眠れない夜

私は20歳の大学3年生です。

11歳、小学校6年生の時、父親が自殺しました。
その時の話をします。

12月23日、いつも夜8時には帰ってくるはずの父親が帰ってきませんでした。
母親は、酔い潰れちゃったのかな、と話していました。
いつも私を両親が挟む形で川の字で寝ていました。
いつもはそこにあるはずの、父の背中がなく、
ただ枕を見つめながら寝たことを覚えています。

朝になっても父は帰ってきませんでした。
連絡は取れないままで、出社もしていないことがわかりました。

父はただ、消えてしまったのです。

私はいつも通り、学校に行きました。
授業中ずっとそわそわして落ち着きませんでした。

学校が終わると、母は焦燥した様子で私を車で迎えにきた後、家まで送ってくれました。
いつも通っている塾に行かなくてもよかったことが
少し嬉しかったことを覚えています。

母は、捜索願を出し、警察と、父の友人と一緒に捜索活動を始めたことを私に伝えました。
何かあったら、自分の携帯に連絡するように、と言いました。
24日のことでした。
その日はいつも三人で寝ていた大きな布団に一人で入って眠りました。
そんなことは生まれて初めてだったので、最初は寝付けませんでしたが、いつの間にか眠ってしまっていました。

25日の朝を迎えました。
目を覚ますと、母が正座をしていました。なんとなく嫌な予感がしました。

「パパね、行っちゃったの。」

その時点で、父が既にこの世から消えてしまったことは分かっていました。
布団を頭まで被りました。
それでも、もしかしたら外国の方に出張になったのかな、
とか、生きているけどどこか遠くに行っちゃっただけなのかな、
とか、とにかく少しでもその疑惑を頭から追いやろうとしました。

できれば聞きたくなかった。

それでも聞くしかなかった。

死んじゃったの?なんて聞けない。

だから、

「どこに?」

と震える声で尋ねた。

「遠くに。〇〇(死んだ私の弟の名前)のところに。」

「どうして?」

「自分で、自分のことを」

声を上げて泣きました。何が起こったのかわからず泣きました。


12月25日、それは私の11歳の誕生日でした。
生前に父が注文したケーキが、父の死体が横たわっている我が家に届きました。配達したお兄さんは、とても困惑した様子でした。

父が残したのは、遺書と、ボイスレコーダー。父が灰になった後、そのレコーダーを見て、人の死ってこういうことなんだと、わかりました。

ただ、救いだったのは、両親からの精神的、肉体的な虐待がなくなったことです。当時の私の家は、本当に地獄のようでした。

1月に控えていた中学校受験まで結局、勉強できませんでしたが、なんとか第一志望に合格しました。

私と母は、父の実家に住んでいました。
父の死から、父方の親戚から疎ましがられるようになり相続やらなんやらですごく揉めました。
ある日学校から帰ろうとすると、母が私を待っていました。自分の軽自動車に持てるだけの家財道具を詰め込んで。


あの家を出たのです。


どうなることだかわかりませんでしたが、捨てられなかったことにほっとしました。
自分の第二の人生が始まるような気がしました。

父の死の理由を探る裁判もありました。
私は受験のストレスで右耳があまり聞こえなくなっていたのですが、もし裁判で争う際の向こうの証人に会うことになったら、父の死によって耳が聞こえなくなったことにしているから、そのフリをしろと言われました。

結局母の実家に転がり込むことになり、中高6年間を母の実家で過ごしました。

私は勉強に没頭しました。勉強することでしか、自分を保てませんでした。

第一志望の大学には落ち、滑り止めの大学に合格したので、そこに入学しました。あの場所から逃れたかったので、一人暮らしをすることができれば、どこでもよかったです。

そして私は今、その大学に通っている普通の大学3年生です。

楽しく一緒に過ごせる友達も、大勢ではありませんが、大切な友人が数人います。

ですが、眠れない夜には、生きることを諦めたくなります。
なんだか虚しくて、やりきれないのです。

父とも、母とも、うまく関係を築くことができなかった自分。
この先誰とも、関係を構築できないのでは、と思うこともあります。

それでも、今が一番幸せなのです。
今までで一番幸せなこの瞬間に人生の幕を下ろしたい、そう思うのです。

私の大切な人には、こんな思いをしてほしくないから、

私は、未来に居るかもしれない私みたいな人を少しでも救ううために、

大切な人には、大切だと、

そう伝えよう、と

あの日、新しい人生が始まった時、決めたのです。


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