9月29日 うごく
夜です。一日の終わりに日記を書くことが習慣になっており、自分の生活にこうしたルーティンが生まれていることがなんだか面白いです。
今日はヒロアカのアニメを見てました。かなりの量がたまっていたせいで、一日中アニメ見てたのに全然録画が減らないという異常事態に陥っています。夕方番組の物量を舐めていました。漫画の方だと5巻分くらいしか進んでなかったんじゃないでしょうか。引き伸ばしとかアニオリの挿入は感じないのになんでこんなに……と思いましたが、毎話冒頭に前回のあらすじパートがあったからな気がします。深夜アニメだとあんまりないので、久々に出会ったなーという気持ち。
外があんまりにも急に涼しくなってしまったので、何というか一気に現実に引き戻されたというか、年末がもう目の前にいるんだぞと言われているような気分になって、勝手に先行きに不安を抱いたりしています。時間の方はずっと変わらず変化しているわけで、むしろようやく現実が見えたと表現するべきかもしれませんが。とにかく、来年に向けて、あるいは来年度に向けて身の振り方を考えなくてはならず、それが面倒だなあと感じるばかりです。もちろんこれは誰に身にも起こる類の面倒で、その上自力で何とかしない限り変わらず付きまとう面倒なので、うだうだ言っていても仕方がありません。
「うだうだ言ってる暇があったら手を動かせ」というのは私が子供の頃にかなり嫌ってた言葉で、正直今でも嫌い――納得できない事象のために手を動かしても生産性が著しく悪いままだから――ですけど、遅々とした歩みであっても道程を最後まで達成すればタスク完了扱いで認められるということも理解できるようになりました。書いてて変な日本語な気がします。が、読み返してもどこが原因なのかぱっと見わからないのでそのまま続けます。それで、こういう言葉を非効率な根性論だと笑っていた自分がどうなったかというと、特にどうともなりませんでした。劇的な転機やエピソードでもあれば話のタネになりますが、自分で普通だと思っている価値観に基づいた行動は、自分にとっては普通の行動になってしまうので。普通と比べて特筆すべきことがあっても、それを自覚できないんですね。なので間違いがあっても自覚できませんし、実際自分の考えを間違っているともそこまで思いません。普通に育って、普通に生きてます。
そういえば、と自分の人生を振り返ってみても、第三者に諭されて考え方を改めた経験が全然思い出せません。諭されたことがないのか改めたことがないのかで話が変わってきますが、残念ながら両方とも覚えがないです。物覚えが悪い人間は自分語りすら満足にこなせないというのか。
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