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硫黄島来訪記 ~美しき激戦の常夏島①~

2024年2月、太平洋戦争激戦の地、硫黄島に行ってきました

想像とは違い、あまりにも美しい島でした。

硫黄島とは

小笠原諸島に所属する島で、父島の南約280km。
人が住む島として、小笠原諸島では最も南に位置します。

台湾と同じ緯度

言わずと知れた、太平洋戦争の激戦地です。
数々の方が無くなった過酷な孤島というイメージを持たれている方が多いのではないでしょうか?

現在は島全体が自衛隊の基地となっており、一般人立ち入り禁止。
今回はそんな硫黄島に日帰りで行ってきたのですが、
あまりにも美しい島でした。

2月とは思えない光景


何故行けたのか?

前述の通り、一般人の方は立ち入り禁止。
基本的には基地や工事関係者しか行くことが出来ません。
しかしながら、私の祖母が硫黄島出身であったため
都が開催する墓参事業に参加させてもらう事になりました。
(一世が優先の為、数回目の応募でようやく行くことが出来ました)

ちなみに、基本的には飛行機のみです。
以前は小笠原丸という船でも行けたらしいのですが、
島自体が隆起しており、入船出来る港がないとの事
(おがさわら丸が3代目になったことも影響してるらしい)

父島、母島に空港はないので
入間基地からの飛行機かヘリコプターが唯一の手段みたいです。

当日まで

当日は朝7時頃に入間駅周辺の指定場所に集合。
朝早いので、入間のホテルに泊まるかどうか選ぶ事が出来ます。
起きれるか不安だったので、宿泊を選びました。
硫黄島への渡航は都が費用を出してくれるのですが、ホテルの宿泊費は流石に自腹です。
受付を前日に済ませ、注意事項の書かれた冊子を渡されます。
修学旅行みたいです。

この冊子、祖父の家でみた気がする

中には旅の予定表と諸注意が書いてありました。
2月だったので今回は問題なかったのですが、とにかくめっちゃ暑いので普段は帽子が必要らしいです。
あとなんか危険な虫がいるって書かれてました。


旅の日程

いざ入間基地へ

朝食を食べ、ホテルに待機してた自衛隊のバスに乗り込みます。
ここから先は、自衛隊員さんと一緒に行動です。
また、基地内は写真撮影禁止でした。

バスに乗り、滑走路隣の建物でしばらく待機。
ガラス越しにたくさんの輸送機
名簿と照らし合わせ、ドッグタグを渡されます。

しばらく時間があったので他の硫黄島出身者と雑談。
なんと私の祖母と同級生だったという方がいて、昔の話とかをたくさん教えてくれました。
ちなみにこの建物には売店もありました。

C-2輸送機体験談

みんなで輸送機へ。
今回乗り込むのはC-2輸送機という、最近配備されたばかりの最新機。
半年前、岐阜の航空祭で見た気がする。
これに乗れるって、かなりレアな体験なのではないでしょうか?

岐阜の航空祭で撮った写真

後ろのハッチが空き、自衛隊員数名と荷物と共に搭乗。
ヘルメットを渡され、シートベルトを締めエンジン着火。

もの凄い加速力です、8秒くらいで離陸した気がする。

そして、体への負担が凄い。
旅客機と違って、椅子が縦一列に配置されているんですよね。
体が横向きなのでGも横向き。
痛いとかはないのですが、日常では体験しない力のかかり方なのでちょっとびっくりします。

そして座席は折り畳み式。
一番近いのはキャンプ用の折り畳み椅子でしょうか。


とにかく轟音
事前に渡された耳栓をしていても、それでも凄い騒音。
とても話せるような環境ではありません。

そして結構揺れる。あとなんかスースーする。
こんな環境で本を読んだら、自分は一瞬で酔うと思う。
テンションが高かったのは最初の1時間くらいで、
2時間半ずっと電光掲示板を見つめてました。
あと天井がくっそ高くて、窓が小さくてほとんど何も見えない。

でも後ろのハッチはくっそカッコ良かった。

ちなみに昔はC-1輸送機、前回はC-130輸送機だったらしく
3時間半くらいかかってたらしい。

ついに硫黄島上陸!

