自分の無知を恥じるのではなく観ること#107
今話題になっているニュースがある。
そのことについては知らないことが非常に多い。どこかざわざわした気持ちがあるのだが、これはニュースの内容そのものなのか、知らないことに対してなのかはわからない。きっとどちらもあるのだろう。
体感覚としては、胸がキュッと締め付けられるようなものがある。自分が何も知らないことを糾弾するかのようだ。
しかし、どれほど熱心に“知ろう“としたところで、全部を知ることはできない。このように、全てを知ることができないということに関して抱く不安のことをデカルト的不安(Cartesian anxiety)というらしい。日本語で検索してもあまり引っかからなかった。まさにこれを今感じていたのだろうか。
その現象に対しては無力かもしれない。とはいえ無力というラベルを貼った時点で無力になるようにも思う。目に見える形で貢献できなくとも、今を生きるだけで十分だと言いたい。生きることで誰かに影響を与え、それが伝播していく。
生きるにはそれほどの力がある。
だから、今を精一杯生きる。ありがたいことに仕事というわかりやすく世界から与えられたものがある。仕事に取り組める健康な肉体と精神がある。
何でもはできないけど、何かはできる。
だから、できないことを恥じるのはほどほどにして、今できることに注力する。そのためにもまずは観ることが必要な気がしている。今の自分を、世界を。
そして、あなたも。
2022.2.25.16:35
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