本編を履修しないまま、スタツアを勝手に解釈する
10月19日に初めてうたの☆プリンスさまっ♪のスターツアーズを見た。
直後の感想とNoteはこちら
ツイートの方も含めると、本当に色んなプリンセス達の目にとまり、楽しんで頂いたようで何より。どもどもみんな、サンキューな!
リツイート直後のツイートを見るヤツでいくつかそれを読んだオタクの反応を見るなどしてこちらも楽しませて頂いております。
さて、あれからの話。
私は、その後、スタツアに5回搭乗した。
当初から様子がおかしい友達の友達の相互非フォローのオタクとか、そもそも一緒に行ったフォロワーとか、私より何も知らないまま見に行ったらレン担に真っ逆さまに墜ちていったオタクなどと日々わちゃわちゃしているうちに、累計6回の搭乗を済ませ、職場の嵐担に搭乗を勧め、何故か私のNoteをみて見に行った出戻りだったりミリしらフォロワーも現れた。
もはや、うたプリにミクロくらい貢献した女である。
これは最早、うたプリ沼に足を取られたと言っても過言ではないだろう。
そう……なにせ私はあれから…………全くシリーズ作品を履修していない。
そんなオタクの二度目の感想というか、コンサートから感じ取る物の話。
本体から行きたい方はこちら
さて、何でこんな物を書こうと思ったかという話をちょっとだけ続ける。
(なぜならそれも愉快だと思っているからである)
あれからというもの、日々、狂っているオタクにスタツアから読み取ったそれぞれへの解釈や感想、ついでに幻覚をクローズドだったりオープンに提供している。
自分で言うのもなんだが、かなり強い方の二次腐女子でもある私は、アニメへの履修ハードルが実は滅茶苦茶低い。
原稿作業などのお供に無限に映像を流しまくるので、特撮作品(通年50話が基本)を気軽に完走するタイプのオタクである。(TTFCには感謝しかない)
dアニメストアにも登録している。
噂の軽井沢も、本編も、見放題のはずだ。
そうだよね?とおもって今見たら、キングダムもあるじゃん。今知った。
これ、ワンシーズンが50話とかじゃ無いなら、やる気になったら再来週には全編見終わってるレベルの気軽さ。そうだとしても2ヶ月位じゃん。
覚えておきます。
では何故、履修しないのか。まず、私のお友達の声を見て欲しい。
人格が分裂しているみたいな発言だが、この手のニュアンスの発言を既に1日3回くらい見ている気がする。
むしろこの人は私の人格を分裂させてシリーズを履修させた人格と、していない人格を作る方法の話をループしている。
彼女が何でこんなこと言っているかというと、見てしまったら、私がアイドルとしての表の顔以外の彼らを知ることになってしまうからだ。
前回のNoteにも書いた。
そう、私はウルトララッキー女。
しかも、自分で言うのもアレだが、言語化能力がそこそこある。
私だからこそ豊富に提供できる栄養がある。
しかも、今の状態は、いよいよ顔と名前を一致させて、コンサートをアイドルファンの視点からある程度見られるようになった状態である。
そういうの欲しいの、私もわかる~~~!!と言う寸法だ。
自らのコンテンツ性を、私は理解している。
いかんせん、好き勝手に書くので実際の彼らと合っているかは分からない。
合っていないことも楽しめる、もしくは私の眼鏡が合っていた時に感じる恐怖に耐えられるオタクだけ、感想を読んでみると良いと思う。
ある特定の層にはきっとある需要の筈だ。
ここでしか接種できない栄養を摂取していってほしい。
※RT直後のツイートやオタクとの交流で一部キャラクター性のネタバレを喰らっています。しかし、オタク達は何故か現時点でも細心の注意を払って私に情報を渡さないようにしているので、本当になんかテレビ雑誌とか特番でお茶の間情報を一ヶ月啜ったくらいの塩梅なんじゃないかと思う。
知らんけど。
さて、感想を書こうと思って、とりあえず、インターネットでセットリストを検索してきたので全て見出しにした。
あとは合間にポチポチ打っていくだけだ。
ちなみに、曲名は今ようやくちゃんと咀嚼する。
6回見た位じゃ曲名は覚えない。そんな余裕はない。調べれば覚えられることだが、私は全然検索をしていない。
これについては何の理由も無くただの怠惰だ。本当に申し訳ない。
そもそも歌をちゃんと聴けるようになったのは5回目の話である。
せっかくだし、一通り打った後、歌詞についても咀嚼出来たら良いなと思う。歌詞を知って見るスタツアもまた一つ奥深くなっているはずだ。
とはいえ、ソロ曲をみんながアンコールのライブTにしていることは知っているし、オタク達との会話でタイトルが出ているからなんとなく分かるぞ。
私がいつだってその場の雰囲気で適当に察して会話を続けていることを、いつも話しているオタクは、今痛感して居るかも知れない。流石にもう知っては居るだろう。
あれから知ったこと
繰り返しになるが、オタクとの交流で私もすっかりアイドル「ST☆RISH」のことをお茶の間ライトファンくらいには知っているはずだ。
メンバーの名前も違和感がないくらいに覚えた。
とはいえ、オタクは気分で呼び方がが変わるため、違和感のある呼び方をしていたら申し訳ない。ちなみに私は自担のことを基本的には「剛くん」「光一さん」と呼ぶけれど、興奮しはじめると「堂本剛とかいう男」や「堂本光一とか言う男」とフルネーム(?)で呼ぶし、「深海魚の人」とか「矢面おじさん」と呼んだりもする。
そういう感じなので全て愛を持った呼称だと受け取って欲しい(傲慢)
私が神宮寺レンを歩くスケベの塊と言ってもサンキュースーパーセクシー!ってことなのだ。何を言っているか自分でもちょっとわからない。
また、声の聞き分けについても、ちょっと自信が無いものの、おおよそ大丈夫だろう。7人の声優が私でも知っているくらい有名なので助かっている。でも、本当に聞き分けに自信が無い。声優に知見が無いし、それ以前に私の耳の基本スペックはゴミなのだ。
12年?経った彼らが28歳前後のアイドルである事も頭に入った状態で見ることが出来ている。
それに、呼称についても学習したので積極的に取り入れていきたい。
一十木音也と一ノ瀬トキヤはルーレット組(ルレ)と呼ばれ、神宮寺レンと聖川真斗は御曹司、四ノ宮那月と来栖翔はクラ組と呼ばれているらしい。だからクラ組とセシルくんのトリオはクラセシ。どうだ完璧のはずだ。
ただ、あの、周囲の人間の関係であまり強く話題に出ていないし、本編に関係する話なのか私にわざわざ解説がされていないため、担当諸氏には恐縮だがクラの話題が少なく、ルレと御曹司はともかくクラはなんでクラ組と呼ばれているのか分からない。
クラリネットとか吹く?みんな得意楽器あるんだよね?
ピアノ(真斗)とギター(音也)とサックス(レン)とボーカル(トキヤ)(楽器とは……?)は知ってるんですけど、のこり三人分が分からない。
流石にクラリネットで被ること無いと思う。バスクラとSクラで被ったりしてるんだろうか。そんな偏りは流石にゲームの会議で却下されると思う。
アイドルの得意楽器クラリネットなの音色的にもそれまじ?である。いや、クラリネットは悪くない。B♭管は見た目もかわっこいいし、音だって好きだ。ST☆RISHがスカパラ系アイドルか、もう少し人数のいるグループならクラリネット被りもあるだろう。ただ、翔くんとか性格的にもトランペット吹いてそうじゃない?でもふたりともパッキャマラオの方は良くお似合いだし……。本当にクラリネットだった場合、認識を改めなければならない。
なんだろ、同じクラスとかなんだろうか……何にも分からん。
でもRT直後のツイートで、Sクラとか呼ばれてたのは別の人な気がする。
なんか短期間でソプラノクラリネットとSクラスの略称が混乱している。
あと勝手に文脈から特待生Sクラスがあるものだと思っているが、あるのかはしらない。10数年前の乙女ゲー界隈にはありそうだからそれだと踏んでいるだけだ。どうしよう、ソプラノクラリネットの話だったら………(流石に絶対ないと確信しながら)
やっぱ何も知らん。私は何も知らんのだ。
ルレはデュオ曲だし、クラもそうなんじゃないかと踏んでいるが、なんか私がクラにジェットコースターロマンス歌わせたいって行ったときに聞いた二人の歌がなんとかジェットコースターだった気がするので全然クラしていない。
なんなんだろう……。(迷宮入り)
あと、音也、レンコンビを暖色、聖川、一ノ瀬コンビを寒色、愛島セシルを孫と呼ぶらしいとも学んだ。嘘だった場合、怒らずに指摘して貰ったら、てへぺろってかんじで、しれっと直すとおもう。
ちなみに、シンメの概念といわれていたのは、どうやら師弟制みたいな物で組まされた二人らしいことも聞いた。普通にマジラブのフリがシンメなんだと思ってたよ。
コンサートのEDに出てきた関係者席の人数が少ない方が師側の先輩達らしい。ちなみにどれが誰でどれがどのコンビかは知らない。
カミュという人がフォロワーの推しであるとフォロワーから聞いた。
噂によるとマジラブキングダムで見られるらしい。
それから、セシルくんが魔法を使えるらしい話も聞いた。
ちなみに私の中で、アイドルという生き物はみんな魔法使いなので、わざわざ魔法使いと呼称する意味が分からなすぎて、最初聞いた瞬間にあまりにもどうでも良い情報として聞き流した。
「セシルくんは魔法使いなんだよ」
「ふーん、まあアイドルって全員魔法使いだもんな。わかるよ」
「いや、本当に魔法が使えるタイプの魔法使いなんだって!」
「ん?ああ、そうなんだ。でもアイドルコンサートで魔法が使えるくらいたいしたことなくない?基本でしょ」
これくらい聞き流した。何なら切り捨てている。あまりに雑に流すから先方もびっくりしていた。
いや、本当に言われた瞬間には、全く関心を持てなかったのだ。
その時KinKiのライブ円盤を見ていたのも良くない。だって堂本光一も魔法使いだし、堂本剛も魔法使いなのだ。それぞれ異なる魔法を使うが、二人が揃ったときに出てくる物は、世界の創造である。遊戯王で言うところのフィールド魔法だろう。今更二人のことを「魔法使いなんだよ」と紹介されても、「そーですね!」と観覧席で声を合わせるしかない。
何が言いたいかというと、私が見たコンサートにおける愛島セシルのパフォーマンスは「不思議な力をもったキャラクターだから表現し得るもの」ではなく「『愛島セシル』という個のパフォーマンス」だったということだ。
やっていることに他のメンバーと違う異常性が有るわけではない。
わざわざ魔法使いである必要が、彼のパフォーマンスには存在しない。彼はグループ内でその点において突出した異物になることもなく、メンバーとして調和している。
そもそもやはり、あの場ではST☆RISHの全員がアイドルという魔法使いなのだ。彼はその点において特異な存在ではない。
ことコンサートパフォーマンスにおいて、特異な二次元ならではの設定なんて全く必要に思えなかったのだ。
コンサートの印象で言えば中丸雄一のボイスパーカッションの方が個性として強いし、意外性で言えばたまたま聞いた一ノ瀬トキヤが福岡出身である事実の方が驚きに満ちている。
なお、後者は聞いてから一週間ほど経つが、未だに咀嚼できていない。
親の都合で昔から標準語で生活していたっぽいことを聞いたが、彼が、鬱陶しいとか煩わしいときに「しゃーしいのう」とか言うの全く想像出来ない。語彙にあるだろうか。
福岡コンサートで「好いとおよ♥」とかは言えると思うが、こんなモンは、音也でもレンでも那月でも言える。というか、那月くんが一番言いそうである。次点が音也君だ。彼の場合は大好き~っていった後に福岡で有る事と方言の話をメンバーでしたことを思い出して言うタイプである。事前に言われなかったら引き出しに無さそうである。
ちなみに翔さんがそういう女の子ってかわいいよな~とかそういうベタなMCをした後、レンくんが女の子は全員可愛いというなぞのフォローも入れたりする。そういう福岡PayPayドームのMCを私は幻覚で視た。
福岡出身を公表しているなら「好いとおと♥」係は彼もやるだろう。メンバーの出身地いじりは大切だからな。ちゃんとカメラもよるし、全てのモニターが彼の「好いとおと♥」顔を映している。
コンサート以外の日常においても、一ノ瀬トキヤが物を片付けるときに「あ、それなおしといてください」とか言うのかは、個人的にはかなり重要なファクターである。正直彼の方言はこのレベルで出るかすら疑問だ。
音也くん辺りが「え?これ壊れてる?」ってベタな返しをしそうではあるし、那月くんか真斗さん辺りが、「壊れて無さそう」みたいな反応をするのが目に浮かぶが、正直私の見た一ノ瀬トキヤからそのエッセンスすら感じられない。
とんこつラーメンとか食わなそうだし、それに辛子高菜とか乗せなそうだしご飯も付けなそう。ラーメン食うならベジポタ系とか選びそう。ラーメン食うときに糖質と脂質の話しそうだし、スープなんか絶対残す。この男とラーメンを食いに行きたい食べ盛り男子いないと思うし、本人も行きたがらないと思う。ST☆RISHはみんな、メンバーを仲間はずれにするタイプでは無いと思うが、豚骨ラーメンを食べに行くと一ノ瀬トキヤを誘ったとしても、断られそうだ。福岡ツアーの時何くってんの?水炊きで水菜とコラーゲン啜ってる?おかわり自由の明太子を二切れで満足してしまうタイプ?
音也くんとか翔さんなら明太子入れて出して貰っている壺ごとおかわりするとおもうよ?
一ノ瀬は麺の堅さを選べと言われたら、その店のおすすめを選ぶか、ガイドとかに書いてあったおすすめを選ぶんじゃないだろうか。慣れていない人間の思考回路だ。いや、まあ、これは福岡とかで生活したり仕事をしていた時期が無いと誰だってそうなんだから、幼少期から首都圏に出てきていたなら、もう福岡エッセンスなんてないのと変わらないのだろう。
親御さんの福岡っぽさにもよるが……。突然九州男児感を出された場合、喜ばれるのか嫌がられるのかは読めない。
すくなくともアイドルとしてのラーニングが鬼畜だから、男尊女卑な発言はしないだろうが、どこかでポロッと奥さんが家で待っていてくれるのには憧れますねという専業主婦希望発言くらいはしてるのかもしれない。それを九州男児で括ろうとするのはいよいよ偏見オンパレードで怒られそうだし、そもそも彼が家庭を築けるタイプかはなぞだ。
いや、でも、結婚したら嫁は家にいてほしそうだし、働く嫁の仕事に嫉妬しそうな独占欲は感じる。
これは自分を思い通りに制御したそうな彼のパフォーマンススタイルからの想像である。自分を思い通りにしたい男は自分を取り巻くものをある程度コントロールしたいと思う。ゆえに嫁や恋人、ひいては仲間もコントロールしたそうである。とはいえST☆RISHを見る限りコントロールはできてなさそうなので、そういうグループ活動が彼の裾野を広げているのではないかと思っている。
このあたりは一ノ瀬ファンの中でそういう完全にコントロールされた彼を愛する層にグループ活動の嫌悪派がいないかと思ってしまう所以である。(非実在オタクの幻覚を見るオタク)
一ノ瀬は確かに明太子食うときには、高くてうまいのは食ってそうだが、そんなものは彼がクロワッサン食べるときにの良いバターを使ったクロワッサンにハマってるっていわれるのと同じレベルなので何の地元感もない。良いものを選ぼうとしているだけ。ていうか、クロワッサンとか仕事以外で食べる??脂質と糖質の塊だが。
ずっと知ったような口をきいているが、上記はスタツアで見たことと私が脳内で解釈した「幻覚」しか見ていない。
何もかも鮮明に視えているだけだ。
私が教えて貰ったのは一ノ瀬トキヤが福岡出身である事と、若い頃ダイエットとかしてたタイプだからアンコールの時、音也くんよりがたいが良くて驚いたオタクの話の二つである。
でも、それだけ情報があれば視えるとおもうんだよね。
あとはスタツアで情報を拾えば、幻覚もたっぷりでOK!↑↑↓↓♲♲👐
これは偏見だが、一ノ瀬トキヤみたいなタイプは二十代中頃から筋トレというかボディメイクにハマり、肉体美とかでan.anにヌードが載るタイプだ。食生活の糖質を憎んでいそうだし、外食でカロリーを見ていた視線が栄養成分にまで進化しているだろうし、若い頃はスリムであることで似合っていたように見えたファッションが、実はある程度胸の厚みや肩の筋肉が有る方が似合うことや筋肉によるバランスの良さを学習するタイプだ。
実際彼がコンサートで好んできていると思われるファッションの形はやはり多少厚みが有った方が美しく見える型の服である。
絶対大胸筋周りを鍛えている。家にジムを作っていそうな姿が目に浮かぶ。筋トレの話をしていたら聖川と一緒に栄養素と食事バランスの話で盛り上がってしまうのではないだろうか。一日の食事と運動量を全てスマートフォンやスマートウォッチで管理していそう。
関連して、運動を元々するスポーツタイプの音也くんが華奢で有る事に友人が驚いていたが、私の中の彼の体格のイメージは佐野岳である。
動き回ることに特化した彼のスタイルは多分なんだけど、消費カロリーに摂取カロリーが追いついていないことや、運動の仕方が筋肉を定着させないタイプなんじゃないだろうか。筋肉を増やす目的で運動しているのでは無く、運動したくて運動しているイメージがある。何より有酸素運動ばかりしてそうだ。
私は、そういうスタンスの違いから、結果的にあの二人の体格差がはっきりと生まれているんじゃないかと思う。だからなんだって話である。
ちなみに翔さんもプロテインをがぶ飲みし、次郎系ラーメンをマシマシで完食したところで、全然筋肉膨らまないと思う。本人は気にしていそうだけど、彼の運動量と骨格で筋肉を付けようとしたら、本当にちゃんと計算して食事をする必要があるんじゃないだろうか。
まあ、そういう事も全然詳しくないので、詳しいトレーナーがやる方が良い。七海春歌ならできるだろうけど、彼女はあの翔さんのスタイルこそもっとも彼の良さを出すと思っているだろうし、その判断はプロデューサーとして正しい。翔さんだって自分の求められている物を受け入れる度量はあるはずだし、見せかけのムキムキマッスルを求める年代は通り過ぎているだろう。いや、口では未だに言ってるかも知れないし、膨らむ筋肉を意識した筋トレもしてるかもしれない。見様見真似で最近厚みが出てきた一ノ瀬を真似て頑張っても筋肉つかねーんだよな、と愚痴っていそうな感じである。体質が違うんだよ。
でも、誰も彼に筋肉膨らまし指導はしないで欲しい。
ソロでのメインを俳優に絞って、武術を始めるとひらパー兄さんになってしまう可能性がある。いや、それは全然いいけど。(いいのか?)でもやっぱり、首が大木の幹みたいになってるのはなんか違うと思う。
彼には何時までもネコチャンみたいな靭やかなスタイルで在ってもらいたいし、このまま奇跡の三十路になって頂きたいところだ。佐野岳より高いモンスターBOX跳んでくれ。
派手に話が脱線した。魔法使いの話に戻ろう。
私の場合、彼がステージ演出担当なら「魔法使い」と言われて納得するし興奮もするのだが、演出は女帝七海春歌女史がいるはずなので、本当に何のことかと思ってしまっていた。
ST☆RISHの魔法使いって七海女史じゃないの?位の感じである。
とはいえ、よくよく聞くと「魔法の国の王子様」らしい。
I see.人の話はちゃんと聞くべきだ。ちなみにその後、本当に軽く聞いた結果、彼の使う魔法の定義は何も分からなかった。
まあ、とりあえず、二次元で魔法と言ったら物理現象を越えた不思議な力と考えればいいだろう。
仮面ライダーウィザードの専門分野である。……おかしい、パッと出てきたたとえが二次元じゃない。まあ、大体一緒のはず。\チョーイイネ!サイコー!/
そう理解して思い返してみると、あのマカロンを出して踊らせているのは、セシルくんなんじゃないだろうか……。
これは結構核心だと名推理顔をした。
他にわざわざ魔法じゃ無いといけないことは特になかったので、マカロンとリンゴとエクレアについては魔法だと思っている。
天井を明けた時の騒音防止のような現代日本のコンプラについては、世界が違うで説明が付くし、会場の半径5キロ以内に建物などないのかも知れない。出来ても良いし、いろいろ考えたけどメンバー一人が舞台セットみたいな仕事をしているのはなんか嫌である。
それに、他の演出については、現実のアイドルコンサートで特に無理が無いのだ。振り仰いだときのセットの視界の映らなさのことも含めて天井が開いたこと位しか???となったことはない。とはいえ、セットに関してはスピーカータワーもその他音響のたぐいも視界に入っていないので、配信担当が都合のよいフォトショップみたいな透過機能を身に着けているだけだろう。
嘘だと思うならジャニーズのコンサートや、帝国劇場のジャニーズ舞台に入って見た方が良い。本当にあんなもんなのだ。
特に空中飛行に関しては前回のNoteでも執拗に書いたが、キンキ担としてはEndlessSHOCKで見慣れている。ワイヤー1本で安定した空中飛行はもちろん、両腕の力だけで空を飛ぶし、天井のセットの長さが届かなくても、二階席の手すり部分まで振り子の原理で根性で飛び移る。この記事を書く間にタッキーが事務所の副社長では無くなって、面白Twitterおじさんになっているが、まあ余談だ。
とはいえ、実際に彼が魔法使いであることを知ってから変わったことは、セシル君がコンサート中に使う『魔法』という言葉は嘘みたいに素敵なことという意味ではなく、もっと身近で彼の中でたしかに感じる素敵なもとなのだと思うということだ。「魔法」がとても大切なワードになる。
言い方が絶対おかしいけど、地元のソウルフード(好物)の専門店を都会で見つけたとかそんな感じの愛着や愛おしさに近いのではないだろうか。福岡出身のメンバーは絶対に感じないと思う(完全な偏見)が、そこは過ごした年月だ。
ぜったいにうまかっちゃんを買わない男の話とうまく繋げてしまわなくてよかったな……。
感想になるまでに8000字くらい消費している。前回よりも酷い。
おかしい。
感想本編
注意事項ばかりで恐縮だが、事前に断っておきたいのだけれど、私の記憶力は信用ならないし、これと言って深いエンタメや音楽に対する知識があるわけではない。あと自分が書いたことをよく覚えてないので同じことも違うことも書く。
専門的な話は何一つできないし、そもそも、細部を正しく覚えているタイプの物では無く、その時感じた物をフォーカスして自分の感情や解釈として記憶している。
レポを書く人間は、皆同じ事を言うと思うが「ニュアンスで書いている」し「雰囲気で察して欲しい」。
そもそも、ちゃんとした理解や解釈を求めるやつはこんな記事を読むんじゃない!!今、すでに察しがついていると思うが、このNoteは恐らく本編より読むのに時間がかかる。
スクロールバーみて正気にもどれ。時間を大切にしろ。
ここまでの時点での頭から全部読んだオタクの感想モノマネします!
「まって、感想にたどり着く前に昼休憩(洗濯、移動時間等)終わったwww」
※地雷持ちのみんなへ※
二度目の自己紹介だが、私は腐女子である。
かつ、この無限長文はシンメ厨に事前に与えられた「シンメ」という概念にかなりフォーカスを絞っているため、必要以上にクソデカ感情に思いを馳せる表現が大量に含まれている。
私に与えられたシンメ情報 一十木+一ノ瀬、聖川+神宮寺、四ノ宮+来栖に対する絆への憶測を飛ばすし、付け加えて前提としてST☆RISHは仲良しアイドルグループなので全員が全員に大好きの矢印が飛んでいるものとして書いている。
本Note内の記載に関して、全てのキャラクターの間に肉体関係を含む恋愛的な関係を持っていない前提で解釈し、打ち出しを行っている。
が、それぞれに熱いカップリング解釈を持っている同朋腐女子諸君にとって自カプ解釈の後押しになるか、地雷になるかについて、私は一切の責任を持てない。
私は自担を唯一無二、運命のふたりぼっちだと思っているが、二人がそれぞれが素敵な嫁を貰い、同時に結婚発表、各種報道の見出しのせいで世間に「え?この二人が結婚したの?」みたいになってほしいし、ステージで幸せ家族トーク(特に子供の話)など行ってほしいという、変なスタンスのアイドルオタクなので、私自身の発言に対して誰が何を警戒していいのか正直全く分からない。今、ダメージを受けた同担居たら、本当にごめん。
賢明な歴戦の腐女子諸君は、各自のポリシーに則った戦闘態勢・あるいは防御態勢・戦略的撤退などを行ってほしい。
ヒロインとのメンバーのお付き合いに関してはちょっとだけ言及があるのだけど、そこの強火の人も注意したほうが知れない。ちなみに私は誰とも付き合っていないと思っている。
更に付け加えれば、詳細な記載をするつもりは無いものの、カップリングのオタクの幻覚を私は見ている。こういうABオタいるんだろうな……とかは前提として脳に入ってくる情報であるし、イマジナリーABのオタク、イマジナリーBAのオタクを並行して飼っていたりもする。
最後に、本Noteから勝手に自カプの恋愛に関して思いを馳せ、「いやね、ここは実は付き合ってるんですわ……ミリしらでもわかります?にじみ出ちゃいましたね」と肯定的な肥料にする分にはフリー素材です。
よーし、覚悟は決まった?
それでは、ライブスタート!
マジLOVEスターリッシュツアーズ
オープニングの飛行機搭乗カット。まじで初回の感想書いているとき、これの記憶を失っていて2回目に見て映像増えたのかと思った。
流石に2回目以降はちゃんと覚えていた。
メインモニターに映った映像とセットの作りとして非常に王道。当初も思ったけど、多分松本潤(=MJ)の構想の中には過去にすでにあったネタだと思うし、彼らは普通にそこから降りてきてるので、本当に"在る"感じが非常に強い。
ST☆RISHの解像度以前に、そこまで嵐やMJの解像度が高い訳では無いが、そう感じる。MJスタツア見れたかな?宮田くんに言われて見に行ってないかな(???)一緒に見な?(なんで???)
ちなみにこの話は、別に既存をなぞってると言いたいのではなく、そこにあるリアリティの塩梅が完成されているという話だ。アニメだから何でもありのコンサートにするつもりがないのをこの時点で理解できる。(もちろん、アニメだから何でもありの勢いのある演出はそれはそれで最高である。アイドルではないがプリズムショーはいいぞ)
昨今二次アイドルは群雄割拠の時代だが、モデル、セットの作り込み予算の問題や、そもそも映像を前提にしているため、広い空間を意識した画面づくりが必要ないこと、また、何も知らない斜に構えた人類からの「アニメだからwww」という評価への忖度のために、意外とそのライブ映像は地味な印象がある。(プリズムスタァは原則アイドルではないため、キンプリのショーステージは除外して話を進めているが、オバレはアイドルなので私の中で「地味、ねえ……?」みたいなマウントを取り出すオタクが存在するがここでは除外させてほしい)
正直全然網羅していないので、そんなことはない!!というオタクがいたら本当に恐縮次第である妄言と捨て置いてほしい。
とはいえ、一旦スターツアーズを基準に考えてほしい。
ここが現実のジャニーズコンサートの標準ラインのぶっ飛び感なのだ。そう、ジャニーズってぶっ飛んでいる。およそ正常な人間がやろうとは思わないショーエンタテイメント、それがジャニーズ。私による強い偏見なので異論は認めるし、こうあるべきって話でもない。
私はこういうのが大好きって話だ。
また、誤解のないように言葉を重ねるが、現在の二次アイドルライブ映像にはそれにはそれの良さがある。そもそもでっかい劇場に人を詰め込んで行うライブではない。広い余白を気にして、可愛いアイドルの顔やダンスを映さないなんて本末転倒し、わざわざソーシャルディスタンスも驚きの数メートルの距離感で歌う必要もない。わざわざスタンドの遠いみんなと目線を合わせるために気球に乗らなくていいし、高所恐怖症の推しが高く登っていくステージの手すりをめっちゃ掴んでるのを見て、ハラハラする必要は端からないのだ。
推しが無理をしなくていい。
大切なことだ。ファンのために無理をしてくれる推しも尊いが、しなくていい無理はしないでいい。俺たちはモニターに映る最高の二次元アイドルをみたいだけだ。だから全部歌番組のライブセットみたいで贅沢な画面がかっこいいしかわいい。良い文化なので、このままそれぞれ進化を続けてほしい。
でっかいコンサートにすればいいわけじゃない。
それはそうなのだ。 2次元は3次元ではないし、3次元である必要もない。
2次元は3次元にできない表現の仕方がいくらでもできるし、3次元は2次元では持てない不確定要素を持つことができる。それぞれに良さがあると、それぞれのオタクをしているオタクは思うのだ。
そして、そんなことをわざわざ言及してまで、ここでいいたいのは、今回の映画でST☆RISHが作ったコンサートは、実在的な、臨場感のあるコンサートだと感じたということだ。回りくどくて申し訳ない。
私が長々と比較を出したのは、あえて非常に現実に寄ったコンサートを感じさせたというコンテンツとしての実在性への喝采とともに、そこにある情報量について、趣深く感じたからである。
それぞれのコンテンツにそれぞれの需要と熱意と表現方法があり、我々を熱狂させるわけだが、スターツアーズはそのなかで、実在性とリアリティの外枠を固めることで、描かれていないST☆RISHの「歩み」や「時間の重み」を想起させてくれるような気がするのだ。
たった六回の搭乗と、又聞きの僅かな作品知識しかない私が、彼らのデビューから12年、28歳前後になった重みを噛みしめることができるくらいに、作中の空間には我々の時空と近しい時間、熱、空気が有ったと感じている。況や共に歩いてきたファンをや。
さて、なんだか抽象的な話を無限にしてしまった。
一度目では噛み締められなかったが、モニターの映像に関して、それぞれのキャラクター性や関係性を表す搭乗までの映像もファンが見たいものだろう。ここでもやはり搭乗という導入や世界の作り込み、コンサートコンセプトを大切にした丁寧な構成が見られる。世界観の引きを大切にするコンサートだ。
そして、飛行機の運転席から降りてくる姿も個性があってメンバーのらしさってやつとコンサートが始まるワクワク感を膨らませてくれる。
この瞬間、たしかにこの飛行機に乗り込んだファンのワクワクを大切にした作りになっている。
ちなみにANAコラボとか前後にしてる??魚になった私?魚を食べた私?そのせいで遠征のオタクが皆ANAで移動しようとしたりした???
プラチナラウンジにあるポスター取るために物理搭乗しまくるオタクの幻覚が鮮明。
失礼、鮮明な幻覚がカット・インしてしまった。
また、5回目くらいでようやく歌詞を聞き取れたんだが(※脳の処理の問題)、コンサート、もしかしてめちゃくちゃ久しぶり???2年ぶりなの???君ら年1とかでコンサートしてないってこと???
