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長々と雑に紹怪 【白粉婆】


白粉婆とは


奈良県吉野郡十津川流域に伝わる老婆の妖怪である。
鳥山石燕「古今百鬼拾遺」では、大きな破傘を被り、白装束を纏い、杖と徳利を持って降り積もった雪の中を歩く姿が描かれている。伝承では鏡を引きずってじゃらじゃら音をさせながら現れるとのこと。また、顔には白粉がまだらに厚く塗り立てられ、恐ろしげな風貌を醸し出しているという。

白粉婆の姿と考察


さて、鏡をジャラジャラと音をさせるということは鎖に繋いでいるという事だろうか。雪上ならば地面に鏡が当たる音でもなさそうなので鎖が妥当なような気がする。鏡を持つ、というのはおそらく、美容を意識していることの象徴、揶揄なのだろうが、これを懐に入れず煩雑に引きずっているというのは何か意味があるのだろう。
仮説だが、鏡を鎖で繋ぐというのが美に対して強い執着を持つことの表現であると思えるのだが、煩雑に扱っている当たりはもうすでに鏡を見ておらず、化粧をする事自体つまり手段が目的となってしまい、執着故に自己を客観視出来なくなってしまった者への揶揄と想像する。現に白粉をまだらに塗りたて、恐ろしげな風貌に仕立てているという点からも、この仮説は信憑性が持てると思うのだがいかがだろうか。

神の使い?


鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」によれば、白粉婆は脂粉仙女という紅おしろいの神(化粧の神)の待女だとされている。この脂粉仙女が何者なのか、自分の調べではどうにも当たらなく、大陸の方の神様か今後も調査を続けたいと思うが、白粉の神、化粧の神と称されるものが果たしてそんな化粧を粗雑にするモノを仕えさせるだろうかという疑問がある。
白粉婆に伝わる行動は、冬に甘酒を欲して姿を現し家々を訪ねて物乞いして回る、ただこれだけなのだが、もしかしたら「元」待女であるとか、冬の間だけ暇を出されるとかしている故のこの有様なのかもしれない。零落した神の使いと考えられないだろうか。

姥捨の可能性


もう少し現実的なところを考えるならば、この白粉婆や山姥、その他の山に潜む婆系妖怪はかつてあった姥捨山の風習によって打ち捨てられ、尚も逞しく生き延びた婆達であった可能性は充分に考えられると思う。
たまに町や村に降りてきては売買や物乞いをする者もいただろうし、その行動によって様々な婆妖怪に分けられたものの、辿れば一つなんて事も充分想像できるのだ。
かつて人生50年時代、もしその中で80年も90年も生きたならば、それだけでも妖怪扱いされる事もあったかも知れない。

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