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与えられた時間

人は神様から与えられた時間を持って生まれてくる                                                                                         

最近の私の口癖です

活動を再開させ、娘さんと共に歌うと言われた大好きな聖子ちゃん

神田正輝さんと遺骨を抱えてカメラの前に立たれた様子を見てびっくりした年末

6年前のことは記憶が飛んでて覚えてないけれど

私は周りから見たらこんな感じだったのか、とあらためて思い出しました。

そしてその前と後に次々起こる絶望的な出来事と
たくさんの大きな喪失も思い出し

聖子ちゃんの心中を思って

辛いねえ、と泣きました。


あの出来事から6年

親しいと思っていた子供がいる友人達が

共通の話題がないためか
それとも
いたたまれないのか

また各々子供達の結婚や孫の誕生もあって

疎遠になっていき

報告していない同級生からの孫自慢の家族写真年賀状に
年賀状卒業しますというハガキを送り

命日にお供えを送ってはくれるものの
お礼の電話をすると

あなたはまだ恵まれてる
母親としてこうすべきああすべきと訓示を述べる
ふたりの子をもつ友人にも

母親業はもう卒業するのでお供えは辞退します、と年賀状を送りました

※※※※※

先日は、たまたま我が家の前を通った元ママ友に
目の前で、まるで見えていないかのように素通りされ

あれほど往来していても、忌避されていくものなのだと実感

(まあこれはこの近隣からもされていることので慣れてきましたが)


そして
この春

私には心許せる友人2人が残ってくれました

不幸続きで
実家や親などほとんどのアイデンティティーと呼べるものを失い

心から寄り添える家族のような存在も
故郷の帰るところも失いましたが

それでも私のすべてをまるごと受け入れてくれる友人2人に感謝しています。

一人しかいない子供に先立たれるのは辛いことですが

自死は周りからの目も冷たく、またはマウントをとられることも多く
リアルに持続していくので
それもとても辛いものです

また親にしてみると、自身を全否定されて
そして抗議の死のようにも感じられ
生きているほうが辛く感じます

※※※※※

乗り越えてなんか行けない

元気そうに振る舞うけど、それは表面だけ

そう思いながら

「元気そうで安心しました」
「頑張って」
「もう乗り越えましたか」
「いつまでもクヨクヨしないように」

という言葉に笑顔を作っていくのにも疲れたので

区切りの年の今年

自分を大事にしていくと決めて

人間関係をシンプルにしました。

聖子ちゃんの会見を見て

娘さんの命の時間は終わったんですね
みんな神様から与えられた時間終わるとこの世からは去ることになってしまうのだけど聖子ちゃんのこと娘さんが心配してるし、
あなたも娘さんも誰も悪くはないから自分を責めないで。

そして娘さんは聖子ちゃんにとても感謝して、
聖子ちゃんの子供に生まれたこと喜んでますよ


と思いました
 
そして

これって私にも当てはまる言葉だと
気づかされました

大きな発見でした

自死は予防できるかもしれませんが
すべてを予防することはできない

残された遺族や友人、恋人などを支援する仕組みはまだ日本にはありません

アメリカのように、緊急で公的機関から専門家チームが派遣されるのは自衛隊の家族くらいでしょうか。


人生の命の時間は決まっている


この瞬間も
私の命は、子供に向かって、歩いて、近づいています

その日まで、与えられた時間の残りを
どなたかのお役にたてるように使っていきたい

その為にも国家資格を取って感染症が落ち着いたら活動したい


そしてゴールに近づいたら

こっちだよ~🌠って迎えにきてほしいし

また逢えたら

お母さん頑張ったよ

と報告したい

そして

私の子に生まれてくれて
楽しい幸せな時間をありがとう

と抱きしめたい

と思えるようになりました

子供は神様からの大きなプレゼントで

今も私の宝物で

大好きで

誇りに思います

色々な人に色々言われずに

指図されずに

ようやく

静かに子供と私だけの

6回目の春を迎えます







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