長らくコンサートができていないグループにこんなん歌われたら最初からいきなり泣いてしまう。何だこの歌。
まあ、少なくとも曲作りのために構想とか色々やったと本人たちもMCで言っていたので、1年くらいはコンサートをやっていないのだろう。1年以上ぶりに始まる単独コンサートで、この日を迎える喜びにとユニゾンで歌われた瞬間に、イマジナリーうたプリの女の涙腺が決壊した。その女はこのコンサート中ずっと泣いてて記憶ないし終わったあと、翌日まで泣き過ぎによる頭痛で寝込んだ。こんな冒頭から泣かせに来るにしても限度がある。
何も知らないオタクが初回の勢いで浴びたときは、ST☆RISHのパブリック・イメージっぽい!プリンセスにダイレクトに愛とか一緒にみたいなのを伝える感じ!王道アイドルっぽい趣を大切にした一曲目!盛り上がるね!とか思っていた筈なのに、噛み締められるようになった瞬間に脳内で現場で嗚咽する女が登場した。誰だかしらねーが、アイスノンを差し出し、スポーツドリンクなど差し出してやりたい。映画館で言えば最初5回くらいは最後まで意識を保てなかったのではないだろうか?涙と感情が溢れて、嬉しいと幸せと大好きで呆然としている間に終わっていそうだ。ソロ曲で一旦落ち着いてもラストの一曲でまた何もかもが湧き出して記憶とか水分をすべて失う。イマジナリーマジヤバ情緒の箱推しオタクは一日一回以上見ると体力が持たないので友達の介添が必要だった。
しかも、アンコール映像が途中から追加されたと聞いたので、ようやくスタートアワーズあたりの曲を嗚咽なしの涙だけで聞けるようになったあたりでまた何もかも失ったのではないかと思う。だってあのアンコールを知ったあとにもう一度聞くのはもう一度はじめからぶん殴られるのと同じじゃない??まあ、そんな女は私の脳内に突然生まれただけなので存在しないんだけど。私はそんな架空の女に思いを馳せてしまう。2回目から軽く化粧落として入ったらしい。
まあ、そんなイマジナリーオタクの激情は良い。
でも、あんなコンサートの導入で「泣けるほど好きだよ」と歌った一十木音也の表情、本当にやばいなと思う。
歌詞の「泣けるほど」に対して表情はストレートにそのままなのだが、MCなんかや歌っていないときの彼から感じる元々の一十木音也のイメージって「もう泣けちゃいそうなくらい好き!」ってめちゃくちゃ笑顔で言うタイプなので、本当に彼が眉間に皺を寄せるような切ない表情をさせたこと、このコンサートの頭からいきなり彼の感情も最高潮になっていたような気がするし、そういう所が「久しぶりのコンサート」という感じがする。
後からオタクに聞いた話によると、我々の世界のオタクが彼らの単独コンサートを観測するのが今回が初めてということなので、そもそも単独コンサート自体が初めて、ないしめちゃくちゃ久しぶりなのかもしれない。
「視界を埋め尽くすすべての人が、全員もれなく彼らのファン」である状況に、その「泣けるほど好き」の表情が出たのだとしたら、イマジナリー音也担が全員胸を抑えて死んでしまった。ここが共同墓地であり、彼女らの涙で出来た湖である。
ちなみに、2回目以降、この曲で一番ビビらされたのは一ノ瀬トキヤだった。
この男のカメラ目線追尾性能、どうなってるのだろうか。誰か説明してくれ。嘘、しなくて良いです。見れば分かるので。
カメラに抜かれて踊っているところで視線をくれたあと、フェードアウトするまで視線が追いかけてくる。私は彼の高いプロ意識が怖すぎて、毎回椅子にめり込んでしまう。
いや、まって、コンサートなんだからお前はまず客席のファンを見るべきなのでは?と瞬間的にパニックを起こした。(2回目の搭乗)
私はキンキ担なので、カメラ目線というかファンに視線を向けるアイドルには慣れていないのだ(キンキ担からの異論は認める)
歌番組で完璧にカメラ目線を収める職能レベルの高いアイドルを見るたびに感心するくらいの経験はあるし、何度がゾッとしたことはあるのだが(アイドルファンとして夢的才能が致命的に欠如した女の姿であり、一般的アイドルファンとしては一般的ではない反応である認識はある)、コンサートでこれをやってくるのは本当に怖い。
だって目の前にファンがいるときのアイドルは割と目の前のファンにファンサを送ってるもんじゃない?
まあ、そもそも慣れた自担の視線は原則プロンプター(ステージに設置されている歌詞や歌割りが出るモニター)であるが、そこは横に置かせて、本当にごめん。
一ノ瀬氏の場合、おそらくカメラが自分を映していないときは客席をみていて、カメラが来たら圧倒的カメラ目線を発揮するのだろう。
これはおそらく、私の目には映っていない会場クソデカモニターには彼が映っている故だ。アリーナ席以外のファンも彼は見ているとわかるようにカメラを見るのだ。だから、皆さんの光、見えていますよ、のMCに繋がる。
おそらく彼の様子から見る限り、既に計算して作られている考えでは無く思考のルーティーンがこうなるように生きてきているんじゃないかと思う。怖すぎる。一から十までそういうやつなのだろう。だから、これが彼のコンサートへの気合の入れ方なのだとなんとなくはわかる。
本当に繰り返して申し訳ないが、2回目に入ったときに、もしかして一ノ瀬トキヤってこのコンサート中、曲の構成上カメラから視線を外すべきって判断した瞬間以外、全部カメラ見てくる??そういうフルスペック自動追尾機能搭載してるタイプ???ファンから逆に「カメラ目線でないトキヤ!!!」と重宝される男?????と震えたのだ。
しかし、彼のカメラ目線は、コンサートが進んでコンサートを楽しめるようになって、肩の力が抜けてきた頃からかなり一般的な範囲に落ち着いてきている。登場時の「自分」としての一ノ瀬トキヤとして、かなり気合を入れてステージを始めたということだろう。
他のメンバーもそれぞれ意気軒昂に力の入ったパフォーマンスだし、非常に楽しそうだ。コンサート冒頭の高揚と気合を感じる。カメラ目線もくれるが、やっぱり他のメンバーは、基本的には目の前の客席に視線が向かっているように思う。アリーナのファンなのか、それともスタンドのファンなのかはそれぞれだ。その辺の塩梅がキャラクター性なのだろう。もちろん、どっちが正解というのは、ない。それぞれがそれぞれなりの最高を、体現している。
ちなみにトキヤ・イチノセには畏怖したが、私は個人的にレンくんのカメラを見るんじゃなくて、カメラを自分に寄せるスタイルのこと、結構好きだ。不遜でいい。
言い募るが、一ノ瀬のプロ意識が嫌なわけではない。畏怖しているだけだ。畏怖は尊敬からくる。でも、まあ、ただ単純に恐いだけでもある。
だって一ノ瀬トキヤは、多分会場にあるすべてのカメラの位置を事前に把握していて、今オンになっているカメラのランプに気付いて驚異のカメラ目線を向けてる男である。コンサートだぞ?歌って踊って自分とメンバーの立ち位置把握して、こんだけサイリウムギンギラ光って大量のスポットライト浴びてる中で、カメラオンランプに反応するって何??いや、現実のアイドルでもこういうことやってるスーパーアイドルたちがいるわけだけど、見るたびにビビっちゃうし、畏怖っちゃう。
それのうえスタリファンには一ノ瀬ってそういうもんって思わせてるじゃん。歓声聞きゃわかる。いつものことなんでしょ?
もう、本当に彼のステージへの執着とプライドの高さにも慄く。ステージバカ一代というか、プライドとアイドルという概念への執着とうずたかい自意識に戦慄せずにはいられない。
どうしてこんなにアイドルやステージに執着するのかしらねーけど、こいつはエンタメと結婚してると思われてそう。スキャンダルとか絶対表に出さないと思うし、出した瞬間の炎上やばそう。跡部景吾が坊主になったときくらいやばそう。この男の結婚報道を祝福できないオタクかなりの数いるし、夢を見せた責任とか、裏切られたとか、2億%言われるのがわかるので、一ノ瀬トキヤの遺伝子は素直に子をなしても怨嗟が生まれそうだから精子バンクに登録していただいた方がいい。(ここで一ノ瀬に幸せな家庭を築かせたい派閥の女に刺し殺される)
いや、視線1つ(1つではない)で不用意な発言をしてイマジナリー過激派に数回刺されたんですけど、やる気の出し方がこうなるの、アイドルとしてそこそこ極まった類の変態だと思う。もちろん褒め言葉である。
覚悟と面構えの違うプロ意識が真っ直ぐにこちらを見据えてくる。
こう、一ノ瀬のオタクが彼のそういう努力と実績によって裏打ちされた理想に基づく、遥か高くそびえ立つ美しい気位を崇拝していそうだと思った。
イマジナリー一ノ瀬担が腕を組んで、うちのトキヤは凄いからね……と頷いている。畏怖。
とはいえ、それだけの理想の高さと積み重ねた努力の上にあるパフォーマンスだと思う。
一曲目の感想、初回はパブリックイメージ!とか気軽なことを言ってたのに方や情緒をぶち壊したイマジナリーオタクのクソデカ感情を思い、もう片方でMr.アイドルのパフォーマンスやステージに対する姿勢に畏怖するってなに??
いや、でも、本当にパブリックイメージなのは間違いないと思う。王道のいつものST☆RISHがそこにいて、大衆的な音色、ファンにストレートに向けた大好きの気持ち、音楽を楽しむ歌詞、ST☆RISHってそういうグループで、だから彼らが楽しそうに歌ってこちらに笑顔と歌を届けてくれるということに、泣けちゃうくらいにワクワクするのだ。
ファンからしたって「泣けるほど好き」なのだからしかたない。思いは一つだ。
まあ、この辺はおよそ私の幻覚のオタクの感情である。
MC
多分ここはちゃんとメインモニター使ってたなって見えた気がするところ。
最初に自己紹介のお決まりフレーズがある感じがするけど、コレって12年の年月でどう変わったんだろう。そんな時間を思ってしまう。多少アレンジはあれど、あの頃から大きく変わっていないのではないだろうか。だとすれば、それはなんだかとっても味わい深い。
ここでのやり取りも、彼らが積み重ねた12年がある。デビュー当時より素直に自分を仲間やファンに開示できる慣れ、というか気安さがあるような気がするのだ。こう、自己紹介フレーズ自体が本人に馴染んでいる感じだ。
ここでは、あのプライドエベレストなパフォーマンスをいきなりぶちかました一ノ瀬トキヤがお母さんみたいに音也くんを窘めている。流れるようにシンメの面倒をみるシンメ。頭の端に聞き慣れた相方正面の単語が浮かぶ。若い頃はこうやって一人前に出たり、場の進行を乱す彼が気に障ったらしい男もスッカリ角が取れて慈愛としか表現のできない声を出す。12年の重みである。ていうか、まじで、この男こうやって人格の形をやんわり変えられて、表現の幅を増やし柔軟にアイドルとしての魅力を増やしていそうなのである。ソロでアイドルをしている時空の一ノ瀬トキヤがいたらもっと鋭利なパフォーマーになっていたと思う。表情ももっとクールで怜悧なものが多かったのではなかろうか。
あと、挨拶も含めて聖川真斗の絶妙なワードセンスが気になる。なんか、下手な俳句とか川柳を趣味にしていそうだ。優美なというか大衆的に芸術性の高い才能はないが、どこかクセになるワードセンス。オタクが聖川語録かるたとか作っていそうだ。
ちなみに、私は前回の感想への反応で、彼がお料理とかお裁縫とか手編みのマフラーとかやってくれるキャラらしいと学んでいる。しかし、コンサート中の彼だけを見ると男らしい言葉や仕草が多い。音也くんやトキヤさんとのやり取りはクラスメイトの男友達といった感じのやんちゃなスキンシップが多いのもなんか男の子っぽい気がする。肩にポンとされたときの反応もなんか、学生っぽいのだ。実際全編通して色んな人が聖川に肩ポンをしていくし、聖川も一ノ瀬に、肩ポンをしていた。(サムライズムのあとあたりだったと思う)そういうコミュニケーションの多さが、彼とメンバーの距離感の気安さを感じて、男子っぽいのだ。一人称が俺だったりするし、見た目だけでいうとオタクにすぐ未亡人とか人妻にされそうだし、童貞を殺すセーターを着せられていそうだし、ニットを着た瞬間に点描トーンが貼られそうなビジュアルをしているが、男っぽいキャラだなと思わせてくれる感じがある。
ただ、私はオタク偏差値が高いので二次創作内の聖川真斗は絶対に割烹着きたお母さんパロみたいなのをやっている。最悪公式でも割烹着をきている。だし巻き卵が絶品エピソードも茶碗蒸しに大喜びする赤黄ピンクも見た。セシルくんは横でおにぎりを食べている。(セシルくんの好物がおにぎりというのは普通にオタクから聞いたから幻覚ではない)聖川はおにぎりをお弁当に詰めるとき俵型にするタイプだと思う。いなり寿司や茶巾も用意するかもしれない。でも、おにぎり単体で持たせるときは三角だ。一十木音也はおにぎりに具を3つ入れて欲張りおにぎりを作るし、四ノ宮那月はおにぎりにグミを入れる。何の話だ。ちなみに料理をするときの基本イメージは和装にたすき掛けで想像しているが本物は知らない。マイ柳刃包丁を持ってるし、気分を落ち着けるときに研いでいそうである。鉄フライパンも育てていそうだし、出汁を引くのが美味そうである。
話を戻すが、聖川の言葉遣いや格式張った声の出し方に堅物の感は否めないのだけれど、感性自体は抜けている部分が若干あるんじゃないだろうか。前も言った気がするが、電子マネーの使い方が分からず、Suicaの使い方が分からないタイプだと思う。心配性すぎなあなたが電車に乗せるのを嫌がるのはそもそも、世間慣れしてない彼が切符を改札に入れたあと出てくる切符を取らずに歩き出すタイプだからだ。PayPayの支払いスキャンでQRコードを読み取れと言われて、スキャンカメラを起動できず、スキャンしたあと金額を自分で入れることがよくわかっていないからだ。(そういうの全然得意だったらごめん)
堅物で世間知らずだった彼を柔らかくしたメンバーとの関係やこれまでの積み重ねがあるのだろう。いや、元々めっちゃ世間慣れしててPayPayクーポンを使いこなし、ポイ活に熱心な家庭の母タイプだったら申し訳ない。……いや、そんなやつ御曹司って呼ばれないだろ。まあ、もしかすると安くなるとしると面白がって運用にこだわるタイプかもしれない。そのへんの素質はありそうだ。
聖川ママ斗の話をしたかったんじゃないんだ……。MCでの音也くんとのスキンシップも仲の良さを感じるし、言葉の受け継ぎ方に生真面目さがしっかり残っている。那月くんの言葉を続けるときは最早言葉を奪ってるみたいだが、想いの熱さとかがそのまま出てしまう、熱血激情型タイプでもあるのかもしれない。と彼の男らしさの話がしたかったのだ。けして器用ではない日本男児っぽさだ。あと普通に他の人が話してるときにあいつ後ろで他のやつとわやわやコミュニケーションとってる。マイクに乗せろ。いや、流石に混線するからよくないけど、いや、でもすごいたのしそうにわやわやするじゃん、センステ最前のオタク聞き取れた?レポある???ってかんじである。なんかこう、聖川と四ノ宮のマイペースさを噛みしめる。いや、このグループがまずとっても仲良しなのだ。良いことである。
しかし、聖川に関しては良妻賢母感もオタクの反応から感じとっててしまった結果、最終的に一人で日本の古き良き両親みたいになっているのがおもろすぎる。私は彼をなんだと思っているのか。まあ、アイドルだと思っている。アイドルってそういうものだ。スーパーキュートかと思ったらウルトラセクシーなんてことは当たり前なのだ。彼が両立させてるんだから両立するのだ。
ちなみに、私はシンメのシンメエピソードに女なので、聖川さんの反対側に立ってる音也さんのシンメのへそがシンメにめっちゃ向いていることが気になっている。キンキ担はシンメのへその向きと足並みに敏感。なんだかこう、面倒を見る側と見られる側の互いの受容を見出すたびにイマジナリールレ担が頭を抱えている。キンキ担はわかるぞ、としたり顔だ。
全然関係ないが、ST☆RISHは全員ターン制でマイクを持つのが新鮮だなあとおもう。常時口元にベタ付けして会話してくれない。口元にベタ付けして会話するからくしゃみとか豚鼻になった笑い声とかちゃんと聞こえてお前ー!みたいなわちゃわちゃに趣があるので、いつかベタ付け文化になって欲しいものである。「お前プロなんだから喋るときはちゃんとマイク通せ!」ってマイク通して叱られる場面、私は好きなのだ。そもそも聖川が特にそうなんだけれど、随所でマイク通さないシーンがあるので、本当に通してほしい。読唇術を基本スキルにしてるとしても、モニター映らんシーン多すぎるやんけ。アリーナ席のレポ勢に何言ってたか聞こえていたら奇跡でレポートが聞けるかもしれない。
とはいえ、本当にST☆RISHは優等生なので、無駄な話が殆どない。仲良くわやわやしても話が脱線しない。偉い。それなのに話しすぎちゃったとかいうので、プリンセスのこととても大切に構成してくれているのだろう。ならなぜ基本ケツ向けスタイルなんだ……平等に顔が見えないなら平等にケツをみせて顔はモニターで見ろということだろうか。まあ、全員が向かい合ってるという構図は構図で非常にオタク向けなので間違ってはいない。おかしくない???のだ??????たぶん????
シンメの話に戻るが、客席とのコールアンドレスポンスのとき、ルレは目を合わせて頷く、御曹司は目を合わせてそのまますぐ、クラセシは目も合わせずに声を合わせるところにそれぞれの関係性を感じる。
ルレは非常にわかりやすくだだ漏れなシンメ、片方がフラフラ歩いてたら呼び寄せるし、先を歩いてたら名前を呼びながら駆け寄るみたいな関係性、コイツらは手をつなぐ。一ノ瀬の方は手を引いてるとか、引かれている思ってそうだが……。
御曹司は互いに歩調を緩めたり早めたりしてそれとなく等距離で歩くが、手を繋がない。でも、そこにそいつがいるのが自然だとどこかで思ってる。それが互いに取って刺激であり力になっている。なにかあるたびに彼らはすぐ導線が交差するのもその証だ。基本人との交流でスキンシップの多い男(される側でもする側でも)聖川真斗も、シンメとの距離感はやはり空気感に差異があるように見える。
クラ組は、自然だ。空気のように二人の関係がある。例えばなんだけど、ルレや御曹司は二人の他にもう一人誰かがいたときに、すべての距離感がちょっと変わるのだ。悪い意味ではなく、このメンツで一緒のときはこう、みたいな全員にとって程よい距離感がある。それはグループとしてとても大切なことなのだけど、クラはそれがない。常にシンメに対するスタンスも距離も同じなのだ。特別ベタベタしてるわけでも、つながりが希薄なわけでもない。実際、クラセシは視線のサイン無しで、ピッタリ声を揃えてコールをしている。互いに見ているものが同じであることを自然に信じられるみたいな、そんな距離が確かにある。そういう二人だけの特別が、決して他のメンバーといるときに異質なものにならずに溶け込んでいる。ここでセシルくんだけブレるわけではないところも含めて、確としたものがある。彼らは手をつなぎたければつなぐし、勝手にどちらかが走り出しても絶対歩いた先に知ってる相方がいることを疑ったりしないんだろう。
ちなみに、シンメの話ばかりするとセシルくんを蔑ろにしているみたいで、私もなんだかソワソワするので付け足すと、愛島セシルはその名前の通り、メンバー全員から愛されているのは言うまでもなく伝わってくる。全員が彼を構いたくて仕方がない。クラと音也、聖川はセシルに構いたくて仕方なそうで、そんななかよし四人を一ノ瀬、神宮寺が眺める様子は公園で可愛い天使たちを眺める親バカたちのようである。怪我しないように心配も忘れない感じが余計にそれっぽい。
Ok,Hello World!
見ればわかる。これで一十木音也に落ちた女がいる。ハロワ入りの音也担、間違いなく大量に出た。 (略し方間違えてたらごめん)
あまりにも誰にでもわかること過ぎて第一声になってしまった。
初めてみたときはギター演奏サイコー!って感じだったはずだが、複数回の搭乗でシンメの解像度や本人の解像度が上がったことで強さがましている。
聖川の演奏で聖川が衣装を着替えていないのに、ガッツリ着替えてきた音也くんの衣装と、なによりヘアメイクのクールさで数人落ちているが、やはりあのアダルトな雰囲気というか、クールな雰囲気や表情と普段の彼の表情が行き来する演奏はやばい。
そもそも、なんというか、アニメなのでそこまで意識することは少ないのだが、みんなが思って居るより一十木音也の顔がばちくそに良いと言うことが発見されそうな図なのだ。
三次元を推しているオタクは中にはピンとくるかも知れない。もともと滅茶苦茶顔は良かったのだけど、雰囲気とか本人の作る表情、特に表情がコロコロ変わるせいで人なつっこい印象や親しみやすさが先行していた人物が、真顔でデコ出して表情が綺麗に見えるようになった瞬間「あ、こいつ顔めっちゃ良い」と世間にばれてしまう、そんな瞬間が、ある。この一十木音也、まさにそんな感じの登場の衝撃なのだ。
もともと音也くんはかわいいとか、かっこいいと、かかわっこいいとか、顔が良いとか言いたいオタクは無限に要ると思うが、「世間に良さがバレてしまう」。いままで良さを見逃していた人たちに「見つかってしまう」そんな瞬間があそこになったように感じる。
これが一十木音也のパブリックイメージを良い意味で破壊する一つの衝撃だった。
しかし、あまりの良さに、おそらく音也担の7割位が心停止している筈なのに、会場のペンラは乱れもなくスタンドでジャンプもしてそうだしレスポンスもしている。すごい。うたプリ世界のオタクはハートと根性がすごいのだろう。
しかし、おそらく、映画館で見た音也担は心臓が止まったはずだ。死因がオッケーハローワールドだとしたら、オッケーハロー新たな性癖である。ハッピーバースデー、ハッピーハローワールド。おめでとう。脳内でイマジナリーオタクに向かってゆっくりした祝福のスタオベをキメてしまった。
実際死んだらしいオタクの様子は最近知ったので、彼女らの死の瞬間は想像に易すぎる。
あと、多分、一十木音也ってなんかベタなアイドルでしょ?みたいに世間に言われたとき、このステージを見ろ!そんな甘い事は行っていられねえからなと内心でこぶしを握り締める様になる女が生まれてしまっている。ただ、それによってそういうことを安易に口に出す心のない人類に一十木の良さを晒す羽目になるので、あまり見せたりしないと思う。でも相手が友達だった胸倉掴んでこれ見て同じこと言えんのか!!!!というのかもしれない。
そうでなくとも、今まで音也推しではなかったにも関わらず、ここで落ちた女も恐らくいる。なんなら、友達に誘われてなんとなくST☆RISHは知ってるくらいできたライトオタクがこれで撃ち抜かれて、こういう一十木音也を求めてうめいている可能性がある。どうして過去の映像振り返ってもこれの片鱗を見られないんだろうな。頑張れ、新規一十木音也のオタク。
オタクの悲喜こもごもがすごい速度で脳内にぶち込まれる。セクシー、キュート、クール、ワイルドがいい塩梅でそれぞれに押し寄せてくる。
おそらく、良くも悪くも若い頃の一十木音也というのは一面的なアイドルだ。明るい太陽みたいで、夏の青空みたいな男だ。光が強くて、何ならちょっと暑苦しいくらいの鬱陶しさがある存在だと思うのだ。
しかし、この音也は翳りがある。これは本人の中に影や闇が生まれたといいたいわけではない。ここにあるのは深みだ。よく晴れた青空から突然夕立が来て、しかし、降り終わったあとに虹がかかったときのような、そんな風情がある。
これはST☆RISHとして活動してきた一十木音也が、メンバーとともに音楽をすることで吸収してきた表現の幅であるかのように感じる。
眉をひそめ、切なげな表情、古くて小さなライブハウスにいそうなコテコテのライブ衣装、突然の雨、10代の少年では表現できなかった幅を12年後の彼が魅せてくれている。こんなん好きになるに決まっているし、強くて純粋な光だからこそ、堕ちたわけでも穢れたわけでもない切なさや色っぽさがある。強い光に焼けた埃の様な、独特の情緒ある香りが漂うような、伝わるだろうか。まあ、伝わらずとも見た人は知っている。
彼という色の中に今までにない複数の色が綯い交ぜになって、それでも変わりなく彼の色彩を放っているあのステージがすべてだ。
マジでガチ恋が増えていそうである。
こういう表現の引き出しはおそらくはシンメの一ノ瀬や、暖色コンビで仲良しの神宮寺だろう。彼らの持つ魅力的な影がうまく彼に影響を与えていると思う。こうしたらいいと教えたわけではなく、こうやっている彼らが格好良いから学んでいったんじゃないかと思うのだ。尊敬する相手や認めている相手、大切にしている相手の良い所がパフォーマンスに影響を与えるのは自明である。
視線の流し方や、引きによる視線誘導、パフォーマンスに対する感情の持っていき方、この魅力を彼の根源であるギターに合わせることができたこと。これは一十木音也の表現として、革新だったのではないかと、素人は勝手位に思っている。
勿論アイドルとして、彼自身がこのステージを楽しんでいることに間違いはないのだろうが、アーティストとして彼が音楽を楽しんでいることも伝わってくる。十年という年月が、アイドル一十木音也を一面的で厚みのない『アイドル』から、深みと多面性を持った『アイドル』に成長させている、その一つの集大成を見せられている。
全体的に赤くてややライティングの暗い場面で見せたアンニュイでアーティスティックな表情も、強いライトを受けた途端に、私たちの知っている一十木音也がそのまま成長したような力強い光に変わる。一十木音也が見せるこの力強さは愛らしさや親しみやすさと同居し、彼の魅力をそのまま表したような表情であると思うのだが、曲の盛り上がりも相まって、見る側は鳥肌が立つ。
前回のnoteだか感想でも書いたことだし、何度でもいうが、あの女帝七海春歌にとって、これはきっと昔からある、いつか彼にこんなステージをさせたいと描いた理想の一つに違いない。本当に何よりもストレートに力のあるステージングだ。
ソロのトップバッターとしてこれ以上ない心の掴み方だった。
Ready to be a Lady
ストレートなセクシーアンドビューティ。
これは一十木とは正反対に、アイドル神宮寺レンのイメージに沿ったステージである。
しかし、バックについてくれた来栖翔を見ても感じるのだが、これはきつい構造のステージだと思う。シンプルにめちゃくちゃ体力と運動能力が必要だ。エンディングの砂浜ダッシュで、素人目にもわかるのだが、神宮寺レン、たぶんグループの中でも体力がない方だと思う。別に運動神経の話はしていないが、体力というのは積み重ねである。
あのダンス、歌を優美に魅せ、余裕を感じさせた上でステージを終えるには言うまでもなく、かなりの自力が必要なダンスだ。隣で踊るのが来栖翔一人となるとそこに負けずにかっこよく踊り切ることのしんどさは想像に易い。(※私は来栖翔をダンスモンスターだと思っている。知らないけどデビュー前からダンス大会優勝経験とかそういう栄光を持ってるんじゃないか?ってくらい踊れると思っている)
テンポも早く魅せ場は格好良く決めなければいけない。疲れた顔など見せてはいけないし、ダンスその物に必死さを感じさせては台無しになる。なにより、そんなのは神宮寺レンのプライドとしても見せられないに違いない。まさに白鳥のようなステージだ。
当初今井翼の姿が頭をよぎっていたが、改めてその国に行ったところとかもまさにそれじゃん……と今更思う。
ダンスについても、パフォーマンスについても、ついでに今井翼についても門外漢による勝手な偏見のまま話をさっくさく進めていくのだが、まあ雰囲気で適当に納得するくらいでいい。
フラメンコの様なラテン系の踊りは体力勝負だとダンス漫画とかでもよく見るし、そういうのではやはり表情が大切だとよく見る。なにより、いまステージに立っているのはアイドル·神宮寺レンである。
ただ踊るではなく格好良く踊る必要があり、神宮寺レンという男はこういうステージでは、余裕を持って踊らなければならない。このダンスが優美であるべきというダンスのクオリティとか価値の問題ではない。キャラクターによっては、そこで必死さを出すことで魅力が立つキャラクター立っている。個人的な偏見では佐藤勝利とかその類だ。ただ、まあ、ST☆RISHだとちょっといないと思う。
とにかく神宮寺レンはこのステージパフォーマンスにおいて、ストレートにレベルの高いものをお出しすることこそ最も格好良く、魅力が立つアイドルなのだ。
ここまでの文章全てが私の偏見で成り立っているのは、何度でも言うことのだが、私は神宮寺レンという男は根本的にかっこつけだと思っている。
彼自身は、そもそも非常に敏い少年だったのではないだろうか。
アイドルという職を目指す少年において珍しくない(と私が思っている)のだが、彼らは意外と冷静に周囲という物を見ている。アイドルなんかを目指す少年という意味でも、金持ちのボンボンという意味でも、それなりのステージに行ける者は他者の視線に敏感な人間が多いと思う。
それは周囲が彼に「なにを期待しているのか」を冷静に見ているという意味だ。
そもそもアイドルというのは「偶像」であり、「崇拝されるもの」なのだ。これは言葉の意味の話であるが、根源的に人類が偶像を作るのは常に自分勝手な願いのためだ。自らには及びもつかない何かが自分のかわりに望みを叶えてほしくて、望みを託して偶像に縋る。そういう存在だ。
そうでなくとも、誰しもどこかしらで「この人はこうであってほしい」と期待し夢を見る。
例えば、「神宮寺レン」は「セクシー」で「女性をお姫様みたいに扱う色男」で「いい匂い」がして「余裕のある物腰」で、「泥臭い努力はしなくとも華やかなパフォーマンスをする」男である。と思われているということを、彼は知っているのだ。そして、そうあるように作ってきた。自らが本来持っている魅力と、こう見られたいという希望をうまくすり合わせてセルフプロデュースした形だと思う。
そう思われるように、そういう格好いい自分を作ってきた格好つけであるのだと私は言いたい。
アイドルレベルで他者から夢を見られるということは、そもそも魅力がなければ始まらないのだが、他人に何か期待されているとき、期待に応えたいと思う人間は少なくはないし、期待を重荷に感じる人間もたくさんいる。何より期待に潰される人間も沢山いるのだ。
神宮寺レンは、相手に夢も見られるだけの魅力があり、そして周囲の期待に応えるだけの能力と、応えたいと思えるだけのプライドがある。
同時に、どこまでやっておけば相手が満足するかという塩梅を見極められる器用さと狡さがある。すごい才能だと思う。
だが、これは同時に、彼がその要領の良さと、敏さゆえに、努力しても辿り着かない境地があること、や、ひたむきに自らの内側にあるものを見せて鍛えていくこと、自分の限界を知ることに対して、及び腰であるように感じているということでもある。
敏くて、器用で、魅力あふれる男故の臆病さだと私は思っている。
努力してうまくいかなかったら格好悪い。この世にはトップの存在があって、それにはどんなに努力しても敵わないということを突き付けられるのは嫌だ。分かっていても、改めて自らのプライドを壊すようなことはしなくない。越えられない限界を突き付けられたくない。なにより、期待している周囲に「飽きられたくない」し、失望されることを恐れてもいる。
だから、分を弁えているような顔で斜に構える。そういう逃げの姿勢が彼の根底にある気がするのだ。これは、彼の体力のなさのようなところから感じている部分である。
ただ、今回の彼はそこから一皮むけようというパフォーマンスをしているのではないか、と思うのだ。
神宮寺レンは、グループで歌うときなども自分の格好良さを知っているし、余裕のあるキャラであるように見せている。だから、彼が黙ってカメラを見つめればカメラは寄るし、オタクは静まり、キスを投げれば悲鳴が上がる。
非常に人の心理を掴むのがうまい。
これは、一種の嗅覚であると思うのだが、全員が正しくダンスを踊っていた際に、一人個性のある動きをすると目立つ。それが「正しくない」ダンスだとしても目立つし、目を引く。失敗したら目につく、成功すれば目を引く。物理的なダンスの良し悪しの話ではない。視線を集めたときに好印象に誘導するかどうかの話なのだが、神宮寺はそういう誘導で成功するタイプなのだ。
勿論、俺が俺がとそれをやるとグループで嫌われるのだが、そのあたりの塩梅が、まず上手い。これは周囲が見えているからだろう。
本当に上手く抜ける男なのだ。本来、神宮寺レンという男は。
でも、このダンスは、自分と来栖翔しかいない。来栖翔もバック用に完全にスタイルを地味なものに変えてきているが、ダンスの手を抜くわけではない。むしろ普通に格好つけてきている。二人ということは、群からずらすのではなく個と個である。
単純に抜くというのは来栖が目立つことにつながる。
つまり、この恐らく難しいダンスをやり抜いたうえで、魅力も見せ付けなければいけない。根性の要る構成になっているのだ。
修行編か?と思う。
それを彼自身が選択したとすればこれはやはり覚悟の居ることだし、選択したとして、まじで本気で格好良くやり切らなければこの演出が成り立たないように構築した女帝七海女史には頭が上がらない。覇を唱える彼女に頭をたれるのが道理だろう。
厳しさと、何より彼に対する信頼と期待と信用がすべて伝わってくる。どんな胆力をしているんだ。
それに応える神宮寺自身の覚悟もはっきりと伝わってくる。
いや、ここまで訳知り顔で語ってきたが、実は彼がめっちゃダンス好きなダンス少年だったら笑ってしまう。私はスタツアしか知らないのでその可能性が十分ある。実は影でめちゃくちゃ努力をして、見えないところで誰よりも練習しているプライド高めマンである可能性も否定はできない。
一応言い募るが、彼のことを練習しないでソコソコでやっているなんてことは思っていない。
一ノ瀬トキヤがフリを覚えたあと、全員の振り入れが出来るように引いて見ながら時折振り入れが終わっていないメンバーにアドバイスをし、その後一人で16時間位ぶっ続けで練習して、全体のポジションと当日のカメラの配置とメンバーの動きを想定して、ステージに備えていそうだとしたら、神宮寺は自分の振り入れが終わったところで一旦見学に周り、時折気になったところでもう一度フリを合わせたり、振付師や演出の七海女史とパフォーマンスに関する相談をしてフリの調整をしている程度のレッスンはちゃんとやり、家に帰ったら普通に飯食って翌日の予定なり仕事なりを確認して風呂入って寝てると思ってるだけだ。だいぶ真面目なイメージ持ってるな。多分若い頃はフリ入れたら帰ってるか仲良し茶化してちゃちゃ入れてるだけの可能性も全然ある。とはいえ、そもそもフリ入れそんなに早くなさそう。
ダンスの才能という意味では、表現のセンスはあるけど、グルーブで踊るのではなく、決められた振りを決められたとおりに行うとなったときに、苦戦する振りがいくつがある感じのイメージだ。センスで動くから決められたことができない、的な部分である。そもそも器用そうではあるから、早いときはめっちゃ早いかもしれない。まあ、このグループ振り入れ終っても踊ってそうなやつが多いので、一人とかにはあまりならなそうだ。まあ、時代や時期によってはパーティーなどに出ていたり浮名を馳せている可能性もある。というかキャラクター的に朝風呂っぽいな。まあ、その辺は横においてほしい。
しかし、本当にこれで彼が勤勉タイプだったりダンスの才能はピカ一!走るのは苦手だが、めっちゃ体力あるぜ!キャラだった場合、これは百円です!と10万円のネクタイを指さすようなことになる。
まあ、大丈夫だろう。
とはいえ、才能とセンスと努力の分配におけるマネージメントをうまいことやってきた神宮寺は、正面から自身を変革させてステップを上がっていくメンバーたちのことをどこか眩しく見ていたのではないか、というのが、私の中のちょっとした仮説なのだ。
一十木音也なんかは、レンはかっこいいよねと真っ直ぐな瞳と迷いのない声色で伝えてくれそうだし、クラセシは彼の個性をそれとして完成しているものとして受け入れていそうだし、一ノ瀬もスタイルが決まっているということは調和が取れているという意味でもあるので、基本は何もいわなそうだ。来栖なんかは大人の色気を羨ましがってるから余裕ある感じがいいよなとか言いそうである。ダンス一つにつけても、単純にできていない箇所があるなら指摘するだろうが、出来ているなら褒め合う非常に真っ当なグループだ。
でも、何となく、本当にこれはわたしのシンメ厨としての希望も盛大に入っているのだが、聖川真斗だけは、神宮寺レンのことをもっと大きく見ていそうなのだ。彼が神宮寺に向ける「こうあってほしい」は、今なお、一番まっすぐに神宮寺に期待していて、彼の視線誘導なんてものともしない真っ直ぐさで、できると信じてくれていそうなのだ。昔は否定した神宮寺のことを今は受け入れて、理解しても今の神宮寺に満足はしてくれない。
だから、神宮寺の背中を押せてしまうそんな厳しい友情が二人の中にあるんじゃないかと期待してしまう。
そして、そんな男の信頼に神宮寺の中に存在していた憧憬も後をおして、ついには自意識による羞恥心さえも陥落し、真っ向から限界に向き合ったステージがあれだったのではないだろうか。
神宮寺らしさに真っ向からぶつかりながらも、非常に泥臭いステージ。改めて最後に映る彼の汗と息切れの美しさたるや世界の至宝の類だ。
仕事人である女帝七海春歌も、ライバルでシンメである聖川真斗も誇らしい顔でそのステージを眺めていそうだ。ここで、聖川がステージ上にいないところも改めて彼らの距離感を思わせる。
神宮寺レンという男は、自分が見せたい範囲と相手が見たいものをうまく計算してお出ししてくるので、それ以上を曝け出すのも素直に相手の言う事を聞いたことや、相手をリスペクトしていることを開示することが苦手なプライド高めのかっこつけなのだ。内弁慶の反対だ(?)
