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最期は私らしく

死を前にした人に あなたは何ができますか? https://amzn.asia/d/5bXuOLY

先月末、突然の余命宣告を受けたあと、
購入して配偶者に渡した本。

患者が「そうなんですよ」と答えられるような話しかたを、とあった。

配偶者は今は何もいわないが

最初に近くの内科で画像を見ながら
私がスキルス胃がんとの説明を受けたとき、号泣しながら
「せめて手術は受けて」と訴えた。

医師も「万一副作用で死んでも、手術とか化学療法とかやることやれたら悔いはないでしょ?」だった。(大学病院に至っては、胃全摘出一択だったし)

皆まず一様にそう判断するのか、と驚いた。

そして私の意向をどれだけ訴えようとしても、タッグを組み、畳みかけ、「あなたのため」「家族のため」に、と積極的治療へグイグイ押していく

ひどい薬アレルギーで抗生物質がなかなか使えないし、急いで手術しても生存率は低い。

まだ母にも会いにいけてないし、やらねばならないことがある。

価値観も死生観も違うのに、私の人生なのにと必死で抵抗すると
医師は呆れ、配偶者は「頑固すぎる」「変わっている」と怒った

本当に本当に大変な10日間だった


日本人は、死についての教育が足りないと言われる。

私は、小さな頃、家に寝たきりの父方祖母がいて、24時間在宅介護を数年やり倒れた母の家事の手伝いをしていた。

また、白血病で告知もされず、ひたすら抗がん剤を点滴され、医師の指示で、水すら飲ませてもらえず苦しみながら亡くなった母方祖母の世話も手伝った。

頚椎損傷で寝たきりなのに胃瘻にされ、癌治療もされ「なんでこんな状態で生きているんだろう」と嘆いた父の姿も忘れない

死ということ、闘病の大変さは小さな頃から身近だったから、それは自分の死生観に大きな影響を与えたかもしれない。

一か八かで手術したり、副作用に苦しみながら延命して生きるより、自由な短時間を駆け抜けたい

これが在宅介護や癌の家族を見てきた私が長年考えてきた生き方だ

そんな私の気持ちや体質を最初からしっかり受け止めて、応えてくれた漢方医とカウンセラー、ホスピスは
私が「そうなんですよ」と答えるような話をしてくれて、心強い味方だ


そういえば

急いで名義変更など事務手続きしていたら、

とある業者さんが
何度も

「なぜそんな冷静に手続きできるのか。私は混乱しています」 
「心配です。いつでもお話聞きます。お電話ください。何もかける言葉が見つかりません。ごめんなさい」など

仕事に関する内容の中に、お気持ち表明が混ぜ込まれたメールを送ってきた

忙しいから仕事の話だけにしてほしいし、患者に感情をぶつけてくるのは不快だ

そんな話を知人にしたら

「余命宣告されて冷静なわけないじゃない!
急いでやらなきゃだから必死で頑張ってんだよね!」と言ってくれた

「そうなんですよ!」
大きな声で答えた

そう

余命宣告されて
なんとも思わないわけがない

私だって怖いし、無念だし、辛い

だけど今は元気なうちに、とにかくやるしかない。
急がなければならない。
私がやらねば後で代襲相続に要介護5の母が出てきて、法的に全てが困難になるのは目に見えている

法律の勉強をしているからこそわかる現実

大変困難なときに冷静でいるのは、
感情に蓋をして非常時対応をしているだけのことだ。

そう
震災時に実家の解体準備をひたすらしていた時と同じ。

それをわかってくれる人がここにもいて良かった

私は宣告を受けたあと、唯一信頼するカウンセラーからの電話では泣いた

だからこれからもきっと
声を聞いたら
「そうなんですよ」と泣いてしまう

そんな素晴らしいカウンセラーに会えて良かったと思っている

今日も1日が始まる

私の残り時間はあとどれくらいだろう




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