7月21日 面の皮を貼り足す

 初めの頃は何を書こうかなとか律儀に頭を悩ませていた自分も、内容がどれだけ個人的なことでも何を書いたってさほど問題ないという考えに至りました。ネット社会なんてどうせ年がら薄暗いんです。至るとはいっても、この考え方が不安と共に足元を確認しながら夜行することよりも優れているわけではなく、不思慮な振る舞いには相応の困難が待っているだろうと思います。とはいえ今のところは何も起こっていないので、悠々自適を満喫します。ちょっとの図々しさはむしろ世渡りに役立つという、あれです。今考えました。

 私は外では少し病的に他人の顔色を伺うきらいがあるので、我を通すということもきちんと覚えた方が良いとも思うんですけど、現状思うだけにとどまっています。これが他者への思いやりとかから来てるならまだしも、他人を慮っているのではなく自分の行いが他者からどう見られているのかに気を取られているだけという自覚があり、微妙な気持ちになります。初対面の人が相手だと特に気を遣うから疲れるなどと言いつつ、実際私と会話した人は私のことを「気遣いの人」とは思ってないだろうな、みたいな。これはつまり私の気の回し方は根本的にずれているということで、そこまで自覚的になれるのに居住まいを正すには至らないのだから我ながら不思議です。まあ居直るよりも開き直る方が楽ですからね。
 自分が毒にも薬にもならず、かといってそのまま飲めるほど綺麗な水でもない塩梅の会話を繰り広げていることに気づいた時の、あの感覚。苦手です。でも世の中で生きていくためにはコミュニケーション能力は必須技能なので、会話を避けるよりも適応力を高めていく方向に舵を切るしかないのです。とりあえず、あからさまな失敗を寝る前に反省し始めるやつを辞めることを目下の目標に頑張ります。

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