一番近くにいるやつとか一番わかってくれてしまうやつに見られるのは照れくさいし恥ずかしいのだ。
まあ、ここまで全部幻覚である。知らん。そうだったら熱いよね。
あと、これだけ激しいフリのダンスで前をこんなに開けているとなると、彼のシャツは間違いなく股ゴムになっているはずだ。キンキ担のせいで彼の股間がギューン!!!となっていないか心配してしまうが、あの尻のラインに股ゴムが通っていると思うと白いパンツを趣深く眺めてしまう。多分普段から股ゴムよく使ってると思うとそれはそれでニッコリしてしまうよね。
トリッドラヴ
ぽやぽやフィジカルモンスターエッチな王様アラカルト。
普段の話し方とかオタクの反応からしてセシルくんは可愛いキャラだと思うし、なんかこう、ぽやっとした子で間違いないと思うのだけど、彼のパフォーマンスは王道にレベルが高いように見えている。なんとなくだが、基礎値が高いのだ。
ファンサにしてもフリにしても王道。おそらく10年以上日本(?)で活動いただいているようだが、日本語は丁寧というか、一つ一つ言葉を常に選んで話している。日々語彙を増やしているのだろうし、彼自身がその辺をもどかしく思わない無垢な性格なのかもしれない。そんなかんじを一から十までうけるので、グループメンバーも彼を構いたくて仕方がないみたいな、そんな感じだ。
王族としての傲慢さは彼からあまり感じることのできない要素である。
と、同時に生まれが高貴なものゆえの嫌味のない不遜さが、ここでは感じられる。
そもそも論だが、この玉座に寝そべる優美な褐色の王族愛島セシルという構図に性癖が爆発して死んだオタクは想像に易い。王道でオタクを殺すシンプルな処刑台みたいなもんだ。イマジナリー愛島セシル担は彼の地元へのふるさと納税の仕方を探すと無限によくわからないインターネットの画面をクリックしていた。先にお礼品が届いたそうだ。振込先を探している。私の知っているふるさと納税となにかが違う気がするけれど、オタクってそういうものなので私は国が違うと納税ってできなくない?と心無い声がけをしておいた。
私の声など完全にスルーして、年貢におにぎりをたくさん食えるようにと、米農家になりかねない勢いで彼女は何かを検索し続けている。これについては別に今日に限った奇行ではないと思う。まあ、この記事に出てくるすべてのオタクは、わたしがうたプリのことをかんがえると脳内に出現する概念としての存在でしかないのだけれど。
改めて優しい歌声とダンスの話をしよう。セットの使い方があまりにセクシーで、また何人が死んでしまったが、キュートさは死なない。
床だったり、いろんなものをなぞるときの手付きがセクシーすぎる。音也、レン、セシルと、セクシー!セクシー!セクシー!で殴ってくる。ビューティー!!ビューティー!!!!ビューティー!!!!でも殴られているので、オタクの心臓はボコボコだ。救心飲む???
改めて、元気に歌の合いの手とか入れて、一糸乱れぬペンラ振りをしている現場のオタクは訓練され過ぎではなかろうか?情緒が死んでも。体と声帯はオートで動くようになっているのか。まあ、7人いるので支え合い、助け合い、共に応援しているのだと思う。各担当ごとに。
いくら何でも自担が出てくるごとに、全て最高でぶん殴られて平気なわけがない。心臓がオリハルコンだとしても、納得がいかない。腕とペンラとC&R用の声だけが外付けフルオートになっていなかったら不可能だ。
いや、だってこの愛島セシル見えてる?
▷息を飲む
▷失神する
▷拝む
▷放心する
選択肢これくらいしかなくない?合いの手入れてる余裕ある??たぶん映画館のセシル担で慣れてないやつはペンラを緑に変えるところまでで絶命してると思うよ?二桁回見る様になってようやく振れたんじゃない?ちょっと我々と同じ地球に居るオタクが脆弱すぎるのかもしれない。こちらの鍛錬不足だとしたら、先方のオタクには酷い言いがかりである。
しかし、このセクシーアラビアン衣装ときたら、今までで最も露出が高い彼の衣装だ。あの、褐色に直接冷たい金属が触れていることもさることながら、その金属に彼の体温が移っているなんてことを考えてしまうに決まっている。あのアクセサリーは国宝か聖物にするしかない。ダメだ、脳内のセシル担のオタクが、また死んでしまった。
こういう露出が多いというか、肌に直接触れる分厚い布系の衣装は現実でもたまに見る。激しく踊っていると落ちてしまう類なので、透明な紐とかで前が止まっていたり、あの衣装のデザイン的には首飾りみたいな形のバンドをつけるのが一番ありそうな作りだと思う。個人的にはそうやって上着を止めている補助器具が割と好きなデザインとして性癖を押してくることが多いのだが、彼のネックレスはちゃんと首からかかっているように見えるんだよな。とすると上着その物の構造がかなり特殊な素材と作りになっているのではないだろうか。
あの上着が落ちないようにとか、乳首が見えないように完全ガードされている服の縫製や設計が気になってしまう。
やはり王族の乳首なんて高貴なものを下々が安易に目に入れていいはずがない。多くのオタクが防振双眼鏡(10万円前後)で必死に覗き込んだはずだが、ガードされていたことだろう。
また、魔法の国の王族とのことだが、胸元にある入れ墨はおそらく下に肌着を着てない証拠ではないかと考察するわけだ。そもそも、あの入れ墨(?)ってファンは見たことあるものなのだろうか。
あ、アニメやゲームで私生活を垣間見ているこちら側のオタクは、知っているんじゃないか?と思っている。なんか意味ありげなデザインだったし、原作乙女ゲーならやっぱちょっとセクシーなスチルもあるだろうな~とおもうので。こう、なんか突然雨に降られて一緒に濡れた彼が、おもむろにシャツを脱ぐとか、無邪気な彼と水遊びをしたら彼が上着を脱いで入れ墨が見えるとか、そういうやつだ。乙女ゲーには詳しくないが、各種漫画にはそれなりの造詣がある。特に二次創作界隈に詳しい私としては、少なくとも二次創作では絶対に口づけを落とされるタイプの入れ墨だとおもう。
彼への誓いをこめて、あの入れ墨に口づけするやつは、n番煎じですが…とかオタクが言い出すやつだろう。
セシル君の胸元に触れるなんて許されるわけないでしょう!とモンペ国家が大暴れするパタリロみたいなテンポの作風じゃない限り、やっているはずだ。彼の入れ墨に触れた瞬間に、シュバババと湧き出てくるタマネギ部隊みたいな親衛隊めっちゃおもしろい。本人は気にしてないのに、周囲がめちゃくちゃ騒ぎ立てる奴だ。原作では流石にそういうんじゃないと思うが、そういう同人誌は過去に10冊は出ていると見た。
ただ、入れ墨について、アニメで出てきてるかは微妙かもしれない。そもそもアニメうた☆プリってどれくらいヒロインと恋愛するんだろうか。私はアイドルの彼らのことはめっちゃ気になるので、スタツアや友人との会話の端から得られるエッセンスを拾い上げて克明な幻覚を眺めてきた。だから、なんだか何もかも知ったような気持ちでここまで書いているのだけれど、本当に原作、というか、本筋を何も知らないのだ。
乙女ゲーム原作の彼らのことを、そもそも気にしていない。アイドルとして生きている彼らの生きざまだけを勝手に夢想している。彼があの女帝とどんな甘酸っぱいLOVEを繰り広げ、もどかしい思いをするのか、何も知らないし、正直全然想像がついていない。私の脳内にぼや~っと展開されているイマジナリーうたの☆プリンスさまっ♪(アニメ)はアイドルになるまでの熱血仕事人によるスターの卵発見記録~才能の発掘、開花ストーリーだと勘違いしている気配さえある。だから、ヒロインといい雰囲気に全然なっていない。
最初の内は乙女ゲーだし、ヒロインを女の子だと思って話が進んでいたはずが、後半になると頼りになる名コーチになってしまう。いや、ぶっちゃけ普通にどんなストーリーか、1個も想像ついていない。多分なんか個性あふれるイケメンがそれぞれ独自のアイドルやってたはずが、成長のためみたいな感じでグループ組むことになって、なんやかんやマジラブ1000%でデビュー!みたいな感じなんじゃない?くらいだ。
あの、なんかパッケージ?とかdアニの表紙は見たことあるので、制服?とかあった?気がするので、学園物かな?と思っている。アイドルデビューもさせているので代アニみたいな専門育成学校?の生徒から始まるのかな?見たいな…プリリズのエーデルローズみたいな感じで、学校も提携してて~みたいなやつかな?と他ジャンルの設定をなんかうまくミックスさせてぽやぽやさせたみたいな認識だ。
さっきまでさんざん断定口調で書いてきたのに突然すごい?ぶりである。
だってあのエンディングの頼もしい表情をみてしまうと、もう、彼女と恋愛しているようには見えなくない?あの七海女史がアイドルに手を出すとか、私はとても信じられないのだが……。まあ、でも彼女も乙女ゲーヒロインなわけだし、付き合ったりとかそういう甘い気持ちも有るかもしれない。彼女のエネルギーと能力を考えると、その気持ちが恋人一人に行くより、アイドルグループに行った方が健全だと思うし、この中の一人と付き合って、最後にゴールインしながら全員の面倒を見るくらいの度量を彼女なら持ち合わせているかもしれない。まあ、乙女ゲーの最強無敵系ヒロインだというのはなんとなく感じるので、全員抱いてるのかもしれない。
いやだよ、そんな大奥みたいなアイドルグループ。
まあ、二次元オタクの私はそれはそれとしてアリだと思うのだが、そんな奴らのライブになると、流石に引いてしまう。実際はどうであれ、何も知らずに見ていたい……。ってなってしまう。もしそうなら俺は一生うた☆プリを履修しないでコンサートだけを見たいところだ。あと、本当に彼らがグループ内で痴情のもつれをするのすごく嫌である。それをプロデューサーがやらかしてるとしたらキレてしまう。
いや、このコンサートを作ってくれた俺の知ってる七海春歌はそんなことしないが!!!!????(ガンギレ)
勝手に考えて勝手にキレるんじゃない。
そのへんはまあ、本編見たらなんか思う所があると思う。
メタな話をすると、これが人気乙女ゲームのアニメ化な時点で、アニメ本編では恋愛色はかなり薄まっているんじゃないかというのが率直なイメージだ。だって、こんなアイドルツアーコンテンツに発展させる程度の塩梅をうまく乗りこなしている作品である。主人公との恋愛色を強くすると怨念が大変なことになってしまう。ヘイトコントロールは作品展開の基本であり、制作側だってかなり気を使ったに違いない。ゲームをプレイしているときの主人公と、勝手に動き出す「七海春歌」を別物ととらえて浮気されたと感じる夢女だって絶対に居るのだ。そういう厄介オタクが含まれるのが明らかな市場で生活し、成功しているコンテンツなのだから、その辺はかなりうまい事やっているはずだ。ペア制度といい、間違いなく腐層だってターゲットに入っている。そういう世界におけるヒロインってかなり取り扱い注意だ。私でもわかる。だから上手く扱っているに違いない。
とはいえ私は、彼女と彼らが会話しているところを一度も見たことがないので、その辺の男女の接触については何もわからない。
私にわかるのは、七海春歌女史はST☆RISHの全員を平等に最高のアイドルとして愛しており、このグループを世界で最も素敵な宝物だと思っているということだ。彼女は彼らに対して深くて強い愛を抱き、彼らの魅力への信頼を持ち、そして圧倒的な才能と、絶対的な実力、そしてアイドル達への深い理解を武器にこのステージを作った仕事人だ。オタクは喜んで彼女のATMになって来たのだろう。なら、私生活のことは私が口を出すところではない。
いや、本編一生履修しないつもりでいるわけじゃないんですけどね…!?
さて、本当に派手に話題がそれたが、入れ墨をオタクが知っていたかという話である。
実際どうなの?キンプリ(プリズムの方)は死ぬ程服を脱ぐが、うたぷくんはそんなことは無いイメージではあるんですけど、上半身くらいは脱いでくれそうというのが、今のところの私のイメージだ。
とりあえず、あちら側のオタク、これが初見だとしたら死んでしまう。いや、大丈夫、アイドルとは露出するものなので、あ~~だめだ~~王族ストップの可能性ある~~~!!と脳内で先方のオタクの心情を慮ったら頭を抱えている。いや、どっちだろう。デビューのころは有ったけど最近は見なかったのを久々に見せられた新規殺しの可能性が一番高いと踏んでいる。私はそこにベットしようかな(???)
しかし、やはり改めて彼の乳首が心配だ。擦れたりしないだろうか。ニップレスはつけているのだろうか。いよいよセクハラで国家警察に捕まりそうな気配がしてきた。
ちなみに、あの入れ墨に気付いて真っ先に思ったのは、もしかすると彼は日本国内で銭湯や温泉に入れないのかという不安だった。きっとこの世界の日本なら大丈夫だと思いたい。こちら側の話をすると、大江戸温泉物語コラボは大丈夫だろうか(?????)
みんなで仲良く風呂上がりの瓶牛乳を飲んでひげを作って欲しい。半数以上が銭湯未経験だろうが、番組企画で行ったあとに気に入ってメンバー連れて行ったりしている。私は視た。
また話がそれた。バックで出てきたルレの話もしたい。なんか楽しそうに出てきてウインクしてくれる音也くんはずっとかわいい、さっきのソロを知ったあとに見る一十木音也なのだと思うと、脳内のイマジナリー音也担が心臓を掴んで死んでしまった。新しい音也君も最高だがいつもの音也君も本当に最高なのだ。両方知っているからこそ、鮮明に死んでしまう。同時にその後カメラに気づいているのにアイドル顔を作りきれていないスンとした顔の一ノ瀬にイマジナリートキヤ担も死んでしまった。レアだったらしい。
脳内に屍が山となっているが、やはり改めてそのダンスの質の高さが恐ろしい。バネといい、体幹といい、セシルくんのフィジカルの強さが浮かび上がってくる。それを優美に見せているところも、汗一つ見えないところも全て高貴な輝きを受け入れる他ない。あの衣装で汗かくのスケベすぎるもんな…。いや、現場に居たら汗も見えていただろう。この辺りは配信の動画の解像度と画面処理の問題である。
曲が可愛らしく優しい歌声で響くところも含めて、天女のようだとイマジナリーセシル担が息を呑む。酩酊した様子なので、酒も飲んでるかもしれない。多分セシル君の魅力で酔っているだけだが。
空を飛ぶ直前のフリやカメラワークも完全にワイヤーつけてるときの振りと間であるが、その感じの実家の様な安心感といったらない。まあ、別に帝国劇場は実家ではないのだが……。
それにしても、何度見ても美しいフライングだ。やはり、スモークとレーザーによって作られた光の絨毯を滑ってほしい。あのポジションキープの力を見ると、このステージ上空は彼の物であるとしか言いようがない。もっといろんな幅のある演出が見たい。
あと、どうでもいいのだが私にはあの途中で出してもらった柱がラダーに見えるので二階席に降り立たないかハラハラしてしまう。そもそも、2階席に降り立つことに毎回ビビり散らしてるのは、私という弱きオタクくらいだ。普通はワクワク待つものである。しらん、怖い。2階席センター前方はこわい。(港北の映画館の二階席センター最前でスタツアを見て本気でビビり散らした。飛んでくるかと思って椅子にめり込んでしまった。もちろん飛んでくるはずがない)
ゴージャスとセクシー、素材の良さを遺憾なく発揮した圧倒的個人技、本当に女帝はファンが見たいものを知っている。
愛島セシルのパフォーマンスってなんだか一つ一つが丁寧に思える。所作が優美で美しいからだろう。話し方もそうだ。カタコトではもちろんあるのだが、彼の言葉はおっとりと丁寧に伝わってくる。わからない単語があったり心が急ぐとどこか言葉を急ぎたくなるのだが、彼の言葉はいつも丁寧に柔らかい。人として、王族としての心の余裕だろうか。そういう丁寧さがパフォーマンスにもにじみ出る。そこにやはり基礎力も感じるのだ。
あと、何よりピュアだ。純粋で純真ななにかがある。
私はアイドルにそれぞれの業やクソでか感情を見出したり、何かを重ねたりしがちだが、彼について語るべきことはあまりない気がしてきた。
綺麗なものは綺麗だから見て楽しめれば十分だ。クリスタルみたいな綺麗さとピュアさを彼から感じて、救われるようなパフォーマンスだ。
そして、素直にパフォーマンスのここがいいとかは、こんなおぼろげな記憶なんかじゃ語れない。画面停止しながら確認して話すことである。
ごめん、あまりないの定義が狂ってる自覚はあります。
Snow Ballade
いや、これはさ……もう、あの、KinKiKidsでディープ・ラーニングした分野すぎる。(※個人の偏見に基づく発言です)
まじでなんか、セシル君を御曹司のソロの話で挟むの申し訳なくなるんですけど、こいつらからお出しされる業が雄弁すぎるよ…。
なので私は、今からたくさん無責任なことを書きます!!!
まずは曲が始まる前のオタクによる口上、君ら本当に訓練されてるけど、誰がそのなんかすごい英語の口上揃えさせたの?多分SNS発信の企画だと思うんだけど、すごいね。ぜったい真斗様って読んでる類のクラスタだと思う。ちなみに私はなんか毎回聞き取ろうと思うのだが、アイラビュー真斗フォーエバーしか思い出せないし、そもそも英語が苦手。解散。
なんというか、本当にただの偏見ではあるのだが、聖川と聖川のオタクの間ではすぐ永遠を約束する感じがある。聖川本人もオタクも安易に未来の約束をしまくるタイプでしょ。
いや、その瞬間お互い本気なのはもちろんわかっている。君らのことを嘘つきだと思っているわけじゃない。昂るとすぐに未来永劫までこの気持ちが続くと確信するタイプの情緒をお持ちだと思っているだけだ。これは一本気で情熱的で素敵なことである。あと、単純に言葉が強いのだ。濁すということを知らない。お陰で激重のファンが生まれそうと思う反面、こういうのを素直に口に出せるタイプは、結構さっくり別の推しに流れてしまったりするんだよな、というイマジナリー諸行無常を噛みしめてしまう。
もちろん、激重のファンも健気で一途なファンも、ライトなファンも居る。ファンが10万人はいるんだからなんだって居る。ちょっとした市の人口くらいはいる筈だから多様性があるのは当然だし、彼の魅力をもってすればいうまでもなく新規も流れてくる。オタクの出入りなんて、界隈からしてみれば新陳代謝みたいなもんだ。
とはいえ、冒頭でいきなりオタクから真斗様へのLoveがフォーエバーしてしまった。
私はこれからこの男がこの歌を自身のシンメとの友情を歌っている解釈についての話をするのだが、ファンの中でこれを私とのラブソングだと思っているのが2割、私の旦那(聖川真斗)と旦那の親友(神宮寺レン)の友情だと良妻顔をしてるのが4割、残り4割を腐女子や二人の友情に感動するオタクだと思っている。これはST☆RISHの活動している時空への偏見なので、我々のいる現世時空は比率が変わると思う。どうなるかは言及を避ける。おそらく最後のやつがギューンとなる。(避けてないな)
話の流れが不親切なので、誤解のないように言っておくと、キンキにこういうファンからの口上みたいなものはない。
本人たちも言っていることなのだが、キンキ担は前奏の時点から口を半開きにして、ステージを凝視するので精一杯だ。キンキがそこに立っているだけでもうインプットが限界なので、アウトプットする余裕なんてない。ましてやあの長い英文を暗唱する知能や協調性、余裕、何一つない。(キンキ担の異論は引き続きすべて認める)
我々は電飾係。KinKi Kidsの作る宇宙にある数多の星のひとつであり、星は言葉など持たないのだ(詩的な婉曲表現)まあ、多分キンキはそういうのされたら大喜びしてくれると思う。どう喜ぶかはキンキ担がいたら一緒に心に秘めるか私とお話しよう。若い頃のキンキ婚ならそういうのもあったかもしれんし…。
そもそも、コンサートで使う前奏の尺どれくらいかわからんのにこんな芸を入れてくるところと言い、全編通したレスポンスといい、このコンサートツアーだったのかな。セトリネタバレどころか前奏の時間測ったやついんの……?と想像したら強火で声のでかいやばすぎオタクの存在に手を叩いて大喜びしちゃった。この曲コンサートで見て、時間メモってこのセリフを聖川に伝えようとしてくるオタク!聖川担解釈として最高~!(キャッキャッ)
というわけで、今回自担と関連付けたのはこの後の解釈の話だ。脱線してばかりで申し訳ない。なんか脱線が本編みたいな記事である。話を戻そう。
これから勝手にパフォーマンスの構成について解釈していく。
まずいきなりファンの口上で、Foreverを約束されたわけだが、この世界観には永続性や不変性と、可変性の要素が強く絡まっていると思うのだ。
スノードームみたいなセットの中のに作られた美しい世界。
明かりは彼の灯したランタンである。
スノードームとは、不変の世界だ。その硝子の中で、雪は雪のまま、美しく閉ざされている。振れば永遠に雪が降り、その世界は変わらず輝いている。構造的に何年経っても、スノードームの中にある雪は解けずに輝き続ける。
閉ざされた美しい不変の象徴である。
また、そもそも、氷は有機物の腐敗を止めるものであり、コールドスリープを始めとして、凍らせて閉じ込めるということ自体も、「変わらないこと」を想起させる。
美しいまま時を止めるというメタファーとして、舞台のセットの構成は非常に分かり易い。
これまで世界をめぐってきた中で、単純な雪国の風景ではなく、あえてスノードームをモチーフにしているのは、閉ざされた不変を表していると考えるのは自然な流れの筈だ。
その中にともした灯りはランタンの小さな炎。それは非常に頼りない、限られた時間の灯火だ。しかもランタン自体も、光や炎を閉じ込めるものでもある。露出したろうそくやキャンドル一本ではなく、この時、唯一彼の冷えた美しい世界に入り込んだオレンジ色の異物を彼は風や外気から守るランタンに入れて持ち出す。
既に世界には不変と変化が同居している。
灯の力は強くないが、不安定でもない。そこに確かに灯っている。
閉ざされた世界は、非常にシンプルに考えて、聖川真斗そのものと過去だろう。
彼に備わっている美しさは、環境に適応して変わっていく常に可変なものではなく、自らの内側に閉ざしていく不変性の中にあるというようなストレートな表現である。雪のように白い肌、ストレートの艶やかな青髪をクールビューティーと表現するならば、彼の美しさは夜闇に光る純白の雪と重ねることに不自然はない。
また、「御曹司」らしいという彼の設定や堅苦しい彼の言葉遣いから合わせていくと、「旧家のお坊ちゃん」としての彼が立たされていた世界がそういう冷たくて閉鎖的なものだったという一面があるのかもしれない。正直、彼は親からの愛情に飢えた人間特有の雰囲気を現在の姿から感じていないので、少なくとも今は家族と良好な関係を構築していそうだし、他のメンバーとの距離感からしても家庭がそもそも冷え切っていたタイプにはあまり見えない。少なくとも乳母とか彼の近くに彼にたっぷりの愛情を与えて育てた人は居ると思う。作中に描かれる部分はあるのかもしれないが、むしろ愛情を受けて育ったからこそ、成長の過程で何らかの孤独を抱えていて、それをヒロインと解決したというケースが自然に思える。
まあ、実際のところはわからないが、少なからず旧家の御曹司として、息苦しさを抱えていた若かりし日の自分が在り、それを重ねた表現と考えるのはストレートで彼らしいステージであると捉えられるのではないだろうか。
分厚く美しい防寒服(余談だがスポットライト全力で浴びてあの服はめちゃくちゃ暑いと思う、世界観の作り込みのために暑さなどものと見しない表情を作る根性がすごい)、分厚い手袋。
世界と彼の間には、分厚い布の壁がある。
これは凍えるような寒さから彼を護っている防護服だが、この重くて美しい衣服は、彼の血に流れる責任のメタファーかもしれない。
この冷たく美しい環境の中で美しく在り続けるために必要な、美しく高級で厚い服。
歌詞をそこまで咀嚼できていないので、正確な記憶はないのだが、ここのワードに確かに「過去」があったとおもう。
つまり、ここのスノードームは過去の彼を示していると考えるのが自然だ。ここまで凡そ推理みたいな解釈をしているのだが、これにピンと来るところがうた☆プリを履修した皆様の中にあるのだとしたら、彼のストレートな表現をそのまま受け取ると導き出されるので、それだけ直接的に表現されているということだ。
そんな閉ざされた世界で、彼は火を点した。
これは、アイドルを志すことを表しているのかもしれない。そして、その火がオレンジ色であることは、炎ってものを考えると当たり前なんだけど、なんだか意味があるような気がしてくる。
火を点した彼は、自身の意志でその手袋を外し、外気に曝け出された掌が伸ばされる。
彼自身のの手がスノードームを割る。
これは自らの意志による変革だ。
そして、その変革は彼の誓いと連動している。
曲と振り、セットの構成は実に直接的でシンプルな表現なのだと思う。
彼の誓いによって破壊された世界の時が動き出し、自ら灯したランタンを露出した手に取って、歩を進めて、世界に出ていく。
遥か高く、上の方にひっそりと美しく孤高の様に存在した彼が下界に降りてくる。その途中で、彼から灯を託されるのはランタンの灯火と同じメンバーカラーを持ったシンメである。
彼の点した炎を託され、ランタンの炎を吹き消す彼から伝わることは、その火がなくともそこに変わらぬ灯火が在ることだ。
共に歩み、共に生きていくことを歌う男が、無数のキャンドルに迎えられる。
一つ一つは非常に弱いオレンジの炎だが、その炎は優しく彼を照らして迎え入れている。それはペンライトでもそうだし、確かにファンのことなんだとも思う。彼を待ち、彼の眼下で揺れる灯はファンそのものだ。でも、まずその色はシンメの色で、それは、この景色を作り出した存在として、共に歩んできた友の存在を表しているのだと思う。
その中で未来を歌い、彼の掌がそのオレンジを掴んだ後、オーロラが輝く。彼が生み出したオーロラは様々な色を孕み、美しく輝いている。オーロラは寒いところで見るものだ。彼は別にすべてを変えて雪解けを迎えて春になったわけではない。冷たい世界の中でどこまでも広がる地平線を知り、その向こうに複雑な色合いのオーロラを生み出すことができたのだ。寒いだけでも冷たいだけでもオーロラは作れない。多くの影響を受けて、それでも変わらないものがあることで見つけられる、それは壮大で神秘的な光景だ。
オーロラが見せる色彩は彼の心の彩りを表しているのではないだろうか。一人閉ざされた空間の中にはなかった複雑な色が、彼の中に蓄積されて、ここで噴き出したのではないだろうか。
これを生み出すために彼は、オレンジの光に出会ったのだと思わせる。
非常にシンプルでまっすぐに、神宮寺レンと彼自身の友情を歌い、作り上げたステージであったと思う。
私はST☆RISHというアイドルは、基本的に二人称や三人称をファンに当てはめるように歌うアイドルなのだと思っている。このコンサートにおいてもその印象は変わらない。
しかし、このパフォーマンスは、そこに登場する”お前"は歌われている共に歩く相手は、神宮寺レンだったと思う。
正直曲の歌詞をきちんと確認していないので、細かく解釈すればもっと深くて細かい二人の過去と照らし合わせた解釈が可能だと思う。曲の編集もそうなってたんじゃないかと思う。(多分コンサートサイズに編曲されてるやつだよね?これ)
何より、過去のことを知っている人間はもっと丁寧に読み解くことができるだろう。そもそもなんで途中に推理挟んでるんだこれ……。
本来のこの曲はファンのあなたに向けた曲かもしれないが、今回のステージにおける、このパフォーマンス上では、神宮寺レンと歩んできた歌であり、これから歩んでいく歌だ。
聖川真斗にとっての神宮寺レンと自分の歌だ。
きっと、ファンから見た関係とも異なる二人の歌で、神宮寺レンにとっての聖川真斗との関係とも異なる歌なんじゃないかと思う。
聖川自身が、自分の視点で彼との関係や未来を音楽にのせたパフォーマンスなのだ。
ちなみにここでいうファンはうた☆プリの世界の二人のファン=彼らのオフは知らない前提で生きているファンたちの話である。彼らのオフを見ている漫画のオタクは彼らの当時の心情なんかも詳しく見ているだろうから、そこが相似や合同になるかもしれない。そもそも私は何も知らないので完全に検討外れかもしれない。
聖川真斗という男は、こちらが恥ずかしくなってしまうほどに真っ直ぐな男なのだと思う。
真正面から受け止めて、真正面からぶつかり、そして、真っ直ぐに相手に向き合ってしまう。そんな男なのではないだろうか。
一方で、神宮寺レンと言う男は、うまく変化する男である。自分や相手の状況を見定め、感じ取って、良くも悪くも、適当に柔軟に捌いてしまう。
神宮寺のソロの時にも言及したが、それゆえに彼は良い所で手を抜いてしまう男でもある。
その柔軟さは若い頃の聖川にとって妥協に見えたり、逃げに見えてしまうようなものだったのではないだろうか。私が初めてスタツアに登場した帰りに聞いた「二人が昔は仲良しだったのに、ぶつかり合うようになった」という関係の本質は、その性質の違いからくるものであるように感じる。
これで不仲の原因が女の取り合いだったら、夢見がちドラマチックパロ設定大賞に応募するので、是非二次創作の糧にしてほしい。
しかし、10年の年月を仲間とともに歩いて、互いに若い頃は耐え難かった性質の違いを善悪ではなく、それぞれの個性であると理解できるようになり、そして、互いに影響され、変化してきたのではないかと思う。
それは大人になるということの素敵な部分だ。
そして、ST☆RISHの単独コンサートをすると決まり、その十年を振り返って、自分一人のステージを表現する場を得た聖川真斗が、ファンに見せたかったことが、彼との友情なのではないだろうか。
自分が歩んできた中で見つけて寄り添った大切な変化があり、変化の中で欠かせないものこそ、神宮寺レンとの友情だったのではないかと、強火のシンメオタクは想像するわけだ。
ここで、真っ直ぐに神宮寺にあの役割をやって欲しいと頼む真っ直ぐさに、きっと神宮寺は苦笑してしまったに違いない。
変わらない真っ直ぐさと、変わってきた彼の考え方や、彼との関係は彼にとって非常にむず痒く、数年前の彼ならばあやふやにして逃げ出してしまうようなこそばゆさがあったのではないだろうか。
しかし、ST☆RISHとして10年以上歩んできた神宮寺は、それを請け負える男になっているのである。
シンメのドラマ性に敏感なオタクは正直二回目くらいからもうそうじゃん!!!と勝手に決めつけてなんで感想ツリーで御曹司担がしたり顔でこれはさぁ……と解説を長文で語り出さなかったのかについて理解できずに暴れてしまった。
いや、これ全部私が見た幻覚なので何もかも違うかもしれないんですけど、そういうことじゃないんですか!??????
