Voice10月号(2020.09.10発売)の河野大臣部分のみ読んで

敬称略

 人によって、理想とするリーダー像というのは異なると思う。雑誌に寄せた河野太郎が理想とする「国の」リーダー像は、日本はもとより世界の中。多様な価値観や利害がぶつかり合う中。個性あふれる諸外国のリーダーたちと渡り合い。なおかつ、協議を重ねながら実現していく実力を持ったリーダー像を求めているようだ。国と自分たちの住む日本という会社や組織の中で求めるリーダー像のそれとは違うだろう。河野太郎が、実際に自身が経験した体験と共にそのリーダー像を語ってくれるという。

 一つ目に挙げられたのが、2018年4月、外務大臣に就任して初めて出席したカナダのトロントで行われたG7の出来事。当時、ミャンマーが民主化に向けてうねりを上げている事はニュースで見ていた。そのトップに常に立ち上がっていたアウンサンスーチー。彼女を見るたびに頭に浮かぶのは、民主化運動のトップであり、何度も自宅で軟禁されている姿。どうでも良いが、私が学んでいた大学の教授は、実際に会った事のあるという彼女の事を「性悪」だと何度も評していた。捉え方は人それぞれなので、私にとって彼女が性悪かは未だに分からない。そして、生涯会う事もないだろうから、生涯分からないだろうとも思う。話が逸れた。このG7に赴く前に河野太郎は、実際のミャンマーにおいて焼き討ちがあった実際の現場をその目で見て臨んだという点。資料としては、画像も映像も詳細を記載した文面もあったとは思う。だが、イギリスのボリス・ジョンソン外相(当時)を呼び水として各国の外相たちに囲まれたのはある意味当たり前の流れだったと思える。「一見は百聞に如かず」とは、まさにこの事かもしれない。実際の現場を見た人間の言葉に勝てる物がないのは、どこの世界の人間ですら変わらない。これだけではなく、河野太郎は「国連がイスラム教徒側に立つ組織」だと思っているミャンマーという国。多数の仏教徒が占める国の特徴を鑑みて、ミャンマー政府自らに第三者的な「独立調査団」を築かせたのは、良い意味での流れを生んだのだろう。
 アジアという地域は、良くも悪くも少しずつ進んでいく事を良しとする地域だ。余りにも果敢的に進んでいくと、倒れてしまう。日本は、アジアの代表というのは言い過ぎかもしれないが、文中にもあるようにODA・NGOなどで築き上げてきた信頼がある。欧米のキリスト文化とは違う道を歩んできた国ながらも歩んできた日本は多くの国々の参考になるはずだと、河野太郎は語っている。

 次に取り上げられたのは、ポストコロナの今現在の状況だ。今現在、河野太郎は「残念ながら対立の時代に入る」と述べている。今、中国のような、感染拡大防止の名目とともに監視システムが広がっている。民主主義と独裁国家。自由社会と監視社会。資本首位と国家資本主義。今までも、世界はこの選択肢の中で歩みを進めてきた。文面を読むにつれて「いいさ、何とかなる」と私も思う訳ではない。だが、ふと国際秩序とは何だろうと思う。それは、欧米にとっての秩序なのか、それとも。なお、文中で河野太郎は「我が国は欧米との懸け橋を担い、基本的価値観に基づいた国際秩序を維持していくために先頭に立ち、役割を果たしていくべきです」と述べている。 

 3番目に取り上げられたのは、2016年4月に発生した熊本大震災。私が、当時テレビで衝撃を受けたのが、熊本城の石垣が崩れている様。何が起きたのだろうという印象だった。むしろ、現実味がなかった。話が逸れた。この地震の際に、河野太郎は防災担当大臣だった。当時、責任の所在を自身にしたという。ここで、私は少しだけ腑に落ちた部分があった。今まで、誰がどんな根拠で発信しているのか分からないSNSより、避難所のニーズを吸い上げる事の方が効率的だと。上からの指示で困ったことは、大臣自らが対応すると。インフラの復旧に、所轄の官庁が要請の電話を掛けたと。なるほど。普段から見知って、顔を合わせて話をしている相手なら。いや、例え顔を合わせていなくても、話をした事のある馴染みの相手なら手を貸したくなるのは、ある。その繋がりで、強みも弱みも分かればなおさらだ。その最もトップが、それら全てをまとめられたら強みにしかならない。国際的な華々しい話より、正直にお伝えすると、この震災の話が一番腑に落ちた。仕事で、様々な職種の皆様と会える立場になった今だからこそ。私には、なお一層そう思えた。

 最後に「フェイクニュースの拡散を止められた理由」との話題が出てきた。SNSで正しい情報を流せば、フェイクニュースは止められる。「動物園からライオンが逃げた」平常で読むと「そんなバカな事はないだろう」と一笑して終わる事も、異常事態の最中では正常に判断が出来ない。だからこそ、この噂を信じてしまう人間が表れるのも仕方ない。ただ、文中から読み解くに、リーダーたる人間が信頼に足る人間で、正確な情報を流せば打ち消せるのだと思えた。なるほど、私が見ている「河野太郎」という人間は、そうなのだろうかと思えた。

 終結の文面に「これからの十年」とある。変化の時代において、これからの十年は、きわめて重要な時代だと河野太郎は述べている。「世界の人たちが日本と一緒にやって良かった、日本にはたくさんの魅力がある、と考えることができるよう、具体的な手立てを講じていく必要があります。」としている。そのために「これまでの経験をしっかりと次につなげていく。そんな自覚をもって、自らの役割を果たしていきます」とある。だが、十年のみならず、もう少し長く。次とだけではなく、次の次の次。玄孫くらいまでは河野太郎に繋いでほしいと願う私は、少しばかりとワガママなのだろうか?

2020.9.11 読了と共に記載

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