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『福田村事件』〜差別と闘うということ〜

いや〜凄かった。

今年に入ってから数年ぶりにちょこちょこと映画館に足を運ぶようになって、その度に記録的にフィルマークスにレビューを書くようになったのだけれど、『福田村事件』についてレビューを書いていたところ、物凄い勢いで文章が伸びていった。なので、その文章をせっかくだからnoteの形で残しておこうと思う。

〜福田村事件〜
1923年9月1日、関東大震災が発生。その5日後、千葉県東葛飾郡福田村で、香川県から来た薬売りの行商団15名が朝鮮人と間違われ、自警団を含む100人以上の村人により、行商団の構成員9名が殺害された。


そもそもこの映画を観に行こうと思った理由は、SNS上で「面白い」と語っている人を複数人見かけたからだった。実際の事件を基にした虐殺事件、しかも根底に根深い差別問題を有している話を観て、出てくる第一の感想が「面白い」って一体どんな映画なんだ。これは観に行かねばと思った。

そして実際に観てみたところ、確かにめちゃくちゃ「面白い」映画だった。起きていることの悲惨さとか残虐さの割に、重苦しさや悲壮感を感じない。かといって発したいメッセージの面でも妥協しておらず、一体どのようなバランス感覚を持っていたらこの映画を撮れるんだと思った。(一応断っておくと、キツかった、しんどかったという感想を持つ人も全然いると思う。少なくとも、メンタル不調の時に観るのはオススメしません、ご了承を。)

映画の構成としては、関東大震災が起こるより前の福田村の人たちの生活の描写に重点が置かれており、彼ら・彼女らはその時代の、農村に生きる「普通の人たち」だなと思った。そしてその点こそが、この映画の面白さとテーマ性に繋がっている。


史実に基づく映画なので大きなネタバレと呼べるような要素はそもそもないと思うのだけれど、以下で終盤の内容について書いたりします。この映画史上最も重要なセリフだけはぼかしますが、記述的にほぼ推測がつくと思いますので、ネタバレが嫌な方は回れ右を。







この映画の一番の肝は、行商団員虐殺に至る最後の引き金を引くことになった、永山瑛太さん演じる行商団の頭が発した最後のセリフが、この映画全体の中でも一番真っ当で、簡潔かつ的確な人権感覚に基づくセリフだったことにあると思う。

行商団の一行を朝鮮人ではないかと疑い、怒り立つ村人たちが大半の中、行商団を守ろうと必死の思いで制止に入った村人も、この物語には何人か存在した。そして彼ら・彼女らは皆、「日本人でないなら殺してもいい」とは思っていなかった。彼ら・彼女らの思想の根底には、国籍や属性で人を差別したり、まして殺すなんてあってはならないという人権意識がある。しかしながら、今目の前で起こりそうになっている虐殺を止めるためには、「行商団一行は日本人である(あるいは、日本人かもしれない)」という庇い方をするのが、震災後の混乱の中、自分たち日本国民が日々虐げている朝鮮人に報復されるかもしれないと怯えている村人たちを説得するにあたって、一番効果的なのだ。長らく日本の村社会というものを見てきた彼ら・彼女らは、そのことを非常によく理解している。だからこそ、あえて、「この人たちは日本人です!」と擁護し続けた。

一番「正しい」発言をすることが、必ずしもその場を収める最善の策とは限らない。なんなら、事態を悪化させることすらある。だがあの彼は、行商団のリーダーである彼は、あの場で『一番言ってはいけない』ことを言ってしまった。あの場で、自分たちが虐殺されることを防ぐにあたって、考え得る限り最悪の道を選択してしまった。そしてその選択が最悪だった理由は、彼の発言があまりにも「正し」かったからだ。

あのセリフが映画館に響いた後の、静寂。彼がまさに自分たちの命を守る最後の砦を壊してしまったことを、観客が悟る瞬間。あの時映画館にいた皆が、これが彼の最期のセリフなのだと察したと思う。


「目の前にいる人間(あるいは自分)が受ける差別を最も軽くするために、今世の中にある差別構造を一旦前提として、相手と話をしなければならない」状況というのは、現代の世の中にも無数に転がっている。あまりにもありふれていて、私たちがその一つ一つを認識できないほどに。

最も「正しい」行動や発言が、最も私たちを救ってくれるとは限らない。私たちは、自分が受けた差別と戦う時、あるいは差別を受けた人と共闘する時、この、「たった今発生している不遇を最も減らすことに注力するか、先々の社会を見据えてた上で、最も人権意識的に正当な主張をするのか」の選択を、否応なしに強いられている。

そしてその選択は、完全なる二者択一ではなく、基本的にはグラデーションだ。福田村事件のように、その選択が命に直結する場面というのは、(少なくとも現代の日本社会を生きる者にとっては、)殆ど存在しない。

だから私たちは、身近にある差別から逃れるために、社会全体に蔓延る差別を容認したりする。だから私たちは、同じ苦しみを味わっているはずなのに、同じマイノリティの者同士で、「そんなやり方じゃ社会は変わらない」と諍いあったりする。そしてそんな私たちを見て、「ほらそこの当事者は、君が言うその差別に反対してないよ?差別があるなんて幻想じゃん」と言われたりする。そして『私たち』の向こう側にいる人たちも、また別の人間である『私たち』だ。


ずっと頭の中で漠然と考えていたことを、明確に認識して言語化させてくれた、非常に良い映画だった。



行商団のリーダーである彼は、朝鮮人であるとの疑いをかけられても怯まず、対等な立場で村人たちと向き合おうとしていた。一方で、井浦新さん演じる福田村の住人は、朝鮮人の虐殺事件に対して心を痛めながらも、妻に強く促されるまでは、村人の制止に入ることが出来なかった。


彼らの間にあったものは、単なる個人の性格の差異を超えた、出自と社会生活の経験の差だったと思う。永山瑛太さん演じる彼があのセリフを発せたのは、本人に虐殺に至る最後の一押しをしてしまった自覚がなかったからだ。この映画は福田村の住人を中心に描きながらも、行商団の人々の生活もちゃんと描かれていた。そして、彼の人となりも。彼が普段、自分以外の差別されている人たちに対してどのような態度を取る人なのかについても、しっかりと描写があった。つまり彼は、ずっとそういう人だったのだ。そして、だからこそ、一つの村社会の中で、同じ階級の人たち同士と生活し続ける福田村の人々の背景が、おそらく彼には分からなかったのだ。


朝鮮人に関するデマの流布を制止しようとし、虐殺を制止しようとしたものの、結局どちらも叶わなかった豊原功補さん演じる福田村村長は、行商団虐殺事件を記事にしたいと言われてこう答える。


「俺たちは、ずっとこの村で生きていかなきゃいけないんだよ。」


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