画面越しに、噴き出すマグマにとらわれたのです。

ひとつ前に書いた記事を読み返してみた。
まわりの誰にも気兼ねせずに「おっさんずラブ」の感想を言いたくて、そのためだけに、知り合いと繋がりなく書ける場所であるnoteを開いたくらいなので、個人的な盛り上がりっぷりが納得の熱さである。
溜め込んでいた熱がフツフツとあふれている。

いったん吐き出して形にしたことで、少し冷静になった。
やっぱりちょっと怖いかな……?

そう思いつつ、今夜も家族が寝た後で1話から6話までを(ほぼ)通して見返してしまっている。
吐き気がするほど眠いのに、昼間も熱が体内に充満していて、なんだかちっとも眠くならない状態が、この一週間続いている。

異常だ。

どうして、このドラマに、こんなにハマってしまったんだろう?
なにが、人間の体の調子まで変えさせるほどの力を持っているんだろう?

それもこの一週間、わりと真面目に考え続けてきたことだ。

吉田鋼太郎がヒロインを演じるコメディっぽいドラマというだけで見始めたはずなのに、気づけば、沼に完全に足を取られている。

①BLという設定だからなのか?

だから、だとは思わない。
それほどそのジャンルが好きなわけではないが、学生時代に角川ルビー文庫はたまに買っていた、程度の「BLは少し嗜みます」からすると、だから「だから、じゃないなぁ」である。
だいたい「おっさんずラブ」はBLなのか?
疑問に疑問で返すが、見るほどに、そもそもこのドラマは「BLありき」の匂いはしない。腐女子という人たちが食いつくように作ればSNSでヒットするし、イケメンばらまいとこう」なんて意図は、少なくとも私には見えなかった。ドラマを見慣れないせいかもしれないが、見えなかった。
満ちるように増していくちずの思いも、蝶子さんと部長の関係も、蝶子さんがマロにだけこぼす気持ちも、ひとしく大切に扱われている。決して、ストーリーを盛り上げるためのスパイスには感じなかった。

ただ、主人公の春田に実際ぶつかる関係者たちが女性であったら、ここまで夢中にならなかっただろうことも事実なのだ。それは逆に、男性同士でなく女性同士であったとしても、同じだろう。

そう感じた自分への説明を考えていて、思いついたのが次の答えだ。

ここでのBL要素は、見ている人が「ひとがひとを好きになること」に最も注視できるための装置なのではないか。身も蓋もない言い方をすれば「それが一番ノイズがない」設定だったのではないか。
男女をメインにするにはシンプルすぎるストーリーであり、ドラマにするにはもっと複雑な枝葉をつけなければならなさそう。結果、恋愛部分だけを見せるわけにはいかなくなり、適度に複雑なごく普通の物語になる、のかもしれない。
女性同士の恋愛には、コメディにできるほどの下地がまだなさそう。実際には女性カップルはあちこちにいて、カジュアルに恋愛をしているにしても、ドラマにするとなると「わざわざ今!女性同士の恋愛を中心に据える意味は!」「ついに禁断の!背徳の!」のような雑音がわんわんと外野で鳴り響き、説明文だらけのストーリーになってしまう、のかもしれない。

かもしれないばかりで責任感のない文章だが、確信がないので断定できない。

さてそれでBLである。あくまで「男性同士の同性愛」ではなく「BL」である。

春田という、押されればひとまず流され、去ろうとされれば反射的に手を伸ばしてしまう人間にとっては、相手は多分、誰でも成立する。(いたとして)姑でも、極道の姐さんでも「神様……これは一体どういうことなのでしょうか」などと呟きながら、それでも条件だけで排除したりはしないだろう。

その中で、見ている人にとって一番ノイズがないのが「BL」だったのではないか。漫画、小説、ドラマに映画にアニメと世にあふれ、触れない人にもなんとなく「わかる」世界。女性は当事者になりえず、多くの人にとっても身近ではないが、いちいち説明が必要なわけでもない。そこから、性的な匂いを消したもの。90年代の少女漫画のような(少女漫画も作品によっては過激でしたけど、おおむね、です)。
「おっさんずラブ」には性的な匂いが全然ない。つきあっている牧と春田も、画面にない時になにかをしている、とほのめかすそぶりは1ミリもない。部長と蝶子さんについても然り。徹底的に消してある。実際には不自然なことかもしれないけれど、それでもそれが徹底しているので「安心して、恋の胸の痛みだけを楽しめる」。この物語には、この設定が一番適しているのだ。

(もちろんそれは私にとってであって、ツイッターにあふれる「OLBL漫画」には湿度のある二人の恋愛シーンを描いたものも多いし、それはそれで楽しい。単に、脳内に浮かぶ、妄想の種類の違いである。
場面と場面を繋いでいる、余白の時間の埋め方は人それぞれである。
ただ、やはり「BL設定だから」ハマったわけではない。

②プロフェッショナルのかっこよさ?

そんなの他のドラマだってそうだろうよ。
と書けば一言で終了なのですが。
かっこよさ、とは主に副音声解説や、プロデューサーの方のインタビュー記事から感じたこと。例えばSLAM DUNKにおける海南や山王チームのような。雑に言えば、ものすごーく強い人同士が互いに認め合い、尊敬しあってる集団て死ぬほどかっこいいぜ、ということです。憧れる。
けど、まあきっとそれは他のドラマもそうですよね?

③丁寧で誠実な姿勢と物語だから?

だから他のドラマだって(以下同文)。

と、数日間決定的な答えが見つからないままでいた私が、これかな、と思ったことが、

④この作品は特に、現場の熱量が大きいようだ。
ということ。
プロデューサーのインタビュー記事に、6話のあのシーンでは「スタッフが」「みんな泣いて」いて「監督も記録さんも泣いていて。そんな光景、初めてでした」とある。「こんなに本気で愛したことはかつてない」という田中圭の言葉もツイッターで読んだ。
誰でも現在進行形の作品を一番おすすめするものではあろうが、それを差し引いても残る、大きな熱気が確かにうずまいていたのだろう。「初めて」「かつてない」は、事実でないなら言わない方が得な言葉に見える。多用すれば狼少年になってしまう。だから、真実なんだと思う。

ではその熱がどこからきたのか、までは知る由もないが、とにかくその熱さが画面を通してもしっかり残っていて、こちらがわに座る私もとらわれたのだ。
絵で想像すると、画面からオーラがあふれる感じ、なんだかSFみたいだけど。

さて、もう今夜が最終回だ。
春田は、思う人を選べるのかな。
最後に、くもりなく笑っているのかな。
みんな、どうなるのかな。

黄色いはるたんマグカップを両手で包んで、待ちましょう!

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