降り立って最初に思ったのは、暖かい!
日差しがとても強く気温はなんと24度!2月とは思えません。
管制塔の1階部分にあるロビーにいったん集合し、
マイクロバス3台に分かれて乗り込みます。

ちなみに自分たちが乗ったバスはエアコンが壊れてまして、
とにかく熱中症に気を付けて欲しい、クーラーボックスの中に冷えた水があるから、自由に飲んで欲しいと、隊員さんに何度も勧められました。

これ本当に2月
最初に向かったのは体育館
おにぎりとお茶が支給され、挨拶があり、発掘された当時の生活品を眺めたり。

自衛隊の体育館


発掘された戦前のモノ


バスツアーへ

ここから先は隊員さんと共に、バスで島を巡ります。

3台のバスは無線でやり取り。旧島民の自宅跡を通るたび
「3号車、〇〇さんおりますか?このあたりにお宅があったそうです」
と隊員さんが教えてくれます。

しかしながらここは激戦の地。
一度更地になっているので、文字通り跡形もなく消滅しています。
基本的にジャングルか草原です


時折、バスから降りて隊員さんが説明してくれます。
ここには数軒ほど家があったそうで、これは調理施設の後だそうです。
また、戦争中は井戸を兵隊さん達が使っていたそうです。

また、島の至る所にはパイナップルの群生地があります。
旧島民が植えたモノがそのまま残っているそうで、
現在は自衛隊の方達のデザートになっているみたいです。
(案内してくれた方は100個以上収穫したらしい)

ちなみに住宅跡から少し離れたらこんな感じです。
基本的には低木が入り組むジャングルでした。

自衛隊の人々の生活

バス3台、大体80人くらいの集団でまわったのですが、
そのうちの20人くらいは自衛隊の方。

自衛隊の方々は本当に気さくでした。
当時の住民の生活はもちろん、
おいしいフルーツが採れる場所などを教えてくれました。

ウソか本当か知りませんが、パパイヤは縄張りがあるらしいです。
他にもパイナップルやマンゴー、パッションフルーツ、シークワーサーは結構見かけました。

野生のパパイヤ

あと、名物の硫黄島とうがらしは結構生えてました。
沖縄の島とうがらしとも違うみたいで、旧島民はみんな持って帰るみたいです。ちなみに普通の唐辛子の10倍は辛いです。
私もいっぱい収穫しました。
(今は父島でも栽培されているらしい)

やっぱりこんな島ですから、娯楽が少ないのかもしれません。
基地周辺ならネットは繋がりますが、映画館もカラオケもないですからね。

島全体が自衛隊の基地となっており、メンテナンスも任務のうちなので
草刈りは普通に仕事なのかもしれません。
放っておくとジャングルになりますから。

野生のシークワーサー


あとはマラソンしている方も見かけました。
自衛隊だし普通に訓練かもしれない。

皆さんとても楽しそうにしていて、大歓迎って感じ。

文化祭で外の人間が来た時みたいな、お祭り的感覚なのかもしれません。
今回は日帰りでしたが、1泊のときは隊員による歓迎会や出し物があったらしい。

ただし、目は真剣

皆さん本当に笑顔ではあるのですが、
国民を絶対に守る強い意志を感じました。
この島にはまだ多数の不発弾があります。
下手をしたら地下壕転落の危険性もあります。

年配の方も多いですし、熱中症の危険もあります(2月)

旧島民は様々な事に興味津々。
「あちらに〇名行きました、フォローお願いします」
みたいに自衛隊の方達は無線でと連絡を取っていました。

基本的にジャングルですからね。

さて、結構長くなってしまったので今回はここまで
次回、祖母の家があったらしい場所と摺鉢山

お楽しみに

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