを入れた夕飯を作ってくれたり、体調を崩した時には、酸辣湯を作ってくれた。

 家のご飯に関する買い物はちえちゃんが買い物をする時にお金を払い、あとから僕に請求をする形になってしまっていて面倒ごとが多いように思えたので、昨日、ちえちゃんと共通の口座を作ってルールを決めようという約束をしていた。朝起きてリビングに向かうと、ちえちゃんも起きてリビングにやってきて「お金のルールどうするの」と聞いてきた。共通口座のクレジットカードを渡して、とりあえず共通の口座に月2万円ずつ入金をして、そのカードを使って買い物をするというルールを決めた。その話をしたあと、ちえちゃんがTwitterのfrom検索オプションを使って2年前の僕のツイートを調べていたと言って、以下のツイートを見せてきた。

「ほんと、こういう性格だよね〜」と言われたあと、料理の話をされた。「料理は1週間に1回くらい私が作るって言ったけど、あなたは一人でご飯食べると野菜食べないし、調子崩した時とか心配になっちゃって、結局1週間に何回も作っちゃってる。私もちょっとでいいから、料理作ってほしいって気持ちもある」

「いや、別に体調崩した時に料理を作ってほしいとは言っていないし、本当に無理しない範囲で作りたい時に作ってくれれば大丈夫だよ」という言葉を返したい気持ちもあったが、先にツイートを見せられたことによってその言葉は封じられたように思え、返す言葉がなくなった。

 同棲する前、ちえちゃんの家で一緒にブラタモリの『#131 熊野「なぜ熊野は日本の聖地になった?」』の録画を見たことを思い出した。絶壁を流れる那智の滝を目の前に、研究者の男性がタモリに「どうしてこんな絶壁ができたと思いますか?」と質問を投げる場面があった。「砂岩と流紋岩の境目がここ(那智の滝)ということですか?」と返すタモリに対して、「さすがお鋭い。砂岩が浸食されて流紋岩が残った結果絶壁ができ、那智の滝となったのです」と、研究者の男性が説明していた。それを見ていたちえちゃんは「私、地層好きなんだよね〜!」とテンションをあげていた。

 自分の過去のツイートを突きつけられるということは、自分を地層として見せられているような感覚だった。かつてはそういう考え方であったということが提示され、そして現在の自分はどうなのか、ということが問われる。そこで「別に体調崩した時に料理を作ってほしいとは言っていないし、本当に1週間に1回でも全然大丈夫だよ」と、はじめに約束した時と同じ趣旨のことを繰り返し伝えることは、もう別のことを意味してしまうように思えた。それが最も合理的であるし、中立的であると思っていたけれど、1ヶ月一緒に過ごしてきた経験と、過去のツイートが掘り起こされたことによって、そのようには捉えられない状況が現前させられた。大学で社会学や政治学の勉強なんかをすると「『自分は中立の立場だ』という人がいますが、中立の立場なんてものは存在しません。中立であると考える時に、それがどの立場の人にとって都合の良いものとなっているか、注意深くならなければいけません」なんてことを言われる場面によく出会ったけれど、今回ほど、この言葉が身に滲みることはなかった。だけどすぐに返す言葉を考えることもできなかったので、「うーん」と言葉を濁すことに終始した。「もー、なんか言ってよ」と、ちえちゃんは不満を顕にしていた。

 今日は朝から、ちえちゃんが自分の部屋から出てこない。ちえちゃんは「人間でいられない日があるから1週間の内に2日くらいは自室に引きこもりたい」と言っていたので、今日がその日なのかもしれない。それか、僕が一人きりで本を読んだり文章を書いたりする時間を取りたいオーラを醸し出しているから、そのことを気にしていて今日は全く部屋から出ないように配慮してくれているのかもしれない。一人の時間がたくさんあったし、昨日料理について不満を言われてしまったので、棚の中にあった切り餅を使って料理をしてみることにした。「僕は料理ができない」という人間が「作りたい時に料理を作ればいいよ」と相手に伝えることと、自分で料理をつくれる人間が「作りたい時に料理を作ればいいよ」と言うのは、おそらく違うことなのだろう。いつかその違いを実感できるように、その端緒として、家に置いてあった餅で料理をすることにした。

