7月19日 夏の原風景

  読みかけの本、やりかけのゲーム、途中で止まった参考書。と、このように自分の周りにあるものを句点で区切りながら列挙するだけで寂寥感を滲ませた詩的な雰囲気を醸し出すことができます。なんて詩を本気でやっている人にぶん殴られても文句が言えない暴論を一つ披露したところで今日の話をします。
 夏に外に出て遊ぶような子供がどんどん減っているから、将来的には夏の原風景と言えば縁側のスイカや樹液を使った虫取りでなくエアコンの効いた部屋でゲーム機のコントローラーを握っている光景に取って代わられるだろうという意見を見て、確かに自分の代ですらそっちの方がうっすら身近だなと思いました。蝉が羽化にうっかり失敗しちゃうような気温の中、わざわざ外で遊ぶなんて正気の沙汰でないですからね。うかうかしてたら熱中症で死にます。”親父ギャグが言いたくて仕方がない瞬間”が人生の中に現れるようになり、老いを実感しています。これが大人になるってことなのか。ゲーム三昧の夏休みなんて風情がないといえばそうなんですけど、まあ時代の移ろいの一つじゃないかと最近は考えるようになりました。もっともこれは子供の頃から汚れるのも虫も運動も嫌いだった人間の自己弁護みたいなものですし、河原で遊べるような地域の子たちは今日も元気に出かけていることでしょう。私は人が多い場所も苦手な子供だったので(書き並べると面倒くさすぎる)海やプールにも楽しい思い出ってほとんどないんですけど、そういう性格でも娯楽に事欠かない時代に生まれられて良かったなとしみじみ思います。

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