セキセイインコを肩に乗せながら懐古する老害

中学生の頃、それはもう「ブログ」に熱中していた。
10代20代の方々は「ブログ」を、個人が熱心にやっている頃を知らないかもしれないがTwitterやInstagramと似て非なる自己主張?の場であった。
なんというか洗練されていなくて、恥ずかしい思考の垂れ流しが許される場(という個人の思い出)だった。

現在のネットで、洗練されていない記事だの文章だの写真だのを流すと、流した本人が思った以上の嫌な空気が生まれる。
それは批判なり、攻撃なり、まあそういう「それは違うよ」っていう指摘。
「そんなこと、わざわざ載せる必要あるの?」的な投稿者の浅はかさをあざ笑うような、あざ笑うことが許されている場だと感じる。

昔のネットでは、「記事を読ませていただく」みたいなリスペクトが少なからずあった。文章を日常的に書く人間が今に比べて僅かだった(もしくは増え始めていた)頃だったからだと思う。
だから、リスペクトのない批判や攻撃は必ず窘める人がいたし、投稿者はそれに甘えていた。そして洗練されていないものを恥ずかし気もなく、流すことが出来たのだ。ほんと、いい時代である。

あらやだ、老害みたいな懐古をする人間にはなりたくなかったのに。
いやあね本当。

前置きが長くなってしまいましたが、こちらのnoteは私の記憶の棚卸しをするところです。
正直、あまり洗練されていませんし、根拠のない適当なことを書いていることもあるかもしれません。何かの合間に読んでくれたら幸いです。
以上、はじめまして、油井しろでした。

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