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長々と雑に紹怪 百目

漫画家・妖怪研究家の水木しげる御大

の妖怪本には、氏の創作とされる妖怪もいくつか見受けられると言われており、今回紹怪する百目もまた、氏のオリジナルと言われる妖怪の一つです。
御大の描かれた百目の図絵は、ユング著「変容の象徴」の挿絵が元であると言われており、これが実写版悪魔くんの作中で「百目妖怪ガンキュー」として登場、さらにこれを妖怪本に採用したのが妖怪百目であると言われています。とはいえ実は「変容の象徴」の挿絵自体が、日本の妖怪画から引っ張ってきたものという話もあり、最終的な出所が分からないと言うのが本当のところの様です。
 
 
鷲が初めて百目という妖怪を知ったのは40年以上前。「小学館入門百科シリーズ 妖怪なんでも入門」において、ドラキュラや魔女などとともに酒宴を開いている姿でした。
そんな理由で鷲は百目が西洋の妖怪だとばかり思っていました。シルクハットをかぶる姿、なんてものみた覚えがあるので尚のことな気がします。
これまた30年前に購入した河出書房新社「水木しげるの妖怪文庫」にて日本の妖怪として紹介されているのをみて衝撃を受けたことを憶えています。

さて、その河出書房新社「水木しげるの妖怪文庫」によれば、百目という妖怪は体中に百(もしくは無数)の目玉があり、故に昼間はまぶしくて行動できず、夜に現れる。
そして出くわした人に向けて目玉を飛ばし、逃げてもどこまでも目玉が付いていく、という妖怪であるらしい。
遭遇者に分かるように追いかけ回すのか、分からないように追いかけ回すのか分からないけれど、百目という妖怪の行動原理は「見る」ことにあると分かります。
近い妖怪として、その風体から「ぬっへふほふ」や、目が沢山あることから「百々目鬼」が挙げられることが多いようですが、その行動原理から言えば、「目目連」が仲間としては一番近い気がする。生活を覗く、ということで言えば、「屏風覗き」「高女」「しょうけら」あたりの分類にも入ってくるのではないでしょうか。
「目玉を飛ばし追いかける」という行動は、単に妖怪らしく「人間を驚かす」ためのものとも考えられますが、それならばむしろあの風体が追いかけてきたほうが余程恐ろしい事を思うと、これは少々考えにくような気がします。
いずれの目的があったとしても、ここでひとつの百目に関する仮説が浮かびあがります。
 
こいつ、実は自力で移動できない、できても相当に緩慢なのではなかろうか。
 
先にも書きましたが、脅かすのなら本体が追いかければよい。覗き見目的でも目玉を飛ばすなどというリスクを背負わず、(なんでも飛ばした目玉は戻ってきてもとのところに嵌るらしい。迷子になったり犬に食われたりすることもありうることでしょう。)本体のまま直接覗けばいいわけで、わざわざ目玉を飛ばす、ということはそういうことじゃないかと推測できます。
つまり百目という妖怪は、“人の生活を覗き見したいが自分では身動きできないため、浮遊眼球を用いてたまたま出くわした人間を追尾し、眼球にその生活を録画、これを回収ののち、己の脳内(?)に投影しこれを楽しむ妖怪”と考えられます。
つまり盗撮魔だわコレ。勝手な憶測で言っておいてなんだけどw
 
 
そしてもし身動きのできない、ないし極めて動きにくい存在なのだとした場合、
その存在がはじめから「百目」という存在なのだとは、ちょっと考えにくい。と思うのは「足」が存在する事です。
足がある以上、歩くことができる、もしくは歩くことが出来たころの痕跡に相違ないでしょう。
そして鷲が想像する百目とは、元人間である、ということ。
そして百目とは、百目という「種族一固体」ではなく、「妖怪病のようなもの」、なのではないでしょうか。
様々な書籍、ネット上でも身体的特性から類似性を見出されている「悪女野風」もまた、妖怪病のようなものです。
元来「のぞき」の性癖のようなものがある人物が、たまたまもしくはその因縁により病にかかり、それでも「のぞき」へのそれこそ病的な執着が身体に変異を起させ、
妖怪へと変質していったものが「百目」なのではないかと想像してしまいます。
 
ちょっぴりだけ現実に目線を向けたとき、件の「百目」、また「悪女野風」などのその風体、垂れ下がった肌肉から想像するに、(あくまで百目を妖怪病と仮定した場合だが)そのモデルとなりうるのが「象皮病」である。江戸時代頃、象皮病の記録があることは明らかになっている様ですが、その症状からも、かの時代妖怪や祟り等と結び付けられていた事も充分に想像できます。

悪女野風の伝説など、悪事に手を染めていた女性が象皮病にかかったことまでが事実で、そこに因縁が関連付けられ、さらに尾ひれがついて体中に口が現れ恨み言をつぶやきだしたことになったのではなかろうかと想像します。
そして百目の場合、あくまでも想像だけれど、人としての記憶は既になく、「覗き」を行うための行動原理のみに支配された存在になってしまっている、そういう妖怪なのではないだろうか。
もしそうなら、百目とは哀れな存在であるなぁと思いを巡らすところですね。

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