俺は何も知らないので、自分の見た幻覚で完璧にあってしまった解釈の辻褄に、完全に名探偵の顔をしてる。キャラクター解釈も正直本当にあっているか知らないのだけれど、なんかこれめっちゃしっくりきちゃったのだ。
じっちゃんの名に懸けて、真実はいつも一つに決まっている。
ちなみに私の中の御曹司のオタクは、感情が爆発しすぎてこのステージを言語化してまとめることなど到底できずに「これ…あの…これ……すごいんだけど……あの、二人が……もう、これがすべてだ」しか言えていない。
イマジナリー御曹司のオタクはずっと「もう…、歴史じゃん……」と嗚咽してるし、毎日家でCD流しながらキャンドルをたくようになったらしい。一酸化炭素中毒には気を付けてほしいものだ。
アルコールなど入れて多少落ち着いて舌が回るようになった彼女は、ドラマティックでエモーショナルなパフォーマンスについて、一通り語ったあとに、いや……もう……あれが全てだ……っていって机に沈む。
「御曹司はさあ、グループに居るときはあくまで全体で他のメンバーに気を使ってたりするし、二人の世界を作るって感じじゃないんだけど、いざ、二人でってなった瞬間にあの二人、途端に他を拒絕した世界を作りはじめるんだよ……!!!あの……あのさぁ……!!!(言葉をつまらせる)もう、あれが……すべてよ………」と親指を立てて溶鉱炉に沈む勢いで机に沈んでいる。
「レンはグループのとき、絶対にファンを見てくれているし、真斗はどちらかというとメンバーをみてるんだよね。いや、真斗もファンのことはよく見てるし、レンもメンバーに目を配ってるから、どっちもそうなんだけど!ふたりともファンに誠実で、グループを大切に思ってるのはめっちゃわかるのよ……。でも、いざ、二人にされるとその二人が突然周りを遮断してくるの。ソロも翔さんと踊ってるときは真剣な姿で届けたいものの先にファンが確かにいるって感じられるんだけど、真斗ソロのとき……あれ……あれさあ……………もう……………あれが全てだ…………スタツアを見ろ……」
「いや、でも、本当に、なぜ……あの……寒い真っ白な世界に灯るキャンドルの光はオレンジなんだよ………おえっ(嗚咽)」
最終的にあのソロを見ろ……に帰結するのに突然思い出したように御曹司の関係性に呻いてえづいてる。イマジナリー御曹司のオタク。5人くらい集まって全員潰れているイマジナリーオフ会を誕生日席で眺めながら食べるえいひれはめちゃくちゃうまい。
いや、でも、の逆説使ってずっと会話ループさせてるからメビウスの話題になるのを、うんうんとうなずきながらエイヒレに七味マヨをつけて齧る。最終的に言葉を探して唇が震え、「あのステージがすべて」という説明しかできなくなってしまった。お前が説明しなくてどうする。門外漢の私が説明していいのか?って感じだが、あれがすべてなのだそうだ。
オタクがこれまで見てなかったものや勝手に妄想していたものも全て飛び越えたものがお出しされてしまい、オタクは何もかもを投げ捨てて、「いや、でも、本当に、あれを言語化するなんて烏滸がましいよ、あれがすべてだ」と私の話題もループする。
まって、なんで感想ツリーで御曹司担がしたり顔でこれはさぁ……と解説を長文で語り出さなかったのかってこれなの?とイマジナリーオタクを見つめることしかできない。ちなみに、実際の私はエイヒレも食べていない。
ちなみにこの脳内劇場の登場人物は、すべて私の脳から生まれているのでご機嫌な自問自答でしかないし、そんなオタクは実在していない。(多分)訳知り顔なオタクたちを脳内に飼っているが、ここで明確に見た幻覚の中で、本当に訳を知っているやつは一人もいないのだ。
まあ、本当に私は御曹司のことは何も知らないので、普通に色合いとランタン渡すなんてもうあんまりにエモーショナル!最高!くらいのもんかもしれないんですけどね!
いや、でもあんなにストレートに歌詞と画面をリンクさせる演出させといてそんなことないでしょ。俺は詳しいんだぞ!(まったく詳しくない)
ちなみに、冒頭のディープラーニングに触れると、KinKiKidsでも「あの日のぼくたちの友情を歌詞にした」と明言された歌が存在する。CDにもなっていない。コンサートのアンコール曲で、コンサート円盤でだけかみしめることができる。私が履修したというのはそういうことである。
そこで歌詞にされたずっと隣に居続けた相方はそういう風に、他人に自分たちの関係を詳らかにすることをあまり好まない。自分の隣に居る男がこの瞬間を歌に変え、自分たちで歌いたいと望んだ時に、それを受け入れて答える男気と誠実さがある。彼がその歌詞の内容について語るところを私は聞いていないし、そういうのが苦手な男だから語ったりしていないと思う。私が見たコンサートでの彼は黙って話す相方の言葉を聞いていた。
そういう友情の形を私はKinKiKidsで知っている。
あと単純にスノードームといえばキンキだよな!!!!!!(偏見)
愛をボナペティ♪
この歌、このコンサート内で一番楽しいよね。という曲である。
一人だけ突然Eテレの夕方放送か、女児向けアイドルアニメみたいなパフォーマンスを始めた男、四ノ宮那月。
この四ノ宮那月という男が、実は一番正体をつかみ損ねていたタイプだと思う。初めて見た時の印象から、見ていくうちにイメージが変わった男でもある。当初は、結構気づかいなところがあり、なんでもにこにこ受け止めてくれるが、どこか我が強い部分もあるタイプでもあるというイメージではあったのだけど、そこの塩梅が回数を増していくにつれて変わっていっていく。
というか、この男、めちゃくちゃ「マイペース」だな…?そして、ある意味で一番男らしいきっぱりしたところもある。
いや、初めて見た時からこのコンサートで彼が創り込んだ世界まじで独特だな、とは思っていたし、彼のことは相葉雅紀みたいなイメージでいたのだが、今、改めて思うと、かなり相葉雅紀との共通点が大きい気がする。マジでそういう意味でもめちゃくちゃ我を通す男である気がしてならない。繰り返すが私は嵐に造詣が深くないので、相葉雅紀にもそんなに詳しくないのでかなりの偏見でものを言っている。
なんかめっちゃ優しいし、なんでもいいよいいよって笑って聞いていてくれそうだし、みんな楽しいね~みたいなEテレに抜擢される母親層ウケ抜群な存在であるという意味では、あまりイメージとして変わっていない。
が、結果として彼から我々にお出しされるものが想像していた一般的なやさしさで出来ている感じがしない。ちょっとずれている。本人はまじめに頑張っているし、その優しさや努力は間違っていないし、なんなら器用だとも思うのだが、お出しされるもののが何故だかちょっと一般的な感性とずれている。
あのマカロンの造詣で気付くべきだったのだ。(ただ、前述したが現在の私はあのマカロンをセシル君が作り出した魔法の生物だと思っているので、セシル君が創ってくれたそれを見て那月君が「え~~!すっごく可愛い!!一緒に踊りたいです!」といってダンスに加えたという幻覚を視ている)
アイツを指にのせていることを、あのコッテコテソーキュートクッキングアイドルキッチンを用意してきた時点で、私の中でディズニープリンセス系だと分類してしまったが、Eテレの名物お姉さん系である。
彼が歌うと動物が集まり素敵なリボンを使ってドレスを仕立てるとかはまあ、ありそうな話だが、できてくる衣装が流行りの衣装じゃなくてこってこてのプリンセス衣装になるのだ。多分世界観がビットランド。
こう、おしゃれのために頑張って薄着している女の子に分厚い腹巻(パステルカラーなので可愛い♥)を渡してくるタイプだ。
優しい男であるのは決して間違っていないと思うし、ふわっとした雰囲気を感じるのも変わらない。が、今回のステージについて、よくよく見ると彼が気をかけて面倒を見ているのって、正直来栖翔にだけなんじゃないだろうかと思えてくる。それも、こう、べたべたしていないのだ。ちょっとこの辺りの話はユニットソングの後のMCに取っておきたいので、一応置いておくのだが、結構彼、一十木音也と近しい性質を感じる。音也君程パフォーマンスの中で突出して勝手なことしないので、優等生でそこまで個性を出してこない、気質も確かに在るのかもしれない。
ただ、一応言いたいのが、現実のアイドルを見ている側からすると一十木も相当お行儀が良い。スタリちゃんはみんないい子なんだよ……と溜息を吐くジャニオタとの二足の草鞋のオタクが視える。ちょっとこの女の履いている草鞋によっては話が重くなるので追及するのはやめておいてほしい。私も自分の脳内なのに、何が出てくるのかわからないのだ。
当初の那月君へのイメージが最早おぼろげなのだけれど、「もともとかわいいものが好き」というのは彼の中にあるが、周りから向けられる期待やST☆RISHというアイドルがどうあるべきかというアイドルとしての在り方の中で、四ノ宮那月という男は、自己の趣味を抑えてパフォーマンスをしてきた部分があり(主張しないという性質に合致する)、今回のソロパフォーマンスでそれを解放したのではないか。自己主張と周りを巻き込むという部分を彼は見せてきたのではないか。と考えていたように思う。
これを改めて咀嚼しているのだけれど、その考え方そのものはそこまで間違っていない気はしている。
なぜなら、この後に続く4Uのパフォーマンスも、ST☆RISHとしてのパフォーマンスにおいても、彼のダンス表現なんかは割と彼のスタイルや外見に即したワイルドな方向性が強い。
だから、MCとそのパフォーマンスの温度差でめちゃくちゃ好きなオタク居そう~っていうか、四ノ宮担ってバラエティに出ているかわいい四ノ宮のイメージあるでしょ?でもコンサートでのダンスとか、歌ってるところめちゃくちゃかっこいいから!!!!って布教してきそうな雰囲気がある。
そのワイルドな彼が好きな女と、そもそものぽやぽやが好きな女と、本人から出てくる独特な世界観が好きな女とオタクはそれぞれ居そうなのだが、この界隈、結構同担の出会いに癖がありそうだ。互いが互いの地雷を踏みぬく可能性がある。脳内で推し方問題あるある選手権をしてしまった。二次元の方の四ノ宮君はなんか普通に本人のキャラクターが強そうなので、そこの三すくみもそこまで強くはないと思うのだが、あちらのオタクはこの派閥、結構危険な香りがプンプンするぜ……と私の野次馬センサーが反応するのだ。実際に安易に振れると、鋭利な爪とか本物の包丁が出てくる可能性がある。
では、何が変わっているか、というと現在のST☆RISHのメンバーは彼の性質を理解して受け入れているし、四ノ宮自身も自己の趣味や性質について一定の自信を身に着けているような気がするのだ。MCなんかでもうまく回っていると思うし、彼は決して夢だけ見てふわふわしたことだけやっている天然ちゃんみたいなパフォーマンスをしているわけではない。
四ノ宮那月という人物の格好良い外見と、四ノ宮那月というキャラクターの特徴というのにギャップがあることがこのアイドルの面白さで、これは恐らくクラというシンメの根幹的な共通点だ。
自己のありたいものというか好きなものと、自分の外見的性質が一致しない。
というか、なんかよくわからんけど、彼、筋肉担当なんじゃないかという気配も感じている。なんだろう、セシル君がしなやかなネコ科の筋肉担当だとすると、四ノ宮は心優しくてかわいいゴリラだ。可愛いものが好きだが、そもそも力が強すぎて壊しちゃいそうで怖い!みたいなタイプでもある。あの、よくわからないけど生クリーム粟立てているときの腕とか、そもそも服をぱっつんぱっつんにさせてガタイの良さなんかを見せてるところにそういう要素を感じる。だから、なんかめっちゃ筋肉優位のダンスパフォーマンスを見せている気がする。なんかこう、脂肪はないけど体重は重そうだ。水に浮かぶ気がしない。肩に人を二人乗せそう。音也君と翔さんをそれぞれ抱きかかえながら歩いていたとして、納得できる。なんかダンスのワイルドさもフィジカル優位な感じあるんだよな…。
そのあたりも来栖翔との共通性と対比を感じる。
これは特に十代の内は非常に彼らを悩ませたものではないだろうか。
その中で四ノ宮は「求められていること」に応える道を選び、来栖は「自分のやりたいこと」を求めていそうなキャラクターだ。
なんというか、このシンメは外見的にも身体的にも相手が自分のほしいものを持っている相手であるイメージがある。お互いにないものねだりをしていることを知っている。自分が持っていないものを、相手が持っている羨ましさがお互いにある気がする。
彼らの間にもなにがしかの衝突は有ったのだと思う。特に来栖翔はそのあたり口に出しそうで、四ノ宮那月は飲み込みそうなので、もしかすると少なくない拗れがあったのかもしれない。
ただ、私は今の彼らしか知らないので、彼らがお互いに強い信頼で結ばれ、互いを理解していることを感じている。これは、多分なんだけれど、「ほしいものをストレートに手に入れることができない人間としての葛藤」を誰よりも知っているのだと思う。
そういう意味で、彼らは自分たちだけの間でしかわからない苦しみの共有をしている。
そして同時に「それでも、自分のやりたいことと、自分の持っているもの、フィジカル的な部分を活かして自分らしい自分」を掴み取ってきた達成の喜びもまた、共有しているのではないかと思うのだ。
だから、相手が努力してきたことへのリスペクトも強い。最も理解できる存在で、最も頼りになる存在でもあるんじゃないかと思う。そして、それをほかのシンメ程ドラマティックに受け止めていない。あいつなら大丈夫とか、アイツがこうなれてよかったとか、そう思っているだけだ。彼らはあるって来た道をじゃーん!みてみて!と他のメンバーに見せることをためらわないだろう。しかし、その歩いている中で共有した互いの柔らかい部分は、シレっと隠してしまうのだ。
気付けばまたシンメの話をしてしまった。
ちなみに、これは本当にずっと憶測なのだが、四ノ宮が自分のやりたいことより人から求められたことを優先したことは、彼が弱かったという話ではなく、そこは彼のひたむきな性質だと思う。人を思いやる心でもある。他者を思いやるやさしさを、彼は自身の強さから当たり前に与えることができた。
しかし、それは同時に彼の本質にある趣味をないがしろにする生き方でもあったのだとは思う。これまで、彼が周囲からの期待に応えたうえで、自己を殺さずに生きてこられたというのは、彼の強さであるだろうという思いと同時に、彼がST☆RISHとして、シンメの来栖翔と、そして今いる6人の仲間たちと歩んできたから手に入れた成果なのだと思う。みんなで一緒に歩いてきたから、両立ができたのではないかと思うのだ。
だから、今の四ノ宮那月のパフォーマンスを見ると、格好良い踊りもかわいいパフォーマンスも大好きなんだろうなと思うのだ。
彼は自分のやりたいことだったりとか独特の感性を持っていると同時に、こうしたら素敵になるよなという客観的な視点も持っている部分もちゃんとある。
とはいえ、それを他者に伝えるにはかなり関係値が必要そうな、ある種難解な人間性を感じる。
さて、四ノ宮という人物に関する話をしてしまってあまりパフォーマンスの話ができていないが、この夢かわボナペティは恐らく四ノ宮らしさってものを前面に出したステージなのだと思う。
ここまでくると、改めてやはり言葉にしてしまいたくなるのだが、このコンサートにおける七海女史のやりたいことがメンバーの本質的な「個性」とメンバーがこれまでの道のりで得てきた「変化」をそれぞれのステージで最も魅力的に見せる構成をしているということがあまりにも分かり易い。
初めてコンサートを見たときに感じた「二面性」というか、これまでこのアイドル達にオタクが抱いてきたイメージを一度ぶち壊すような、一歩踏み込んだようなステージにしたいという熱意を感じ、同行したフォロワーに真っ先に熱く語ってしまったのだが、改めて整理してみても本当にそういう物であるとしか思えない。
初めて見たときに彼女を「タッキーとMJの娘?」と聞いたが、なんかもう融合召喚された概念か何かだと思う。彼女の期待に応えるには生半可な覚悟じゃ到達できる気がしない。
そして、那月君らしさを前面に出したパフォーマンスで着ぐるみに入った来栖翔と神宮寺レンが居るのもたまらない。いや、実際神宮寺の方はだいぶ巻き込まれた感を感じてしまうのだが(これはEDでまかろんあーんされている来栖とそれをまたやってると眺めている感じの神宮寺の印象によるものだ)、こう、彼の世界の中でメンバーが顔を出すこともなく存在してその世界を盛り上げる感じ、とっても愛がある。
四ノ宮那月ワールドに会場全てを巻き込むという意図が明確だ。
そして巻き込まれた会場が全員で一緒に同じ振りをするのも、楽しそうにめしあがれしてくれるのも、最後までお店という体で終わるのも、全部めちゃくちゃかわいい四ノ宮那月が大好きな世界なんだろうな。
あと本当に着ぐるみを着た二人はめちゃくちゃ体力使ったと思うのでよく水分補給してください。あのてちてちした動きとかダンスとか、絶対体力使うよな……レン君、ほんと平気?なんか、カロリー流し込まなくて平気?この後一旦着替えも入ってくるし二曲休めるけど、まだダンスもあるよ?唐揚げとか食べる???翔さんは出番も近いし、そこのマカロン全部食べときな。
あと、どうでもいいけど、この着ぐるみ演出すごいMJっぽいんだけど、MJだと絶対着ぐるみの首とって躍らせるよね~っていったら、それ既出ですって言われた。既出でした。
TRIGGER CHANCE
要素を拾い上げて見れば見るほどEndlessSHOCKなんだけど、ぜんぜんSHOCKじゃない。
ジャニオタなりミュージカルが割と好きな人な人なら多分聞いたことがあるであろうEndless SHOCK。前回の記事でもさんざん擦ったので、もし続けて読んでいる人が居れば(奇特な人だが、すでに五万字に近いこのNoteを読んでいる時点で押して図るべしな気がする)、またこの女は SHOCKの話をしている……と思うだろう。
さっきセシルくんのところでもしたからな……。
セシルくんのときに思い出したから心に帝劇の気配が残っている、というわけではなく、このTRIGGERCHANCEを何度か見ているうちに、およそ2012年位のSHOCKをおもわせるステージセットなのだと思い至った。
そもそも、SHOCK内の曲の中に「シルクハットにスティック指で回して踊り明かそう」と歌う歌詞がある。(https://www.uta-net.com/song/230373/)
これとシルクハットとスティックで行う振りから連想されたのが一番はじめなのだが、そもそも、でっけーコウイチの顔面が舞台で突然現れたりビカビカネオンのブロードウェイが出てきたりひとが高所に飛び上がったり、舞台がブロードウェイという点が類似点だ。
そんなの少年漫画で修行編があるくらい当たり前でしょー!っていわれたら、まあ、アメリカのショービズをイメージしたこだわり型アイドルがやるってなったらこうというあるあるとして認めていきたい。
そういうものの土台に2000年から2000回公演を達成し、今なお帝国劇場を満席にしているモンスター演目として君臨しているし、そもそも、私がここ数年毎年のように観ていて、9月にも博多座に遠征したばかりなのだ。福岡出身の彼と縁深い気持ちになったところで責められるものではないだろう。
とはいえ、なんでこんなにSHOCKの類似点と擦るかというと、SHOCKとの相違点からこのステージを咀嚼したいと思っているからだ。
そもそも、実際にこのステージを見たとき、真っ先に受けた印象はThis is MJ!!なので、SHOCKリスペクトだ!みたいに思ったわけではなかった。あのなんか、ぐるぐる回るド派手メリーゴーランドみたいなやつ、センスがMJっぽいし。でも、やっぱりコウイチのイメージが強いのでポップジャムの話はした。ポップジャムで歌い踊れ。あれは。
さて、冒頭のスターツアーズで私が彼のカメラ目線にビビり倒したのは、既に十分に伝わっているとおもう。
その時の私は彼をステージバカ一代、プライドエベレスト、うずたかい自意識と圧倒的理想主義を体現した変態的完璧主義者と解釈した。
彼の印象をそのまま語ると、ステージ構成には一切の妥協を許さず、アイドルとはこうあるべきという自身の理想を追求し、常に高みを目指す、ある種孤高のタレントであると考えていた。
ダンスのふりを確認するときにマイクのスイッチングのタイミングもメンバーどころかバックダンサーの立ち位置にも口を出すタイプで、ダンスの関係で曲の尺も調整させてくるだろうし、コンサートが始まる直前まで細かい打ち合わせに余念がない男だと思っている。
自己のブランディングに余念がなく、当然自分が所属するグループに対してもそうだ。
自分のパフォーマンスには絶対的な自身と拘りがあり、誰よりも自分が納得できないパフォーマンスをしたくない。
綻びのあるステージを披露するなんてことは彼にとっては屈辱だし、アドリブによって盛り上がる一時の笑いなんてものは唾棄すべき怠惰である。
ここで、私はSHOCKにでてくるキーワードをどうしても連想してしまう。
Show must go on.
