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京極夏彦「百鬼夜行シリーズ」

新聞の書評(1996年11月)の切り抜きです。
スクラップブックに貼ってありました。
これを見ただけでも大好物のアラカルト。
古書店で「狂骨の夢」を見つけたのでさっそくリクエストではなく買って読みました。
とにかく面白い。そして怪奇ものなのになぜか読後感が晴れやかで、
今でもあの興奮は忘れません。
それまでフィクションと推理小説は苦手でしたが、このシリーズはジャンルを超えた面白さが特徴で、多面的です。
憑き物落としは中禅寺秋彦の膨大な知識量と頭脳で行われます。
それはただの犯人探しではないのです。

たしかに良質な推理小説は、ただの犯人探しではないことはわかっているのです、あくまで「出来の悪いフィクション」が苦手なのです。

とにかく情報量が多いので画像のような厚さになります。
塗仏ではついに2巻に分かれますが、かたくなに1冊にしています。
作者は文字やページの割り振りも憑き物落としの装置という考えのようです。最近になって以下のように説明していますが・・・・


 "作品の見せ方についても、一つの文がページをまたがることのないよう     に、ページ・見開きの末文で改行するよう構成する(文庫化などで字数が変わるとそれに合わせて適宜改行位置を操作する)など、独特のルールを遵守している。デザイナーの血がそうさせるのだとも言われるが、それは読者がページを開いたときの第一印象まで、作家の主体的な制御下に置こうという試みといえる。そのこだわりは、みずからDTPソフトAdobe InDesignを駆使して、全ページのレイアウトをこなして印刷所に入稿するレベルにまで至っているが、個人的なこだわりではなく、本人は、リーダビリティを考慮した読者サービスの一環であり「小説」と言う商品をよくしようと言う企業努力であると語っている。(ウィキペディア抜粋)"

 
子供の頃、本は厚ければ厚いほど嬉しかった。
最初つまらなくても読んでいると面白くなったりする。
だんだん読んだ方が多くなっていく。
読みたい、でも読んだら楽しみは終わってしまう・・・
そしてついに読み終わってあれこれ思い出したり、伏線に気づいてびっくりしたり。

このシリーズは、漫画と、ストーカーだのエボラ出血熱だの教育書だのばかり読んでいた当時の私には久しぶりの「文字」による快楽だったのでした。

無論のこと他の著作やシリーズも読んでいます。
どれも好きですし単行本で刊行された「嗤う伊右衛門」などは映画も良くできていたと思います。
しかしこのシリーズは後半登場人物にも愛着が湧いてくる分特別です。
新著が待たれます。

おわり

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