フライトアテンダント2

シーズン1もそうだったけど、何故か一気見してしまうドラマ。
サスペンスというよりヒューマンドラマかな笑

アルコール依存症のキャシーの自分との対話や葛藤の演出は、なんかわかるなぁって親近感が湧くものだった。
解離とよく似てるなぁって感じ。
全部自分なのに認められない。嫌なことや認められない事があると意識がぼやっとしてトリップしちゃう感じとか。
ちょっとADHDっぽいかなぁとは思うけど、依存症と解離と愛着の問題を抱えた人って感じ。
人との境界も薄いのかもしれない、友達の問題を自分の事のように引き受けててすごいなぁと思った。
解離傾向のある人は逃げる事が一つの生きる手段になってる気がする。
あの無謀さも現実や自分自身から目を背ける事為の手段なのかもしれない。
飲酒後のひたすら電話をかける様子は境界性パーソナリティを思わせるような、自分の中が空っぽで兎に角何かで満たさなければというような自己愛の低さを感じさせる。
母親とのシーンは色々考えさせられた。
前に進みなさい、正直になりなさい、自分と向き合いなさい、それがあなたの幸せになるのよというメッセージなのかもしれない。
でも過去に色濃く囚われた人間からすれば何度チャレンジしても引き戻されては同じ所に戻ってくる。先に進めなくて自己嫌悪する。
こんな足掻きのような努力すら普通の人たちには必要なくて、目の前の、今に集中する事が当たり前にできる。
何でわかってくれないのか!何で私はこんな努力をしなきゃいけないのか!?そもそもこうなった原因はあなたにだってあるのよ!!

そういった怒りと孤独感や自己嫌悪でいっぱいになる感じが、リアルタイムな私で、めっちゃ揺さぶられる〜ってなった。
海岸で抱きしめられるシーンは、経験者だからこその乗り越えてきた強さと優しさ、それからまだ完全には抜けきれないという道のりの険しさを感じた。
しんどい道のりを一歩一歩自分で歩いてきた人の言葉なんだろう。

愛着や解離の治療で大切なことは素直に気持ちを感じる事だと思う。
その時感じる気持ちは、身を切られる程辛い。今まで解離で飛ばしてきた分その激しさに慣れない人にとっては、死ぬんかなと思うような激情だと思う。
でもそこを通過しなければ本当の苦しみは癒されない。

海岸での会話の中に、あなたはまだスタートしていないというセリフがあったが私はスタートしているんだと思う。
嘘では自分を変えられないと言うことに気づいて覚悟決めるのは、今日明日すぐにできることじゃないから。
問題に何度もぶつかって取り組んできた人に見えるものだと思うから。
振り出しに戻る事さえも歩いてきた証拠だと私は思う。
心の中で出会う母親は自己愛なのではないかと思う。
愛を教わるのは母親からである事が多い。
自分で自分を許して、どんな自分も私に変わりないと思えたキャシーはまた大人になっていく。
最後の母親との電話。すぐに結果は出ないけど私は頑張ってる。変われるように頑張ってる事だけはお母さんに知ってもらいたい。
それって私を見ててって事なんよね。
あなたは頑張ってるのね、ってそう母親に思ってもらえるだけで離れていても常に母親が側にいるような気がするのかもしれない。
それは愛着の形成のような気もする。
サスペンス、ミステリー要素よりもそっちに意識をもっていかれたドラマでした。






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