何があってもショーを続けなければならない。
SHOCKの中で何度も提示される命題だ。
それは、たとえ誰かがミスをしても、観客を楽しませるための最大限の努力をしなければならないということであり、常にショーは進化し続けなければならないということであり、ショーに上がる者は人生のどんな苦しみも喜びも怒りも悲しみも何もかもをショーに昇華しなければならないということでもある。
理想に向かって歩けなくなったものから、ステージを降りていくのだ。
私は、元来の一ノ瀬トキヤとはそういう精神性を持つ男だったのではないかと思うのだ。
自分の魂を叩いて叩いて日本刀に鍛えるように研ぎ澄ませて行く、いらないものを削って、何もかもを一つに統合して磨き上げていく、そういう生き方をそもそもの彼はしていたのではないだろうか。
人生はブロードウェイ。
その歌詞の意味に彼の人生観を重ねるのは、自然なことだろう。
しかし、同時に大きな違和感がある。
一ノ瀬トキヤの表情だ。
これは元々の一ノ瀬トキヤという人間をはるか昔にニコニコ動画のマジラブとカラオケのアニメ映像、ついでに先日名前を確認しにキャラクター紹介ページを見に行った程度にしか認識のない女によるぼやっとしたイメージなのだが、デフォルトの一ノ瀬トキヤって眉根と目頭が近いキャラだと思っていた。
突然の図示で恐縮だが、こうだ。
画面の真ん中に目だけ浮かぶとめちゃくちゃ怖いな。
なんというか、顔立ちと10数年前のキャラデザによるあの髪型から察するに、多分そういうクールキャラ枠のキャラデザをしたいたと思う。私は理解力の高い歴戦のオタクなのでお見通しだ。
しかし、実際TRIGGERCHANCEを歌っている一ノ瀬の目と眉の位置がどうかという話である。
もちろん私の想像してた距離感の彼も存在している。が、スマイル!のときなど顕著だが眉根と目頭は離れ、何なら目尻が下がってさえいる。
スマイルを書くときには通常こうなると言われたらそらそうなのだが、私だってちょっとだけ絵を書くので知っている。笑顔には種類がある。クールな表情で口元で笑顔を作る、シニカルな微笑み、そういう笑顔の種類も確かにあって、実在のアイドルなら亀梨和也あたりがそういう怪しく美しい笑みを作るのがとても上手い。眉をちゃんとへの字に維持したままの笑顔は普通に存在する。
しかし、TRIGGERCHANCEの一ノ瀬の笑顔は綻ぶと表現する他ないし、眉は完全にハの字である。
アイドルというブランディングの中にファンに向ける無邪気なスマイルという選択肢が存在するのは知っている。わかっていないはずがない。かわいい枠とか笑顔に癒やされる枠とか必要な枠である。
ただ、あのプライドおばけの一ノ瀬トキヤが、自分をその枠として処理しているとは本来とても思えない。彼はそういう愛嬌で許されるとかそういうものが、昔は許せなかったと思う。アイドルだからとバカにされ、下に見られることを腹立たしく思い、そういう風潮を作ったのはこれまで甘えたアイドルタレントが半端な仕事をしてきたせいだとか怒っていそうなのだ。笑顔だって計算された最も美しい笑顔を最も美しい角度で見せたいはずだ。
しかし、事実として「人生はブロードウェイ」と歌ったときのあの幸せいっぱいな表情は、計算して作られた表情ではない。
推察するに、今彼にとっての「人生=ショーステージ」は笑顔が弾ける類の存在なのだ。きっと楽しくて仕方ないに違いない。
彼にとってのブロードウェイは、すべてを研ぎ澄まし、血反吐を吐くような研鑽の末に到達できる選ばれたタレントの技術の粋によって創り上げられた頂であるのが自然であるように思えたのだが、今日までST☆RISHとして活動してきた一ノ瀬トキヤはそのステージをあんな溢れる笑顔で楽しんでしまう男らしい。
まるで、一十木音也のようである。
と思ったのは私がソロステージで見せた彼らしい笑顔と重なったからであり、私がシンメというものを信仰しているからだ。
シンメというのは長い年月を歩いてきた結果、互いに全然似てないと思っていたはずなのに相手に対してリスペクトしている要素が移ってしまうものなのだ。
デフォルトイメージの一ノ瀬トキヤは本来、このステージでもっと鬼気迫るパフォーマンスを見せ、もはや他を寄せ付けない思わず放心して息を呑むようなパフォーマンスをするはずなのだ。終わったあと一瞬間を置いて割れんばかりのスタンディングオベーションを浴びるたぐいのそれだ。
しかし、実際にステージで見る一ノ瀬トキヤは完全にこのステージを楽しんでいるし、観客も気軽に彼の格好良さなりパフォーマンスを楽しんでいる。カルチャーを浴びるのではなく、エンタテイメントを気軽に楽しんでいる。
観客を満足させるという一点に固執して技術を磨いてきたのではないかと思われる男が、ステージを楽しんで技術を発揮している。
この違いについて、私はST☆RISHだから辿り着けた境地であり、シンメの一十木音也がいたから引き出された表情なのだと思っている。
一十木ほどそのままステージを楽しんでる男を近くで見ていたら影響されないはずがない。
ある種自分勝手な楽しみ方をしていた一十木はソロパフォーマンスでは、そこから一弾上がったファンを自分の世界に惹きつけるステージをして、ファンを自分自身で作り上げた世界で楽しませることを目的としていた一ノ瀬が、ステージそのものを楽しんでいる。
別に一ノ瀬が間違っていたわけでも、一十木が間違っていたわけでもない。ただ、それぞれが選んだ一つ上のステージは、お互いの良さに歩み寄ってしまっただけだ。
どちらのやり方も極端で、ファンの数を少し制限してしまうところがあるのだが、より大衆性の高いアイドルになったのではないかと思う。
もちろん、大衆性があることが即ち優れている形であるわけではない。しかし、ST☆RISHというアイドルグループの色はこの方向性であり、彼らはそれぞれST☆RISHらしくなっていくのだと思う。全員が、同じものをそれぞれの形で進化させ楽しみながら同じ光景を見ていけるグループになっているのだと、ソロで感じられるというのは、なんだかとっても素敵な話だと思う。
ただ、ちょっとやっぱり彼は人生をステージにかけ過ぎだし、それはもう変わらないんだろうなって感じだ。
一ノ瀬のオタクで孤高の彼を求めていたオタクはこのステージをどう受け止めたのだろう。
妥協しないという意味では方向性が変わっていないが、孤高という意味では求めているものとは違うと担当を降りたオタクもいる。(イマジナリー現地のオタクの話)彼がいつか自分をどんどん研ぎますませすぎて折れてしまうか心配していたためにホッとしたオタクもいるし、もとからトキヤはずっと可愛いし美人なので何も変わらんが?というオタクもいる。新たな魅力にひっくり返って新規で入ったオタクもいるだろう。トキヤってこんなにとっつきやすかったんだ!みたいなかんじのオタクもいる。
ただ、彼の場合変化は劇的ではなさそうなので、意外とざっと追いかけてるオタクは一ノ瀬ってこんな感じだよね、と思っていたのに久々に昔のコンサート見てあれ??ってなってそうだ。
来来☆オーライ
ライブパフォーマンスとしての熱気を最も強く感じる圧巻のパフォーマンス。
つい一つ前の一ノ瀬がアイドルらしさの一つの見本だったと思うのだが、来栖翔のパフォーマンスは、アイドルらしさを失わずに突き抜けたアイドルらしからぬパフォーマンスであるように思える。一文内に矛盾が発生しているようだが、そこに矛盾はない。紐解くにはかなり文字数を使うが、付き合ってほしい。
私が初めてスターツアーズを見たときにシンプルに感動したのが彼のステージングだ。
曲のポップさは、その特徴的な言葉選びや曲調からアニソンらしく感じる。全盛期のニコニコ動画世代であり、キャラソン全盛期、音ゲー黎明期をぼや~っと通り過ぎたオタクとしては、かなりなじみ深い気がする。(気のせいかもしれない)
アイドルの曲としてこの曲を聞くなら、コミックソング枠だろうか。(※コミックソングはアイドル用語ではない)関西グループがよく歌っている、そういうみんなで盛り上がっていく歌だ。
そんな、ポップな曲なのに、いや、ポップでコミカルな曲だからこそなんだけれど、パフォーマンスは驚きの運動量で、かつアクロバティックに高難易度、にも拘らずアイドルっぽい親しみやすさがある。
すでに何度書いたかわからないが、私はこの来栖翔という男がアイドルになる前は世界ダンス大会でトップだったとか入賞していたとか、そういう鳴り物入りの男だと言われても、まあ、そうでしょうねと納得できるくらいに、彼のダンス能力を高いものだと思っている。
そんな彼がなんでわざわざアイドルを目指したのか、ややもって疑問でさえある。
身長の問題で何らかの挫折を知り、アイドルでもやってはどうかと言われたのか、この世界でアイドルというのがもっと高いポジションのなにかなのかもしれない。
これは別に、現代日本におけるアイドルがダンスパフォーマーの下だと言っているわけではない。ただ、ダンスを極めるならダンスをすれば良いのに対して、アイドルはそうもいっていられない。アイドルは歌わなきゃいけないし、ファンに人間性を丸ごと愛されていかねばならない。俳優業やタレント業も必要で、ただダンスが上手いだけでは、正直言って成り立たないのだ。
アイドルとは魅力の総合商社でなければならない。
自分という存在をまるごと商材にしているのがアイドルだ。その点、ダンサーというのはダンスのパフォーマンスだけで勝負できる。専門職と総合職の違いがそこにはある。
専門として図抜けているのに、総合職で他の分野に才能を消費するのは単純に考えて非効率ではないだろうか。
来栖翔にとって、アイドルという職になにか思い入れがあったのか、それともダンス業界で身体的な特性を理由にするなどの観点から才能を活用できなかったのか、もしくは自ら才能の幅を広げるためににアイドルという概念を踏み台にしようとしたのか、本編を履修していので私は知らない。
もしかしたらどれでもないかもしれないし、一部だけが当てはまるのかもしれないし、そもそもなんか物語が始まるまでダンスとかやってないかもしれない。
とはいえ、彼はアイドルという選択肢を選んでしまったことで、彼の前に立ちはだかったものについては想像に易い。
可愛いことだ。
クリクリなおめめ、低めの身長、特徴的で人懐っこさを感じる声帯、全体的に発展途上の気配が残る骨格。
異論はないだろう。彼はとってもかわいい。
おそらく、十代の来栖翔はかわいー!と言われると可愛くねえ!と意地を張るかわいい思春期ショタの概念みたいな存在だったのではないだろうか。
だって見れば誰でもわかる。これだけ可愛けりゃ、すでに一定の需要がある。
しかし、彼が自身のダンスパフォーマンスに自信が有ったとすれば、賞賛としてこれほど的外れなことは無いだろう。
いや、勝手にダンスにプライドがあると思い込んでいるのだが、これで彼がなんかただ身体能力の高いセンスのかたまりだっただけだったら笑ってしまう。
そういえば、得意楽器あるとか言ってたじゃん。ダンスは楽器じゃないので、彼はその楽器でなんかストーリーがあるのかもしれない。ここでクラリネットが出てきたらどうしよう…踊りにくそう。
いや、自分がスタツアで見たものを信じて話を進めるべきだ。来栖翔は間違いなくダンスがうまいし、そこにプライドがある。
だってフォーカスのされ方や抜かれ方が完全にソレなのだから間違いない。
ダンスという才能をもち、それを認められた彼がアイドルになってしまったのならば、それは非常に困難な茨道に足を踏み入れたというべきだろう。
(これは時系列が逆かもしれない。しかし、アイドルを目指したところ、抜きんでたダンスの才能があると分かり、でめちゃくちゃ輝けると自信を持つようになった場合でも同じだ)
これは厳密にはアイドルの話ではないのだが、私の中で非常に印象的なやり取りがある。15年ほど前の小栗旬の情熱大陸で蜷川幸雄と小栗が話していた内容だったと思う。
これは表現者としては実に絶望的な話だと思ったのを、今ここで思い出す。
来栖翔が可愛いというだけで、ダンスがうまくてもすごい!かわいい!だし、失敗しても失敗しちゃって可愛いね。となる。
彼が彼であれば、アイドルファンにとってダンスが図抜けている必要なんてないのだ。
これは非常に残酷な構造である。
ちなみに、これは前述した一ノ瀬が感じていたであろう苛立ちと似ているようで異なり、ただし行き着く点は同じところになるものだと私は思っている。
一ノ瀬はどちらかといえば、実際に怠惰で愛嬌を振りまくだけの稚拙なタレントの存在に腹を立て、真っ向からパフォーマンスで勝負しようという純粋な理想主義があったと思う。そして実際に、彼に着いてくるファンというのは、彼のビジュアルと技術から彼に「完璧」を重ねて評価をする。
初めから世間に評価されるに足る「カリスマ性」を背負うに足るスタイルやビジュアル、セルフブランディングができている。結果として、世間で売れればオールマイティと評価され、それを背負う覚悟もあるし、批判が来ても真っ向から捻りつぶすだけの力が彼にはある。が、しかし、そのまま真っ向からその評価と戦い続ける限り、どこかで折れるのではないかと思わざるを得ない危うさが、間違いなく在る。
これは、彼がアイドルである限り、絶対に壊せない壁でもある。
直接彼を見せれば、口を噤むかもしれない。でも、直接彼なんか見てくれないのだ。世間ってやつは。彼がアカデミー賞をとったって、オリコンチャートでギネスに載ったって、世界的な賞を受賞したって、全てを認めさせることはできないのだ。この日本で9アイドルの看板を背負った時点で。
とはいえ、彼は、一ノ瀬トキヤの「パフォーマンス」を評価するのではなく「一ノ瀬トキヤ」のパフォーマンスを評価されても不快ではないようにも思う。自分が低く評価されるのでなければ、彼のプライドが大きく傷つくことは無い。もちろん少なからず傷つく部分はあるだろうが、そこは飲み込むくらいの折り合いは付けられるのではないだろうか。そう感じるのは、一ノ瀬トキヤにとって、見せたい自分と彼自身が見られている他者からの人物像に乖離がないように見えるからだ。
そういう意味で、彼は端から恵まれている。
一方、来栖翔の見た目は、一ノ瀬トキヤの様な説得力を持っていないし、何より自身の見せたいものと、第一印象で彼に対して相手が覚える印象が異なっている可能性が高い。
これは、こっちの方が顔がいいとかスタイルがいいとか、そういう話ではない。
勿論、ダンス世界大会優勝という肩書を来栖翔が持っていたとしたら、世間だって凄いと評価するだろう。
でも、アイドル来栖翔のファンは本当に来栖翔の「ダンス」を見てくれるだろうか。多分「来栖翔」のダンスを見るのだ。
この優先順位こそアイドルの本質だと私は思う。
まず、その「来栖翔」が自分の望む「来栖翔」の姿ならば、彼は嬉しくアイドルという仕事を楽しめる気がする。しかし、望んでいない見た目優位の可愛さであるならば、これほど苦痛なこともないのではないだろうか。
在りたい自分でない姿が評価され、応援されている。
評価されない者にとっては贅沢な悩みであり、しかし、自己に理想や愛着を持っている人間にとっては致命的な歪だ。「プロ」なのだから、と世間が求めているものを受け入れて、そこにおもねることは最も分かり易い選択肢の一つだ。
でも、来栖翔というのはそういう風にはなりたくなかったんじゃないかと私は思っている。
自分のなりたいもの、理想に対して真直ぐな男なのだ。来栖翔というのは。
そういう所が彼の格好良さで強い魅力なのだと思う。
「アイドル」の業の話に戻ろう。「かわいい」というビジュアル的評価や、何でも許してくれるファンの存在を真に受けてあぐらをかけば、飽きられるという点も闇が深い。どんなに可愛くたって、ただ可愛い男なんて無限に出てくるのである。にも拘らず、どんなに努力しても、所詮アイドルと言われる。
そもそも、自分自身がアイドルというものをそういう色眼鏡で見ていないだろうか。しょせん専門職の俳優やダンサー、歌手にかなうものではない。客寄せパンダとして、アイドルを見ていないだろうか。
この人は俳優として認めるとか、この人はまあ歌がうまいかなとか、この人はそこそこ踊れるかな、とか思っていないだろうか。『アイドルにしては』と思っていないだろうか。
逆にアイドルファンとして、こんなに俳優業もできるなんてうちの推しはすごい!と、盲目的に応援してはいないだろうか。
別にそれを間違っていると思っているわけじゃない。アイドルってそういう物なのだ。
前述の通りアイドルは魅力の総合商社である。専門分野一つでやってる人間のほうが、専門分野に秀でるのは当然で、アイドル自身がそれを人一倍わかっているから、売れているアイドルというのは、だれしも尋常じゃない努力をしているし、そのうえで謙虚だ。
そして、そうだとしても本職から疎まれることも多い。そういう世界である。
そんな中で、アイドルという職業を生きる彼らは、私たちに夢を見せてくれている。業が深くて、どうしようもなく魅力的な概念だ。
ダンスパフォーマンスという観点で、一人たとえめちゃくちゃダンスができたとしても、アイドル来栖翔になったら、ダンサーであるよりダンスに対する正当な評価は受けられなくなる。
少なくとも私はそう思っている。
それでも、彼はアイドルという道を選択して、そして自分のパフォーマンスをあきらめることなく、磨いてきたのだと思う。
それは自分の魅せたい「来栖翔」の姿が彼の中に明確にあった故にできたことだ。
彼が見せたかったのは「ダンス」じゃなくて、自分の中にある自分の本質。格好良い自分自身にあるのではないかと思っているからだ。
圧倒的な運動量、ダンスセンス、身体能力どれをとっても来栖翔はすごい。
これで歌ってるんだとしたら肺はどうなってるのか、横隔膜がどうなっているのか想像もつかない。(正直インカムでパフォーマンスしてるので音源は流石に流してるんじゃない?と思っている)
来栖翔は「男気全開!」の自己紹介の通り、男らしさを求めているであろうキャラクターである。爪を黒く塗ってたりするのも本人なりの男らしさだと思う。(黒ってかっこいいし男っぽいじゃん?)ヘアピンつけて可愛いねと思ってしまうが、こう、中性的な要素や弱弱しい要素を出してこないことから、あくまで活動的な男の子が邪魔な髪を止めている類のキャラクターデザインと考えることができ、「可愛いと思われたくない」と自らのビジュアルにコンプレックスがあるのは想像に易い。
四ノ宮のソロでも書いたが、彼の目指すパフォーマンスはやっぱり男らしい格好良いものなんだろうと思うし、彼の見た目がそれに反していることを非常に腹立たしく思っていた時代もあっただろう。
かっこよくダンスを決めた瞬間に「かわいー!」と言われて、なんだよ畜生!と腹を立てたに違いない。そして、俺は可愛くない!とぷんすかしているところを、再び「かわいー!!」と喜ばれるのだ。
それでも、彼は自分の求めるパフォーマンスや、魅せ方について、真直ぐやりたいとおりに、今日まで腐らず努力を続けたわけである。
それは七海女史の支えももちろんあっただろうが、シンメの存在も確かに在ったのだろうと思う。見た目と中身のギャップを持ちながらマイペースに焦っているように見えない彼を不快に思った気持もまとめて、彼のばねになったんじゃないかなと思う。
彼の男気というかがむしゃらさと、同時に反骨精神が彼のステージを跳ね上げ、共に歩いてきてくれた仲間が、彼の鬱屈を自信に変えてくれたんだと思う。
そして、来栖翔っていうアイドルは、そういう自分の葛藤をファンに隠せないアイドルでもあるのではないだろうか。
勿論、夜遅くまで靴を何足も履きつぶして練習したなんてことは言わない。でも「俺は男らしい男だ!」となりたい自分に向けた真直ぐな言葉をファンに見せてきたのではないだろうか。
そして、そんな自分を曲げずに、彼の容姿も織り込んだうえで、格好良く彼らしいパフォーマンスを魅せるところに到達しているのではないかと思うのだ。小さめな体躯だからこそ格好良く見える振りを、真直ぐ自分なりに格好良く見える様に続けてきた。
生きざまそのものが男らしいのだ。
見た目はもちろんかわいい。今日までずっとかわいい。
その可愛さをずっと単純にかわいい!と言っているファンはずっといる。昔と違ってそんなファンのことも今の来栖翔は愛しているだろう。俺はかっこいいんだよ!と言葉を返しながらも、そこには愛がある。だって、ただ見た目がかわいいだけではない自分にきちんとした自信が有るのだ。
そんな彼の姿に励まされた真直ぐなファンも居るだろうし、その真直ぐさにガチ恋したファンはマジでやばい。
来栖翔ガチ恋勢は本気で等身大の恋愛を事細かに設定していそうである。ガチ恋女のブログが迫真すぎてネットで本当に彼女では?みたいに騒がれ、さらなるガチ恋たちによって偽物論破をされて居そうだ。地獄のいたちごっこである……。絶対にリアルタイムで写真をインターネットにアップしたり、生活圏内で自撮りをしないでほしい。
私は推しの自撮りに映った壁の汚れから居場所を特定してしまい、頭を抱えたネトスト気質の知人がいる。
あと、実際コンサートでも男に呼ばれていたが、男性ファンも絶対に多い。彼の生き方やパフォーマンスに勇気づけられたファンは間違いなく少なくない筈だ。それと、単純に女性より男性の方がパフォーマンスそのものに視線を向ける人が少なくないので、アイツ実はめちゃくちゃダンスうまくね?やばくね?みたいな感じのファンも居そうだ。
来栖翔のダンスについてプロのダンサーが解説してみたみたいな動画が結構あるに違いない。私は視た(明確な幻覚)
彼の生き方というのはまっすぐ人に勇気を与えるものだし、そういう意味でアイドルって天職だと思う。
さて、それを踏まえてのパフォーマンスである。
一見すると楽しくやんちゃでちょっとキュートで、漫画的なパフォーマンスだ。
少年漫画みたいな画面でぴょんぴょん飛び跳ねて龍に乗ってポーズを決めまくる。
ドラゴンボールとかそういう少年漫画のカンフーアクション。男っぽいけどなんだかかわいい、塩梅が非常にうまい。しかし、そのパフォーマンス内に必要になるのは異常な身体能力、そして、不安定な足場で一つ一つのポーズを決めなければならない圧倒的自力である。
ダンスをセンスで踊り、かっこよい動きをただ見せるだけより止めを格好良く見せるのは筋肉を使う(と漫画で読んだことがあるのでたぶんそう)。
動的な動きは次の流れにつなげればそれなりに見えるが、見得を切るというのはそうはいかない。
その上、繰り返すが不安定な足場である。
ここで言う不安定な足場は言うまでもなく龍だ。
アレがなんかすんごいドローンなのか、人力で動くそれをプロジェクションマッピングでうまい事アレしてるソレなのかはちょっとわからないのだが、いずれにせよ、曲線的な動き、そしてあれだけ動かせば、間違いなくそれなりの風が吹いている。
定まらない足場にキラキラ光る照明で眩む視界、そして風、熱気、ダンス……いや、凄い要素しかない。
その上メンバーからの応援の視線やファンの応援に応える視野がある。
初めて見た時も言ったのだが、あの瞬間の来栖翔の脳内ではアドレナリンがドバドバあふれ出ていたに違いない。信じられない量のアドレナリンが分泌され、何もかもが鮮明に見えていた、完全なステージハイ状態にあったと確信できる。
だからこそ、あの最後のポーズを決めた瞬間にドッと抜けたのだ。
私個人の勝手な幻覚のさらなるプラスアルファなのだが、リハーサルではもっと振りを間違えたりポーズがうまくいかなかった場所があったのではないだろうか。
ステージ上でしかできない最高のパフォーマンスをあの瞬間の彼はして、その圧倒的な興奮の中でしか得られない最高の景色をあの瞬間に見て、そして「世界丸ごとありがとな」と笑ったんじゃないだろうか。
もう、感動的過ぎて涙が出る。
私はなんでか知らないけど、彼のビジュアルと印象から勝手にここまでドラマを見て、「もう完全に少年漫画なんだわ……」と鳥肌を立てていた。
ああいうステージを作れるのが来栖翔で、ああいう瞬間を楽しむために来栖翔はアイドルでいるのだと思う。
散々、アイドルをやっているから彼はパフォーマンスを正当に評価されることは無いと言いつのってきたのだが、あの瞬間の感動はきっとアイドルだからでしか味わえない類の物なのだと私は思う。
カルチャーとしてのダンスを極めたときのそれとは違う。アイドルというエンタメだから許された予算規模で、アイドルというエンタメだから許された構成を、王道アイドルらしい真直ぐに捻らない形で枠を壊し、アイドルとしてみんなに愛された個性を全開に花開かせて、アイドル如きなんて決して言わせないパフォーマンス力で、最高の「来栖翔」をそのままお届けできる。ファンとアイドルが、お互いに最高に元気をもらえる瞬間を作れるのがアイドルってやつで、アイドルコンサートってやつなのだ。
これが、冒頭でかいたアイドルらしさを失わずに突き抜けたアイドルらしからぬパフォーマンスであるという言葉の意味だ。(いろいろと寄り道をしすぎてつながったか不安しかない)
彼だけ完全に一人でパフォーマンスなのも、来栖翔のダンスパフォーマンスに誰かが入るのではなく、みんなが成長し、ここまで歩んできた来栖翔を見て、それに応える来栖翔という構図が最高に熱くて格好良いからだと私は思っている。
というかクラ組は、二人ともそれぞれの世界を完全にやり切るという意味で、メンバーの介入が少ないのが、なんだか二人らしくていい。
それは繋がっていないという意味ではなくて、繋がっているから一人の個性を如何なく出せるということだ。シンメって感じでサイコーだし、この称賛のパフォーマンスがソロの最後なのもサイコーだ。
とはいえ、あのパフォーマンスの後にユニットダンスを踊ったのはマジで化け物だと思う。あのまま舞台袖にはけた瞬間倒れたとしても納得してしまう。
とりあえずユニットソングまでの間、我々はライブビューイング組の為省略されたが30分ほどのトイレ休憩タイムなどを入れていたということにしてほしい。
正直来栖翔の毛穴からカロリーを流し込みたい。家系ラーメンを増し増しで三杯くらい食べてほしい。30分で着替えと合わせて食べきれるだろうか。バターをドーナツの衣みたいなのつけて揚げたやつでもいい。那月君が作ってくれるだろう。ちょっと一人あまりの衝撃的な映像にフリーズしてしまって続くステージに影響があるかもしれないので、サムライズムのメンバーはUUUUとは別にセットの確認とかしてもらおう。照明の調整とかに行ってもらうことにしておきたい。
UUUU
こういう曲もパフォーマンスもめっちゃ好き!と素直に思った曲だ。私がアイドルコンサートで見たいものが割とここにある。でも自担のイメージとは結構違うし、なんならとってもV6をかんじる。どなたかがKPOPを連想していたのを見たが、なんだか世代差を感じた。(普通に普段住んでいる界隈の差もあるけど)おそらく、これは共通してダンスアイドルグループの印象に結びついているのかなと思う。
さて、このユニット分けについての話をしたい。おそらく本編展開で何かしらのエピソードもある組み合わせだと思うのだが、素人なりに感じたこのユニットはそれぞれのダンスやパフォーマンスに対するスタイルの違いを感じるのだ。
自担の話になり恐縮なのだが、私がまだキンキに沼る前の話になる。当時熱心な友人からキンキ布教を受けていたのだが、おそらくあのとき一番初めに私の心を揺らしたのは『恋は匂へど散りぬるを』のMVである。(私が彼らに完全に沼ったのは更にその数カ月後の話だ)
二人が並んで水場でぱっしゃぱしゃ踊るMVで、二人でおそらく同じ振りをしているのだが、全く同じダンスに見えないのだ。
シンメって二人で左右対称の振りをするのにセットにされてるコンビって言ってなかった!?と怒られそうなのだが、別に対称になるなんて言っていない。(暴論)
二人はテンポだとか振りだとかそういうものはおそらくどちらも正しいのに、全く違うダンスを踊っているようにしか見えないのだ。
当時の私といえばダンスなんてミュージカル戦国BASARAとか忍ミュとかしかしらないので、完全な門外漢だ。(いまもまったくの門外漢である)
それでも、同じ振りをしてるのにそれぞれのポジションが全く違うのがわかる。
当時あまりに衝撃的で、友人になにこれ?と詰め寄ったのを覚えている。友達は爆笑していた。
『光一は決められた教科書通りにきちんと踊っているけど、剛は音楽にダンスの振りをのせて表現してるみたいなんだけど!?』
そんなことを言ったと思うし、今も二人のダンスについてそんなふうに思っている。
グループで踊るダンスという意味で、光一は非常に真っ当だ。おそらくKPOPのアイドルはこういうダンスの仕方をしているイメージがある。女性アイドルもそう。群舞という単語が浮かぶが、おそらくそういうたぐいのものではないかと思う。そういう、一つずつをきちんと当てはめていった上で、突き抜けた人は個性も出せるみたいなそういうやつである。
一方で剛はどの分野においてもそうなのだが、どうしたって表現者だ。音楽に合わせて協調性をもって踊るのではなくて、音楽に乗せて体で表現している。もちろん、本人がその気になればきちっと合わせて踊れるとオタクは思っているのだが、そうある必要性を誰も感じていない。
また、KinKi Kidsという二人でやっていくに当たって揃わないことは完成度を下げているわけではなく、世界観を確立しているだけだと、少なくともオタクは思っている。そこには確かにここにしかない調和が在る。
さて、おめーすげー文字数で別のアイドルの話をするなという話なのだが(今更すぎる)、ここで言いたいのはUUUUは剛っぽいスタンスでダンスをするグループ、SAMURAIZMは光一っぽいスタンスでダンスをするグループに思えるということである。
ST☆RISHはそもそもめちゃくちゃ優等生なので、振りは揃っているし、グループで踊っているときにそういう差異を大きく感じることはないのだが(そもそもロマンのない話をすると今回のライブはモデルによるダンスステージなので、そこまで個々に細かいニュアンス入れまですると、それぞれの動きのトレース用の中の人が必要になってしまうと思う)、私はソロステージを見た女なので感じるものがある。
アーティストとパフォーマー気質の違いはそれぞれのソロから感じたものだ。
自分のうちに存在する世界観や見せたいものをそのまま表現するタイプと、外部から提示された、もしくは意図的な目的を持って構成された世界観を自らの技術で表現するタイプに!(n度目の名探偵顔)
なんか、すごくきれいな組分け!となった理由を説明しようとしたら無駄に長くなってしまった。
この解釈故にこのあとのMCでダンスバトルみたいにと説明が入ったときに、完全にUUUU内でダンスバトルみたいにバチバチにダンスしてたもんだと思ったものである。あそこはそれぞれの内側にある表現を四人が戦わせているように私には見えていた。恐らくニュアンス誤り選手権である。
UUUUの曲はそもそも曲の疾走感がたまらない。もちろん決まった振りがあるし、振り自体はわかりやすく、ファンが一緒にノれるフリなのもいい。
おそらくタキツバのファン層とかならふぉーゆー!しぇきしぇき!のところ、完全に踊ってる。
スタリの現地ファンも結構踊ってると思う。
現場が盛り上がる楽曲というのはコンサートにおいて非常にアガる。コンサート向け、かつそれぞれの個性を出すソロダンスパートがあったりするのも、彼らのうちにあふれる音楽的パッションと会場の盛り上がりがリンクして凄く良い。
外周を走るので客とのやり取りがあったりファンサや絡みがあるのも、THEアイドルコンサートだ。
この一定の自由さが彼らにめちゃくちゃ向いてるパフォーマンスってかんじがする。
実際UUUUは現場の観客がノッてるとよりパフォーマンスのレベルが上がるタイプのメンツが揃っている。会場によって出来が変わってきそうと感じるあたりも、彼らのパフォーマンスが自己表現と密接に繋がると感じる部分でもある。その点SAMURAIZMはそこまでパフォーマンスに現地の観客の盛り上がりはあまり出てこないような気がする。もちろん皆無ではないとおもうが、そもそもそういうクオリティの差を好ましくないと思っていそうだ。UUUUは屈託なく今日は会場もめっちゃ盛り上がってくれたから俺たちもいつも以上に盛り上がったパフォーマンスができたよ!って言いそう。今日は良くなかったとかは言わないけどポジティブな感想だと悪気なく言ってしまうと思う。
まあ、彼らも客席を盛り上げようとやってるので客席も一緒に盛り上がったは方がいいし、盛り上がれば盛り上がるだけ良くなるんだから、盛り上がっていって欲しい。
なんか、「この会場は反応が良くなくて彼らも乗り切れてなかったみたいな公演があったとき学級会が起きるやつじゃん」まで連想して、チキチキ脳内オタクの醜い争いデスゲームを始めてしまった。大丈夫、スタリのオタクは感情が爆発して意識を手放す場面だとしてもペンラを振り、C&Rをやり切るオタクだすべての現場が最高に盛り上がってるはずだ。
そう、今回みたいにね!!!
それから、ここでバッキバキに踊るメンツのうち二人が一応可愛い系に属しているはずなのに、ワイルドに踊ってみせるのもアイドルらしいかっこよさだと思う。
この中でやっぱり輝いているのがクラではないだろうか。
翔さんがこの曲でバチバチに踊るのはもちろんだが、那月くんがここでワイルドにかっこいい、そのガッチリした骨格や筋肉を生かした骨太パフォーマンスを見せてくれるのがいい。
四ノ宮那月ってめちゃくちゃかっこよく踊るのよ、とドヤ顔をキメるオタクの顔が鮮明に視える。
さっきのソロの時よりストレートにかっこいいUUUUのダンスはなんか、そもそも翔さんがやりたい方向性のダンスだと思うし、踊っていて楽しいはずだ。
勿論暖色の二人も最高だ。レンくんもこういうワイルドなダンスをつなげるのはおそらく得意なはず。それっぽく、かっこよく見せるのは彼の十八番だろう。しかも、ユニットなので周囲の熱気に当てられた感じもある。
そう、何だかんだと斜に構えていてもレンくんは周囲の熱気にちゃんと当てられている。一緒についつい頑張ってしまってる彼のことをすごく素敵だと思っているのだが、そんな彼を過去の彼がみたらもしかしたら恥ずかしくなってしまうのかもしれない。今のレンくんはそんな自分をなんとなく苦笑交じりで愛せそうなので、彼のそういう受容の魅力ってずっとあるんだろうなと思う。
音也くんはやっぱり単純にこのパフォーマンスが楽しいんだと思う。体を動かくのたーのしー!と伝わってくる。なんだろうね、ソロを見たあとだからやっぱりストレートに楽しそうに踊る音也くんを見るとなんだか嬉しくなってしまう。どっちの魅力も知ってるからどっちの魅力も格別に感じるのだ。
二人ずつ絡んでいくところも、本当に男の友情と、クラスメイトのじゃれつきみたいなこの、楽しいを詰め込んだ距離感、何なんだろうきっとUUUUって余計なことを考えていつまでも引きずったりしないし、バーベキューで誰が俺の肉食った!とかギャースカやってもバーベキュー終わったあと美味しかったねーって笑ってるんだろうな。喧嘩か?と焦っていた周りにえ?みたいな顔してそうな気がする。
たぶんいたずらで顔に落書きとかしたらふざけんなよ!って怒ってもあの日喧嘩してたよねって周りに言ったらそんなことあったっけ?と流してしまう。その瞬間盛り上がって、いろいろやっても、あとになって思い出すことは良いことだけみたいな奴らだ。
レンくんだけはちょっとギスギスしたことを事実として覚えてるかもしれないが、上手くまとまったならそれでいいよねって感じで話をクロージングするがする。彼がマイナスを気にし続けるのはちょっと相手に対する何らかの執着か、期待か、もしくは罪悪感か、一処ではない感情が必要なんじゃないかな。
しかし、気のいい奴らだよなーUUUUって、みたいな気持ちになりながらパフォーマンスを眺めるのだが(????)
