7月28日 びーりある

 BeRealって話に聞いている要素だけでも「それインスタとどう違うの?」とか「撮影が強制されて義務感で写真撮るの楽しくなくない?」とか考えてしまって、超人気SNSの立ち位置にいる理由がいまいちわかりません。これは私が新しい何かを始めるときに手軽さを殊更重視するタイプだからかもしれませんが、逆にこうやって使命感みたいなものをユーザーにコンテンツとして提供しているサービスが他にないから刺さったんでしょうか。まあ外野の人間が伝聞の情報だけで「それの何が楽しいのか」と感じてるときは、大抵伝わっていない楽しさがあるだけと相場が決まっているので、まだ私の知らない魅力がたくさんあるのだろうと考えることにしています。
 SNSにしろファッションにしろその他大多数の趣味嗜好において、私の感覚は世間一般と合ってない部分が多々あるなという自覚が昔からあるんですけど、流行に全く追いつけていないことに対して後ろめたさみたいなものを感じたことが全然ないですね。もう”流行りがわかってない状態”がデフォルトになっているので、最先端を認知できていないことを過度に恐れる人を見ると、価値観の根底が自分とはまるきり違う人がいるのだなと感じます。これは種類の違いの話であって、どっちが正しいとかどっちがいいとかの話ではないです、もちろん。

 あと、派手なデザインよりもシンプルなものを好んで日用品やアンティークを選んでいる人が、第三者から「合理的な性格」と言われたりしているのを見ると違和感があります。単純に無地が好きな人って絶対いると思っているので。見た目より機能性を重視している人なんかもこういうことを言われてるイメージがあるんですけど、アナログ時計とかマグカップあたりの別になくても生活には困らないラインの品物を買っている場合は、その時点で個人的には合理的かと言われるとちょっと違う気がするんですよね。個人的すぎる話になってしまって言語化が難しいんですけど。「これから長く使うものなんだから、使いやすくて頑丈なものを選ぼう」的なチョイスをしてる人がいたとして、それって重要だと感じてるポイントが違うだけで結局は感情に依る選択だよね、ということが言いたいのだと思います。
 書いてから思ったんですけど、上の二つって違うジャンルの話ですね。


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