7月22日 煮え切らない

 日々の不安や生活の後悔について綴っているときが一番筆の進みが速いことに最近気が付きました。そのせいで知らぬ間に後ろ向きな文章ばかりがならんでおり、将来的に積み重なったら禍々しい気配を漂わせていくことになるのかもしれません。不貞腐れたり大衆を腐すことがあまりに容易であることが、そしてそれを躊躇う理由が自身の中に見つからないことが原因かもしれません。
 最近の私はかもしれませんかもしれませんと断定を避ける形でしか物事に言及しなくなっており、これも大概卑怯な振る舞いだよなと自覚しております。知らんけど、が言葉の責任を有耶無耶にできる呪文の一つとして我々の間に広まって久しいですが、矢面に立つことなく意見を発信したいという気持ちが共通して存在することには心強さも覚えます。少しだけ。

 日々の暮らしを綴るといっても、今日は何時に起きて何をしてどこへ出かけてどんなものを食べたのか、みたいなことを書こうという気持ちがあまり湧いてこず、もしかして自分は日記を書くのに向いていないんじゃないだろうかと思い始めました。というか、大半の情報は正確に覚えていません。大体昼頃に起きたな、とか昨日の残りを食べたな、とかそういう印象単位でしか日常風景を記憶しておらず、日記中で食レポまがいのことが出来る人なんかは本当にすごいと思います。自分がそれをやろうとしたら八、九割方が創作になると思うので。睡眠や食事に限らず、例えば街を歩いているときも周りに対する関心が非常に低いので、地元の商店街とかですら知らない店の方が圧倒的に多いです。もうこういう感度の低さがデフォルトになっているので、逆に世の中に対する解像度が非常に高い人の文章や話を見ると、おお! ってなります。感動してるってことです。


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