1000%以上のチカラあたりのテンポが緩やかになるところのライティングも含め、四ノ宮那月から始まるのだが、一十木音也から始まる歌の輝きがすごい。そんな幸せの化身みたいな笑顔で互いを高め合う力強い歌詞を歌い始めるの、あんまりに格好良くないだろうか。
というか、アイドル一十木音也の魅力の結晶みたいな笑顔にひっくり返ってしまった。太陽?多分そう。繰り返すんだけどソロのせいで魅力の交互浴がすごいのだ。原点であろうマジラブを思い出させる振りも含めて、こんなにまぶしい笑顔を見たら、時が止まってしまう。
そして、四ノ宮那月がなりふりなんて構わなくたって良いと繋げる。彼は自分の魅力を出すために相手に応えると言う意味で形をそこまで選ばなかったと言う意味も感じるけど、どちらかというと、どこか来栖翔に向けた言葉のようにも感じる。せめぎ合い、高め合い、と受け取る来栖翔を見ても、二人の間にあるこれまでの強さが凄い。本当にクラは強い言葉を歌に乗せたときの絶対にそういう強さで自分たちの未来を引っ張っていく推進力みたいなものをたしかに見せつけてくる。なんなんだこれ。
また、最後に神宮寺レンがこの旅をどこまでもと気持ちよさそうな愛しそうな横顔で写るところ、なんだかとっても愛が満ちている。そんな風に未来を楽しみにしてしまう男になったんだな……。何故か勝手に色んな物を欲しがっている自分から目を逸らして、諦めて折り合いを付けたり呑み込んだり斜に構えたりするのが上手かった男だと思っているせいで、そういう純粋なところを見せられるとぐっときてしまう。
四人のきもちが、言葉とパフォーマンスの力強さをもって説得力とともに駆け抜けていく。
ガチ恋勢が全員惚れ直している。
あの瞬間、リア恋気質の女は絶対誰かしらの彼女だったし、なんならそれぞれの彼女だった。
もちろん、本物のガチ恋勢からすればみんなずっとそれぞれのサイコーにかっこいい彼氏であるとはともうのだが、この瞬間は間違いなくアナタに向けて歌われた瞬間だっただろう。眼球の解像度とピント調整機能及びトリミング機能が完璧に作用したに違いない。
それにしてもギャップの使い方が本当にうまい。
まったくこのコンサートはあらゆる場所にストレートなアプローチをかましているにも関わらずギャップに満ちている。
このギャップというのは間違いなくST☆RISHの魅力の多様性から生まれている。一人ひとりの強い個性だけではなく、互いの個性を受け入れ、リスペクトし、互いに研鑽し合った結果、それぞれの中に出来上がったカラフルな個性だ。
単純に格好いいとか可愛いとかそういう話ではなく、それぞれがこんなこともできる、こんな表現もできるを次から次に出して、楽しんで、我々を楽しませてくれている。
単独コンサートをやることになって、10年活動してきたST☆RISHができること、ファンに見せたいことにこれだけ多面性があるというのは、それだけ意義深い時間を濃厚な努力を彼らが一緒に歩んでこれたということだと思う。
なんかコンサートの総括みたいになっているがまだまだ続くし、ようやく折り返したところである。怖すぎる。
そういえば、絶対UUUUって全員バク宙してたはずなのに何度見返しても全員がバク宙した振りがない。理由が全然わからない。
あと、普通にセットの話するんだけど、せり上がったときのアリーナ席特効含めて相当涙目だ。
4つステージがせり上がるとなると結構液晶も見にくくなってしまう。
メインモニター以外のモニターがどこに設置されてるのか私には確認できていないが、それぞれ見やすい場所にあるといいなぁ。
SAMURAIZM
突然ミュージカルかMVが始まったと思うレベルで世界観が完成されたショーステージ。
キングオブプリズムの世界を知っているせいで、脳内に微かにユキ様が登場してしまったが、とてもジャニーズらしい(ジャニーズではない)世界観のステージだと思った。どうしてジャニーズはジャポニズムが好きなんだろうな……。ってなるくらいはっきり「日本」を押しつけてくる感じ、親しみがある。ていうかさんざんSHOCKをこすったせいでジャポネスクも混ざってきて脳がてんやわんやだ。
とはいえ、世界一周の最後が日本としてきたなかで、ラストは竹と桜をイメージして日本!帰国!という構成なのは私は分かる。
とはいえ、UUUUはユニバースって言ってるのもあって、ワールドワイドな感じな気がする。と、すると若干順番逆じゃない?って感じだが、まあ、そんなことを言うのは野暮なのと、やはりラストをきちんと日本の世界観で締めたいというのがわかるので、現代日本的パフォーマンスと純日本的パフォーマンスとして納得すれば良い。
さて、すでにUUUUの方でも話したがSAMURAIZMのメンバーは、ダンスの「揃い」と世界観の構成を重視したステージングが抜きん出ている。
世界観の作り込みが、月のウサギ、祭り、彼岸花や刀、鬼、盆栽、桜のような、海外の人間が考えたジャパニーズファンタスティックで構成されているくせに、パフォーマンスは本当の日本の伝統芸能を意識している感じが、こう、っぽいのだ。外的な要素でガチガチに固めてあるのも、本当に彼ら向きのステージで、こういう構成要素を一つ一つ拾って丁寧に処理するのがうまそうなメンバーだ。
全体的にワイルドなUUUUに比べてSAMURAIZMは優美、曲線的な動きが多く、日本の舞踊や歌舞伎といった芸能に対するリスペクトを感じるダンスの振りなんかも、非常にサウンドにマッチしていて、世界観を盛り上げてくれる。
こういうのは本当に一ノ瀬トキヤっぽいステージ作りを感じる。一つ一つの動きに意味を持たせて、全ての事柄が、世界観やステージで表したい演出をを底上げし、浮き立たせるための意味のある動きで構成されている。
指先の動きから視線の向きまできちんとこだわればこだわっただけ、この三人は丁寧に表現出来るのではないだろうか。
ある意味、(私のイマジナリー)当初の一ノ瀬トキヤが求めていたユニット活動ってこういうことなんだろうなと思う。
そういう意味で、彼のやりたい事がこのタイミングで出来ているのはなんだか趣深い。なんというか、それ以外の選択肢が彼のアイドルとしての表現の中に存在する上で、当初やりたかったことを十全に出来ていると言うことが非常に良い。その上でこのステージも、ずっと緊張しているわけでは無く、抜くとことは抜いたパフォーマンスになっているのは、トリガーチャンスの時にも思ったが、彼の心の余裕とリンクしているのだろう。
そして、あえて言葉にすれば、そういう彼らしい作りのステージが彼にとって唯一最高のパフォーマンスの作り方というわけでは無くて、彼の中にある選択肢の中の一つになったと言うことが良い。
過去の一ノ瀬から随分変わったね、みたいな話を過去を知らないのにずっとしてきてしまったが、昔の彼が間違っていたわけではないので、その要素が昇華され、完全になくなってしまったのでは無く、こういう風にきちんと残っている、というか、無くなっていないことは、とても嬉しいことだ。今まで有った物が変わっていく中で、きちんと残っている物が有るとどうしても大切にしてしまいたくなる感じである。
聖川真斗に関しても、彼はそもそも「息を合わせる」ということが骨身に染みていそうな感じがあるため、こういうパフォーマンスがよく似合う。なんだか仲間意識とかそういう物がそもそもまっすぐに好きそうだ。だからぴったり合わせて一緒に表現することを彼もまた、重要視するイメージがある。そしてその中で自分の中の表現を乗せると言うこともまた彼らしさとして際立つ部分である。
あと、私は彼のことを純日本家屋に住んでいて、部屋着が和服の可能性がある男だと思って居るため、日本舞踊の動きなんかが子供の頃から習っていそう~みたいなイメージとも合致している。なんか紙飛行機に筆で文字を書いていたしそういう男だろう。
ソロに引き続き、このパフォーマンスに彼はまた別の形で自分を乗せてパフォーマンスをしている気がしてならない。ST☆RISH聖川真斗として、過去の自分から一皮向けた自分になるという表現を、彼はここでも愚直にやっているような気がするのだ。
その中でも協調性を忘れない、というよりソロでは無く、ユニットでは仲間との絆をまた別の形で乗せてパフォーマンスをしていると言うのがイメージに近い。彼自身性格や、彼のソロのパフォーマンスからしても、なんというか、作り上げられた世界の中に、自分を乗せていくという表現の仕方を好みそうな気がしている。0から1を生み出すのでは無く、1の上に10の意味を乗せていく。彼自身はステージで自らの内面も表現したいという意志がやはり強いのだろう。そういう気持ちがあるから、このステージそのものはどうしても聖川の気持ちを中心に乗せられていくのうな構成になっているような感じを覚える。
予定調和的に創られていく多層的な表現とでもいえば良いのだろうか。
愛島セシルに関しては、どちらかと言えば、こういう世界を作り込むと言うより、単純に日本文化という物に対する好奇心に対して真正直というような印象だ。彼岸花の美しさだったり鼓の音、歌舞伎の見栄切りのような表現や日本刀をつかった殺陣、どれもこれも彼の好奇心をめちゃくちゃに刺激してくれるのでは無いだろうか。それを非常にストレートに表現するステージの作り込みは、なんだか彼のやる気を後押ししそうな感じもある。他の二人に比べると世界観への理解と言うよりは、二人が作り上げていく物を楽しんで、それに合わせて彼自身も持ち上がっていくような感じだ。一つ一つの表現に彼なりに意味を見いだして、色んな発見をしながら、このパフォーマンスに臨んだんじゃないだろうか。練習中に一ノ瀬や聖川に色んな質問をして、三人で首をひねるみたいな構図が何故だか自然に頭に浮かんだ。
勿論、すらすら答えられる部分もそれなりにありそうな二人なのだが、それでも愛島からでてくる質問には新たな気づきがあったりしたのではないだろうか。今の二人はそういう新しい物を素直に咀嚼してステージに取り込むことが出来そうなので、そういう意味でもとても有意義そうな練習風景である。(全部明確に幻覚だが)
そして、そもそも彼自身の出自から明確に存在する優美さ、というか余裕の部分が、パフォーマンスの揃い方や表現の安定感に繋がる。自分が自分が!と前に出てパフォーマンスをする必要の無い余裕というか、そういうのがあるのだ。
また、MCでも言っていたが、三人揃った優美な動きというのをきちんと合わせて、かつ、動きを揃えているときには、日本の伝統芸能の特徴として能面的な、あまり大きく表情や変化を持たせない作りを一貫して出来ているというのも、UUUUにはできないこの三人のユニットだからうまく乗りこなせる部分であるように思える。
いや、やれと言われればUUUUのメンツもできはするだろうけど、そこになんとも言えない良さが乗るのは、立ち姿に品がある三人であるように思える。こればっかりは育ちの問題があるので、相性の話だろう。
勿論、SAMURAIZMの三人だって、こういう折り目正しい日本的な、ある種そぎ落とした表現では無く、どんどん足し算していくような表現も出来るのだろうけど、数ある選択肢の中で日本的減算の表現を選び、日本らしい美を表現するというのは、この三人にとって、滅茶苦茶相性の良い構成だったのではないだろうか。
ステージング内での色抜き表現についても、彼らがST☆RISHとして生きていく前にに感じていた世界や、ステージに向き合ってきた時に持っていた狭窄した視野を表し、それを自ら切り捨てていくような、歌詞と曲調を連動させた動きになっているようでその点で面白い。
歌とモチーフの要素を、全てうまく掛け合わせていく無駄のない優等生的な構成だと思う。(COCOSのコラボメニューと同じ方向性を感じる)
また、ステージの色抜きについては、単純に、メインモニターに色抜きのを映すテレビ的な表現を使ったライブステージと言うことで、ライブならではの面白さがある。
こういう金のかかった構成が出来るのもアイドルステージならではだ。
UUUUのほうでは、派手でカラフルな特効(あたりまえに略してきたのだが特殊効果のことだ。火炎を吹いたり爆発したり水が出たり銀テープを打ったりすアレである)に、変形する円形モニターという現代らしい物理セットの楽しい使い方をしていたが、SAMURAIZMでは、モニター映像をうまく使っていることや、鬼のようなものをつかってかなりドラマ仕立てに表現しているのが、とってもコンサートっぽい。
ちなみに鬼のようなものが立体セットだったのかプロジェクションマッピングだったのかはちょっと分からないが、多分プロジェクションマッピングだと思う。何故そう思うのかは、SAMURAIZMの表現がどちらかというと映像優位な作りをしていたので統一感を持たせたのではないかと思ったからだ。そして電光パネルについてはメインモニターで使用しているとき近づいたらドットになるように表現されていたので巨大電光モニターではないのはわかる。
映像を使って現実と液晶をうまく融合した作りをするというのは、コンサートではありがちで結構金と拘りのある演出であるようにおもう。映像はリアルタイムでの動きの自由度が上がるので。
そういう意味でも、映像を使った演出は、かなり世界観を作り込むことが多いので、そういう意味でも、このパフォーマンスは本当にそれ一つでショーステージとしてかなり高い次元でまとまっているなと思う部分だ。
あと、良く分からんが、カメラワークが完全に聖川のことをセクシーお色気担当として首筋とか指の動きを抜くのを強調してきて、日本刀を持った彼が非常に男らしく刀を振り下ろすニュアンスとのギャップもある。その辺りも今までお行儀良くしていたお坊ちゃまからの打破みたいなニュアンスも込められているのだろうか。それともどっちも持ってるんだぜという二面性の表現だろうか。
ただ、そんなことを考えるより先に、頭の方ははんなりセクシーやん……の認識の方が早い。多分SAMURAIZMははんなり系セクシー担当である。
UUUUがワイルドセクシーなので、ユニットソングはセクシーが裏テーマなんだろうか。でもそれならUUUUもっと腰ふりダンスしてくれ(要望)
話を戻す。SAMURAIZMの個を殺しつつ個を活かした動きは、作り込まれた世界も含めて、やはり閉塞感にかかっている様に思う。それを更にわかりやすく表現するのが色を抜く演出である。綺麗に揃ってまとまっていた彼らが、殺陣になった辺りからそれぞれに動き出す。
デカいステージを全力で駆け回るので、こちらも相当エネルギーを使う振りだ。そもそも殺陣もあるので、綺麗でさらっとした顔して滅茶苦茶カロリーを要するステージだ。涼しい顔して衣装の下は汗でびっちゃびちゃだろう。
そして、大きな殺陣で悪鬼を倒した彼らの世界が色づき、最後に盆栽に傅き、美しい桜の花びらで終わると言うのは、非常に予定調和な終わりである。ここで好き放題して終わるのでは無くラストをきちんと締めると言うところがSAMURAIZMの行儀の良さだし、ユニットであると言う感じと色を感じた。
一ノ瀬の話に戻ってしまうが、彼が元来創りたかったアイドルのステージはここの殺陣ももっと予定調和でダンサブルな美しい物だったんじゃないかなと思う。そこに入る男気の要素は恐らく聖川の性質もあるし、彼らの中で壊してきた壁の一つでもあると思う。
とはいえ、なんか、突然モノクロの画面でアイドルっぽい顔でカメラ目線とウインクのファンサをくれる一ノ瀬、多分今の彼らしいのに、なんだかイマジナリー昔の彼を感じたところが、なんか面白いなと思った。
脳内の一ノ瀬ファンは見たかったヤツが見れて満足そうな顔をしている。聖川ファンはなんか大河のオファー来ないかなといっているんだけど、このステージだと必殺仕事人じゃない?と提案したところ採用されたが、大河も諦めないらしい。強欲である。愛島のオタクはアレは完全に世を偲ぶ若様と護衛二人だよねと良く分からない設定の話を一生している。
ガチ恋も結構多いはずのこの三人だが、今回のステージではどちらかというとなんかこっち方面のいろんな要素の推しを観測したいオタクの方が良い餌を貰ったようである。
MC
ここのMCなんか普通に仲良しが仲良しだね~って位で正直書く必要のあることってあんまりないだろうな~って思っているのだけど、よくよく考えなくても、ここってあれじゃん、スターリッシュ~‼大好き~‼‼のところ。
まあ、それは後半にしよう。
まずはUUUUがメインステージに戻っての円陣MCだ。ハイタッチとかは一生無限に見たいので、どうしてこの辺引きなのかについては、カメラと話し合いが必要である。マルチアングルで画面分割して見せておいて欲しい。
しかし、此処は本当に仲良しで可愛いね~常にお互いを誉め合うはなししかせんやんけ~っていうくらいしか言うことがない。この子ら本当に優等生である。
那月の「よぉ~」だけで音楽なったのも絶対仕込みだ。そうじゃないとしたら音響が変態過ぎる。そのうえで、ちょけが相手のダンスを踊ることとニンジャとかだけなので、凄い。
今回ライブビューイングが入るから大人しかったとかじゃないよね?君らずっとそうなんだよね?みたいな気持ちになってくる。
なんかこう、
「SAMURAIZMの練習を見ていたとき、殺陣の振りが格好良くて、オレもやってみたくて、翔と一緒に刀を借りてやってみたい!っていったけど貸して貰えなかったんだよね」
「練習用に使っている刀は、実際に使う物とは違うのですが、どちらも振り回す関係で結構作りが軽くなっているんです。貴方達が二人で勢いよくぶつけたら折れますからね……」
「実際練習で間違って折ってしまったり曲げてしまった物も有るが、ふざけて折りましたとはいえないからな」
「音也、イタズラはダメ!です」
「別にイタズラのつもりじゃね~って!こう、男としてチャンバラはやりてーじゃん!かっこいいし!」
「そうそう!それに刀を当てちゃ駄目っていったら、俺たちだって当てないよ!こう、シュン!シュン!ってやるだけ」
「そうそう、こう……(刀を振り回すジェスチャー)」
「そもそもそんなに力まかせに振り回したらと歪むことだって有るんです。何より、あなたたちの場合盛り上がってきて……と剣を当てるのが目に見えるようです」
みたいなエピソードからめたエピソード雑談がない。
ちなみに私は彼らのなんかめちゃくちゃお行儀の良いMCしか知らないので、口調はかなりニュアンスとしてうまく脳内変換しておいて欲しい。
本当に決められた尺のオーディオコメンタリーレベルだ。こういう話を無限に聞くのがMCだと言うのに……それとも私たちはカットされたMCを見ているのだろうか……。少なくとも、こういう話で5分ほど盛り上がって、レンくんから「そういう話は楽屋でやろうね」と言われるはずなのだが……?
あと、あえて言うとしたら、各自のへそのむき位だろうか。
へそのむき?と思った人は、各担当のへその向きを劇場で確認して欲しい。
これは私個人の主観なのだが、アイドルに関わらず、人間というのは本当に話したい相手や向き合いたい相手に対してへそを向けがちだ。そもそもアイドルって言うのは大体客に向けて会話をするので、本来へそは全て客席に向いているべきなのだが、ST☆RISHくんはなぜか全員円陣を組んで会話をはじめてしまうので、へその向きが大抵メンバーの誰かを向いている。そのため、カメラに向かうとき以外は誰の話を聞きたいか、誰に意識が向かっているかについて、大抵へその向きで分かる。必修科目なので、そういうのもし意識していないオタクがいたら今後は是非参考にしてくれよな!
あ、そういえばトキヤさんが「音楽にかける気持ちは同じくらい強いです」っていってたの、マジで、今の一ノ瀬トキヤってST☆RISHのこと大好きで、全員のこと認めてる男なんだな……って感想を打ちまくりながら見たときの映画で感慨深く思ってしまった。昔なら自分だけが一番真剣に考えていそうだって周りにずっと怒っていそうなのに、ほんと、幸せなようでなにより。
あと、本当に私は彼の過去の何を知っているっていうんだ。
それから、グループで分かれていくところのファンサは随分大人しい感じがする。もしかしたらST☆RISH界隈にはうちわ文化がないのだろうか。個別のわかりやすいレスがないので、此処もかなりお行儀が良い。レンくんと音也くんの絡みや翔さんこっちむいて~とかが、思い浮かぶ。でも那月くんの「花丸」はうちわに絶対書かれるヤツである。花丸うちわにあった???いや~~なさそう。よかったな、花丸貰えたオタク。今後一生「私は四ノ宮那月に花丸貰ったからな」という自己肯定感と共に生きていける。
そもそも那月くんまじでファンサの量ひとりでだんちだと思う。一番アリーナに視線を送っているし、ソロの時も一人最後まで手を振っていた。
あの後トリガーチャンスあるから早着替えの尺短いはずなのにギリギリまで手を振っている姿を確認したとき、まじで絶対裏でスタッフに「四ノ宮さん!急いで下さい!!!」ってめっちゃ急かされたはずである。あそこズボンも履き替えるのにバカみたいな速度で着替えたと思うと、ST☆RISH早き替えチャンピオンはこのコンサートでは間違いなく彼だろう。
なんだか言葉一つ一つや手へのよりも含めてとってもドラマティックなセシルくんの「手を伸ばせば届きそうです」なのだが、これは私個人としてはST☆RISHって意外とファンとの距離有るタイプだなみたいな気分になった。
流石にこの手のステージの上からではあり得ないが、アイドルは結構トロッコとか客席周りを歩いてハイタッチしていることがあるらしいので(キンキにはそういうのが殆どないので、他のグループの円盤を見たらアリーナだと結構やっているように見える)手を伸ばして届かない事に、私の中の「推しに接触したくない三次元オタク」の概念がホッとしてしまったのだ。
そのまま手を伸ばしたら届きそうで届かない概念であってくれ。
あと、ここのあたりでセシルくんに呼ばれて振り返る聖川のフレームがあまりにも振り向き美人過ぎて困惑したのを思い出した。
何なの???少女漫画でも始まるんか???
なんか、他のキャラクターのそういうフレームはコンサート中にふと素に戻ってコンサートを楽しんでしまっている姿みたいなのを表している気がするんだけど、聖川のその枠が此処だとしたら理由がいまいち掴めていない。
もしかするとアイドルとして歩いている中、友達みたいな感じで呼ばれたことで現実と夢(どちらも現実であるが、アイドルにとってステージの中で感じる興奮はある種の夢のような空間であると私は信じている)の境に来てしまったのかも知れない。いや、でもそこ????
わからない、ただ振り向き顔が滅茶苦茶美人だっただけかも知れない。
こういう所でもなんか、聖川って普通の男子だよなみたいなコミュニケーションステージ上で多いよな、みたいなことを思っているはずなのに、此処だけ突然振り向き美人だから、そういうカットがあったら何か有るみたいな刷り込みをされているオタクが勝手に深読みしただけかも知れない。
あの振り返り方は「Love so sweet」流れるヤツだったじゃん……。いや、目撃したオタクの視点的には完全に流れてたと思う。多分これを目撃した聖川ガチ恋は自分が生み出した幻覚なのか現実なのか分からなく成りつつ、暫くこれでご飯を食べたと思うし、寝ても覚めてもあの振り返りざまを視界に焼き付けていたと思う。そういうカットだった。
さて、いよいよ消灯の辺りの話に移ろう。
これ、当初完全にペンラ制御だと思っていたんですけど、ぽちぽち光が付いていくので、手動の可能性が高いな、と思い直した。
七海女史の強い拘りにより、入場前にデジタルチケットで入場した際に同時にその時に点灯させるかさせないかについての指示が書かれていたか、紙チケットだった場合、座席に指示が書いてあったに違いない。
間違いなくあの会場はペンラが制御されているので(特に聖川のソロが顕著だが、演出そのものが間違いなくペンラ制御を前提につくられているのでそうおもっている)もしこれが、有志によって声かけを行い、「あそこの真斗様のソロではキャンドルらしくオレンジの火を灯そう」とかオタクがやっていたとしたら、聖川ガチ恋強火の同担拒否シンメ解釈違いの女が「レンの色は灯せない」と青か、もしくは赤を灯してもおかしくない。
ガチ恋がクソデカ感情故に、シンメを嫌うケースは珍しくないのだ。
というか、「火と言えば赤でしょ」という解釈違い(というか勘違いによる色の不整合)もでてくる可能性もあるし、青い炎もあると言う人も出てくるだろう。この辺は最早頑なに理由を付けて推しのメンバーカラーひからせたいだけのひとだ。
いや、オタクだって一致団結できる!という実際の例があるのは分かっている。(自担でも過去に似たような事例がある)
しかし、そういう協調性より「自分とアイドル」の向き合い方を優先したいオタクが一杯居るのがアイドルなのだ。
「私と最高の彼氏」として売り出している部分が当然あるのだから、その辺りの推し方を「ステージの表現に合わせて全員が配慮すべき」という同調圧力というのは、私個人として言いたいことは分かるのだが、互いに押しつけ合っても幸せになれない考え方だと思う。それに、そういった一致団結というのは常に全員がアンテナを張っていなければ成り立たない。もっと気軽に会場に入ってたのし~ってやるファンだっていても良いのだ。まあ、そういうファンはなんかみんな色変えてる!って思ったら色変えるか。日本人だもんな。
まあ、そういう意味もふくめて、公式が演出という形でペンライトを制御してくれるのは非常に有り難い。不要な争いが生まれず、それぞれにやりたいことが出来、自分たちが推しのステージの一つの構成要素になれているという肯定感が生まれるのも良い。
あとよくよく考えたらマジラブ1000%の時とか文字書いているので、あんなの人間が出来る変更じゃない。そんなの合わせようとしてたらコンサート見ていられない。本末転倒である。あのステージのペンラは制御されています。(勝手に断定)
まあ、ペンライト制御自体は、既に導入されて久しいアイドルの中でも賛否分かれるというか人によって考えが変わる部分でもあるので、やっぱりかなりセンシティブな問題であるのでこれ以上この話をするのは止めよう。
それぞれにそれぞれのアイドルとの付き合い方があるのが、私は良いと思う。
今回のST☆RISH大好きについても、公式からの依頼によるサプライズであれば、流石にこれに水を差す物も居ない。何より、メンバーカラーではない白というのが強い配慮を感じる。そもそもペンライトを売り始めたときにメンバーカラーではない白が入っていた意味として考えれば、これに逆らおうと思うのは相当骨太のグループアンチだ。グループコンに入るのは止めた方が良い。精神衛生上も絶対に悪い。
さて、闇みたいな話だけで、無限に文字数を伸ばしてしまった。
あの素敵な光景を見た後の反応に、それぞれのキャラクターが出ていると思う。感動で普通に「オレはこの光景を一生忘れないだろう」という強い言葉を強い声色で言う聖川、声を震わせた一ノ瀬、そして「魔法」みたいと頬を緩める愛島である。
先ほど手を伸ばせば届きそうなファンの光に手を伸ばした彼が、溢れんばかりの純白の光に、身近な『魔法』という言葉を重ねることで、その感動がとってもストレートに彼に伝わったのが分かる。
これを純粋に喜べる感じが、彼は本当にピュアにこのステージを楽しんでいるのだと思う。キラキラ輝く笑顔はきっとこの光を灯したオタクが見たかったものだ。
そして、UUUUの反応だが、私は一十木音也がここですごーいすごーい!みんなありがとう!!!って飛び跳ねるんじゃ無くて、素直に言葉を失い、言葉少なに少しずつ言葉を漏らしたことに、重ねたときの重みを感じてしまう。
喜ぶ彼が噛み締めるように言葉を重ねて、そこで泣くわけでも無く、ファンの気持ちを受け止めるところが、また趣深い。
きっとこんな光景、夢に見たこともなかったのだろう。
色とりどりのペンライトが光って嬉しそうにみんなと歌えるステージだけではない。それ以上の、どこか一方通行だったアイドルとファンの関係に置いて、こういう形でレスポンスが返ってくることを彼らが初めて知ったのだと思うと、ファンはきっととても嬉しくて誇らしかっただろう。
こういう場で、泣くとか声を震わせるとかではなく、真正面からお礼とか考えている事をまっすぐ言葉に出来る四ノ宮那月のマイペースな強さって言うのも、なんだろう、凄くバランスが良い。
ちなみに、ずっと視界の端には感情の限界を迎えて、涙を誤魔化すように動く来栖の姿が見えている。
ずっと分かる。彼の中で凄い勢いで涙が溢れるのをどうにか見せないようにしているところが、ファンの目も含めてみんなに分かっただろう。というかSAMURAIZMのコメントの前に既に声が上擦っていた。あの「あぁ」にも満たない相槌だけでもう泣いているのと同じである。四ノ宮はそんな彼の様子を分かっていたから、声をかけたりしなかったのだろうが、そこで「翔、泣いてる?」と覗き込んだ音也くんは今回のステージでデリカシーさよなら賞を受賞した筈である。近くに一ノ瀬がいたら確実に溜息を吐いていたと思う。しかし、そのおかげであの正面顔にカメラが追いついたので、ファンとしては嬉しいだろう。本人が嫌でもファンは喜んでしまう。ごめんな、本当に。
デリカシーさよなら賞受賞者だが、彼は、直前のMCでも「俺たちの歌はお前たちに届いたか?」と既に色んな物が込み上げていた翔くんに後ろから飛びかかって良い感じに意識を逸らすというファインプレーをしている。この点を鑑みて無罪である。とはいえ、翔くんの感慨にすっごい無頓着な件については、後ほど保護者から軽い指摘が入るとは思われる。
溢れた涙から逃げるように顔を逸らす彼に、このタイミングで那月くんフォローに入る。別に慰めているわけでは無く、そこでコミュニケーションをとることでいつもの調子が戻るみたいなタイプのフォローなのだと勝手に思って居る。明らかに泣いちゃった子を心配するクラスメイトみたいな絵面になっていたが、あの二人って我々が思って居るより良い意味でドライだと思う。
そして盛り上がって居る横でいつもだったら冷静な顔をしているはずの神宮寺レンが少年みたいな笑顔を見せてしまったのも、ファンとしても計画した七海女史としても(これは勝手に言っているだけである)最高の成果だったと言えるだろう。
ここで、声を震わせた一ノ瀬や、涙を見せた来栖はどちらもグループという物に対する愛がデカいのだと私は思って居る。
これは、別に他のメンバーがグループへの愛が二人より少ないと言っているわけではない。
全員それぞれにグループに対する強い愛を持っている。メンバーのこともこれまでの自分たちのことも、それぞれに大好きだ。
でも、多分、二人は「ST☆RISH」というグループに思い入れがある。「ST☆RISH」という形で自分たちがやってきた物、ファンと築いてきた物を明確に意識した上でどうしようも無く愛している。どういう形で「ST☆RISH」をやっていきたいかとか、この全員でやっていきたいかと言うことについて思うところが大きくて、他のメンバーに比べてもこのグループでやってきた事によって変えられた自分の人生の変化に敏感で、そして「ファンから返ってきたもの」に関する思いが大きいんじゃないかと思う。
どちらも「ファンからの評価」という物をどこかで強く重視してきた二人なので、ここでストレートに込み上げてしまった物があるのじゃないかな、というのが、まあ、勝手なこじつけである。
そして、ここからみんなへのお返しといって会場の天井が開く。(コンサート内で最も驚いた演出。天井あけて、これから歌うんですか!?????音を!???だす!????完全に締めたときと明けたときでは音が変わるが、音響大丈夫か!!!???と思ったりもしたが、その辺は女帝七海春歌女史が各所の許可をもぎ取り、全て調整したのだろう。本当に怪物である)
また歌はじまりの前の「夢の続きは~」の下りを来栖翔と四ノ宮那月で続けたところ、私は滅茶苦茶ぐっときた。
ここで乗せた言葉の声色の強さが、言葉そのものにもこれから繋がる歌にもはっきりとした説得力を持たせている。
クラって本当に二人揃って少年漫画だ。
ST☆RT OURS
こんな曲はズルい。こんな風に、あまりにもまっすぐ向けられたピュアな歌は………良くないし、いろんな要素を突っ込みすぎた。
こちらの咀嚼が全然間に合わない。
ラストのラストで早着替えして、飛行機で世界を回り、日本に帰ってきた僕らは、それから君たちと宇宙へ!!みたいな感じで、かっこよく踊って、最後盛り上がるのはわかるし、飛ぶのも全然わかりやすく盛り上がっていい。
天井開けたばかりなので上空の風が心配だが、気球的な仕組みを使っているとすれば、むしろここで飛ぶために上を開けたのかもしれない。いや、ドームで天井開けずに気球みたいなの飛ばして頼みたことあるので、やっぱ天井開けたの無駄にすごいな……。
拡がってくST☆RISHの未来を表したかったことは、まあ、わかるよ。
曲からの早着替えもアイドルイリュージョンとしてみんな大好きな奴だ。上着マジックテープの音が聞こえる気さえする(???)
ビートを刻む感じのダンスとかそれぞれの歌割りのあとにユニゾンでメンバーが繰り返すところとか、ストレートに楽しい。
でも、あの………こんな風に抜かれるそれぞれの表情is何?
ピュアな顔の翔さんとトキヤさん出てきた時点で、さっき声を震わせた二人じゃん感がすごいんですけど、なんかそんなむき出してこないでほしい。魂のピュアなところを。
反対に音也君はめちゃくちゃセクシーな顔をしている。ちょっとシンメ―!表情入れ替えるのやめてください~!オタクが心臓を抑えてしまいます。
「趣味や仕草だって違っているけれど、最近似てきたと友達に言われる」??(KinKiKids『Anniversary』https://www.uta-net.com/song/22666/)
実は全編ずっと思ってきたことなんですけど、もう後半になるとどんどん我慢できなくなってくるな…。すごい表情のイメージ逆転してない?
いまめちゃくちゃ「ファンと一緒に楽しくなってる」のが一ノ瀬トキヤで「ファンに満足や幸せを届けたい」のが一十木音也の顔してない?
サイコー――!!!互いに影響されて変わっていくシンメのこと、私大好き!どんなに似てきても全然違う二人であることも含めて、よく知っているやつです!互いのいい所を吸収してそれぞれがそれぞれなりに変わっていくって本当に最高~~~!!!
ていうか本当にここで見せる全員の表情がそれぞれに普段見せない表情みたいな抜き方するからどれもあんまりに最高なんですけど、記憶のスクリーンショットが仕事しなくて、全然思い出せない。
映画館で見ているときはこれこうじゃん!!っていう言葉が弾幕のように流れているのに、まったく思い出せない。結果思い出せるものが幻覚なのか本物なのかもう私にはわからん…。一曲の中に見るところが多すぎる。
そして、表情はもちろんなんですけど、本当にこの曲のこういうストレートに全部が全部うまいこと回収されていくところ、もう、困難狡すぎるよ。
七海春歌~~~~~~!!
頼むよ~~~!!!ゆるしてくれ~~~!!!!
この、最初から最後まで、丁寧にまとめて最高潮の盛り上がりと輝きを見せる構成………これは………もう、脳内のプリンセスたちみんな泣いちゃったじゃーーん!!! 全員べしょべしょになって終わったあと少しの間席から立てなくなってる。このあとアンコールなんて正気かよ!???
