No5 金の切れ目が縁の切れ目

金の切れ目が縁の切れ目という言葉を久々に思い出す出来事を耳にした。
手切れ金のように、自らの意志で縁を切る時にお金を支払うこととは違い、意図せず搾取されていたことが元になっているこの言葉は、対等な関係性の中では生じにくいように思う。そこには何かしらの「力関係」があるようだ。
「力関係」が作用して誘発されたお金のトラブルが、学校という場所で起きたと聞き、私は興味深くその話を聞いた。

とある学校での話。某ハンバーガー店に買い物に行くという生徒がいた。そこに便乗して何人かの生徒が買い物を頼んだ。その内の1人が、みんなから小銭を預かって行くのは大変だろうからと、お札を渡し、そこから買い物をして後でみんなにお釣りを戻そうと提案をした。
ところが帰ってきてお釣りの確認をすると額が合わない。
不思議に思ったお札を出した生徒が、買い出しに行った生徒に尋ねると、他にも「先生」から頼まれて購入したこと、その先生からはお金を貰っていないことを話したという。

このお札を出した生徒は、翌日になっても支払いをしてこない先生のところへ行き「お金を払ってください」と伝えた。
先生は「わかった」と返事だけして、そのまま2日が経過。
生徒は1回目の催促は個人的に伝えたが2回目は、他の生徒たちがいる場面で聞こえるように伝えた。
2回目も「わかった」と言って、その場を去った。
それでもまだ支払わないので、さらに翌日は顔を見る度に伝えたという。
借金の取り立ての仕事があれば、今すぐでも就職できそうだなと思いながら私はその話を聞いていた。(ちなみにその生徒は就職ではなく進学希望とのこと)
先生は、取立人のしつこさに負け最終的には払ったそうだが、払うときに、「お前も律儀だな」と嫌味っぽく言ったそうだ。
お金の貸し借りとは不思議なもので、貸した方が立場が強いとされているが、私はそうとも言えないと思っている。
今回のように、生徒が先生にお金の催促をするという行動は積極的にしたい行動だろうか?それは絶対にNOだと思う。「力関係」が生じた状態でのこの取立人の行動は中々できるものではないと思った。
借りた方は「返したからそれでチャラ」と思っている。
貸した方は「催促した分の心労を考えるとチャラになるはずがない」と思っている。この2人はこの出来事以降、口を聞いていないとのこと。
金の切れ目が縁の切れ目ということわざの本来の使い道とは少し異なるが、催促をしなければいけないから話しかけていた。返してもらったから、以降は付き合う必要性が無いということで言えば、お金という物質面だけの繋がりや関係性はその程度の希薄なものだと言える。
私自身、お金の失敗は幾度もあるので個人間のお金の貸し借りは絶対にしないと決めている。だって適切な方法で借りれる場所はたくさんあるのだから。お金にも人にも「誠実」でありたいものだとこの出来事を聞いて改めて思った。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?