 この前ちえちゃんに「この歌のMV、ソープランドを舞台にしてるんだよ」と教えてもらった電気グルーヴの『Shangri-La』をスピーカーで流しながら、料理を始めた。

水に浸した餅をレンジで温め、その間にベーコンを切り刻んだものにひとつまみの砂糖をまぶし、フライパンで軽く炒める。それから、切り刻んだとろけるチーズをベーコンの上に被せるように並べて、さらにそのチーズの上に切り刻んだ餅を乗せて炒める。チーズが溶け出して周辺が少し焦げてカリカリになった頃、フライ返しで裏返しにして、今度は餅に焦げ目がつくくらいに裏側を炒める。餅に焦げ目がつき始めたところで、フライパンから取り出してその場で食べてみたら、美味しかった。5分もかからない短い時間で、食べるに足るものが完成して嬉しかった。少し塩気が足りないと思ったし、自分はカレーが好きだったので、今度はチーズを炒める時にS&Bのカレースパイスを振りかけてみようと思って、2つ目を作ってみた。チーズの上に餅を乗せた後、カレーのスパイスを振り忘れていることに気づき、不本意ながら、餅の上にカレースパイスを振りかけることになった。本当はチーズの上に振りかけて、均等に味を馴染ませたかった。しかも、餅の上で瓶を振ったら想像の5倍くらいの量のスパイスが降り掛かってしまった。出来上がったところで食べてみたら、カレーの味が強すぎではあったが、それでも美味しかった。ただ、失敗したことが悔しかったので、今度はベーコンの上にチーズを乗せた後に忘れずにカレースパイスを適量振りかけ、3つ目を作った。チーズと餅と調和するようにカレーの味がついて、しっかり美味しくなった。自分の想像通りに工夫が功を奏したことが、嬉しかった。餅は、料理初心者にとって優しい食べ物だと思う。5分もかからない内に完成させることができるし、失敗したとしても、餅一個分の失敗に抑えられるからショックも少なく、すぐにトライアンドエラーを繰り返すことができる。もし美味しいものが出来上がったら、明日からにでもご飯の主食にしてしっかりお腹を満たすことができる機能性も魅力的だ。

 料理をしてみたら、一人暮らしの時よりもすごく料理をしやすいことに気がついた。同棲をして大きめの家に住んだことで、一人暮らしをしている時よりもキッチンが広くなったし、既に一人で料理をして生きてきた人と一緒に住み始めたから、調理道具も、基本的な調味料もすべて用意されていて、一人で料理を始める時の「料理しようと思ったら、料理以前のことが大変でやる気を失った」状態で躓くことがなかった。なにかをし始める時の最初のハードルをとても低くしてくれるのが、同棲のメリットの一つであると思った。

 この文章をリビングで書いていたら、ちえちゃんが部屋のドアを開く音が聞こえ、「寝過ぎちゃった」という挨拶と共にリビングにやってきた。16時間くらい寝ていたのではないかと思う。「お腹空いた〜。なにかを食べた形跡があるな」と、キッチンを見ながら言ってきたので「餅で料理を始めてみたから、一つ作ってあげる」と言って、ベーコンとチーズとカレースパイスで焼いた餅を一つ振る舞った。「美味しい〜、カレースパイスがいいね」と言ってもらえた。食べている途中に「岩塩かけるといいかもね」と言いながらちえちゃんが岩塩をかけ始めたので、それを一口貰ったら、更に美味しくなっていた。その間もずーっと、電気グルーヴの『Shangri-La』がエンドレスに流れていた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?