しかもあのアンコール来るなんて……嘘じゃん……。
周囲からあまりにも嗚咽が止まらなくて、今回友達と同行できた初めてのST☆RISHコンサートの子が戸惑ってるよ!!いや、まあ、そいつは戸惑わせておくしかない。ごめん。その君を連れてきた隣のやつが号泣しながらも彼らの姿を眺めて、双眼鏡の縁に溜まった涙のせいで目の周りグッチャグチャになってるのを許してやって、背中をさすりながら規制退場で手を引いてあげてほしい。ごめん、ぐす……ありがと……ごめん……と友達に介護されている友人に乗換駅で冷たい飲み物などを買って渡してあげてほしい。飲む前に一回目を冷やすと思うけど、飲みな、って促してやってくれ………もしかすると感情がだめすぎて握力がなくなって蓋も開かないかもしれないけど、許してやってほしい。そしてあけてやってほしい。
一生共通の友人との酒の席でネタにしていいし、次回以降も懲りずに同行してやってほしい。イマジナリーオタクの情緒と、体の反応へのディティールが鮮明で恐縮だが特に似たような経験はない。
しかし、ビートを刻む感じはきっと心臓の鼓動とか、それぞれの歩調とか生きて進んでいくことを表しているし、誰かが先導してからメンバーが揃って続けてくる、この、息を合わせる、声を混ぜ合う、足並みを揃えるみたいな、そういう歌の構成をこんなに純粋に真っ直ぐで明るいメロディーに託されると切なくて泣きそうになる。
そういうのをわかって、意味を持たせて作ってるのが音楽に詳しくなくたって誰にだってわかるんだからこんなん、感極まるなという方が無理があると思う。
耳に届く歌詞が、本当の幸せは〜普通すぎる生きるってことに有るってことをこの歌で託したくて。なのも、もうだめだ。
これが、サビじゃなくて、Bメロなのもだめだ。 割と軽々とこの歌詞を歌われていること、というか、情感はこれから乗ってくるとなると、今我々の情緒完全にジェットコースターのゆっくりな登りなのよ。
私はアイドル『ST☆RISH』をこのコンサートでしかほとんど知らない。彼らがデビュー当時に話題の新人だったせいで、ネットミームとして流れてきたのを流行ってるやつねと見ていただけの茶の間ファン以下の存在なのだけど、このコンサートをここまで見つめてきて、彼らが生きてきた、彼らにとって普通の、そして私達にとって特別な人生の時間を丁寧に噛み締めてきたのだ。
このNoteすでに8万字、その前の感想を合わせると既に10万字以上この映画の感想を書いている。どういうことだよ。一時間半もないんだぞ。
映画自体は書き始めから追加で4回みたので10回しか見ていないが、それでもこれだけ一つのコンサートに対してこれだけの言葉を吐き出すくらいに、私は彼らが今日まで生きてきた『きせき』ってやつをきちんと浴びている。
いや、本当にここまで全部幻覚だった。彼らの人生のことは本当になんにも知らない。道のりの苦楽を一つも共有していない。ヒロインとの出会いとかなんにも知らない。絶対一人は物理的に衝突した出会いをしてると思うし、レンくんとかなんか校庭とか使われていないレッスン室みたいなところでサボって昼寝してるのを見つかってそうーみたいなそんなふわっとしたよくあるイメージしか持ち合わせていないのに、私は彼らが『生きてきた』のを感じていた。
それを感じさせるだけの魅力がアイドルにはある。
だって、アイドルって『偶像』なのだ。
普通のアイドルってやつは、私達にアイドルとしての自分をたくさん見てくれて、アイドルファンっていうのは、彼らの見せてくれるものから勝手に自分のみたいようにアイドルを見て、勝手に大好きになるものなのだ。
そういう意味でもST☆RISHって本当にアイドルだ。
そのうえ、作品そのものが歩んできた時間があり、彼らが生きてきた時間があり、様々な展開を行ってきたからだと思うのだが、彼らには厚みや深みみたいなものをきちんと背負っている。 設定としてだけの背景じゃない。彼らの歩みが確かにあると感じられる。
本当に一番初めにスターツアーズのときに書いた話をこのタイミングで回収することになるのだけど、このコンサートには時間と空気が確かにあるのだ。そんなふうに感じ取る積み重ねた要素がある。 二次元が三次元になって私達に届いたとかともまた違う。ただここで一緒に作ってきた時間や空気の境目が曖昧になって感じ取れている。
普通すぎる生きるってことって言うのは本当に普通に生きてるファンの人生に、素直に重ねればいいことは分かっている。普通すぎる生きるってことの中で、このコンサートというものが、とっても特別で大切で、いつも元気をもらってる素敵なものとして素直に捉えることはもちろんできる。
そのうえで、勝手に歌ってくれている彼らの人生を重ねるのだ。
彼らが歌ってることで、そういう、言葉の受け取り方や感じ方が多層的で噛みしめれば噛みしめるほど自分たちの中で勝手な意味を見出してしまうのも、アイドルなのだ。
アイドルから、「幸せを」「 この歌で託したくて」と重なった声でで託される歌の構造がシンプルになってから一気にサビで色の情報をぶちあげられる。
そして「START OURS」言葉遊びの天才かよ。
ここでスタートアワーズを歌うのがファンという構造もなんかもう、本当に彼らとファンとのコミュニケーションを前提にこの曲を作っているんだよ。コンサートのための曲ってこういうことなんだよな。本当に、この曲はステージのために作られた曲だ。今回のために書き下ろされたのかは知らないが、そうでなかったとしても作っているとき、間違いなくコンサートでファンとST☆RISHが歌う図を想像してこの曲を作ったのがわかる。そういう、コミュニケーションの歌だ。
このグループは、We are ST☆RISHでいつもファンに言わせるし、「ST☆RISH」ってグループはファンのプリンセスも含めて「ST☆RISH」らしい。そういうグループの概念って基本的に他人事なので、めちゃくちゃ驚いてしまう。
すくなくとも、この歌を作るのは7人とファンのみんなだ。
みんなの歌だ。
はじまりをくれた君は、絶対にファンだ。
Oursの私たちの中には会場に居るファンも劇場に居るファンもみんな含まれている。
プリンセスたちにとって、こんなに幸せな瞬間ってないと思う。この世界のどこを探してもこれ以上に素敵な幸せってないに決まっているのだ。
「僕たちはどうやって返せばいい」じゃない。
「貰ってばかりで」はこっちのセリフなのだ。
君らがこれだけ積み重ねてきたものの美しさを私たちはこうやって見せてもらっているのに、何を与えたっていうんだ。
生きてるだけで嬉しいのがファンだ。
活動を続けてくれたらもっと嬉しい。
その上、彼らは、自分たちらしく、私たちがこんなに幸せになれるコンサートを作れるように歩んできてくれた。そして、このステージを届けてくれたのだ。我々なんて金を払って応援の声を上げることしかできない。
でも、彼らにとってその応援が力になったことだってわかるのだ。
わかるけど、完全にふるさと納税に対して額面を大幅に上回る返礼品だけずっと届いている状況だ。幸福の不労所得も甚だしい。
今まで応援してきた時間とか、彼らに向けた情緒とか、エネルギーとかたくさん、ファンはこれまで送ってきたものがあると思う。
でも、彼らからもらってきたものの方がよっぽど大きいこと、私もすごくわかるよ。そうじゃなきゃアイドルのファンなんてやっていないのだ。
「だから君に今日は約束するよ」
まじで、ほんと、こんな約束、その場にいた人類全部が信じる。
こんな幸せな約束が世界に他にあるとしたら、プロポーズくらいなんじゃないだろうか。そういう類のものだこれは。普通なら一生に一度の幸福みたいな約束だ。
「約束するよ」「夢も」「恋も」「キスも」「時も」「歌も」「すべて」
七人でここを分け合う作りも、それぞれの表情やしぐさも何もかも合わせて、プリンセスは全員幸せになってしまったに違いない。
最後に見る走馬灯はこれがいいオタクいっぱいいると思うし、まじでこんなん泣くのにどうして涙っていうのは視界をゆがませてしまうのか、あまりに機構的欠陥である。修正パッチの適用を依頼したい。
なんか涙については手汗とかで代用できないものだろうか。ペンラが水没するがその辺は間にタオルを挟むとかでなんとか対処していけると思うし。
約束をするセシル君、那月君の夢、翔さんの恋、真斗さんのキス、レン君の時、音也君の歌、トキヤさんのすべて。
だからステージにすべてを乗せるな。
申し訳ない反芻していたら突然キレてしまった。あまりにも幸せそうな顔ですべてをステージにのせて約束してしまった男の人生に思わず…。
それぞれに言葉を選んだ意味があると思うのだが、本当にスタートアワーズの一ノ瀬トキヤ最高に幸せな顔をしている。
そんな世界の幸福を体中から放出するみたいな顔で歌っている。
なんか、この表情を見ていると、この曲は彼のための曲なんじゃないかとさえ思ってしまう。
なんていうかさ、きっと彼がアイドルになろうと志した時、きっとなりたかったアイドルの形ってこことはもっと違う、「孤高」みたいな存在だったんだと思う。
高い所で燦然と輝き、周囲の視線を惹きつけて放さないような、圧倒的なカリスマと、絶対的なパフォーマンスと、未踏の感動を大衆に見せつけてやろうとしてたんじゃないかと思う。それって独りよがりで、孤独な戦いで、もちろんその葛藤っていうのは表現者として非常に誠実で、潔癖で、強い事なんだけど、でも、こうして十数年経って、アイドルとしてやってきた道の先に、こんな幸福な「繫がり」が生まれたこと、誰よりも彼が感動しているんだと思う。よかったね……と何も知らない私が思ってしまう、そんな幸福な笑顔だ。
これが彼がそういう努力や完成度をあきらめた先の、妥協の中で生まれたなれ合いじゃなくて、純粋な努力と試行錯誤の結果、互いに影響を与えあえる仲間がいて、相手の良いとこも悪い所も認められて、切り捨てていく道じゃなくて、抱きしめて、背負って、引きずって、積み上げて、一人で届かなかったものを掴むだけじゃなくて、それを与えあえる場所まで来られたってことだと思う。
なんて素敵なアイドルになったんだよ……って思ってしまうじゃん。
他のメンバーもそれぞれにその良さをどんどん高めて、このステージでいろんなものを「返して」くれたと思う。
ここで言う「返して」というのは、本人たちの中でこれまで歩んできたものを昇華させて素敵になるってことだ。応援した彼らが応援に「応えて」素敵になることが、ファンとアイドルの与えあうことで有るのだから。
いろんなものを「返して」もらって本当に夢みたいな時間を過ごしてきた。みんながみんな素敵すぎて、こっちはもう何も知らないのに8万字感想を書いているし、プリンセスの皆さんは多分仕事とか人生の嫌なことも全部これで浄化していると思う。毎日スターツアーズのある世界線に生きているだけで幸せだろう。
誰一人、その瞬間の最高を魅せていないメンバーがいないコンサートなのだ。当然である。
彼らが翼を得てのびやかに飛び回っているということは、ファンが望む未来でしかない。ずっと君たちらしく羽ばたいて、手をつないで一緒にこの地面、というか、我々と同じ時間を過ごせるステージの上に戻ってきてほしい。
一人一人にフォーカスあててたらマジで一生書き終わらない。
ただ、これは間違いなく言えることだが、あの全員が肩を組んだ瞬間、そして7人分のすべてのスポットライトを浴びた彼らの交差した影ほどドラマティックなものはない。最後にこれがすべてを雄弁に語っているということだけは間違いない。この先もたくさんのスポットライトをこの7人で浴びて、互いに重なった影みたいに影響し合って、そして進んでいってほしい。
背中に回された手が、まるで相手の背中を押すような形と、支えるみたいに腰に添えられた形になっていることにまで勝手な意味を見出すオタクとしては、このコンサートのパンフレットの最後や、このコンサートの密着番組の最後には必ずこの絵を見せてほしいと思ってしまう。
なお、蛇足として個人的には聖川について、この曲で二つかいておきたいことがったんだった。あの、「歌で世界を~」みたいな長台詞をマイクオフで言うのは絶対によくないと思う。みんなが読唇術を弁えていると思うな。いくら何でも長文すぎる。あと、キスの投げ方について、反芻するたびに私の脳内でanniversaryが流れてしまうので勘弁してください。
曲ではないが、エンディングの話。
こういうスタッフロールエンディングは実際のコンサートでも必ず流れるので、これを見るといよいよコンサートが終わってしまったのだと切なくなる。
それぞれのエピソード写真などににこにこしてしまうのだが、セシル君のソロで飛び込む一ノ瀬がどういう状況なのかキャラクター解像度がないのでちょっとつかめない。セシル君のまねをして転びそうになっている音也君はわかるんですけど、この人なんで飛び込んでるんですか?そんなふりなかったですよね??普通に音也君と接触すると普通に音也君が一人で転ぶより怪我が危なくなるので、ちょっとずっと迷宮入りしている。
聖川ソロのときの視線については、なんだかもうオタクに深読みしろって言っていることだけはわかる。そういう透けて見える写真チョイスのこと、私も含めて男性アイドルオタクの8割が好きです(個人の意見です)
そして、なんか関係者席の人まで映すのは珍しくて、当日入っていた他グループ担当(かけもち含む)の人はひっくり返ったことでしょう。MCでも弄ってないのにこんな風に顔を出すのは珍しい。
そして、あの、どうしても言いたかったので、これだけやっぱりいうわ。
本当に七海春歌女史には敬服と感謝しかない。
今日までST☆RISHを愛して信じて押し上げてくれてありがとう。
スタッフロールにでっかく名前が載っていない理由が分からないです。
SHOCKにおけるジャニーさんくらいでっかく載ってくれ。
続け…!ISHの旅へ
アンコールまで来てしまった。
それぞれのメンバーカラーが光って、互いに向かい合って歌うST☆RISH。
本当に君らって、基本スタンスとして二人称はファンのプリンセスのみんななのに、ことあるごとにメンバーにへそを向けて始めるよな。モニターに全景うつったとしても、アリーナステージ目の前のファンはずっとケツ見てるよ。
本当にずっとファンと自分たちの絆を信用していて、今いる7人のST☆RISHが大好きで、おしまいのありがとうも全部7人から始めたいっていう円陣なの、理解くらいはできるけど、現場のファンさすがに、え!?って思ってしまわない!?
アンコール、メンバー出てきた!!メンカラ照明キャー!!!!で一発目が背中なことってそうないよ??
普通背中から振りむいてキャー!!だから。
まじで、ステージ正面横顔ですらない。アリーナ席のオタクがST☆RISH箱推し絆厨だけで構成されてれば、円陣!!!わーーーー!!!!ってすぐ切り替わると思うけど(どうだろう、あまりの状況にお尻だ……!って思っちゃうかもしれない)、現場視点だと円陣!を理解する前に出て来た!と思ったら背中!!でびっくりしちゃうと思う。
特にステージに近いととっさに理解できないから、感想書くぞ~!って脳内でアングル切り替えたときびっくりしちゃった。アリーナセンステ最前で一番よく見えるのケツじゃん。
映画館とかモニターで確認してた勢は上から確認できたので円陣ー!!!ってすぐわかるし、意図もくみ取れるのでね、OKOK。私はそういうの好きです。実際、ファンはね、好きだからね。推しの背中も尻も。
そもそも、すぐ振り返ってくれるし、歌を聞いてればそんな不満(?)も全部爆発した情緒で押し流されてしまうだろう。だってもう、こっちのキャパはね、ずっと溢れっぱなしだからね。
と、マジでここまで本気で書いていたので、消さずに追記して、陳謝するんですけど、ケツ向けてねえわ。
謝罪。完全にこっち向いてた。私の脳内が全く別のアンコールを作り出していた。
言い訳するんですけど、わたし、このアンコール書き始める直前にちゃんと一回搭乗してます。書くまでの時間に2時間か3時間しかない。ここで10回目の搭乗を済ませている。その上で脳が完全に間違えてこれを書いている。
こっわ…………………
言いがかりです。ST☆RISHはちゃんとアンコールの時360度に顔を向けてみんなで歌って踊っています。読んでる全員知ってるの。
書いてた時の私だけが知らないの。こわ~~~~~~~~。
コイツの幻覚どうなってるんだよ。ほんとびっくりしたわ。
いや、実際幻覚すごすぎて、いくつか見えてないことあって、見えてるの、たまに本物見ると私が見た時と違う回あるみたいなことあるんですけど、(UUUUのバク転とか、UUUUの翔さんブレイクダンスでウィンドミルとかやってなかったっけ?あと、MCも翔さんの無限盛り上げ声出しMCとか絶対あったと思って、全員が声出すまで聞こえね~~~~~ぞ~~!!!!って煽ってたのも全部幻覚だったし、レン君の客への♥ファンサももっとあったとおもっていたし、なんならキスして振りかぶって投げてたはずなのに見つからない、どこやった???)
これはひどかった。
おまえMCでケツ向けられたことに衝撃を覚えすぎなんですよ。
円形ステージなんだから当然外向くよな!アンコールだぞ!って本当にそう!!!!
みんなちゃんとファンにへそ向けてます!!!!!!!!!!!!!
過去のあほちゃんは張り倒しておいたので、なにとぞご寛恕ください。
いや、そらそうよ。あんな楽しいスタートアワーズした後なんだからファンにへそ向けるわよ。みんな背中を預け合うわよ。そらそうわよ。
全くいい加減にしなさいよね。
マジで本当に心から申し訳ない。陳謝。私の脳が本当に阿呆。
すご、ここまできれいに間違えることあるんですね。
感心してしまう脳の足りなさでした。
は~~~びっくりした。たぶん、9回目を見るまではちゃんと外向いてるの見てたと思うんだよね~~わかんない、なんも思い出せないんだけど。
文字にしたことで若干記憶が定着して完全に改ざんされてたのよ。
改めて見て良かった~~本当にびっくりしました。
びっくりしすぎて逆に背中向けたりしないとおもったら円陣はみたから、多分ここで脳内が記憶をトリミングして補完しちゃったんですね、
私の脳みそがノベルAIが書くラーメンみたいになっていたんです。
本当に恐ろしいですね。
もうこわいから普通に改めてちゃんと見たアンコールの話挿入するんですけど、みんなめちゃくちゃ幸せそうにうたってるんだよね。
幸せでさあ、「人生全部を歌にして」を幸せなこととして歌っているのが本当に何か…すごくありがたくて得難くて、どこか切ないのよ。
私がずっと明るい喜びと彼らの前向きで先を進む姿を見るたびに切なさを感じるのは、この時間が終わるということへの寂しさが当然混ざっている。
続いてくれた嬉しさと、終わるな…終わるな……!という願いが混ざって、どうしようもなく切なくなるのだ。
「何処まででも行こう」と手を動かしている動きはきっと∞を意識しているし、ずっとずっと続いていく彼らとの時間、そして私たちと彼らのの人生の話だ。これまで変わって来たみたいに変わっていくけど、でも今この瞬間を最高に素敵で楽しくしてくれた彼らと共に、踏み出していく歌だ。
だめだ、たぶんこの後戻ってきた前の感想とおんなじこと言うけど、本当に人生全部を歌にするな。その言葉を七人で揃えるな。
もっと大切にしまって生きたっていいんだよ。でも表現者でいてくれてありがとう。歌ってくれて届けてくれてありがとう。笑っていてくれてありがとう。
ファンの勝手でわがままな夢をずっと叶えてくれてありがとう。
そして、君たちの素敵な夢こそ、ファンの幸せなんだという奇跡みたいな一致なのだ。それこそ君たちがファンにとっての最高のアイドルだっていう証明である。
だからWe are ST☆RISHなんだろうね。見てる夢の姿がきっと同じだから、私達なんだろう。
追記おしまいこっから元に戻ります。
いや、本当に言いがかり付けてすみませんでした。
本当にアンコール用の曲なので、再び歩き始めてくれる皆の歌なのが、本当にえぐい。旅の終わりは新たな旅の始まりすぎる。
マジで初回の時は、私がアイドルのするマイク歌唱による大好きヲタクの情緒を爆発させてしまったのだが、やっぱりマイクを持ってもう一度、この先が始まって行くのはまったくけしからん。
アンコールらしいコンサートTシャツでこういうことされると、一生この時間が終わらないみたいで幸せが溢れてしまう。終わるな…終わるな…!!
実際、ほんと、現場のオタクの情緒、なにもかもそれどころじゃないよな。アンコールしたオタクたちも全員鼻を啜って涙を一旦止めようと必死になりながら手を叩き、アンコール!アンコール!ってしてたはずである。
いや、まじで絶対大量の嗚咽とすすり泣きが聞こえるアンコールのはずだが、相変わらず現場のファンは訓練されている。実際、その瞬間号泣してもアンコールでは切り替えられるタイプのメンタルを持ったタイプもいるので、彼女ら、彼らの頑張りだろう。泣いてるやつの分も声出してくれてありがとな。
そこから続く歌がこれだ。こんなにも素敵な歩みを見せてくれた彼らは、これからも同じように、そしてまた新たな形で歩いて言ってくれるのだと、歌で見せてくれている。
人生全部を歌にしてじゃないよ本当に。
人生を全部歌にするな。大切にしまっとけ、もう!
しかも、それを言うのがアイドルっていうのも、思うところがありすぎる。
例えば、普通のバンドマンやシンガーソングライターみたいに、自分で歌を作って歌詞を載せてたりする人たちが人生全部を歌にするっていうのは、そういう生き方だ。
そういう人たちっていうのは、そうやって生きていく人たちなのだ。曲なり、歌詞なりにそれぞれの意味を乗せて誰かに伝えることで生きている人たちだ。
しかし、アイドルっていうのは基本的に提供曲を歌う。
ST☆RISHは基本的にすべて七海女史の歌を歌っているらしいので、その点ですごい恵まれ方だ。彼らを思って彼らのために描かれた音楽と、歌詞(歌詞は自分たちで書くこともあるかもしれないが)なのだから、解釈違いというのは基本的にないだろう。彼女は彼らの今を表現する天才なのだとは思うので、そういう意味でも、彼らにとって歌いたい歌になっているはずで、彼らを素敵に見せてくれる歌になっているはずだ。
常にオーダーメイドの服を着ているようなものである。
でも、その服を作っているのは、本人ではない。
彼らはあくまで歌うだけだ。歌って、踊るだけだ。
曲は与えられたもので、彼らの内側から出てきたものではない。
彼らは彼らのために用意された曲を、彼らなりに咀嚼して、彼らの歌として歌っている。
自分の中のメロディでもなく、自分の中の言葉でもない。
それでも「人生全部を歌にして」と歌っている。
この曲の歌詞を書いたのが七海春歌なのか、それとも他の誰なのか知らないが、その言葉を歌う彼らは「人生全部を歌にして」いるように見える。
きっと彼らだってそうやって思って、この瞬間に歌ってくれている。
その、どうしようもなくちぐはぐな、でも本物の気持ちが歌に乗ってしまうから、心が震える。
私達はこの歌を歌うST☆RISHを見たときに「人生全部を歌にして」「歩いていく」ように思うのだ。
それを彼らが楽しんでいるのが伝わって、それでやっぱりファンはずっと泣いている。
イリュージョニスト
これ、インターネットで検索したセトリにわざわざ「デュエット曲」と書いてあった。
三人で歌ったから「トリオ」じゃない?うたプリの世界では三人でも「デュエット」なのかもしれないし、元々「デュエット」曲だったものを三人で歌えるように編曲されているのかもしれない。
そうだとしたら、これはこれとしてエモーショナルだ。
セシルくんは追加メンバー。私は彼らの年表をしらないが、まだ彼がいない「コンビ」の時代に那月くんと翔さんの間で作られた曲を編曲して三人の物にし、コンサートの演出上も歌割上も全く違和感が無い用に再編成している。「無理がない」ということはそれだけグループメンバーの関係性が安定していると言うことだ。メンバーの人数が変わると、それまでにあった曲が別物に変わる。逆に昔の曲が長く活動して行く中で違う色が馴染んでいく。心に滲むような幸せがそこに在ると思う。
いや、うん、なんかそういうエモーショナルもあるんだけど、画面がとにかくかわいい。三人はずっときゃっきゃして楽しそうでかわいいし、後ろでわやわやしてきゃっきゃしているルレの二人もかわいい(そういうなんか画面にちゃんとうつり切らないわやわやとかちゃんとやってくれるとは思わなかったよ、一ノ瀬。いい影響を受けているな…)し、セットに移動するためになんか曲に合わせて二人で外周を歩いている御曹司もかわいい。
ていうかクラセシって、ずっと楽しいよね。三人とも楽しそうだし、なんか概念としてインスタ映えである。悪ふざけも全部フォトジェニックだ。よくわかんないけどB4サイズで写真集とか出したほうがいいと思う。
無限にかわいい写真だけが載っている、四ノ宮の趣味で作られた三人の可愛いブックを出してほしい。実際に出したらなんでST☆RISHじゃないの!!ってなっちゃうな。仕方ないので、テレビ誌の特集で良い。12ページくらい紙面を貰ってぎっちりお写真一杯撮ろう。
それにしても、この無限に可愛い世界観、やぱり絶対あのマカロンとか作ったのセシル君でしょ。君らだけサンリオなのよ。サンリオのショータイム。いや、あの国行ったことないんですけど、多分これです。
それで見た目がこんなにキュートキューティーキューティフルなのに、ジャンプの到達点の高さよ。身体能力が異次元。フィジカルモンスターが並んでいる。え?フィジカルモンスターが並んでるな…本当に。
あんなにかわいくてポップなジャンプをなんか透視・分析する系の能力で分析すると全部筋肉……!って分析される感じある。
大丈夫?SASUKEとかこのメンツでポヤポヤ出てきて、あーアイドルの番線視聴率枠か~とか思ってた視聴者がひっくり返るやつじゃない??俺は視たが????こう、なんかすでにモンスターボックスとかやってて、来栖翔だけは世間に身体能力化け物枠として認知されてたけど、出てきたら四ノ宮も愛島もやべーぞってなってしまう。せっかくトレーニング重ねてきた元スポーツマンタレントを食うんじゃない。涼しい顔してサクサククリアしていくな。彼らが気軽にクリアするせいで難易度低いのでは?みたいに言われてしまう。他の出場者かわいそうだろうが。と何らかの評論家ポジの人が、全然軽々とやっている彼らがおかしい……と解説し始めてしまったせいでネットではさらにネタにされてしまう。くそ雑魚扱いされてしまう元スポーツマンタレント……ごめんな……誰……?
その後、芸人が結構出ている肉体系バラエティ番組に呼ばれて半レギュラーみたいな感じで特番のたびに呼ばれるようになってしまう。毎回可愛い恰好で出てこさせられて「今日もかわいいね~」っていう所から始まってしまう。でも、来栖翔単体で出てくるときは何時も本気ジャージなんだよな。芸人から「先生」とか「兄貴」って呼ばれてるわけ。なのにクラセシでくるとめっちゃ可愛いかっこするので、「その格好だとアイドル」とか「さすが可愛い」とか可愛がられてしまいそうだ。出始めた当初は何だよこの衣裳ってやってた衣装で、普通にアイドルだからな~とかいって自分の可愛さをうまい事スルーして、三人してトンデモ記録をどんどん生み出してほしい。
セシル君に「魔法はNGです!」と説明する担当と「いや、こんなん魔法やんけ!」とリアクションとる芸人と「この競技ではなんと一切魔法を使っておりません」とわざわざ注釈するアナウンサーなどがいる。「魔法じゃありません」と丁寧に切り返してくれるし、こうすればできると説明されて「できーん!」と身体能力の限界を訴える芸人みたいなコンビも名物になってしまう。可愛い。「やまもりおにぎりのために、がんばります」みたいなコメントに「ご飯くれるって人に、着いていったらあかんで?この子ほんま、大丈夫?四ノ宮君」って回してくれる芸人のこと、オタクも好きですよ。四ノ宮君は「じゃあ、僕がいっぱいおにぎりを用意しておきます!」っていって、芸人をひな壇から転がしてくれるからな。
え?どうする?こんだけ場を温めて、バラエティやり切った最後に魔法を見せてあげましょうっていうと、ST☆RISHの残りの4人が出てきてライブが始まってしまうな?最高~~!
音也君が「なんで俺、本編のところから呼ばれないの~?」ってごねてるし、最後のあいさつでも「次は俺も呼んでください!」って主張してる。次は呼んでもらおうね。
ジャンプ1つで全然関係のない幻覚がカットインしてしまった。
クラセシってめっちゃイリュージョニストなんだなあ。(すっとぼけ)
それにしても、こういう楽しいアイドルのアンコール大好き。あれだけ情緒ぐちゃぐちゃにさせるエモーショナルラストソングの後に、等身大で可愛くて楽しいアイドルをがわいわいやっているのをくれるの、本当に分かっている。アンコールはたくさんの笑顔で始まってたくさんの笑顔で終わるものだ。
トロッコに乗って移動していくのもかわいいね。しかも客席との物理ハイタッチのない距離感なのが私の心をほっとさせてくれる。いい距離感だ……実によい。
セイクリッドペアーズ
問題のアンコールである。セイクリッドペアーズじゃねえよ。
何だこのタイトル。検索してびっくりしちゃった。いや、なんか終わった後に全部書いてあったと思うけど、何だこのタイトル。
セイクリッドってどういう意味だっけ?私の想像している意味で合ってる?って思って検索かけちゃった。「聖なる」じゃないよ、馬鹿、もう。
突然ミュージカルするんじゃない、もう。
これ、さ~~~~完全に七海女史の仕業でしょう。わかるんですよ?私は詳しいので。
あの聖川のソロをさあ、作るにあたって、聖川がそのステージにかけた二人の思いを見たからさあ、この歌、歌わせたんでしょう。そして振り付けたでしょ!
ドラマの続編をアンコールで作るな。公式が!二次創作でやるやつだから!って言いながら御曹司のオタクがお礼の振込先を探している。とりあえずCDをショップで見かけるたびに残り一つを残して全部在庫を買ってきてしまっている。お布施先を探してCDの無限回収をしている。
ほんと、公式はそこまでしていただかなくて……って思うのに公式がなぁ~持ってきちゃうんだよな~。アイドルってそういう所ある。
これ、あの、腐売りみたいな側面もあるっちゃあるんですけど、なんかね、そういうちょっと行き過ぎた特別な二人の関係、みたいなクソデカ感情盛り上げてちょっと芝居仕立てにして表現する演出はね、”ある”んですよ。
美しい男二人の絡みはそれだけで価値があるし、古来より愛されているし、一部地域では神聖視もされてきたわけなのでね(古代ギリシャ方面を眺めながら)、演出上の意味深で濃厚な絡みっていうのはお約束としてあるんですよ。
今、プリンセスもおなじみの宮田俊哉の話しようと思ったけど、アイツはダメだ。あいつは最終的に自らの描きおろし脚本で謎の吸血鬼BLドラマを作ったんだった。そこまで来ちゃうと流石に違う。やりすぎだ。そこまでの話はしてない。レッドアイを見るたびに思い出してしまうドラマだ。
話を戻そう。
この演出において、実際の二人の関係にどのような名前が現在ついているか、というのは、いったん別なのよ。
これは今回のコンサートを行うパフォーマーという意味で、彼らはお互いの関係とか、それぞれに持っている感情とね、いつもよりまじめに向き合ったんじゃないかなと思っている。あのソロはそういうソロだった。少なくとも私にはそう映った。
だから、昂っているんですよ。
互いに対して何らかの思い入れを、ステージに表現しちゃっているから。
表現することを、どんな形であれやっている人間ならわかると思うんだけど、対象に向き合って、そこから何かを伝えようとエネルギーを使った時には、どうしたって感情が高ぶるものなのだ。
特に体を使って表現するとき、何を表現したいのかそんな風に向き合ったものの中に相手がいたのであれば、今までぼんやりしていた様々なものに輪郭を持たせたとするならば、表現に引っ張られたエネルギーが体の中に内包していく。勿論、パフォーマンスにのせてそれを発揮していくのが表現という物だろうけど、そのパフォーマンスが良いものであればあるほど、感情もエネルギーも昂っていく。すべてやり切って、出し切ったとして、そこにはどうしたって余韻が残るし、余剰エネルギーが体のなかで燻ぶっている物なのだ。
これは、ブロマンスというのもまたちょっと違う、友情とブロマンスの間ぐらいの塩梅だと思うんですけど。
練習とかでね、試行錯誤して、互いの表現に口を挟んだり、自分たちの内側を見つめて、このコンサートを作ってきたわけじゃない?それはただ無為に生きている時間ではなくて、非常に濃密で熱い時間だ。改めて互いに向かい合うという意図を持った時間である。それもファンの前に出すと決めたから、逃げ出すわけにもいかない。彼らはファンに誠実なので、照れくさくても逃げられない。
聖川があれを出すと決めて、神宮寺が受け入れた瞬間から、二人は意識的に自分たちと向き合っているはずなのだ。単純に相手を見ているし、相手が映してきた自分を見ている。
今までがむしゃらに走ってきたとすれば尚更に、立ち止まって振り返って見つめたその時間で、これまで歩んできた当たり前な自分たちの関係を、相手によって変わってきた自分を、お互いに見つめなおしたことで盛り上がってしまう情緒があるわけ。
パフォーマンスとして表に引き出すために、意図的に盛り上げてきたものと、そこに引きずられて露出してしまったものが絶対にある。
そうやって熟成したそれぞれの感情の残滓をうまいこと使っちゃおっていう演出だと私は思う。
肉料理を出すために用意された最高のソース。肉汁まで絡まった状態でさらに残ったそれを残さず掬い取るバゲッドがこの曲!
