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神様のお話

癌の告知後、私はほぼ泣いていない

ひたすら死後のための準備をし、
断捨離をし、
母に面会に行き
まさかの寛骨臼骨折して、
鬼リハを頑張って
人生で1番頑張った
泣き言をいう暇すらなかった

骨折後は全身に力が入って
抜けなくなり
しかも寝ている時間が長くて更に痛くて

ただただ身体の痛み、苦しみに耐える日々だった


颯爽とした足音が近づく

ノックのあと
聞き慣れた声がして

チャプレンの顔が見えた瞬間

ただただうなづいた

気持ちがいっぱい溢れて言葉が出ない

涙が滲むだけでしばらくうなづいていた


今までの一生は
普通の人が経験しないような苦労の連続で 

それでも いつも希望を忘れず努力し頑張り 弱音を吐かず生きてきたのに

常に人様には親切を心がけ生きてきたのに  

なぜ私はこのようなことになったんでしょうか

今まで 社会で活躍することができなかったこと

家族の看病 その他で頑張ってきたこと

そして 来年 ようやく仕事に就こうと思っていたこと

そのためにたくさんの勉強をして資格を取ってきたこと

それがこの9月のがんの告知で全て失ったこと

さらに 骨盤を骨折し 股関節の関係でもう以前のような生活を取り戻すことは厳しいこと 

もしかしたら自宅に帰ることだって難しいかもしれないこと

その間にも癌は進んでいくであろうこと

なぜ神様はこのような試練を 私に与えるのか

神様はいるのだろうか悩んでいること

とある 礼拝で、 牧師先生が、神様の恵みや 試練を与えられる 話を聞いていたが

めぐみを感じるには試練を与えられなければ感じることができないようなことをおっしゃって

それを話す 牧師先生に対して本当の試練を分かっているのだろうか

教会の中で 元気な状態で

試練とか恵みとかそんな生半可なことではないと反発したこと

一体 神様はいらっしゃるのかと問い続けたことをお話しした。


すると チャプレンは こう話された


神様は恵み 幸せも 試練も与えることはしません

何もしません

なぜならば 同じことでもあっても、それを幸せと感じるか試練と感じるかは 、その人それぞれだからです

神様は何も与えません

ただどんな時であってもそばにいてくれます

苦しい時 楽しい時 様々な時にそばに 神様の存在を感じることができる

それが信仰ではないでしょうか というようなことを話された

確かに私は今とんでもない状況に陥っている

身動きもできない
夢も希望もない
車の運転もできない
もう まともにも歩けないかもしれない

でも 絶望的な この状況であっても 医師  看護師スタッフ、社会福祉士、 理学療養士、 作業療法士のおかげで 少しずつ元気になっている

絶望的な状況でこれほどたくさんの支えてくださる方々

これは神様の御業ではないだろうかとふと思う

あなたは一人ではないと漢方の先生はメールをくださった

まだまだ悩みも尽きないし 絶望だってする

泣きたいことばっかし

でもちょっとずつちょっとずつ
命の時間が尽きる日まで

生きていこうと思えることが大事であると思った



チャプレンは 帰り際に、

大丈夫です

私はあなたのそばに必ずいます

また明日も来ますと言ってくださった

もう 歯を食いしばって頑張らなくてもいいよね

辛いって泣いてもいいよね

甘えてもいいんだよね

たくさん泣いていいよね

そんな私のそばに たくさんの支援をしてくださる皆さんとチャプレンと
きっと亡き娘と
神様が いてくださるのだろう

消灯の時間になると讃美歌「慈しみ深き」 が流れる

その時 自分がクリスチャンであることを幸せに思いながら眠る

チャプレンは
あるがままが大事とおっしゃった

あるがままに 今日も生きていこう



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