「太陽と海みたいなペア」なんて当て書き、露骨すぎて、ミュージカルなのよ。芝居。これはそういう演目の芝居!
太陽と海ってなに?その表現。海に沈んで、海から昇るの?太陽を飲み込むとき青い海は色を変えるけど、飲み込んだ後静かなくらい青に戻るってか?重なった時には色を映す癖に、その姿が離れているときや隠れているときはそれぞれの色でいるんでしょ。海に沈むときの太陽は変わらないようでその色を異にしてるじゃないのよ。昼と夜でもなくて、太陽と海ってところに詩的なこだわりを感じてしまう。オレンジと青で連想したとしても絶妙すぎるチョイスなのだ。なに?もともとの二人をシンメとして設定するときにはすでに決めていた言葉?全然違うのに同じくらい広大で、全然つながらないのに溶けてしまうみたいな距離感何なんだよ。
そのうえで、「心は重なって」で手を取らない。
これ。これよ。
これさ~振付師が始めに用意してた振りでは「手を握る」んじゃないかなって思うわけ。これを2人が「ここで手を握らない」のが自分たちっていう解釈を2人揃って出したんじゃないかと思うんですね、私は。
これはさ、仲良くないとか、手を握るなんてとかじゃなくて、ここで「心は重なっ」た瞬間に、あえて手を重ねたりしないというニュアンスを互いに、互いの関係性の中で共有しているという話をしたいんだ。
『仲良しこよしじゃない』2人として、ここで手を取らないほうが2人らしいんだという強火の解釈をこの2人がしてきたんじゃないかなあ……とおもうんですよね。
その癖、しょうがないなみたいな顔をしてくるレン君の芸が細かい。そういう所だぞ。
その後のマイク絡みパフォーマンスは普通にストレートにこんなの来たら情緒がいかれる。シンメ担っていうのはそういう生き物なので、簡単に変な濁点音を出す。イマジナリー御曹司担はソロパートでは「アレがすべてだ」っていって頭を抱える癖に、このマイクパフォーマンスに関しては「あれ!おまえ!あれ!!え?あれ???!!!幻覚!???」と何もかもを疑い出す。視界を疑っても現実にお出しされてしまったからには受け入れるほかないのだが、受け入れている場合ではない。ソロの時にエイヒレをしゃぶっていた居酒屋ではあれさ~~だけが無限にこだまする。「あれさ~」「あれな~!」「あれ~~~!!!!」しか言えていない。
LOVE♡もあわせて本当に、「あれ~~~!!!」だけめっちゃいう。
私の中の御曹司のオタク、語彙無いな~~。まあ、語彙は溶けるからな、これは。わかるよ。エイヒレ美味い。追加でフライドポテトお願いします。
私からも特にいうことは無い。こういうの無限にみたいので、御曹司はスワンソングを歌ってくれ。頼む。という位しかない。
スワンソングを歌ってくれ。
いや、実際、このダンス自体は結構難しくて面倒くさいと思うんだよな。
マイク当たっちゃうとガンってなっちゃうし、収音しているなら布に擦れたりしても駄目だ。逆にタイミング間違えるとマイクに声がうまく入らないし、二人で歌いながら動くトロッコ上でやると足場もあまりよくない。やっぱ練習の時は結構ぶつかったりしたんだろうなあと思う。
ここのところ、単純に感情が盛り上がった状態で、勢いとかでやっちゃうと、おそらくマジでぶつかっちゃうから、相当リハも時間使ったんじゃないかなあ。まあそうなったらそれはそれで味なんですけど。ただ、さすがにね、ここでガンとかやっちゃうのは、格好悪いので互いのプライドという意味でも絶対に成功させるという一体感も持てたんじゃないだろうか。え?それもあの七海女史の狙いですか?畏怖~~~!!!
個人的には、本番はその辺について、興奮で上がったボルテージでいつもより冷静に歌えていてもいいなと思う。こう、心は熱く、頭は冷静にというやつだ。私はコンサートハイでいつもより視界が広がる現象の話が大好きなオタクなので。
とはいえ、この瞬間二人の視界が広がったとしても、見えているのはきっと相手のことだ。ここでこいつがここに動いてくる、ここでこう動く、っていうのが今までにないくらいに鮮明に、全部見えてしまう。そういうハイがそこにあったのではないかと思っている。
特に最後の腕を交差させて歌う踏み込みの辺りなんかは、あの瞬間、お互いにリハの時より半歩くらい踏み込んで歌って、それでも合う目算で腕を交差できてしまったみたいな二人にしかわからない奇跡が起きていてほしい。
互いに互いの心に対して半歩踏み込んでしまう逸りと、相手がそうするという判断をあの瞬間に完全に理解して、そのうえでがっちり視線を合わせてアイコンタクトを取っていたと考えて、まじで熱かった。
実際、あの向き合って歌う所、結構近くて結構動いているけど、二人がその間、じっと見つめ合っていたという感じはない。むしろ互いに向かい合っているだけで、本当に見つめ合っているのはあのはっきりと視線も腕も交差させているあの瞬間だけだったりせんかな~みたいなことを思ってしまっている。
そういう所が最高すぎるんだよな。
私は二人の距離感が、この絶妙に相手に触れないところめっちゃ好きだなと思う。
実際神宮寺レンにしても、聖川真斗にしても、どちらも人には普通に触れるタイプだと思うんだよな。特に聖川については、他のメンバー開いてだったら力強く手を握ってしまうタイプだ。でも、神宮寺にだけは握らない。そういう特別がある感じ、なんなんだろうな。
それを互いに「特別」だと思っている感じが、まずそういうことなのだ。
というか、まじで二人の関係性だけで異常な長さになってしまった。
なんか普通にこの歌を歌っている最中にTikTokに投稿しているとしか思えないクラセシとかなぜか窓に落書きをして「行きますよ」って言われているシンメの姿や、なんか投げキスするときの距離感とかもベッタベタな人たちはなんなの?ディズニーランドとかきた??まって、ここ、どの曲だったか完全にごちゃまぜなのでは……?とりあえずそんなみんなの姿が見られていて、それぞれの担当が撃沈しているので、本当にシンメって概念は最高だよな……!
HUG SONG
一つの山場が終わったところで、まだ終わらないアンコールデュエットたち。ハグソングの方はそこに映るメンバーもいよいよ最終ステージに向かうこともあってエモーショナルなカットが多い。
みんなで(会場の天井とともに)開いた未来に続く道の先にある空を眩しそうに見つめる翔さんを見つめる那月君の表情は、こう、今までずっと私達に見せてくれていたアイドル四ノ宮那月ではなくて、ずっと一緒に歩いてきた来栖翔の親友四ノ宮那月なんだろうな。彼らはずっとそこに居て、自然な距離感で、それぞれがアイドルとしてファンに見せたい姿をまっすぐ見せてきてくれたんだけど、やっぱりステージの上で素の部分で感慨を覚えてしまう瞬間ってあるよなってことを思わせてくれる。
何時までも真直ぐ前とか上とか先を見て突っ走っていく来栖翔がいるから、これまで一緒に走ってこれたんだろうな。なんて思ってしまう。でも、実際、来栖から言わせてみれば、四ノ宮は四ノ宮のスピードでずっと走り続けていて、俺なんて関係ないだろって感じだと思う。お前は俺なんかいなくても走って行けたよってお互いどっかで思ってそうなのだ。
でも、先を目指してひたむきに走っていく君がいたから走れたと思う男と、側で一緒に走っているやつがいたから負けられないし力強く感じて、更に前を向く活力をもらって走っていけてると思う男なんだとおもうんだよな。走り続ける限り、夢は続いていくし、旅は終わらない。その共連れは言わなくたって傍らにいてくれるのだろう。そういうドラマがちゃんとあるのがいい。
でも、どうかな。ここはもしかすると無邪気にはしゃぐセシルくんの姿というのも含んだ眼差しなのかもしれない。例えそうだとしてもそれもやっぱりアイドルとしてというより四ノ宮那月個人としての喜びだと思う。
みんなでここに来れた喜びを那月くんが一番大黒柱みたいな視点で喜んでそうだなって思うからだ。
こう、ST☆RISHという箱への思い入れがはっきりあると思うのが来栖と一ノ瀬なんだけど、四ノ宮は一十木音也、一ノ瀬トキヤ、聖川真斗、神宮寺レン、来栖翔、愛島セシル、そして四ノ宮那月の7人でやってきたこれまでのこととても愛しく誇らしく思っていそうなのだ。もののたとえなので、そんなことはないのだけど、ST☆RISHが無くなるってなったとき、それが許せなくて何が何でも抗うのが来栖や、一ノ瀬だと思うんだけど、たとえなくなっても7人でこれから新しくまた作っていけばいいと言い出すのが四ノ宮那月みたいなイメージだ。いま当たり前に7人と書いていたけど、多分8人だよな。幻の8人目、その人さえいれば何度でも甦れそうだ。そもそも無くなったりしないので絶対に大丈夫。
だから、今こうして見上げた星を無邪気に見つめる素敵な星々とともに輝いていきたいと思うのが、彼なんだろうな。
やり切った御曹司は、いつもの二人というかちょっと仲良しな状況が続いた二人(コンサート中の御曹司は基本的にすぐアイコンタクトとるしずっと仲良しだが)として休憩タイムしてなかった?肩の力が抜けて、こう、ST☆RISHとしての二人に戻っているかんじがする。
その上で、みんなで集合するために乗っているそれぞれの船が交差したときのハイタッチなんかも、こう、いいよな……。
いま、事前に歌以外の部分を話を拾っているのは、もちろんこれから、歌っているシンメを語る為である。
ハグソングってタイトルで一十木音也と一ノ瀬トキヤの歌を歌うっていうのは、本当にそういう所だと思う。タイトルいちいちおかしいんですよ、分かってますか、七海先生。作詞やらタイトルつけてんのが七海先生か知らんけども。
この二人がこのコンサートの中でずっと抱きしめてきたものって、ST☆RISHとしての表現だったり自分たちの在り方なのだ。
表現の幅や深みだったり、グループやファン、未来に対する向き合い方、そういう物を抱きしめてこのステージに立っている。全部を抱きしめることができたから、今の彼らが居る。そんなことをまず考えてしまう。
正直頭からずーっと一ノ瀬トキヤが変わった話ばかりしてしまった気がするのだが、同時に一十木音也の変化についてもずっとひっくり返ってきたように思う。私は太陽属性の男が好きな女なので、太陽の輝きには敏感なのだ。容赦ない直射日光を向ける夏空の太陽だと思ったら、夕立のあと先程まで地面を濡らした雨空を赤く染め上げる夕方の切ない茜色のような太陽の表情に趣を感じるなという方が無理である。
二人そろって、それぞれの存在の根幹を変形させてきたことに、シンメを愛するオタクとして反応せずにはいられない。
これは、もちろん本来の在り方から歪んだという意味ではなくて、よりそれぞれの内側にある魅力の種を、人々に伝わりやすい形で明らかにし、そして、彼ら自身が自覚できるように映しあったのだと思っている。
人間は生きていく中で、良くも悪くも変化していく。きっと、昔の一十木音也の方が素敵に見えたものも、一ノ瀬トキヤの方が素晴らしく見えたものも、あるんだと思う。でも、今の一十木音也と一ノ瀬トキヤがそれぞれに最高に素敵なアイドルになったのは、二人がこれまで抱きしめてきたものを、それぞれに吸収して今日まで歩いてきたからだ。
お互いにアイドルとして、眼差しを逸らすことなく、真直ぐに進んできたからなんだと思う。
まだ、タイトルの話しかしていない。でも、そんなタイトルの話をしたくなるような、そんなパフォーマンスをここで二人が映すのが良くない。
普通に曲の導入がさ、こう、これまでの道のりを歌ってるかんじじゃん?
それをちょっと切なくなるような声で歌っている姿も、マイクオフで「おとや」と名前を読んで皆のところに向かう船に乗るのも、凄く、一緒に歩いてきた親しみの上で成り立っている。ウロウロしてるシンメの引率をする図あんまりにも親しみ深い。こう、片方が面倒を見ているように見えて、意外と全然関係のないところでシンメに面倒を見られたりしているのだ。世話を焼くという意味では全く無くとも、食べ物ロケで番組的にたくさん食べなきゃいけない場面なんかのときに、しれーっと役割分担を引き受けてくれていたりするのだ。ただ食べたいだけと言うだろうけど、そういう無理のない役割分担と凸凹が好きなんだよな、こちらは。
振りの話なんだけど、なんだろう、このハグソングの一十木と一ノ瀬って、御曹司と違って、振り付けにシンメらしい意図とかはあまり組み込まれていないと思う。
勿論ちゃんと二人で歌って踊る振りなんだけど、この歌の中で彼らの絆を感じるのはやっぱり視線を合わせてうなずき合うようなそういう動作で、その動作というのは恐らく予定され、用意された振り付けではなくて、彼らの中で自然と出てくる動きのように見える。
2人で歌っていることを2人こそが一番意識している。だからそれを楽しみたくて、その気持ちを共有したくて何度も目を合わせて、楽しそうに歌うのだ。
こう、歌にのせて伝えていく言葉にしても、強く前向きな言葉を歌うのが一ノ瀬で、すこし過去を振り返るような言葉を歌うのが一十木な気がした。ごめん、マジであの辺ちゃんとした記憶すぐ押し流されてしまうので、断片の印象だ。
二人の「未来」にむけてサビ?が盛り上がっていく所も、こう、感極まってしまう。音楽構成に、こちらの感情もひっぱられて、どんどんエモーショナルに感じる歌、というか曲をじわじわ思い出そうとすると、この曲ってすごくドラマティックなのだ。
「愛をありがとう」「いつも」「いつも」と言葉を重ねて強くしていく所。「いつも」とそれぞれ別々に歌って心を重ねる感じとか、感情がクレシエンドしてく。
ただ、それを歌う彼らはとても楽しそうで、今この瞬間をめちゃくちゃに楽しんでいるのが分かる。情感たっぷりに歌い上げるんじゃないところが、幸せいっぱい過ぎて、なぜだか切なさすら感じてしまう。
しかし一ノ瀬、ほんとずっといい顔しているよ。
楽しいんだね、一緒に歌うのが、ファンのみんなの前で、グループで歌ってきたこのステージで、相方と一緒に歌うこの歌、すごく楽しいんだね。君、歌うことを楽しめる男になったんだね。いや、本当に勝手に過去の彼にとって歌は手段の一つでしかないと思っていてごめん。得意楽器ボーカルなのにね。(なんだよね?)
こう、お互いの表情が仕草が、お互いの概念に交錯するような混ざり合うよな、そういうのを重ねて、重ねて、歌っていく。
本当に、この瞬間の輝きばかりが増していく。
「大好きな人との」の大好きな人が当たり前に隣に居る相手であるのはもちろんだけど、それだけじゃない、この会場に、映画館に居るすべての「大好き」な人たちをちゃんと背負って
「大切な時間を」と手を差し出した時の二人の表情も顔も、力強さもそっくりなのだ。
一十木音也と一ノ瀬トキヤ中の良い双子みたい!
初めて名前を確認して音にしたときに思ったことをここで回収しちゃう。
一から始まってやでおわるし、二人とも名前に「時」を持ってるし、
音に乗せていく二人なんだろうね。今も未来も。
本当に、長いこと一緒にいるシンメというのは表情や仕草が移るという話を無限に擦ってしまうが、それは何も普段から同じような行動をとるというわけじゃない。本当に趣味や仕草も全然違うし、感じ方も伝え方も、なんならもともと大切にしていたものも、価値観だって全然違う二人が、ずっと一緒に表現をして、歩んで、葛藤してきて、我々が知らないようなたくさんの時間や事件、大変なことも下らないことも、一緒に共有してきたからこそ、ふとした瞬間に似たようなしぐさをすることを尊ぶ習性である。(n度目の説明)
ただまあ、この瞬間はそういう何気ない仕草ではなくて、この瞬間に溢れたものが同じだったのだと思う。重なった気持ちがそのまま同じベクトルで持ってファンに向かったのだ。
ルレのオタクが目を開いたまま死んでしまった。
実際、彼らの歩みのこれまでを知っているオタクは、彼らが今辿り着いた場所がここで、この二人がこの歌をこんな風に歌っているという現在に対して、もう何もかもが爆発してしまうに決まっている。
スターツアーズしか見てなくてもここまでドラマティックのにおわせがすごいのだ。こんな明らかに「俺たちこれまで紆余曲折あって、全然性質の違う二人がこんなにうまくやれるようになって、今幸せです」って見せつけられている。
そして、船はメインモニターの上で待つメンバーの元に向かう。
最後にたどり着いた二人を待っていてくれているメンバーのために船から降りるその足並みはそろっていて、私の中の足並み強火が喝采する。
そして、階段を上る足は二人三脚の形だ。
この際足並みがそろうといっても同じ足を出すケースと二人三脚ケースがある。本人たちに大きな意味はマジでない。だって本当に無意識にそうなっただけなのだ。でも、だからこそ、ここで「二人三脚」になってしまったということに、足並み強火が唸る。
そんなところにまで気を配る余裕のなかったらしい実在のルレ担に足並みの話をしたら、以降足並みオタクが感染してしまった。
でも、あの足並みを見逃すことある!????と足並みオタクは困惑気味だが、ハグソングを聞いた後のルレ担はもう本当に情緒をずっと殺され続けて無理だったらしい。珍しく幻覚じゃない話だ。
ちなみに幻覚のルレ担は足並み強火の因子を継いでいるせいで、当初から足並みのことが見えていたが、それがあまりにもできすぎたドラマ性を誇っているせいで自分が見せた幻覚じゃないか毎回確認している。
私も確認しましたが、これについては幻覚じゃないです。
二人そろってステージに上がって、ST☆RISHとして、最後の階段への足並みをそろえる。ここで踏み出す足は全員同じ足からで揃っている。そういうことだ。足並みオタクはしたり顔で頷いている。
いや、本当に物語として完成度が高すぎる。
いろんなものを乗り越えて今日まで、そしてこのステージそのものを走ってきた彼らが、360度ステージではなくて、あの四角いステージにたどり着いたのだ。射出された銀テープがキラキラ輝いて星が降っているみたいだ。
本当にスターツアーズが映画館で上映していてよかった。
これ現場に入ったオタクだったとしたら、まじでこんなに楽しかったコンサートをマジで一つも覚えていられないと思う。脳みそがショートするに決まってる。
マジLOVE1000%-RAINBOW STAR ver.-
いよいよ、最後の曲だ。MCの話からしたいのだけど、やっぱりもはや随分記憶が曖昧になっている。
ステージの上に綺麗に7色落ちた銀テープ、おそらく実際はもっとたくさん落ちているんだろうけど、それをひとつずつ拾って投げて、ファンに届くの、皆物投げるのうまいね。
トップバッターセシルよろしく!って言ったのに、みんな同時に銀テを投げたので???ってなってしまったけど、普通に挨拶の順番だった。
最初の自己紹介と順番が逆だったのかな?いや、だめだ、全然記憶が曖昧なのでわからないです。
マジで一人一人の挨拶、全部めっちゃまっすぐで、この子達は本当に今このアイドルってものを楽しんでいて、ファンのことが大好きなことも、これからこのメンバーで、こういう時間をもっとずっと作っていくっていう決意とか、やる気とか、何より今日の充足感が詰まっていて、最高の挨拶ばかりなんですけど、脳がポンコツすぎて正確に覚えているものがマジで一人もない。
それぞれが挨拶をしている中で、後ろのやつがちょけてたり、ファンサしてたり、見る場所が多すぎて時系列も混乱している。円盤で確認しなけりゃパーツとかしか思い出せない。
セシル君は日本語そのものはたどたどしいというか、言葉選びが母国語ではないゆえのそれなんだろうけど、伝えたい言葉のチョイスがいつもどこか詩的で、子守唄のような優しさがある。
那月くんの「ギューーっと抱きしめて」で抱きしめジェスチャーしててかわいかったね。
しかし、那月くん、こういうときのおしゃべり本当にうまかった気がする。ファンに言葉でつたえるとか対話するの一番うまくない?こう、それぞれの担当にとってそれぞれの推しが一番最高な言葉をくれるのは前提として、彼はなんか、はっきりと伝えてくれる感じ。多分個レス的な意味でも一番ファンサにバリエーションがあってコミュニケーションが多そう。担当違うのに那月くんにファンサしてほしくて、うちわ作る女見えます。会場に入ったとき推しちょっと離れたところにいたときに、那月くんがそばに来たら普通にお手振りファンサとか求めてしまうし、毎回サイコー!ってなってしまうオタクもいる。那月くんにガチ恋営業されたつもりになるオタク多そーー!!那月くんのガチ恋、油断するとほんとやばいって話、私もうした??いや、各メンツ全員ガチ恋はそれぞれに癖がありそうなんでつい覗き込んでしまう。(幻覚を)
一番見てて面白そうなのはセシルくんのガチ恋。彼にふさわしい女になるために、努力してそうだし、王族と婚姻した場合の側室について真剣に考えてるかも。乙女ゲー世界の王族なので、一夫多妻制ではないかもしれんが、絶対考慮はしてる。あとおにぎりめっちゃ握れるんだろうな……。
ここでも涙がこみ上げてくる翔君。でもそのあとに見せる力強い笑顔はいつもの彼らしくて最高。
レン君はいつもの調子なのに、どこかピュアさが残っていて、本人が少しほわほわしちゃっている感じがある。なんだろ、寂しがり屋の斜に構えていた男の子が幸せ知っちゃって隠せなくなってるみたいなやつです。
真斗さんは、なんか盛り上がってきて言葉の癖もどんどん癖が強くなってて最高。詩集を出してくれ。
トキヤさんは、なんか未来に向かってすすんでいく!って決意している顔が眉と目も近くてきりっとしているのに、めっちゃ相方っぽくて、ハグソングの残滓じゃないかと思う。音也さんのみんなと一緒なら何でもいいのかも(間の言葉が抜けているのはわかる)って言葉は本当に一十木音也のピュアな部分って感じがすごい。一十木音也の概念を丁寧に丁寧に濾して、純化するとこの成分が出てくるんだと思う。アイドルのために生まれた男のピュアな概念から出てくるその時の感想すぎて、説得力がすごかった。そういうかっこよさがめちゃくちゃある。
そして、皆さんも知っているあの曲とセシル君が紹介するのも、この曲だからこの四角くて後ろに巨大モニターがあるステージなのもあまりにも良い。
始まりの曲として、私でも知っていた。こんなの全員大好きだ。
懐かしさがすごいんだけど、踊るとやっぱり、ここがシンメなんだなと分かる。そして、ここの歌割りも、ダンス割りも、本当は6人の物だったのに7人になっているのがわかる。やっぱりメインで見せるダンスがシンメの作りになっているために、少し違和感があるのだ。
でも、別にセシル君が浮いているわけじゃない。ここで、なんか本当に仲良しな感じを出してくるルレの二人がすごい、表情逆転してない?ってくらい一ノ瀬が楽しそうで、一十木がかっこよく決めている。
いや、実際めちゃくちゃこのステージ楽しいんでしょうね、この二人。
逆に御曹司はちょっと他人行儀というか、きっちり線を引いた感じがある。ところで、聖川のそのダンスめっちゃすぐ歌うのに口からマイク放すのすごくない?口に当てといていいんだよ?って思ってしまう。折り目正しい……。
クラのマイクを差し出しあう振り、今更だけどこれもすごいな。これ、御曹司のマイク振りと違ってドラマチックには見せないで、当たり前に入れてくる自然の流れみたいになっているが、この二人の身長差を考えると、これが格好良くシンメできまるということがやっぱりすごいのだ。だって、ここのメロディー普通にこの人らが歌っているんだから、マイクに入らないと困るのだ。さらっとすごいことをやってのけないでほしい。元からなんだろうけど、そういう所です。
そしてセシル君の歌割り、ここに入ってきたセシル君を全員が姫扱いして立ててるってくらい、全員でセシル君を取り囲む系の振りで、なんだろう、ここに君がいるってことがメンバー全員にとって大切なんだよって、はっきりわかる振りになっているのがすごくいい。
構成そのものは7人のための物ではないのに、あえて元々の振りを尊重しつつ(確認できていないけど、元の物をそこまで大きく変えていないんじゃないかと思う。そうじゃないとなんだか違和感があるようにかんじる構成にならないようにするはずだから)、7人の曲としてこの曲をやり切ったことには、特別な意味があるに決まっている。
もともと歌については、もはや全く違和感なんかないのだが、これはそもそもの曲を私が聞き込んでいないせいもあるが、はじまりは6人だったST☆RISHだけど、ST☆RISHのはじまりを7人で歌うことで、何もかも全部、7人の物になったという証明みたいに見える。
ここで、セシル君が一番端から、一緒に踊っている全員を見た時、本当に改めて自分が彼らの一員であると感じたんだろうななんて思ってしまうような余白に、胸が熱くなる。アンコールでラストに散々シンメシンメと騒ぎ立てておいて本当に恐縮だが、ST☆RISHって7人のアイドルグループだ。
誰かひとり欠けてもこの景色も色も描けなかったんだろう。
最後に手をつないで、ありがとうございました!と頭を下げる彼らの肌には間違いなく大量の汗が伝っていたし、そのすべてが大量のスポットライトに反射して輝いていた。
マイクを通さない声で、しかも高いステージからなので、きっと現場のファンの耳にはほとんど声は届いていないけど、聞こえてはいたと思う。
やっぱり、退場の姿まで見たかったので、彼らがどんなふうにステージを去ったのか、本当に教えてほしい。
マジで、全然帰ろうとしない一十木音也が一ノ瀬に引率されていたはずだし、なんなら四ノ宮那月もぎりぎりまでみんなに手を振っていたと思う。
普段ならそんなことをしないレン君がひょこっと音也君と一緒に顔を出して、いい加減にしなさいとたしなめるトキヤも緩んだ頬をどうにもできていないんじゃないだろうか。でも君らがいる限り規制退場で出ていかないやつがいるし、会場の制約の問題で終わる時間は決まっているはずなので、そこは理性で飲み込んで全員を連れ帰ってくれるだろう。
ファンは呆然としながら、規制退場で自分の席が呼ばれるのを待ちながら崩れ落ちる様に椅子に座って、かばんに入っている飲み物を飲んでいるに違いない。多くのオタクが泣いたり水分補給をしたり放心したりしている。さっきまで大音量を聞いていたはずの耳はじわじわじんじんしていて、それまで濁流みたいに溢れていた感情が、まだまだ渦巻いているだろう。
いろんなことを口にして発散したいのに、それどころじゃない。規制退場の放送だけがうら悲しくコンサートの終わりを告げている。
とはいえ、YouTubeチャンネルあったら、ぜったい終わった後、シャワーを浴びた1時間とか2時間後に生配信を始めるタイプのグループである。帰るオタクのネットワーク環境とどうにもなってない情緒が心配だ。通信制限で泣きを見たオタクが居ないといいね。
おわりに
さて、長々と書いていた感想もこれでおしまいである。
総文字数は10万3000文字くらいになった。感想本編だけなら9万字くらいになのであるが、とんでもない長文になってしまった。
私は二次創作で小説同人誌を出す女なので知っているが、文庫サイズや新書サイズにしてもその辺の書店に並べられる厚みになる。アニメもゲームも本編を何にも見ていない女のうわごとだけでここまで文字を並べ連ねたのは狂気の沙汰としか思えない。心に理性の水を浴びせかけなさいとガートルードがハムレットに投げかけたセリフが頭をよぎるが、狂気という物はエンタテイメントである。
今回の私の全力幻覚エンタテイメント、楽しんで頂けただろうか。
ここまで書いた私のことを狂人だと思っているかもしれないが、ここまで読んだあなたもそこそこの狂人である。
全くいいコンサートだった。私はアイドルが全力で楽しんでいるアイドルコンサートが大好きだ。それぞれがそれぞれに試行錯誤しながら生きているアイドルのことが大好きである。
ここまでの文字数を書かせたのも、ここまでの文字数を読ませたのもST☆RISHの魅力である。これからも輝いていってほしい。
ここまで書いてきて、お友達が3人、めちゃくちゃ楽しんでくれていたので私は満足している。
本当に、1週間以上、同人原稿をしているときと、仕事をしているときと、映画館に居るときと、友達と遊んでいる時以外は、ずっと感想を書いていた。マジで絶対にこの時間でアニメ見たら1期分くらい見終わっているはずである。
というかほかにもやっていることが多すぎて、びっくりしてしまった。
こんな感想を書いている場合ではない。
とはいえ、ミリしらの状態での感想を漸く一通り書き終えたので、そろそろうた☆プリをもう少し履修してもいいかもしれない。
具体的に言うとキングダムくらい。いい加減そろそろ先輩のことも知りたいじゃん?
狂ったように書き連ねたが、ここまで私のST☆RISHの推しの話とかをしていない。私の中にいる幻覚のオタクたちの話はたくさんしたのにね。
とはいえ、実は私は誰推しかを決めかねている。パフォーマンスにのせた生きざま的にも、初めて見たときに心が一番動かされたのも来栖翔君なのだが、自分のセンサーが聖川真斗くんのことをとっても気にしている。
そもそも私はグループや漫画や作品を好きになることは有っても明確な推しキャラをあまり持たないところがあるので、推しは定まらないのかもしれない。
ちなみに、当初ジャニオタとして名乗ったが、推しアイドルはKinKiKids、どちら派?と聞かれたら二人派である。光一さんのステージングや舞台にかけるひたむきさが好きで、剛君の歌や作った世界の独特さが癖になっていて、何より四半世紀以上の時間をかけて二人で作り上げてきたKinKiの概念を推す女である。
なので、結局ST☆RISHの推しは定めることなく、箱で好きなアイドルになってしまう未来も十分にあり得る。
とはいえ、前回の感想以降、私の幻覚や感想、履修状況に興味を持ってフォローしてくれたオタクへ。今後、一切の期待は持たずにいてください。
本当に、長々とお付き合いありがとうございました。
余談
折り返し時点で6万文字を超えていたため、Noteの一記事当たりの文字数制限が心配になって「Note 記事 文字数」で検索した結果の話をしたい。
求めていた情報にミリもかすらないのだが、自分のやってることとの乖離に笑ってしまった。
なにせこのNoteの総文字数は10万字を超えている。
理想は1000字くらいということなので、読まれたいなら100記事位に分割したほうが良いってことか~。いやあ~勉強になるぜ!
いつかNoteでビューを稼ぎたくなったときは、是非ともこの先人の所見を参考にしていきたい。
今回はこういう幻覚を無限に貪りたい友人向けに書いたNoteなので、ビュー数だったり評価は気にしなくていい。100記事に分割する予定も勿論ない。
なにせ、流石の私もこんなの一人でずっと書いていられなくて、友達に見て見てするために実は連載みたいに記事を分割して、どこにも告知せずアップしていたのだが、それでも一つ7000~10000字あったのだ。
そして、それを追いかけてくれたらしい方々が意外に居た事実には本当に困惑しかなかった。毎日スキをくれた人に親近感さえ覚えている。見てる~?
まあ、そもそも、ここまで根気よく読めたのは素直にすごい。
実際に見て見てしていたお友達のうち2人の言い分はこうなので、今頃余程お疲れかもしれない。本当にご苦労様だ。
どうでもいいが、実は連載分から結構追記したり直したりしていて、もしかするとこの野郎と思われているかもしれない。
なお、検索ワードに「上限」を加えて、当初求めていた情報は手に入ったので、同じようなことをしたい人のために紹介しておこう。
この人のおかげで私は安心して1記事で全部放出することを決め、突っ走れた。
ちなみにスマホで作業していると、5万字を超えたあたりからブラウザが下書き保存するたびにフリーズした。
あと、当初戯言のつもりで、もし感想が10万字超えたらこれをそのまま同人誌にするとイキってしまったので、発行したら追記しようと思う。
ちなみに当初の目算では3~5万字くらいで終わると思っていた。
同人小説書きの文字計算っていつだってこれくらいがばがばなんだよな。※個人差があります
なお、ちょうどこの余談が1000字くらいである。
読みやすかったかな?
おあとがよろしいようで。
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